「岩手県人連合会県北地域ふるさと交流会」開催される。
2008年10月17日(金)・ホテルパインヒル・午後6時
出席者 14団体 24人
来 賓 瀬川爾朗 岩手県人連合会会長
来 賓 斉藤昭彦 顧問 (前事務局長)
*生平幸立 在京久慈地区ふるさと会会長(県連顧問)の挨拶
(メモ)
・県連や私達に対して起こされていた裁判は9月3日に判決言渡がありました。結果は御存知のとおり被告とされた私達が完全に勝利しました。読み上げます。
{主文: 1、原告堀合辰夫(弁護士です)の被告岩手県人連合会の幹事会でなされた同原告に対する会議出席停止決議が無効であることの確認を求める訴え並びに原告中田滋、同山崎義雄、同佐々木文紀及び同千葉斗田の同被告の幹事会でなされた同原告らに対する会議出席停止決議が無効であることの確認を求める訴えをいずれも却下する。
2、原告らのその余の請求をいずれも棄却する。
3、訴訟費用は原告らの負担とする。}
・同じく、被告とされました前会長井上ひさしさんに対しましては、原告は4月28日の法廷において裁判を"放棄”しています。この時、井上さんの弁護士が鋭い追及をされました。内容は伏せますが。
・本日は共に被告とされました、瀬川現会長、斉藤顧問にも御出席いただきました。
ゆっくりと懇談等楽しみたいと思います。
(拍手)
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(雑談・懇談・挨拶)
生平さんの話
(メモ)
・県北地域、三陸出身の人達は純真ですね。しかし、能力はある。普段は、若い方々を見ていると(私は80歳になりますが)、もう少し勝負に出ても良いのではないか、傷ついても良いから自己主張しても良いのではないかと思うことがあります。しかし、今回の裁判では純真に私達を支持してくださいました。ありがたく思っています。
桜庭さん(野田はまなす会会長)の話
(メモ)
・私は、10年少し前フランス、パリの日本人学校の校長を3年間務めました。文部省から派遣されました。
埼玉で永年教師をしていたのですが、40歳の時アメリカへ18日間でしたが視察に行きました。初めての外国でしたが、教育は日本だけにいて考えていてはいけないと思いました。フランスは50歳から53歳まででしたが、良い勉強になりました。フランスと日本と比較すると、日本の教育はヤワになっているというのが感想でした。フランスでは、生徒が泣こうがわめこうが、やらせることはやらせる、ということが徹底しているように思いました。
フランスの地方にも行きました。地方の人達はとても優しかったですね。地図を持って立っていると、10人中9人は声を掛けてくるのです。日本も同じだ、私のふるさと野田と同じだ、と思ったものです。
日本の教育はどうにかしなければならない、この問題意識は持ち続けています。
瀬川さん(県連会長・東京大学名誉会長)の話
(メモ)
・最近、街を歩くと若者の大部分は携帯を見ています。極端すぎると思います。
携帯を見て周りを見ない。携帯を通して世の中を見ているように思います。頭はどのように働いているのかと疑問に思います。これが10年間続いたらどのような人間が出来、世の中が出来るのか、少し心配になります。
人を見る。自然を見る。その中から学ぶ。それが大切だと私は思うのですが。
・田中館愛橘(1858-1952)のお墓参りを致しました。お招きいただきました東京福陵会(福岡高校同窓会)の堀田さん、ありがとうございました。ローマ字運動の最初の方でもあり、お墓にはローマ字が刻んでありました。ローマ字のお墓に手を合わせました。
田中館先生は、学士院会員であり、貴族院議員も務められました。先生の弟子に寺田寅彦(1878-1935)などがおられます。地軸と重力の研究で、地上の地磁気を研究されました。私は、海底の地磁気を研究しました。昭和59年に「田中館愛橘賞」をもらいました。
田中館先生は、昭和27年に亡くなられました。私は、この年釜石高校へ入学しました。二戸で葬儀が行なわれたのですが、国内外の名士が二戸に集まったことを覚えています。
岩手の生んだ巨人ですが、岩手には超巨人がいてその周辺がいない、高野長英、新渡戸、そんなことを思います。小沢さんは、同じなのでしょうか。
堀田さん(東京陵会顧問・県連副会長)の話
(メモ)
・田中館愛橘の曽祖父は相馬大作です。
盛岡だか、八戸だかの藩校では原敬と一緒でした。
外国では、アインシュタイン、キュウーリー夫人などとも何回も合っています。
当時、外国へ行くのには2ヶ月も掛かったが、何十回も行っていますね。
生平さん
・私は、久慈農林から、仙台へ出て、それから戦後東京大学へ進みました。
久慈農林時代、田中館愛橘先生が講演に見えられ、肉声を聞いています。
印象に残っている事は、ズーズー弁丸出しだった事です。話の内容はとてもレベルが高かったように思います。
小型のタイプライターを持っておられました。先生は、外国へ行く時も船に乗るときもタイプライターを持っていく。
気が付いたこと、見たことがあったら、すぐタイプを打つ。エスペラント語でタイプを打つ、と話されました。
先生は、航空界の開拓者でもありました。
確かに一匹狼的なところがあった。子分はいなかったように思います。
長内さん(久慈高同窓会幹事長)の話
・私は、昭和33年に東京へ出てきました。
その年の「ふるさと会」へ、柔道の三船久蔵先生が出席してくださり直接話を聞く事が出来ました。
先生は、人間が生きていくうえで留意しなければならない事として、普段不都合な事をしていないか自省しなさいと言い、不都合な事とはこういうことだと行動で示されました。右手で目の前のコップを持ち、左手で右隣にいる人のコップを持ち、両腕を目の前で交差させました。両手にはコップを持っています。そして、自分はこういう事をしていないか、いつも考えなさい、と言われました。説明によると、先ず自分の部署を治めなさい。自分を見つめなさい。自分のことが出来ていないのに、人の領分に手を出してはいけない。そういうことをしていないかいつも考えなさい。そういうお話でした。良く分らなかったのですが印象に残っています。
生平さんの話
・三船先生は、久慈で生まれて一関で校長先生をしていた叔父さんのところへ預けられ、その関係で仙台2中へ進まれたと思います。2中時代に2高の柔道部と試合をして、中学生が一人で高校生全員を倒したと聞いたことがあります。その後上京して、講道館の加納治五郎先生のところで修行しています。
・東京の常盤にご自宅がありました。現在は書道会館になっています。そのご自宅へ伺ったことがあります。
小柄な方だ、というのが第一印象でした。身長五尺三寸、体重13貫・と伺いました。メートル法で言うと、身長159cm、体重53kgですね。本当に小柄です。目は鋭くて、窪んでいました。鼻筋は高くて通っていました。
お話は、寝ても覚めても柔道のことを考えている。体の大きい、小山のような相手をどうして倒すか考えている。
ある日、夢の中に技が出てきた。がばっと飛び起きてその技を試した。その時「空気投げ」が完成した。そのようなお話でした。私には、神憑り的な人、という印象でした。
清川さん(在京一戸会)の話
・私は、スポニチに定年まで勤めました。柔道は6段です。三船先生に稽古をつけていただきました。空気投げを掛けられました。あっという間に倒されました。
斉藤さん(顧問)の話
(都内の私立高校の理事・理事長代理等を歴任・現在会社社長)
・私は、盛岡商業高校出身ですが、盛商は一昨年の全国高校サッカー選手権大会で優勝しました。日本一になりました。選手は全員地元出身です。私立の強豪校と違って全国からスター選手を集めるということをやっていません。監督は病気のお体で指導しました。選手は全員、監督を尊敬していました。選手は自主的に練習し創意工夫をしました。チームワークの良さと粘り強い試合運びで勝ち上がりました。誇りに思います。
金田一さん(在京一戸人会)の話
・私が名刺を出すと、たいていの人は「カネダさんですね」といいます。「きんだいちです!」というと笑顔になります。「金田一」は、全国で50数軒あります。有名人もいますが。金田一家は、元は甲斐山梨です。南部藩藩祖としなお公に従って甲斐を脱出し八戸へ上陸しました。その後内陸部一戸(昔は金田一村がありました)へ進出しました。


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