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October 2008

October 30, 2008

「岩手県人連合会県北地域ふるさと交流会」開催される。

2008年10月17日(金)・ホテルパインヒル・午後6時
出席者 14団体 24人
来 賓  瀬川爾朗 岩手県人連合会会長
来 賓  斉藤昭彦 顧問 (前事務局長)

*生平幸立 在京久慈地区ふるさと会会長(県連顧問)の挨拶
(メモ)
・県連や私達に対して起こされていた裁判は9月3日に判決言渡がありました。結果は御存知のとおり被告とされた私達が完全に勝利しました。読み上げます。
{主文: 1、原告堀合辰夫(弁護士です)の被告岩手県人連合会の幹事会でなされた同原告に対する会議出席停止決議が無効であることの確認を求める訴え並びに原告中田滋、同山崎義雄、同佐々木文紀及び同千葉斗田の同被告の幹事会でなされた同原告らに対する会議出席停止決議が無効であることの確認を求める訴えをいずれも却下する。
2、原告らのその余の請求をいずれも棄却する。
3、訴訟費用は原告らの負担とする。}
・同じく、被告とされました前会長井上ひさしさんに対しましては、原告は4月28日の法廷において裁判を"放棄”しています。この時、井上さんの弁護士が鋭い追及をされました。内容は伏せますが。
・本日は共に被告とされました、瀬川現会長、斉藤顧問にも御出席いただきました。
ゆっくりと懇談等楽しみたいと思います。
(拍手)
――――
(雑談・懇談・挨拶)
生平さんの話
(メモ)
・県北地域、三陸出身の人達は純真ですね。しかし、能力はある。普段は、若い方々を見ていると(私は80歳になりますが)、もう少し勝負に出ても良いのではないか、傷ついても良いから自己主張しても良いのではないかと思うことがあります。しかし、今回の裁判では純真に私達を支持してくださいました。ありがたく思っています。

桜庭さん(野田はまなす会会長)の話
(メモ)
・私は、10年少し前フランス、パリの日本人学校の校長を3年間務めました。文部省から派遣されました。
埼玉で永年教師をしていたのですが、40歳の時アメリカへ18日間でしたが視察に行きました。初めての外国でしたが、教育は日本だけにいて考えていてはいけないと思いました。フランスは50歳から53歳まででしたが、良い勉強になりました。フランスと日本と比較すると、日本の教育はヤワになっているというのが感想でした。フランスでは、生徒が泣こうがわめこうが、やらせることはやらせる、ということが徹底しているように思いました。
フランスの地方にも行きました。地方の人達はとても優しかったですね。地図を持って立っていると、10人中9人は声を掛けてくるのです。日本も同じだ、私のふるさと野田と同じだ、と思ったものです。
日本の教育はどうにかしなければならない、この問題意識は持ち続けています。

瀬川さん(県連会長・東京大学名誉会長)の話
(メモ)
・最近、街を歩くと若者の大部分は携帯を見ています。極端すぎると思います。
携帯を見て周りを見ない。携帯を通して世の中を見ているように思います。頭はどのように働いているのかと疑問に思います。これが10年間続いたらどのような人間が出来、世の中が出来るのか、少し心配になります。
人を見る。自然を見る。その中から学ぶ。それが大切だと私は思うのですが。
・田中館愛橘(1858-1952)のお墓参りを致しました。お招きいただきました東京福陵会(福岡高校同窓会)の堀田さん、ありがとうございました。ローマ字運動の最初の方でもあり、お墓にはローマ字が刻んでありました。ローマ字のお墓に手を合わせました。
田中館先生は、学士院会員であり、貴族院議員も務められました。先生の弟子に寺田寅彦(1878-1935)などがおられます。地軸と重力の研究で、地上の地磁気を研究されました。私は、海底の地磁気を研究しました。昭和59年に「田中館愛橘賞」をもらいました。
田中館先生は、昭和27年に亡くなられました。私は、この年釜石高校へ入学しました。二戸で葬儀が行なわれたのですが、国内外の名士が二戸に集まったことを覚えています。
岩手の生んだ巨人ですが、岩手には超巨人がいてその周辺がいない、高野長英、新渡戸、そんなことを思います。小沢さんは、同じなのでしょうか。

堀田さん(東京陵会顧問・県連副会長)の話
(メモ)
・田中館愛橘の曽祖父は相馬大作です。
盛岡だか、八戸だかの藩校では原敬と一緒でした。
外国では、アインシュタイン、キュウーリー夫人などとも何回も合っています。
当時、外国へ行くのには2ヶ月も掛かったが、何十回も行っていますね。

生平さん
・私は、久慈農林から、仙台へ出て、それから戦後東京大学へ進みました。
久慈農林時代、田中館愛橘先生が講演に見えられ、肉声を聞いています。
印象に残っている事は、ズーズー弁丸出しだった事です。話の内容はとてもレベルが高かったように思います。
小型のタイプライターを持っておられました。先生は、外国へ行く時も船に乗るときもタイプライターを持っていく。
気が付いたこと、見たことがあったら、すぐタイプを打つ。エスペラント語でタイプを打つ、と話されました。
先生は、航空界の開拓者でもありました。
確かに一匹狼的なところがあった。子分はいなかったように思います。

長内さん(久慈高同窓会幹事長)の話
・私は、昭和33年に東京へ出てきました。
その年の「ふるさと会」へ、柔道の三船久蔵先生が出席してくださり直接話を聞く事が出来ました。
先生は、人間が生きていくうえで留意しなければならない事として、普段不都合な事をしていないか自省しなさいと言い、不都合な事とはこういうことだと行動で示されました。右手で目の前のコップを持ち、左手で右隣にいる人のコップを持ち、両腕を目の前で交差させました。両手にはコップを持っています。そして、自分はこういう事をしていないか、いつも考えなさい、と言われました。説明によると、先ず自分の部署を治めなさい。自分を見つめなさい。自分のことが出来ていないのに、人の領分に手を出してはいけない。そういうことをしていないかいつも考えなさい。そういうお話でした。良く分らなかったのですが印象に残っています。

生平さんの話
・三船先生は、久慈で生まれて一関で校長先生をしていた叔父さんのところへ預けられ、その関係で仙台2中へ進まれたと思います。2中時代に2高の柔道部と試合をして、中学生が一人で高校生全員を倒したと聞いたことがあります。その後上京して、講道館の加納治五郎先生のところで修行しています。
・東京の常盤にご自宅がありました。現在は書道会館になっています。そのご自宅へ伺ったことがあります。
小柄な方だ、というのが第一印象でした。身長五尺三寸、体重13貫・と伺いました。メートル法で言うと、身長159cm、体重53kgですね。本当に小柄です。目は鋭くて、窪んでいました。鼻筋は高くて通っていました。
お話は、寝ても覚めても柔道のことを考えている。体の大きい、小山のような相手をどうして倒すか考えている。
ある日、夢の中に技が出てきた。がばっと飛び起きてその技を試した。その時「空気投げ」が完成した。そのようなお話でした。私には、神憑り的な人、という印象でした。

清川さん(在京一戸会)の話
・私は、スポニチに定年まで勤めました。柔道は6段です。三船先生に稽古をつけていただきました。空気投げを掛けられました。あっという間に倒されました。

斉藤さん(顧問)の話
(都内の私立高校の理事・理事長代理等を歴任・現在会社社長)
・私は、盛岡商業高校出身ですが、盛商は一昨年の全国高校サッカー選手権大会で優勝しました。日本一になりました。選手は全員地元出身です。私立の強豪校と違って全国からスター選手を集めるということをやっていません。監督は病気のお体で指導しました。選手は全員、監督を尊敬していました。選手は自主的に練習し創意工夫をしました。チームワークの良さと粘り強い試合運びで勝ち上がりました。誇りに思います。

金田一さん(在京一戸人会)の話
・私が名刺を出すと、たいていの人は「カネダさんですね」といいます。「きんだいちです!」というと笑顔になります。「金田一」は、全国で50数軒あります。有名人もいますが。金田一家は、元は甲斐山梨です。南部藩藩祖としなお公に従って甲斐を脱出し八戸へ上陸しました。その後内陸部一戸(昔は金田一村がありました)へ進出しました。
 

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October 29, 2008

―伝説からのメッセージ―「水上士郎 水彩画展」 を観る。

2008年10月11日(土) 美術家会館(銀座3丁目)・午後1時

・岩手県久慈市在住の画家・水上士郎氏の個展。昨年に続いて2回目になる。
・風景画、抽象画37点が展示してある。
風景画では、
「北の風景」が印象に残った。早春の山ー薄い茶色だーを背景に芽吹き前の木々、その下に白い花が咲き乱れている。水芭蕉だ。花の間を雪解け水が流れている。
水上さんと話す。ここは何処の風景ですか?見事ですね。と私は聞いた。
水上さん 「岩泉のある場所です。秘密の場所です。伊達町長さんも世間には知られたくない。観光地にはしない、と話しておられます。大賛成です。」

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October 28, 2008

志位和夫さん(日本共産党委員長)の質疑ー衆議院予算委員会ー 。

2008年10月9日(木)
・しんぶん「赤旗」8面・9面に7日に行なわれた衆議院予算委員会での志位和夫さんの質疑が掲載されている。
読む。
質問者     志位和夫 日本共産党委員長
答 弁      麻生太郎 内閣総理大臣
          舛添要一 厚生労働大臣
予算委員長   衛藤征士郎

・しんぶん赤旗の見出し
「人間‟つかいすて”の大企業の横暴ー政治の責任かけてただせ」
志位さん  「違法な労働を強いられ、救済を求めたら職を失うー理不尽とおもわないか」
麻生首相 「事実ならばきわめて不当な話だ」

志位さん  「トヨタ車体の違法な派遣使いまわしーこれでは派遣が永久化される」
麻生首相 「現実に照らして、きちんと法の下に対応させる」

志位さん  「現に派遣として働いている労働者の状態を良くするという基本的姿勢で対応せよ」
麻生首相 「派遣元・派遣先の双方に必要な処置をとるように指導する」

――――
・志位さんの具体的な会社名を挙げての追及に感動する。
「調査無ければ発言権なし」ー将にその通りー質問の背景にある分厚い調査、研究、頭脳を想像する。
日本社会への危惧、深い愛情ー働いている人達への連帯ーが伝わってくる。
大切な事は「解釈では無い。変革することだ。」と言っておられる。
年収200万円以下の人達「働く貧困層」が1千万人を越えて広がっているーその人達が、ここから抜け出せないのならば、将来の日本はどうなるのか。"共生”という言葉は死語になるのか。

・志位さんの質問の中で出てきた社名とその回数
トヨタ   ― 24回
キャノン ―  6回
日亜化学 ― 3回
松下   ―  2回
―――――
小林多喜二は「蟹工船」のなかで労働者の置かれている部屋を「糞壷」と表現している。
「糞壷」は、確か20回出てくる。誰か数えてみて。
「糞壷」から立ち上がった。

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October 20, 2008

荒川区区長候補「竹内かずひろさん必勝総決起集会」開催される。

2008年10月2日(木) サンパール荒川・午後6時30分・参加者250人

豊田さん(明るい革新区政をつくる会代表委員)の挨拶
(メモ)
・私は東京土建という労働組合の者です。
「明るい革新区政をつくる会」は8年ぶりに候補者を立てて区長選挙に臨みます。
竹内さんの立候補の決意に感謝いたします。
竹内さんは47歳、いま油の乗っているときです。
後期高齢者医療制度ーこれはどうしても廃止していかなければなりません。
建設業は、大手、下請け、孫請けの中で営業が大変苦しくなっています。公共条例の制定、下請け、孫請けの賃金保障ーこれも実現しなければなりません。
私達は全力で戦います。ご支援よろしくお願いいたします。
(拍手)

伊藤文雄さん(日本共産党14区予定候補者)の挨拶
(メモ)
・共産党は、明るい革新区政を作る会の構成団体です。区議補選予定候補者・鈴木憲一とともに竹内必勝のためがんばります。
竹内さん、鈴木さん、私。3人とも荒川区の中小企業で働いてきました。物造りの会社で働いてきました。
3人とも青年運動へ参加しました。共に荒川区のために頑張ってきました。
・11月総選挙が行なわれるでしょう。10年続いた自公政治、小泉改革をどう変えるのかの選挙になります。
政治の中味を変える事、これが一番大事な選挙になります。
東京で、比例で2-3議席を取るならば、かならず共産党の全国的前進につながります。
・かつて、今ほど無責任で冷たい政治があったでしょうか。
後期高齢者医療制度で老人をいじめ、痛める。若者には、派遣、請負労働、使い捨ての労働を強いる。
行き詰れば政権を投げ出す。
共産党を大きくして、こんな政治を変えて行こうではありませんか。
3人必勝のため全力を尽くします。
(拍手)

相馬健一さん (日本共産党荒川地区委員長代理・区議会議員)の挨拶
(メモ)
・国会解散は、後ろにずれ込んでいます。
しかし、荒川区長選挙・区議補選は、11月2日告示で11月9日(日)投票と決まっています。
どうしても、竹内さんを押し上げてもらいたい、お願いします。
・構造改革路線の政治を切り替えられるか、どうか。それが争点の選挙になります。
後期高齢者医療制度では、10月に年金からの天引きが行なわれます。
荒川区には、すでに4千件もの怒りの声が寄せられています。
・「姥捨て山」には、こういう民話がありました。
息子が年老いた母親を山へ捨てに行くため背中に背負います。山道を歩いている時、背中の母親は木の枝を一本一本折っていました。息子が山から帰る時、道に迷わないようにと、息子の身を案じての行いでした。
このことに気づいた息子は母を連れて帰りました。姥捨てから引き返したのです。
・自公は、姥捨てから引き返せ!この声を荒川から起こそうではありませんか。
参議院では既に廃止法案が通っているのです。
竹内当選で廃止!の声を全国へ届けようではありませんか。
・不安定雇用が増えています。正社員の収入も減っています。
・区内でマンションが増え、共働き世帯が増加しています。保育園の増設が求められます。
100人の定員に130人までの入園を認め、民間の参入を進めるというやり方を政府はとっています。
荒川区では、ジャングル保育園の問題がありました。30人の子供を二人か三人の保育士が観ていた。
園長もおかない。そういう中で園児の転落事故をおこしました。儲け本位の園を参入させ、年間3,300万円を区は支払っていたのです。(この園は廃園になりました)
・区政を市場主義にまかせるな!と強く言いたいのです。
下請け業者のために、公契約条例の制定が求められます。
守衛、栄養士、図書館職員ーその多くは非常勤職員で年収200万円以下です。
特養ホームの介護職員では、男性の壽退職が起きています。結婚したが給料で生活できないのです。
荒川区の財政は健全です。270億円の預金があります。これを区民のために有効に使える区政を実現しようではありませんか。
・総選挙では、政権交代があるかもしれないと言われています。しかし、民主党も財界言いなり、アメリカ言いなりという点では自公と同じです。中味を変えなければなりません。
・京都では、1議席を争う市議補選で共産党は勝利しました。
荒川区でも、力を合わせれば勝利の展望はあります。
激動の時、共にがんばりましょう。
(拍手)

吉田さん(年金者組合荒川支部)の挨拶
(メモ)
・年金者組合は、後期高齢者医療制度廃止要求の厚労省前での座り込みがテレビで紹介されるなど、活動を元気に続けています。
保険料制度への不服審査を都へ提出したが、全都で700人が名前を連ね、荒川区でも32人が参加しました。高齢者の怒りは大きいものがあります。
日の出町では、75歳以上の医療費無料化を発表して全国的に歓迎され、反響を呼んでいます。
・荒川区の西川区長は、問題はあるが(後期高齢者医療制度を)続けていく、という立場です。
私達は、老人が安心して医療が受けられるか、介護が受けられるか区と交渉しています。
・この前は、敬老の日でしたが75歳以上の人達は全員戦争体験者です。区の式典へ出席しましたが、その時西川区長は"君が代”を歌わせました。怒りが込み上げてきました。
・健康保険料の滞納が増えています。保険証の取り上げ、資格証の発行が続き、荒川区では6,500人の人が短気資格証に切り替えられています。区は、悪質滞納者へのやむをえない処置だと説明していますが、恵まれない人たちへの西川区政の姿勢だと思います。
・竹内さんの立候補を年金者組合では喜んでいます。既に2回臨時ニュースを発行しました。全員への決起を呼びかけます。
(拍手)

杉山さん(東京土建常任執行委員)の挨拶
(メモ)
・資材高騰で建設業者は経営が苦しくなっています。仕事も月20日かそれ以下しかないという業者が増えています。賃金も日当1万5千円を切っています。
小泉改革以降、大企業だけが儲かり、我々中小零細企業は切り捨てられる、その状態が続いています。
・「9・17怒りの集会」で、われわれ建設業者は「公契約条例制定」「賃金・日当の引き上げ」「消費税引き上げ絶対反対」を決議しました。
・質の良い仕事ができ、続けられる。後継者が増える。組合の目指すものです。
竹内かずひろ区政を実現して、私達の願いを実現しようではありませんか。
・勝利のため、7万円の選挙募金を目指しています。
(拍手)

林さん(新日本婦人の会)の挨拶
(メモ)
・私達の会は「平和と暮らしを守る」が旗印です。
私は、荒川生まれの荒川育ちです。少しでも荒川を住み良い街にしたいと活動を続けています。
会員は200数十名です。全員竹内さんの立候補に感謝しています。
・私達は、後期高齢者医療制度に怒っています。
私は、大正15年生まれの82歳です。父が高齢者になった時は(美濃部都政だったのですが)医療費は無料でした。自分は一生懸命生きてきた。しかし、この制度ー後期高齢者医療制度ーができた時、体の中に冷たい氷が入ってきたように感じました。お前達はもう必要は無い。やがて死ぬのだから、と言われたように思いました。
後で色々言い訳をしているが、聞けば聞くほど腹が立ちます。
西川区長は国に対しては何も言いません。
竹内さん、よろしくお願いします。
(拍手)

佐藤さん(荒川区労連)の挨拶
(メモ)
・竹内さんの決意に心から敬意を表し、歓迎します。
若くて立派な候補者です。
・現在、人間が大事にされていません。教職員が現職のまま死去しています。
若者の派遣労働、不安定雇用、低賃金が増えています。
その一方で大企業だけが大儲けをしています。
この怒りを区長選挙にぶっつけたいと思います。
・30人学級制を行なっていないのは東京だけになりました。
都はやらなくても区政の段階で予算が付けば30人学級は実現できます。
荒川区にある270億円からの積み立て金、これを区民のために使ってくれる区政を実現しましょう。
(拍手)

吉田としさん(生活と健康を守る会)の挨拶
(メモ)
・団地の自治会会長も務めています。
163世帯のうち75歳以上の高齢者が70人います。
・後期高齢者医療制度に反対します。一月1回だった検査が3ヶ月に1回になりました。
・悪政に対する戦いは高齢者の生活を守る闘いであり、若者へ夢を与える闘いであります。
竹内さんと一緒に闘います。
(拍手)

菅さん(荒川民商)の挨拶
(メモ)
・原油、原材料の高騰は商売を苦しくしています。
日常品の値上がりも続いています。
・荒川区は中小商工者向け緊急融資を13億5千万円用意しています。しかし、融資の審査は厳しいです。
500万円申し込んだが200万円しか通らなかった。
・この融資は先月で打ち切りになりました。年末に向けて不安をもっている業者が多くいます。
6日に決起集会を予定しています。
竹内さんに期待します。
(拍手)

つくいさん(北斗医療生協)の挨拶
(メモ)
・暮らしと生活を良くして行こう、という団体です。
いろいろ規制もあるのですが、皆さんと共に竹内さん勝利のために頑張っていきます。
(拍手)

井上みよ さん(元参議院議員)の挨拶
(メモ)
・竹内さんに区長になってもらいたく、駆けつけました。大勢の参加で凄いと思います。
・アメリカでは株が急落し(経営の危ない)企業へ政府は金を入れようとしていますが、国民は中々これを許しません。このアメリカと日本は一緒にやっていっても何も良い事はありません。日本の政府はこれが分らないのでしょうか。
・麻生さんは、総理大臣になって国会での所信表明演説の中で天皇制の元での内閣制から数えて92代目の総理といい、御名御璽的なことを言いました。時代遅れ、時代錯誤も甚だしいと思います。このような総理の元で国民が良くなることはありません。
・荒川区長選挙はこれからの政治に大きな影響を与えます。鍵を握っています。
国民生活の中での格差、貧困、自殺、大きな問題になっています。
子供の世界でも"死にたい”と言う人がいるのです。
足立区の小学校では、学力テストでの成績で予算の額が決まる、お金が決まる、などということが行なわれています。
後期高齢者医療制度ーとても酷い制度ですーこれは廃止しなければなりません。
イラク、アフガンの戦争に日本政府はさらに係わろうとしています。これは止めさせなければなりません。
・こういう中での、竹内かずひろさんの立候補の決意に、皆さん喜んでおられます。
竹内さんとは(私が)国会議員だったころからの付き合いになります。竹内さんは、国会議員の秘書だった方です。大変な勉強家で、能力のある方です。区民の苦労が分る方です。感性が鋭く豊かな方です。
・竹内さんの家庭での生活を話させていただきたいと思います。
竹内さんの奥様は小学校2年生の時から日記を書いておられました。亡くなられた後、お母様はそれを本にしました。読ませていただいたのですが胸を打つものがありました。岩崎ちひろが好きであこがれました。彼女は岩崎ちひろ美術館へ就職し、13年間働きました。竹内さんと結婚されましたが、35歳の時ガンで亡くなられました。
お子さんが2歳のときでした。
竹内さんはお子さんを育てられ立派な親子関係を築かれました。お子さんは今中学生になりました。最近の作文で書いています。
「・・・どんなことでもできる大人になりたい。ぼくがくじけそうになったら(お父さん)また、助けてね。・・・」
・竹内さんのすばらしさを多くの人に伝えてください。
(拍手)


*竹内かずひろ さん(荒川区長選挙立候補者)の挨拶。
(メモ)
・「明るい革新区政をつくる会」から立候補します。
憲法を区政に生かす、ということを誓います。
人間が大切される区政をつくる、ことを誓います。
・後期高齢者医療制度に対してどういう姿勢で臨むのかが問題だと思います。
西川現区長の態度は、"必要な制度だ。高齢者に納得してもらうように努力する”というものです。
6月に年金からの天引きが行なわれ国民の怒りは燃え上がりました。
全国で35の医師会が反対しました。多くの自治体も反対の声を上げました。
・(荒川)区長が反対を言えば大きな影響があります。私はそれを行ないます。
・私は書道を学んでいます。先生から「活」の文字を贈られました。
身近な区政が悪政からの防波堤にならなければなりません。しかし、西川現区政のもとでは大きな歪みがあります。
*私は次のことを実行する決意です。
・医療・介護難民問題を解決します。年収120万円以下の人達の医療費を無料にします。5千万円の予算で出来ます。
・官製ワーキングプアを無くします。図書館員、栄養士、介護士、等の正職員化を進めます。
・公契約条例の制定を行ないます。
・保育園への儲け第一主義の企業の参入を認めません。
・子育て家庭への支援、区内小中学校の30人学級を実現します。
・原料高、資材の高騰から中小企業の営業を守ります。私は区内の中小企業で働きました。社長の側にいて、社長が金策に走り回る姿を見てきました。区内に「中小企業センター」を設立します。
・平和の問題に係わる事で、最近私の家にまで自衛隊員勧誘の葉書が来ました。区長が自衛隊による各家庭の名簿の閲覧を認めています。中学校は関与していない、と言っています。私は、9条の立場からこれをやめさせます。
・西川区長は、"区役所は区民を幸せにするシステムだ”と言っています。私もその通りだと思います。
しかし、自民党・公明党の政治に物を言えない区政ではこれを実現することはできないのです。
荒川区で革新区政を実現しようではありませんか。
(長い拍手)


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October 16, 2008

荒川区・東尾久9条の会結成総会 開催される。大原穣子さんの講演を聞く。

2008年9月28日(日) ムーブ町屋4F・ 午後6時30分・満席

大原穣子 さん
(女優・方言指導者・著書「お国ことばで憲法を」)

―講演のメモ―
・9条の会結成総会へのお招きありがとうございます。
「尾久」と書いて「オグ」と読むのですね。「オク」ではない。地名はむずかしいですね。
・映産労の大会がありまして、それに参加し、その後でここに参りました。
私は「女性9条の会」の呼びかけ人の一人です。
・ドラマでの方言指導を現在行なっていますが、それまでは役者もしていました。
1970年代、地方ドラマが増えました。ドラマへの出演を(エサ)に方言指導を行なうという程度だったのが、だんだん片手間ではできない事が分ってきました。専門的な方言指導が必要になりました。私は、その方向へ進みました。
・報酬はとても低かったのです。その地位を高めるために「俳優連合」に参加しました。NHKや放送局とも交渉し、現在"方言指導”の分野を認めてもらっています。字幕にも載るようになりました。
皆で切り開いて来た分野だと思っています。

・私は、1935年(昭和10年)4月1日生まれです。大阪生まれです。4月1日ですから、早生まれですね。
「国民学校」の1期せいです。大日本帝国憲法と平和憲法を(学生時代に)体験した最年少の世代です。
昭和16年に学校へ入りました。1年生の時は(真珠湾攻撃の年ですが)、まだ学校はとても楽しかったですね。4年生になると連日、米軍の空襲が行なわれるようになりました。母親の故郷・瀬戸内の島に疎開することになりました。福山の近くの小さな島です。トモノ浦が見られます。
祖母が通った小さな学校へ転向したのですが、大勢の子供が疎開してきました。
島から人がこぼれる位疎開してきました。
・私達は、(一応)都会っ子として育っていましたが、山へ行って木を集めてくる仕事をしなければならなくなりました。火をおこすためですね。水は井戸から汲み上げるようになり、畑仕事もしました。
ガス、水道の生活から一変しました。

・今、俳優さんと接していると、つるべ、着物、くわ、ぞうり作り、等これが分らない、どのように使うのか分らない、と云う人が多くいます。
私は、この時いろいろ教わりました。都会っ子だったのですが、全部使ったり創ったりできるようになりました。
言葉もすぐ慣れて、分るようになりました。

・8月6日に広島に、8月9日長崎に"ピカドン”が落とされました。
この「ピカドン」は、死語になりつつあります。
井上ひさしさんの作品に「父と暮らせば」があります。映画化もされました。
井上さんは、女優さんに「ピカドンとはっきり言いなさい!」とダメ出しをしていました。
若い方は「ピカドン」が分らないのです。
ピカドンは原爆のことだと分らない方が増えているのです。

・最近、名古屋で日本母親大会が開催されました。参加したのですが、そこで話し合われたことが「どうすれば戦争体験が次の世代へ伝えられるか」ということでした。原爆、大空襲、従軍慰安婦問題、中国残留孤児問題、伝えていかなければならない事だと思います。これは文化の力によるものだ、ということで一致しました。演劇、映画、歌、文学、その力が重要だと話されました。それは、申し合わせ事項の中にも入れていだだきました。

・母親大会の今年の助言者は、物理学者の澤田ショウジ先生(名古屋大学名誉教授)でした。
先生は被爆者でした。「父と暮らせば」の反対の立場でした。お母さんを助けられなかったと、、、そのことの、、、お話でした。ピカドンの話を語り伝へていくことを、、、思いました。

・鈴木ミズホさんは、年配の方です。すばらしい俳優です。
鈴木さんは「(戦争中)ボクはエリートだよ」「江田島にいたんだよ」と、よく冗談を言います。そして、「江田島からキノコ雲を見たんだよ」と必ず話されます。
私は(キノコ雲は)見ていないのですが同じ(近くの)島にいたのです。
知らないうちに何十万人もの人が命を落としていくということが起きていたのです。

・8月15日・天皇の言葉を聞きました。ラジオの音がガーガーしていました。戦争が終わったことを知りました。
その日、みんなでお粥をすすったことを覚えています。日本人300万人、中国・アジアで3,000万人もの人が犠牲になった戦争は終わったのです。

・私は、島の中学校へ入りました。
新しい憲法を教えてもらいました。授業では、いつも学問が大事だということを教えてもらいました。真理を見抜くことが大切だと教えてもらいました。
この頃の国民の平均寿命は、男23歳、女37歳でした。
現在の平均寿命は、男79歳、女80数歳です。戦争がなかったから、平和だから寿命が伸びたのですね。
「後期高齢者医療制度」は、この方々を生き難いものにしていますね。余談ですが。

・私達の国民学校・小学校の時の教育、戦前の教育はどうだったでしょうか。私の受けた教育です。
小国民としての教育でした。男は兵隊になれ、女は従軍看護婦になれというものでした。天皇のために美しく死んでいくように、というものでした。
卒業式の時の校長の言葉はこうでした。
「・・・さて、みなさん。・・・陛下の赤子として、強く生きよ。行け。戦え。死ね。これを記念写真に添える言葉として贈ります。」
これが6年生の子供に贈る言葉なのです。

・私はその後演劇の道に進み、京都で8年暮らしました。大阪、京都、瀬戸内の島、3つの言葉で仕事をしています。
お国言葉で憲法をの中から、広島弁での憲法を読ませていただきます。
(朗読・9条、11条、25条) ― 拍手

・戦争になると人権も生存権も全て否定されだめにないります。ややこしい人達、憲法を変えようとしている人達は、憲法の中味が分っていない人達だと思います。

・昔・兵隊、今・老人 ― この老人の長生きを喜べない社会にしてはいけないと思います。
(長い拍手)

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October 14, 2008

「フェルメール展・光の天才画家とデルフトの巨匠たち」を観る。

2008年9月28日(日) 午前11時・東京都美術館

・「フェルメール」と云う名前を始めて聞いたのは何時だったかな。誰からだったかな。いずれその時の印象で、フェルメールは女性だとボクは思い込んだ。
・そういうわけで、美術館で「フェルメールって、女性ですよね。」と係りの女性の人に聞いた。
驚いた顔で「えっ!男性ですよ」と答えた。少しして、笑っていたねー。あの、学芸員の人。

・観終わって、ぼくはフェルメールは女性だと、やっぱり思った。

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October 10, 2008

大相撲9月場所「13日目」を見る。(両国国技館へ行った)。

2008年9月26日(金)・午後4時・両国国技館
・知人と3人で「大相撲13日目」を見る。升席で見る。
・大相撲を生で見るのは何年ぶりだろう。「千代の富士」を見るために来た時以来だ。あの時はまだ両国国技館は完成していなかった。あの時は椅子席だった。あの時は超満員だった。
今日は、八分の入りというところか。椅子席に空きが目立つ。

・白鵬の横綱土俵入りを見る。
雲竜型の土俵入り。真後ろからみる。両手を広げて両足を踏ん張ってせり上がっていくところは迫力がある。背中、太もも、臀部の筋肉がびくびく音を発てているようだ。
白鵬の体はピンク色だ。体にサポーターが無い。バンソウコウが貼られていない。だから、よけい美しく見えるのかもしれない。

・玉乃島 ― 豪風(たけかぜ)
激しい相撲だった。館内が沸いた。押し倒して玉乃島の勝ち。

・高見盛 ― 玉鷲(たまわし)
懸賞が付く。"永谷園”の懸賞が土俵上を回ったとき、歓声が起きた。高見盛さんのコマーシャルは皆知っているようだ。しかし、高見盛の人気は凄い。
勝負はつきと押しと組み合いとで最後もつれた。行司は玉鷲に軍配を上げた。物言いがついた。5人の審判員が土俵に上がる。5人を比較的近くから見ることができた。緊張した表情できびきびしていた。
結局、行司指し違いで「高見盛」の勝ち。大歓声が上がった。

・栃の心 ― 普天王
力相撲だった。二人とも水色のマワシ。あっと思った。二人とも土俵の下へ落ちた。普天王の勝ち。

・垣 添 ― 若の里
垣添の突進力が凄かった。垣添の勝ち。

・北勝力 ― 黒 海
突きあいとのど輪の応酬。突き出して北勝力の勝ち。黒海は目を押さえながら下がっていった。
付き合いのとき指が入ったのかもしれない。

・豊 響 ― 出 島
出島左へ飛ぶ。豊響両手を突く。一瞬の勝負。

・旭天鵬 ― 将 司(まさつかさ)
将司は塩を多く撒く。歓声があがる。
両者立ち会うが、手をついていない。やり直し。
すくい投げで将司の勝ち。

(ここで審判の交替。観客が通路に集まる。貴乃花さんを見るためだ。引退しても人気は衰えないようだ。5人の審判は、現役時代の四股名で、貴乃花、富士桜、若島津、逆鉾、武双山。全員なつかしい。)

・稀勢の里 ― 時天空
3本の懸賞がつく。押し出して稀勢の里の勝ち。

・栃煌山 ― 雅 山
雅山の両膝関節部のサポーターが痛々しい。
引きを残したが、体が崩れたところを押し倒された。
栃煌山の勝ち。

・栃の洋 ― 朝赤龍
朝赤龍は真紅のまわし。良く映える。
勝負は一瞬。突き落として栃の洋の勝ち。朝赤龍、しまった!、の表情。

・肥瑠都 ― 安美錦
肥瑠都の肌は紅潮し、安美錦はゆったりと仕切る。
きれいな立会い。タイミングの良い突きが決まる。肥瑠都の勝ち。
安実錦はマナーが良い。

・安 馬 ― 琴奨菊
懸賞7本。場内が沸く。
安馬は意外と小柄。しかし、相撲は鋭く、強い。もろ差しからイッキに寄り切った。

・鶴 竜 ― 千代大海
鶴竜、土俵にころがる。真一文字に口を結んで立ち上がる。
千代大海は精悍、堂々と胸を張る。

・豪栄道 ― 琴欧州
行司は式守伊之助、紫の装束。姿勢が良く、毅然として土俵に映える。
豪栄道は闘志満々。
琴欧州は、体は大きくて手足が長く均整が取れている。が、右ひざ関節のサポーターが痛々しい。
相撲は、突き押しの後、長い腕を利用して押し倒す。琴欧州の勝ち。やはり足が不安だ。完治の方法はないものか、と思う。

・琴光喜 ― 豊の島
懸賞7本。
一瞬の勝負。豊の島が足を踏み出していた。琴、勢い余って土俵下へ落ちる。琴光喜は負けたと勘違いし、礼をして帰ろうとする。行司に呼び止められて勝に気づく。場内に笑顔。

・白 鵬 ― 魁 皇
結びの一番。場内は大歓声。声援は7対3で「カイオー」が多い。
懸賞は21本。
行司は、木村庄之助。水色の衣装。押さえた動きに威厳がある。
両者、堂々と向き合う。
奇麗に立ち会う。土俵中央で四つに組んだ力相撲になる。
魁皇の両膝のサポーターが目に付く。悲鳴を上げているようだ。
白鵬はじわりじわり引き付け圧力を加える。万全の体制に持ち込む。
魁皇力尽きる。白鵬、横綱の相撲を見せ寄り切る。
両者へ大きな拍手。


 

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October 09, 2008

寅さん誕生40周年記念特別企画・映画「男はつらいよ」(1969年松竹)・テレビ東京・ を観る。

2008年9月25日(木)・午後9時・テレビ東京(12チャンネル)
(何回目だろう・何年ぶりだろう・・・第一作を観るのは・・・やっぱり、何回か、とちゅう、泣いてしまうねー。)
「さくら!」「おいちゃんよ!」「ひろし!」=寅さんの声・生きているんだよ。
「おにいちゃん!」=(呼び方にも、何種類もあるんだ)。呼びかけ、心配そうな、困ったような、怒ったような、悲しいような、「おにいちゃん!!」=良い妹だよ、さくらさんは、、、。
・(オレタチハ、兄のことをなんて呼んでいたカナーと思い出す。そうだ、「あんちゃ!」か「あにじゃ!」だったな。「にいさん」という言葉を覚えたのは、小学校へ入ってからだったかな。家と外とで使い分けるようになっていって、だんだん「あんちゃ!」「あにじゃ!」は使わなくなった。)
山田洋次 監督・原作
渥美清・森本信・笠智周・志村喬=亡くなったんだ。映画では、若くて、生き生きしていて、言葉も物腰も姿勢も堂々としていて自由自在で、美しいのに。

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October 03, 2008

自由民主党総裁選挙と「国民目線」

2008年9月24日(水)
自民党の総裁選挙が5人で争われて、予定通り麻生太朗さん(68)が総裁に選ばれました。
選挙期間中、「国民目線に立った政治」ということをどの候補者も訴えました。すぐに投げ出したけれど福田新内閣が発足した時も「国民目線に立った政治を目指す」と福田さんは発言しました。
「国民目線の政治」。政治の基本で当たり前のことだともいえるけれど、とても大切で、どの党であろうとその通りやってくれればありがたいことだと思います。
現在、国民目線から言って、国民が一番関心を持っていることは、次の事だと私は観察します。これに応えた政治を行なってもらいたいと思います。
①後期高齢者医療制度のこと=時間が経つにつれて怒りが増えています。
「麻生さんも舛添さんも、抜本的に見直すと言いました」「発言通り実行した方が(国民目線から言って)良い」と思います。
②ワーキングプア・派遣・請負・低賃金問題
③食の安全問題・環境問題
④平和の問題・アメリカの原子力空母ジョージワシントンの横須賀母港問題・
簡単に「安全だ」「これまでも安全だったからこれからも安全だ」と言わないでください。
「アメリカの言う事は先ず疑った方が良い」。
「原子力空母ジョージワシントンは、海のリーマンブラザーだ。原子炉を積んだリーマンブラザーだ」。
「日本は政治も経済も、もう少しアメリカから離れた方が良い。離れたい」。(ここら辺が国民の声です)
――――
・「国民目線」ということで昔のことを思い出しました。
昭和25年(1950年)だったかな。当時の池田隼人大蔵大臣が「貧乏人は麦を食え」と発言して強い批判を浴びました。
(この頃、ボク達は3歳ぐらいで、後から親や大人から聞いた話ですが)
・僕たち岩手県の農村では、この頃は池田さんに言われなくても、麦と稗が主食でした。村の9割の人は麦と稗を食っていて、米だけのご飯が食べられるのは盆と正月だけでした。貧乏人だったのです。
そういう状態のところへ「貧乏人は麦を食え」と言われても、どうということは無いわけです。
・当時、衆議院選挙は中選挙区で、僕たちのところは岩手1区でした。当選は4人です。自民党から、鈴木善幸さんとか、野原正勝さん、田子一民さん等が立候補していました。
池田発言のあった次の選挙で(昭和28年ごろかな)、鈴木善幸さんは僕たちの村へも来て、だいたい次のような演説をして行かれたそうです。(酒を飲みながら大人が話していた内容です)

・鈴木さん:「私は、皆さんのお陰で衆議院議員として働かせていただいています。東京へ行っても働く事では誰にも負けません。何故かというと、体が丈夫だからです。剣道は2段です。何故体が丈夫かというと、皆さんと同じ麦と稗を食べて育ったからです。麦、稗、自分の家で作って、自分達で食べる。これ程体に良いものは無いのです」。

・鈴木さんの言葉にウソは無かった。善幸さんが「麦と稗を食べて育った」ことは、岩手特に三陸海岸地域の人達は誰でも知っていた。鈴木さんは、明治44年、山田町に生まれている。先代は、明治29年の大津波かそれに関連したことで家は破産していた、と皆言っていた。家は、はっきり言って貧しかった。
鈴木さんは、(途中を省略するけれど)、昭和22年の第1回衆議院選挙では日本社会党から当選している。その後自民党に移り、総理大臣にまでなった。
・とにかく、私達の親や村の人達は鈴木善幸さんを尊敬していた。生活が次々に、変化し、改善されていった。
昭和29年に部落に電気が通り、やがてラジオ、テレビ、が入った。川水の利用から簡易水道が使えるようになった。海岸部では、港湾の整備が急速に進んだ。三陸縦貫鉄道が通った。政治の力、鈴木善幸さんのお陰と皆言っていた。
・この頃の自民党の民意の掌握力は、言葉と実際において物凄く強かったように思う。野党も、マスコミもかなわないものがあったように思う。農村中心の国家、農村人口が全体の65%を占める時代の話だ、現在とは違うと言えばそれだけのことだけれども。
――――
・昭和55年(1980年)7月17日・鈴木善幸氏、内閣総理大臣就任
翌日の記者会見での発言より、
「・・・日本は、国民の皆様の御努力により、また自由民主党がとってまいりましたところの政策を中心にしまして、今日のような一応の経済の発展、また国民生活の向上をはかることができたわけでございますけれども、しかし、その中におきましても、なお恵まれない環境、生活に苦しんでおられる方もあるわけでございます。
私は、より以上の豊かさを求める政治ということよりも、むしろこの恵まれない方々、そういう人達の不平、不満というものを解消することに目をむけなければいけないのではないか、
"足らざるを憂える政治よりも、等しからざるを憂える政治”と申しますか、そういう心構えで今後政治に取り組んでいきたい、こう考えておるわけであります。・・・」

・「足らざるを憂える政治よりも、等しからざるを憂える政治」を!
今から28年前の自由民主党総裁、内閣総理大臣の発言、公約なのだ。
(・今の自民党にこういう思想、国民目線を持った政治家はいなくなったように思われる。
  自民党は変質した。)

昭和57年11月  鈴木内閣総辞職
――――
平成16年(2004年)7月19日 鈴木善幸元総理大臣死去 (93歳)
 同    8月26日 「故 鈴木善幸」内閣・自由民主党合同葬儀 行なわれる。
             (場所 高輪プリンスホテル)

葬儀委員長  小泉純一郎 総理大臣(当時) だった。
遺族・親族席に 麻生太郎 現総理大臣 もいた。

・「恵まれない環境にいる人」へも自己責任を強制する社会を創った。
・ホリエモンを天まで持ち上げていた。
働く事、勉強する事、節約して貯金して家庭を築くこと、そんな生き方をしてきた人間(それしかできないような環境だったけれど)を馬鹿という時代を作った。
株の知識が無い奴はバカだ。株をやらない奴はバカだと、テレビで言う時代を作った。

(葬儀に、村の人達とボクも一緒に出ていた。鈴木善幸さんと今の自民党がどのように繫がっているのか、考え込んだ。皆同じ様に疑問を持っていた。)

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