November 07, 2009

「ふるさと普代会」平成21年度(第21回)総会・開催される。

2009年20月25日(日) 11時50分・ 東京ガーデンパレス (文京区)・参加者 80人
・「ふるさと普代会」
東京、関東に在住する岩手県普代村出身者を会員とする親睦団体。
平成元年に結成。会員数 約200人。

・「岩手県普代村」
北緯40度東端の地球村
人口 3,136人(9月末)
ーーーーーーー
*開会の挨拶
金子得栄 幹事長
・1年ぶりです。
雨の中、お集まりいただきありがとうございます。
深渡村長はじめ、普代村からこられた皆様、近隣市町村の来賓のみなさま、遠路お運びいただきありがとうございます。
こうして盛大に開催することができました。
本日は、楽しい会にしていきたいと思います。
本日の司会も私が勤めさせていただきます。
ご協力よろしくお願いいたします。
(拍手)

*中野健治会長の挨拶
(メモ)
・あいにくの天気のなか、お集まりいただきありがとうございます。
・政権交代が行われました。
いろいろな立場があり、見方考え方もそれぞれですが、私は期待感をもってみています。
・プロ野球は、日本ハムと巨人が日本シリーズを闘うことに決まりました。
普代村出身の”銀次(ギンジ)”選手のいる楽天は、すこし残念でした。
・高校野球では、花巻東の菊池投手の活躍はすばらしいものでした。
岩手県人として誇りに思います。一昨年の盛岡商業が高校サッカーで日本一になった時を思い出しました。
ドラフトが楽しみでもあります。
・さて、本日の総会では、報告とお願いがあります。
御気ずきと思いますが、会場を九段会館から東京ガーデンパレスへ変更させていただきました。
九段会館は20年間使用してきましたが、地下であることとか、ホール内の柱のこととか、ご意見をいただき、その後何箇所かを比較検討いたしまして、今日にいたりました。
・また、会費を2千円値上げさせていただきました。諸情勢のなか、心くるしいのですがよろしくお願い申し上げます。
・幹事、役員、工夫努力を行ってまいります。同封の封筒の中に”アンケート用紙”が入っています。
率直なご意見、要望を書いてお寄せいただきますようお願いいたします。
・本日は、酒は飲み放題です。
また、お土産も用意いたしました。村の特産品少々と”宝くじ”です。
宝くじは一等2千万円です。
当選いたしましても報告の義務はありません。どうかお一人でお楽しみください。
(笑・拍手)

●深渡 宏 村長の挨拶
(メモ)
・おしばらくでした。
役場を出るとき、話は短くしてこい、と言われてきました。
今日は二つだけ申し上げます。
・まず、会を結成してからこれまで活動を続けてこられた会員の皆さん、役員の皆様本当にありがとうございます。東京に会があることが大変心強いです。
・村はこの一年間(苦しい中でも)、事業は順調に執り行ってまいりました。
10月には、恒例になった「普代村海産祭り」を行いました。村の内外から5千数百人の人が参加しました。
大変な賑わいでした。
・村の小学校のことです。(鳥茂渡小の統廃合で現在3つの小学校がありますが)、来年普代小学校一つに統合します。
小学校で学芸会が行われ、見に行ってきました。

普代小では、村の魚業の問題をとりあげた劇を行っていました。
働くことと、魚価の低下をとりあげ、収入が中々増えない。
社会情勢を捉えた劇でした。よく見ている、と感心し、(村長としても)なんとか解決したいと思ったものでした。

黒崎小学校では、三陸フェーン大火のことでした。
昭和36年の”三陸大火”です。大被害が出ました。
数百戸が焼け、黒崎小学校も全焼しました。
しかし、学校は直ぐに「青空教室」で授業を再開しました。
着のみ着のまま、テント生活が続いたのですが、人々は頑張りぬきました。
そのことがよく語り継がれ、児童のみなさんも良く受けついでいる、現実の問題と合わせて良く考えていると感心しました。

・普代会の皆さん!これまで通り、東京、関東で頑張ってください。どうか普代村を見守ってください。
(長い拍手)

●中村 裕 村議会議長の挨拶
(メモ)
・一年ぶりの参加です。
会員の皆さん、役員のみなさん、第一線でのご奮闘に感謝します。
・10月4日は、「普代まるごと海産まつり」でした。
議会としてもバックアップしていこうということで、"炭火焼コーナー”をもうけました。
全体で6千人からの参加で、(村の人口、3,100人)、盛況でした。
8月の衆議院選挙で、民主党が大勝しました。
鈴木自民党衆議院議員は、畑民主党議員と代わる事となりました。
比例でも、宮古の菊池議員が当選しました。
岩手県では衆参9人の議員が全員民主党になりました。
”海産まつり”には、畑、菊池、両議員が参加してくださいました。
現在、海岸は「越前くらげ」の被害がでています。
国をあげて対応していただきたいものとお願いしました。
・ふるさと普代会は、平成元年に結成され、以来21年間、役員・会員一致団結して活動を続け、ユニークなそして充実した会へと発展してきました。心より御礼もうしあげます。
・村は、少子高齢化問題、地方分権問題、大きな問題をかかえています。
私達は「新総合発展計画」に基づき、全力で課題に取り組みます。
そして、どのような変化があっても”普代村の良さ”を失いたくありません。
誇りある普代村としてやっていく、頑張っていきます。
(長い拍手)

●「私の歩んだ道」 上神田梅雄さんの講演
*上神田梅雄 さん (料理人)
(略歴)
 昭和28年 普代村に生まれる。
 昭和43年 普代中学校卒業
 昭和46年 久慈高校卒業
 昭和49年 新宿調理師専門学校卒業
 平成 4年 日本料理全国コンクールで農林大臣賞受賞
 現 在 「日本橋織音(おりね)」料理長  
       新宿調理師専門学校講師 
 著 書 「四季のおもてなし料理 和食の心 季節の風韻」2003年
       (調理師松和会)   ¥15,000
 
(講演のメモー一部)
・私の父は松之助、母はチヨといいます。
(ご存知の方もおられると思います)
私は10人兄弟の7番目、男では3番目です。
長男は地元普代村で精肉店を営んでいます。
長男は、松雄です。
次男は、竹夫です。
三男は、梅雄、私です。
父は、上から順番に、松竹梅と名前をつけました。
・父は、久慈市長内の生まれで戦後普代へ引っ越しました。
「よそもの」で、仲間に入れてもらうため腰を低くして生きていました。
その分、家では酒を毎日いっぱい飲みました。
私は、一度だけ父に暴力を振るいました。人の前で話すのは初めてです。
酒を飲んで母に辛く当たる父がどうしても許せなかったのです。
父は私が28歳の時、死にました。
私は20歳で料理人の道に進み、36年になります。
途中、くじけないでやってこられたのは、子供、少年時代のあの環境があったからと思っています。
母とは、いつも相談しながら、励まされながらやってきました。
続く

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November 04, 2009

「よく走る愛車に感謝と点検をーマイカー点検キャンペーン実施中」へ参加する。

2009年10月18日(日) 午後1時・町屋文化センター
*トヨタ営業所のS氏より「車の6ヶ月点検をやりましょうよ」の☎案内を受ける。
いつものことだが、しかし、今回は”先ず、自分でやってみよう”と思い立ち、
「よく走る愛車に感謝と点検をーマイカー点検キャンぺーン」へ参加してみることにした。
(荒川区広報・で見ていたのだ)

主催: (社)東京都自動車整備振興会 荒川支部
指導: 国土交通省 ・ 警察署
ーーーーーーーー
一般参加者15人・

・自動車整備振興会荒川支部・
荒川青年経営研究会 代表
細田 さんの挨拶
(メモ)
(細田さんは、坊主頭ー 一見、こわい・・・)
・私はこの通りの者ですが、決して「危ない人間」ではございません。(笑)
自動車整備会社の跡継ぎというか、2代目で「荒川青年経営研究会」を作って活動していますが、その代表を務めています。
・今日は、自動車の日常点検の大切さということを一緒に考え、実施も行いたいと思います。
自動車の安全運転の上から、点検は絶対に必要で、最も大切なことです。
・具体的な内容では、一つで良いから必ず覚えて帰っていただけたらうれしいです。
・今日、実施の時指導していただく整備士の方々です。全員区内で整備の仕事をしています。
イシカワ、タケウチ、カラキタ、タカダ、オクムラ、ハセガワ、イワムラ、フルヤ、トガサキ、フナカタ、です。
ーーーーー
(実 施)ーーー実におもしろい。説明も。自動車とは良い物だ、ト思えてくる。
①日常点検 
1800cc普通乗用車を観る。
・ ウインド・ウォッシャ液の量のチエック。
・ ブレーキ液の量のチェック。
・ バッテリ液の量のチェック。
・ 冷却水の量のチェック。
・ エンジン・オイルの量のチェック。
・ タイヤの空気圧のチェック。
・ タイヤの亀裂、損傷および異常な磨耗のチェック。
(釘、石、その他の異物が刺さったり、かみ込んだりしていないかを点検します。-これは大切。特に高速を走るときは。先日、ガソリンスタンドでボクの車のタイヤに釘が刺さっているのを発見してもらった。空気がほんの少しずつ抜けていくんだ。気が付かなかった。あぶないところだったよ。)
・タイヤの溝の深さのチェック。
・ランプ類の点灯、点滅及びレンズの汚れ、損傷のチェック。
・ブレーキ・ペダルの踏みしろ及びブレーキの効きのチェック。
・パーキング・ブレ-キ・レバー(ペダル)の引きしろ(踏みしろ)のチェック。
・ウインド・ウオッシャの噴射状態のチェック。
・ワイパのふき取りの状態のチェック。
・エンジンのかかり具合の異音のチェック。
・エンジンの低速および加速の状態のチェック。
(ハイ!日常点検終了。毎日点検しましょう。)

②タイヤ交換
(スペアタイヤを取り出す。ジャッキと工具を使って実際にやってみる。
タイヤ交換なんて30年ぶりかな。ボルトを緩める。ジャッキを使う。タイヤを外す。おもしろいこと、おもしろいこと。つい、夢中になる。
後で、肩が痛くて。腕が上がらないんだ。2日後病院へ行ったよ。
「40肩、5肩です」と医者に言われた。オレは、62だ。クソッ!)

③不良部品の展示と説明。自動車の修理について。
・「自動車の修理の時は、リサイクル部品を使いましょう」=おサイフと地球にやさしい自動車修理、リサイクル部品活用術。
・廃棄物の削減とエネルギーの抑制に大きくつながります。
・リサイクル部品なら地球環境のためにCO2を削減できます。
新品部品    : CO2 排出量 100,0kg
リサイクル部品: CO2 排出量   2,5kg
(良い話を聞いた。)

④最後、冬場には「スタッドレス」タイヤを使用しましょう!
ブリジストンタイヤの カワノさん の説明。
出ました。ブリジストン。
女性:「ハトヤマさんのところのブリジストンですか?」(笑)
カワノ:「そのとおりです。いま、売れてます。」(笑・拍手)
ーーーーー
東京都自動車整備振興会
荒川支部長 野崎さんの挨拶
(メモ)
・マイカー点検教室へのご参加ありがとうございました。
1時間30分の実施講習でした。勉強になりましたでしょうか。
日常点検を心がけ、安全運転を続けていただきたいと思います。
来年も10月に講習会を行います。参加してください。
(拍手)

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October 29, 2009

「八ッ場ダム問題」 ・ 第9回中央委員会総会(日本共産党)

2009年10月18日(日)
「一から考える八ッ場ダム問題」
しんぶん赤旗・日刊紙・10月10日(土)  6-7面
を読む。

「八ッ場ダムー何が問題なのか」
しんぶん赤旗・日曜版・10月18日(日) 10-11面
を読む。
ーーーーーーーーー
(見出し)
*そもそも何?
・八ッ場ダム予定地は群馬県長野原町の吾妻川の中流、国の名勝「吾妻峡」のなかにあります。
・八ッ場ダムは利水と治水を主な目的としています。
同工事事務所のホームページでも「洪水から暮らしを守り、首都圏の水需要を支えます」と宣伝しています。
・このダム事業で、関係する1都5県(東京、千葉、茨城、群馬、栃木)は約1460億円の負担金を支払います。
・ダム計画のきっかけは、カスリーン台風(1947年)です。
・建設省(当時)は52年に現地調査に着手しましたが、地元住民は計画に猛反対。
地元住民は福田赳夫元首相ら地元選出の自民党国会議員を陳情の窓口にして、ダム反対に意思をたびたび表明しました。
・自民党政権と自民党県政は、反対意見の陳情を受ける一方で、計画を推進。反対派の切り崩しを展開しました。
・前原国交相の発言がクローズアップされがちですが、自民党のこうした対応にも住民の不信の元凶があります。

*利水治水に疑問
利水ーすでに水あまり
・八ッ場ダムから受水予定の1都4県では、すでに水余り状態です。
・東京都ー現在でも1日当たり630万トンの水源を持っています。
、、、地下水をあわせると700万トンを超える水源を保有していることになります。
・一方で、水の利用は減少傾向です。
2005年以降は、500万トン前後で推移しており、約200万トンの余裕があり常にあまる状態なのです。
○なぜ水があまってきたか。
「家電製品やトイレなど、節水機器が普及してきた」
「乾燥機の普及などで、梅雨の晴れ間にいっせいに洗濯し、水の使用量が増えるという季節変動が少なくなった。」
「水道管の漏水が減ってきた」

*人口は減少
・同様に他の4県の保有水源と、最近の1日最大水使用量をくらべてみると、
一人当たりの水使用量を400リットルとした場合、
一日800万人分の水が余った状態です。
・(2015年には)千葉、埼玉、茨城、群馬では、人口減少がはじまる見込みです。
東京でも20年をピークに人口減少へ向かいます。

・もう一つの目的、治水はどでしょうか。
治水ーダムは役立たず
ダム計画の原点は、カスリーン台風規模の「200年に一度の大雨」に備えるものでした。
しかし、国交省が主張する八ッ場だむの治水効果は、実際の洪水をもとに検証したものではありません。
・2007年9月、群馬県西部を直撃した台風ですが、カスリーン台風並みの雨を降らせましたが、吾妻川流域での水量は、国交省の予測を大幅に下回りました。
・国交省河川局長も、日本共産党の塩川哲也衆院議員の質問に対して
「カスリーン台風の形のものについては、(八ッ場ダムは)大きい効果は見込めない」(衆院予算委員会。2005年2月)と答弁しています。
○大熊孝新潟大学名誉教授
「治水はダムに頼るのではなく、堤防強化など河川改修が大切だ。水害で怖いのは、堤防が破壊されて一気に水が流れ出ることだ。堤防の強度を高めれば、利根川の洪水に対応できる。そもそもダムはいずれ土に埋まって使用できなくなる」。

*過大な宣伝
また本紙が情報公開で入手した「利根川浸水想定区域図」でも国交省の過大な宣伝が明らかになりました。
・国交省の宣伝ー利根川上流に200年に一度規模の大雨が降ると「毎秒2万2000トンの水が、中流の八斗嶋地点(伊勢崎市)の河道を通る。
・実際は、八ッ場ダムが無い現状で、(毎秒)1万6750トンにとどまると同省自身が試算していた。
この水量では、水位は上がるものの堤防の下2メートルを流れていく程度です。

●中止はムダか
費用ー中止の方が安い
・「継続するより中止の方がたかくつく」
「事業費の7割も使ったのだから、完成させた方がいい」
「ダムを中止した方が高くつく」
という議論がでています。

*しかし、「7割」というのは使った金額のことで、ダム本体工事は未着工なうえ、事業費の大幅な増額も予想されています。
事業費4600億円のうち、3210億円が今年3月までに支出されています。
残り1390億円で、ダム完成にこぎつけるのが困難なことは同省自身も認めています。

ゼネコンのダム担当者、
「ダムは通常、本体工事に事業費の4-5割がかかる。国は事業費を安く見せようとして、後から事業費を追加する。ダムをつくればまだまだ金がかかる」

・八ッ場ダムの場合、事業費の7割をつかっているといっても、付け替え国道の完成割合は6%。
付け替え県道は2%程度しか完成していません。

・「八ッ場ダムあしたの会」の試算、
「水源地域対策特別措置法」「利根川・荒川水源地対策基金」に2事業と利息を含めると事業総額は9千億円近くになります。
さらに、地すべり対策や東京電力の減電保障などをあわせると、もっとふくらむことが予想される。

・ゼネコンのダム担当者、
「ダムはもうかる。
コンクリートで造るダムなら、粗利が20-25%。
ここから政治家に献金がいく。
官僚はゼネコンに天下る。
根本には政官財の癒着がある。
だから簡単にはやめられないのさ」

○現地ー願いは生活再建
ダムが完成すれば湖に沈む名湯川原温泉。
ダムで移転対象となるのは470世帯。
住民の78%が移転し、残っているのは104世帯です。
 
現地、70歳代の女性、
「みな、泣く泣く出て行った。近所の人がいなくなり、店も無い。
前原国交大臣がいきなりテレビで『中止』というのを聞いて、3日間不安で寝られなかった」
同女性は、
国から「移転用に50坪の土地をあげる」といわれ反対から条件付賛成に転じました。
保障交渉が進むと、”移転地は自分で買え”といわれました。
・・・代替地への移転希望者は134世帯のうち、現在引っ越したのは23世帯にすぎません。
同女性、
「本音をいうならダムはやめるなら、やめていいが、きちっと補償して欲しい。早く生活を立て直したい。
一年ごとに年をとって、このままではどうしようもなくなる。」
ーーーーーー
(!赤旗の丸写しだけど。ここら辺が本当のところだと、ボクは思う。)

しかし、前原国交大臣の人気は衰えていない。感情論もふくめてだが。
一都5県の知事に追及される国交大臣の姿が繰り返しテレビに映されたが、視聴者は皆大臣の方を応援しているもの。
石原さんと前原さんでは、意地悪じいさん対青年政治家のイメージ。「石原さん、まだ都知事やってたの?」。(とKさんの奥さんが言っていました。)
森田さんと前原さんでは、タレント対青年政治家のイメージ。森田さんは、「すぐテレビ目線になる」「作った顔」、とかなんとか言われている。
・・・自公政権時代には無かったことだ。・・・)

ーーーーーーーーーー
第9回中央委員会総会
志位委員長の幹部会報告
赤旗・15日・別刷り
を読む。

同・志位委員長の結語
赤旗・16日・5面
を読む。

●よりすすんだ視点で、「事に通じる」努力をおこなう。
「報告では、八ッ場ダム問題についてのべました。ダム中止という方向そのものは、もちろんよい方向なのですが、現実にはいろいろな矛盾や軋轢が起こる。
いったいどこが問題なのか。そこを掘り下げて明らかにしてみますと、民主党政権の一部に(マニュフェスト絶対主義)ともいうべき態度がある。民主的プロセスの問題点がある。
このことを率直に提起しました。
そしてどうすれば、道理ある解決ができるかも、あわせて提起をいたしました。」

(!同感。納得!全文よむこと。傑作だ!)

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October 27, 2009

劇団『ING進行形』第14回公演・人形の家ーイプセンよりー を見る。

2009年10月10日(土)・ (Pit 北 / 区域) =劇場の名前 (JR王子駅 1分)
劇団『ING進行形』
2004年4月 日大芸術学部より旗揚げ
2008年9月 第11回:皇帝ガリレオ・ 豊島新聞社賞受賞
ーーーーーー
(案内をいただく。その中から)

・優しい夫。愛らしい子供。幸せな家庭。
その中で楽しく毎日を過ごすノーラ。

何不自由ない、平和な生活。平和な日々。
しかしそれは、突如揺らぎ始める。
ノーラが愛ゆえにしでかした出来事によって。
それを知る来訪者によって。クリスマス前日に。

全てが明らかになった時、クリスマスの奇蹟は?
絶対絶命のノーラに、奇蹟はもたらせるのか。
ーーーーー
・、、、ですが、2時間程度で仕留めたかったので、うまーく削ったり合成したり、、、。
あとは少々改変したり、付け足したり。構成を少し前後させたり。色々小細工を。
・・・・
全作品を観て不満たらたらになりましたら、是非正統派の「人形の家」をご覧ください。
ーーー 参考戯曲ーーー
講談社文庫の毛利三弥(訳)を基本の軸とし、新潮文庫の矢崎源九郎(訳)を注釈に。
さらにその補足として、岩波文庫の原千代海(訳)と、旺文社文庫の林譲二(訳)を。
〈な、なんなんだ。これはー。ッタク。マア、おもしろい案内だけれど。)
ーーーーーーーーーーー
役  名

メルヘル  - 伊藤全期
ノーラ    - 中山茉莉
ランク    - 吉田明玄
クロダスタ  - 近原正芳
リンデ    - みぎわ翔
乳母の声  - 大出 南

・大概の本には、「ノラ」となっているが「ノーラ」でないと、どんなに成績がよくても単位をもらえない大学があるとかで、ここでは「ノーラ」となっている、そうです。
・ノーラさんは両親の「人形子」として育てられ、銀行家メルヘルへ嫁いでは「人形妻」として扱われる。
そのノーラが、最後は家も夫も愛児も捨てて家出する。
女性の『覚醒』を描く。
・言葉半分、身体能力半分で「人形の家」を表現しているのでした。
でんぐり返し、ダンス、空中転回、が随所にでてきて激しいこと、激しいこと。
このエネルギーで新しいものを世の中につくりだしていけたら、スバラシイデスネ。

・作者のイプセンはノルウエーの方でしたよね。「人形の家」が書かれたのは確か1879年。(日本は明治12年)。
ジャスト130年前の作品です。
女性の「覚醒」、男女平等、女性の社会参加、という点ではノルウエーは世界で最も進んだ国になっています。
何故だろう。
日本は、その点、世界で最も遅れた国の一つになっています。
何故だろう。
そんなことも考えました。

・イスのすわり心地が悪かった。ひとこと文句。


 

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October 20, 2009

こまつ座ホリプロ公演「組曲虐殺」 を見る。

2009年10月5日(月) 天王洲銀河劇場

・高畑淳子さん、石原さとみさん、伊藤ふじこさん=女優さんの美しさに見とれてしまう。
テレビよりずーっといいよ。声も。
・笑いがいっぱいあったが、あとになって、すごいものを見たと思う。
小林多喜二(井上芳雄)を思いだして、やっぱり泣く。
・2人の刑事は、普通の人になったり特高になったり、難しいところを上手く演じていると思った。
(思い出したことがある。)

*作      井上ひさし
 演出     栗山民也
ピアノ     小曾根真
(配役)
小林多喜二 (作家)       井上芳雄
佐藤チマ   (多喜二の実姉) 高畑淳子
田口瀧子   (多喜二の恋人) 石原さとみ
伊藤ふじ子  (多喜二の妻)  神野三鈴
古橋鉄雄   (特高刑事)    山本龍二
山本 正    (特高刑事)   山崎 一
ーーーーー
*多喜二の姉(高畑淳子)が多喜二(井上芳雄)に「大森ギャング事件」について詰問するところ。
ハラハラした。
同じく、多喜二の活動が何の役にたっているのか。何のための苦労か?という質問もあった。
多喜二への支援を惜しまない姉の言葉だけに重たかった。

・多喜二の答えは、具体的で暖かくて確信に満ちたものだった。
ごまかしは一切無い。

*此処のところで、ぼくは’宮本顕冶’を思い出したんだ。
昔読んだ本のなかの宮本さんの一節、
「私は社会主義という問題の原理につきまして、旧制高校の一年生ごろから勉強し始めて、本を読みあさりました。そして、22歳で共産党に入ったけれども、結局、世の中というものはそういう方向にかわらざるをえない。
とするならば、だれかがその先頭に立たなければならない。
私の母なんかは、
『そういう世の中にどうせなるなら、おまえがなにも無理して犠牲になることはないんじゃないか』
『そうなるなら、自然になるだろう』
と、こういって私が運動に入らないようくどきました。
しかし、世の中というものはやっぱり人間が働いてこそ変わるんです、世の中というのは人間のあつまりですから、そう考えて私は、日本共産党に入りました。・・・・」
(宮本顕冶 「回想の人々」 新日本出版社 1985・”共産党員の人間像、これからの世界と日本”

(!宮本さんは、1908年生まれ、22歳というと1930年。1930年の入党ということになる。多喜二と同じ頃だ。
お母様の言葉はさらっと述べられているが、お母様にしたら心配で心配でたまらなかったろう。
多喜二のお姉さんの言葉と重なる。同じ気持ちだったろう、と思う。
ここで考える。
もし、宮本顕冶や小林多喜二が安穏な生き方を選択していたらどうなっていたか、と。
共産党をやめちゃって。
そうすれば、
「党生活者」も「蟹工船」も「1928年3月15日」も世の中にでてこなかったろうなー。
「12年の手紙」も無くなるわけだ。
日本共産党はどうなっていたのだろうか。
無くなるまではいかなくても、現在とはかなり違ったものになっていたと思われる。
「自主独立の党」「民族の党」では無くて「外国盲従の党」になっていたかもしれない。
アメリカと日本の大企業に物を言える政党がなくなっていたかもしれない。
井上ひさしさんは「組曲虐殺」を書けなくなる。
文化が衰退する。日本に魅力がなくなる。

やっぱりあの不屈の闘争は日本の歴史にとって決定的に重要であったのだ。)
ーーーーー
*「多喜二を囲む女性の中で、妻役を演じる神野三鈴が発する怒りと恋人役の石原さとみが抱く悲しみも印象的だ・・・」(しんぶん赤旗・10月8日・9面 「組曲虐殺」 多喜二の生、今をえぐる・瀧口雅仁)

・伊藤ふじ子(神野三鈴)と田口龍子(石原さとみ)のやり取りは、佐藤チマが加わって心に残った。
伊藤が龍子に言う。「(多喜二にとって)(結婚生活は)”現在は”この形が一番いいのよ」。
龍子は黙ってふじ子を見つめる。少しして、うなずいた。(とぼくは思った。)
龍子は多喜二を!お兄さん!と呼んでいた。
多喜二が殺され、龍子は佐藤チマと北海道へ帰る。龍子は、「多喜二さん!」と呼んでいた。

(!ここのところで、ある論争を思い出し、それへの回答とボクは思った。
「党生活者」は、いくつかの点で戦後の文学界の中で非常な論争の対象になったものであります。
・・・戦後、一部の人びとから笠原という婦人の扱い方が、きわめて非人間的で、目的のために手段を選ばない、人間蔑視であるなどという攻撃がなされ、これにたいしていろんな論争があって、多くの「党生活者」論が書かれました。笠原の描き方の欠点をとらえて、そのように断定することに私も反対してきました。
=宮本顕冶。

平野謙氏や荒正人氏が、「党生活者」の中における主人公の女性に対する扱い方が、非常に非人間的であると批判して、中野重治氏や蔵原惟人氏など旧ナップ出身の人々とのあいだに激しい論争が行われました。
=佐々木基一

・この論争に対する回答だと思った。)

*古橋鉄雄(山本龍二)と山本正(山崎一)の二人の特高刑事は、多喜二を監視し付け狙う。その一方、多喜二に魅かれるところもある。
刑事として威張っているが、貧しかった生い立ちのことにも触れる。人間的なところを見せる。
フルーツパーラーでの多喜二、ふじ子、チマ、龍子とのやり取りは、ピストルが出てきたりで、緊張した。そして、笑わせられた。おもしろかった。

(!新宿区にSYさんという方がおられる。現在も80歳代半ばでお元気だ。
私が新宿に住んでいた頃はご夫婦で文房具店を営んでおられた。
現在は、同じ場所でビルのオーナーになっておられる。
ご夫婦で共産党の活動をしておられた。私もちょくちょく、ビラ巻きとか赤旗配達を手伝って、ご自宅へお邪魔するようになった。奥様のカレーライスをご馳走になった。
SYさんは自分がなぜ共産党に入ったかなどを話してくださったものだ。
「組曲虐殺」でSYさんのことを思い出した。内容とは離れていると思うんだけど、話してみたくなった。

SYさんのお話(記憶のままに)、
・ボク(SY)は、当時(1950年ごろ)、神楽坂警察署の警察官だったんだ。
(神楽坂警察署は早稲田警察署と合併、現在牛込警察署となっている)
警察官になって3年目だった。交番勤務になった。真面目に勤務していた。
・ある日、近くの文房具店へ買い物に行ったんだ。お店の娘さんが店番をしていた。
その娘さん、美人で可愛らしくて、20歳位だよ。(今の奥さんだよ。)
ボクは、びっくりして何も言えなくて、「何か御用ですか?」って、警官が質問されて。
一目ぼれさ。
・それから、制服警官が毎日文房具店へ買い物に行くようになって、真ん中を省略するけれど、ようやくにして本人の了解をとりつけお母さんに挨拶するところまでこぎつけたよ。お父さんは亡くなられていた。
お母さんの名前は仮に映画から借りるわけではないが「とら」さんとしておこう。とにかく凄い人で「とら」が一番いいよ。会ってこれはただ者ではないと思ったね。
でも、ボクは娘さんとどうしても結婚したかったんだ。
正座して「とら」御母さんへお願いしたよ。
「娘さんをボクにください。娘さんと結婚させてください」って。
・御母さんは、しばらく黙っていたね。今思うと、ボクの彼女から聞いていて考えていたのだと思うんだけど。
口を開いたね。そして言ったね。

「結婚は許します。
但し、三つの条件があります。これを全部飲んだら娘と結婚してもよろしい。
一つ、警官を辞めて文房具店を継ぐこと
一つ、日本共産党へ入党すること。
一つ、我が家へ婿養子として入ること。姓を変えること。」

・ボクはどうしたと思う。
二つ返事で、「ハイ!分かりました!」と言ったんだ。
「結婚はゆるします」、しか聞いていなかったんだなー。
いずれ完落ちだよ。完落ち。
・とらオカアサンが、共産党が非合法だった戦前からの活動家だったというのは結婚してから聞いたね。
迫力が違うよ。迫力が。

・そうこうしている内に手続きが進んで、結婚して共産党へハイって、活動を始めたね。
その頃は、レッドパージ、50年問題の頃で、共産党へ近づく人なんかいなかったよ。
警察は共産党を追い掛け回していたんだから。
そんな時、警察官だった男がが共産党を始めるんだから戴したものだと思うね。

・ボクが共産党の活動に最初に参加したのは、1955年(昭和30年)4月の新宿区議会議員選挙だ。
共産党からは、茶山克己さんと村越喜一さんが立候補した。
時代のせいもあって運動員は少なかった。
ボクは、朝8時にリュックサックにビラをメ一杯つめて出かけた。妻から握り飯5つと水筒を渡されてね。
新宿を二つに分けて、一方(茶山地域)のびら配りを一人でやったわけさ。
市谷、戸山、大久保、落合、早稲田、飯田橋、神楽坂、全部一人で配った。
夜8時までかかったね。
その時、茶山さんは、44人中4位で当選した。村越さんも当選した。うれしかったね。
「50年問題」から共産党が立ち直るときだった。その先頭にいた。

・こんなこともあった。ある日のことだが。
ビラ配りを終わって、ほっとしてボクは尿意をもよおした。
立小便をした。当時は誰でもやる時代だよ。
刑事が後をつけていたんだね。
軽犯罪法違反で逮捕だよ。
四谷警察署へ連れて行かれたね。
どうなることかと思った。
事情聴取に来た人が、昔の上司だったよ。
ボクをみて一言、
「なにやってんだ。すぐ配置に付け。」
で、すぐ釈放された。
粋な人だった。
・立小便なんかしてはだめだよ。

・結婚して、子供も授かった。
子供は高校、大学とも自転車通学。電車に乗ったことはない。
今、医者をやっている。

・共産党には感謝している。


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October 19, 2009

ー伝説からのメッセージー 「水上士郎 水彩画展」を観る。 

2009年10月2日(金)・美術家会館ギャラリー(銀座3丁目)

・水上士郎(岩手県久慈市在住)の個展。
30点を展示。水彩中心だが、墨絵もある。
タイトルがほとんど「心象風景」「伝説からのメッセージ」とある。
・本人は、「水彩画と漫画の中間を描きたい」と、”おもしろーい”ことを話しておられた。
むかし、ヨコヤマタイゾウ先生に示唆された、とか。
「ものにするには、10年はかかりますね」。
・そういえば「ラーメンマン」風の人を取り込んだ絵もある。
風景、海、山、宗教、音楽、ど田舎、大都会、ネオン、男、女、あらゆるものが描かれている。
人の顔は全部片目をつぶっている。
ーーーーー
水上士郎氏の”水墨画と文”が「月刊 民商」の表紙2に連載されている。
「久慈市山形町の冬」「秋の東北」「久慈海岸小袖浜」など、原画を見せていただく。
「久慈海岸 海女の北限」は、2人の海女さんが海へもぐっている。
現在、全国的に知れ渡った2人の若い海女さんだ。水上さんの地元の人たちなのだ。
墨絵で見ると神秘的だ。
・「墨絵は冬秋より春夏を描くのが難しいいんですよ」、と水上さん。

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October 15, 2009

「九条美術展」 を観る。

2009年9月27日(日)・ 埼玉県立近代美術館
・「守ろう 生かそう 憲法 ・ 9条美術展」 (主催・九条美術の会) を観る。
・185人のアーティストが185点を出展している。
油彩、日本画、版画、彫刻、墨絵、写真、切り絵、と多彩だが、展示がうまく工夫されていて引き込まれる。

・宮本和郎
「平地炭焼ガマ」(日本画) を観る。丁寧だ。緻密だ。
自分にとってはなんといってもなつかしい。日本のどかかにまだ炭焼きガマがあったんだ。釜の中は、生木を入れたばかりだろうか。まだ火は入れていないようだ。
ボクは、中学を出るまでは炭焼きの手伝いをしたものだ。
(記憶だけだが)一釜焼くのに20日位掛かった。一釜から木炭20-25表ができた。一表が3貫750匁(約15kg)だった。炭を二表背負えれば一人前だった。背負って道路まで出し、そこから馬橇で本道まで運んだ。本道へは業者のトラックが来ていた。昭和30-35年ごろだが、当時炭1表何円だったろう。500円ぐらいではなかったか。冬の副業としては決して悪くなかったと思う。
親、兄弟、一緒だった。一緒に働いた。親父のマサカリが凄かった。真似たものだ。
映画「7人の侍」の中にマサカリで木を割るシーンがあって、ふと思い出したりしたものだ。
柳田国男は、何かの中で書いていたなー。北上山地の炭焼き男の殺人事件を。マサカリで自分の子供5人の首を切り、死体を炭ガマの脇に並べてておいた。5人の中には貰い子も含まれていた。優しい男が貧乏のため狂気に走った、そんなことを。
”炭カマ本体を作って、木炭を製造し、出荷する”この1行程をやり切ることができる人は、私達の村ではもういない。父の代の人たちで絶えた。木炭を作る人は村にいなくなった。
中学を出てからこれまで、炭焼きの話などしたことがなかったが画をみていて、色んな事を次々に思い出した。
・三陸大火(昭和36年)のことも。火元の一つは僕たちの村の炭カマだった。炭カマの所有者K氏=山林地主だが=もそのカマを作って働いていたIWさんも、ぼくの家と親しかった。「八百町歩焼きました」「半分は自分の山ですが」。いつだったかK氏が父に言っていたのを聞いたことがある。
IWも何回か泊まりに来た。IWはアッカの生まれだが、両親と死別した。僕たちの部落のキクマツ爺がめんどうをみた。”炭焼き”をミッチリト教え込み一人前に育てた。
「風が急に出てきた。火を落とすのが間に合わなかった。」と言っていた。
・父も、K氏も、Iwも、キクマツ爺も、皆んな死んだ、、、。

*佐藤忠良 「漁商のおんな」 (彫刻・サイズ、首)。
・知っている人にそっくりでびっくりした。
頬がでていて、鼻が少し低くて。丈夫で。生きているようだ。
その方は、八戸線で「漁商」をやっていた。
ご主人は、彼女が21歳の時戦死した。
「漁商」をやりながら一人息子を育て上げた。
亡くなるその年まで(80歳をこえて)、魚商をやっていた。

*美濃部民子 「都市伝説ー風物語」(油彩) を観る。
以前と比べる。ピンクよりブルー系が画面のなかに多くなった。
観ながら考える。
”風”を自由に描けたら、どんなに良いことかと。
”風”は目に見えない。それを描く。むずかしいことだ、と思う。
再興第94回院展でも
福井爽人 「白い風」 ーがあった。
光のような風が室内に吹き込んでいた。
うまいなあ。苦労したろうなー。描くのに。などと思ったものだ。

*古澤潤、野見山、根岸、渡辺、児玉、桐生、安部、伊藤、今井、、、、ほか。
力作がいっぱい。
創造力。想像力。未来の姿だ。
平和を希求するアーティストが一堂にいる。


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October 10, 2009

Ancient Egypt in Torino トリノ・エジプト展 ーイタリアが愛した美の遺産ーを観る。

2009年9月24日(木)・東京都美術館(上野)
・連休明けだ。美術館は空いているだろと思って出かける。
ハズレ。オレと同じ考えの人間がいっぱいいたのか、それとも、「トリノ・エジプト展」は人気があるのか、混雑していたのだ。
*(案内を読む)
「門外不出のツタンカーメン、上野で公開中」
・大型彫像、彩色木管、石碑、アクセサリー、そしてミイラー。
世界屈指の古代エジプト・コレクション、日本初公開!
・ドラマチックな演出でイタリアの古代エジプト・コレクションが蘇る。
ーーーーー
案内の見出しが大げさでないことは、見れば分かる。
続く

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October 08, 2009

「荒川区戦災の記憶ー初空襲そして大空襲」(ビデオ視聴) を観る。

2009年9月16日・ ムーブ町屋・
主催: 荒川区9条の会・共同企画

*小泉 俊雄 さん(主催者代表)の挨拶
(メモ)
・荒川区には地域に(東尾久・西尾久・南千住・日暮里)4つの9条の会があります。
労働組合内(教職員組合・東京土建、他)の9条の会もあります。
この間、学習会、署名活動、ニュースの発行、情報交換会を行ってきました。
・今日は、地元荒川区の「戦災の記憶」を学習し、交流したいとおもいます。
このビデオは、荒川区教育委員会が制作したものです。(26分)
私達が子供の頃、関東大震災と東京大空襲で2回家を焼かれたという人が多くいて、話を聞いたものでした。
(ビデオの内容)
64年前(昭和20年)3月10日未明、東京の下町大空襲はワズカ2時間余で、10万人の死者と100万人の罹災者を出しました。
・日本全国のアメリカの空襲の始まりは、1942年(昭和17年)4月18日、この荒川区尾久の上空に、中型爆撃機B25が16機飛来し、10人の死者をだしたことからです。(旭電化を狙ったものでした)。
(当時の被害者、目撃者、数人の話が挿入されています。)
・それから東京は、10回の無差別大規模焼夷弾爆撃と、合計130回の爆撃で見渡す限りの瓦礫の廃墟と化しました。
・日本全国の空襲は47都道府県で、56万人もの民間人の犠牲者を出しました。

*総選挙の結果、民主党政権ができました。
改憲派の元議員、候補者は多く落選しました。
しかし、”改憲”を口にする議員は民主党の中にもいます。
私達は、草の根からの活動を強めて行きたいと思います。
(拍手)

-------
語り
佐野三千代  「花いちもんめ」 を聞く。

(原作 宮本 研)
・巡礼姿の佐野さんの語り。
”まだ、戦争は終わっていない”・その思いを強くする。

・「満州」からの家族逃避行、、、。やむなく、やむなく、娘さんを中国人へ売る。泣く。
(娘の弟の言葉。「ぼく、知っていたんだ。ねえちゃん、今朝ちいさな声で僕に言ったんだ・・・。」
日本へ帰る日、娘に会いに行く。娘は母の声に応えない。母の方を振り向かない。けっして。
母の叫び、「母が娘を捨てたのではない。娘が母を捨てていたのだ!」)

・1972年、日中国交回復
中国残留孤児の日本での肉親探しがはじまる。
何人かは、肉親との再会がかなった。
しかし、肉親の中の面会者に「母親」は一人もいない。
自分の子供だと知っている。しかし、面会に行くことが出来ないのだ。
(!知らなかった。浅はかだ。おとこは!)

(ふと、女優(故)岡田嘉子さんのことが頭をよぎる。
映画「虎さん」で見ただけだけれど。
なぜ、息子さんに会わなかったのか。・・・。)

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October 05, 2009

”再興第94回院展” を観る。

2009年9月14日(月) 東京都美術館
第94回院展・
出品総点数 301点


・おもいだした。
調度去年の今頃、同じ場所で「フェルメール展」をヤッテイタノダ。
「光の天才画家」フェルメール展を。見に来た。

・それで今日は、院展で日本の現代のフェルメールを探すことにした。
日本画のなかのフェルメールさんを。光の画家を。

・「光」で印象に残ったのは、
高橋雅美 「時の肖像」
ー校舎かな?かなり古い。廊下に陽射しがあって、いろんな方向からで、その加減がすばらしい。
後ずさりしながら、画を眺めていって、ふと自分の年にきがつく。

久保孝久 「出会えた風景」
ー雪の道路と木立。木立の間に、枝の間に、はるか向こうに御日様が半分ぐらい小さく見える。御日様には輪がかかっている。木立からの陽射しと道路へ写る木の陰。真っ白な雪道の車輪のあとと交差している。静かだ。

(フェルメールさんの光は、家の中への光が主で、周りが重々しいなかへの光だ。
いずれ、日本の光も負けていない。
下田義寛 「寒 明」 を観る。
ー富士山と月と雲。貫禄十分。発光ダイオードの光だ。)

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