荒川区・東尾久9条の会結成総会 開催される。大原穣子さんの講演を聞く。
2008年9月28日(日) ムーブ町屋4F・ 午後6時30分・満席
大原穣子 さん
(女優・方言指導者・著書「お国ことばで憲法を」)
―講演のメモ―
・9条の会結成総会へのお招きありがとうございます。
「尾久」と書いて「オグ」と読むのですね。「オク」ではない。地名はむずかしいですね。
・映産労の大会がありまして、それに参加し、その後でここに参りました。
私は「女性9条の会」の呼びかけ人の一人です。
・ドラマでの方言指導を現在行なっていますが、それまでは役者もしていました。
1970年代、地方ドラマが増えました。ドラマへの出演を(エサ)に方言指導を行なうという程度だったのが、だんだん片手間ではできない事が分ってきました。専門的な方言指導が必要になりました。私は、その方向へ進みました。
・報酬はとても低かったのです。その地位を高めるために「俳優連合」に参加しました。NHKや放送局とも交渉し、現在"方言指導”の分野を認めてもらっています。字幕にも載るようになりました。
皆で切り開いて来た分野だと思っています。
・私は、1935年(昭和10年)4月1日生まれです。大阪生まれです。4月1日ですから、早生まれですね。
「国民学校」の1期せいです。大日本帝国憲法と平和憲法を(学生時代に)体験した最年少の世代です。
昭和16年に学校へ入りました。1年生の時は(真珠湾攻撃の年ですが)、まだ学校はとても楽しかったですね。4年生になると連日、米軍の空襲が行なわれるようになりました。母親の故郷・瀬戸内の島に疎開することになりました。福山の近くの小さな島です。トモノ浦が見られます。
祖母が通った小さな学校へ転向したのですが、大勢の子供が疎開してきました。
島から人がこぼれる位疎開してきました。
・私達は、(一応)都会っ子として育っていましたが、山へ行って木を集めてくる仕事をしなければならなくなりました。火をおこすためですね。水は井戸から汲み上げるようになり、畑仕事もしました。
ガス、水道の生活から一変しました。
・今、俳優さんと接していると、つるべ、着物、くわ、ぞうり作り、等これが分らない、どのように使うのか分らない、と云う人が多くいます。
私は、この時いろいろ教わりました。都会っ子だったのですが、全部使ったり創ったりできるようになりました。
言葉もすぐ慣れて、分るようになりました。
・8月6日に広島に、8月9日長崎に"ピカドン”が落とされました。
この「ピカドン」は、死語になりつつあります。
井上ひさしさんの作品に「父と暮らせば」があります。映画化もされました。
井上さんは、女優さんに「ピカドンとはっきり言いなさい!」とダメ出しをしていました。
若い方は「ピカドン」が分らないのです。
ピカドンは原爆のことだと分らない方が増えているのです。
・最近、名古屋で日本母親大会が開催されました。参加したのですが、そこで話し合われたことが「どうすれば戦争体験が次の世代へ伝えられるか」ということでした。原爆、大空襲、従軍慰安婦問題、中国残留孤児問題、伝えていかなければならない事だと思います。これは文化の力によるものだ、ということで一致しました。演劇、映画、歌、文学、その力が重要だと話されました。それは、申し合わせ事項の中にも入れていだだきました。
・母親大会の今年の助言者は、物理学者の澤田ショウジ先生(名古屋大学名誉教授)でした。
先生は被爆者でした。「父と暮らせば」の反対の立場でした。お母さんを助けられなかったと、、、そのことの、、、お話でした。ピカドンの話を語り伝へていくことを、、、思いました。
・鈴木ミズホさんは、年配の方です。すばらしい俳優です。
鈴木さんは「(戦争中)ボクはエリートだよ」「江田島にいたんだよ」と、よく冗談を言います。そして、「江田島からキノコ雲を見たんだよ」と必ず話されます。
私は(キノコ雲は)見ていないのですが同じ(近くの)島にいたのです。
知らないうちに何十万人もの人が命を落としていくということが起きていたのです。
・8月15日・天皇の言葉を聞きました。ラジオの音がガーガーしていました。戦争が終わったことを知りました。
その日、みんなでお粥をすすったことを覚えています。日本人300万人、中国・アジアで3,000万人もの人が犠牲になった戦争は終わったのです。
・私は、島の中学校へ入りました。
新しい憲法を教えてもらいました。授業では、いつも学問が大事だということを教えてもらいました。真理を見抜くことが大切だと教えてもらいました。
この頃の国民の平均寿命は、男23歳、女37歳でした。
現在の平均寿命は、男79歳、女80数歳です。戦争がなかったから、平和だから寿命が伸びたのですね。
「後期高齢者医療制度」は、この方々を生き難いものにしていますね。余談ですが。
・私達の国民学校・小学校の時の教育、戦前の教育はどうだったでしょうか。私の受けた教育です。
小国民としての教育でした。男は兵隊になれ、女は従軍看護婦になれというものでした。天皇のために美しく死んでいくように、というものでした。
卒業式の時の校長の言葉はこうでした。
「・・・さて、みなさん。・・・陛下の赤子として、強く生きよ。行け。戦え。死ね。これを記念写真に添える言葉として贈ります。」
これが6年生の子供に贈る言葉なのです。
・私はその後演劇の道に進み、京都で8年暮らしました。大阪、京都、瀬戸内の島、3つの言葉で仕事をしています。
お国言葉で憲法をの中から、広島弁での憲法を読ませていただきます。
(朗読・9条、11条、25条) ― 拍手
・戦争になると人権も生存権も全て否定されだめにないります。ややこしい人達、憲法を変えようとしている人達は、憲法の中味が分っていない人達だと思います。
・昔・兵隊、今・老人 ― この老人の長生きを喜べない社会にしてはいけないと思います。
(長い拍手)
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