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November 2008

November 29, 2008

―広 告―

2008年11月14日(金)

・今日もトヨタの広告は流れているな。
・町にはトヨタの自動車が走っている。
・ボクもトヨタの1300ccの小さい車に乗っている。代理店のSが「6ヶ月点検やりましょうよ」と電話を掛けてきた。考えてみると、ボクが車を始めて持ったのは上の子供が5歳の時だったかな。だから25,6年前になるのか。
最初に「マツダ」に乗って、買い替えをして今の車で4台めかな。
―――
・ところで「財界総理」「経団連名誉会長」「トヨタ自動車相談役」=奥田碵氏は、
座長を務める「厚生労働行政のあり方に関する懇談会」で、次の様に発言したとか伝えられているね。
「あれだけ厚生労働省だけ叩かれるのは、ちょっと異常な話」
「なにか報復でもしてやろうか」
「個人的な意見だが、本当に腹が立っている」
「新聞もそうだけど、特にテレビが朝から晩まで、名前を言うとまずいから言わないけど、2-3人のやつが出てきて、年金の話とか、、、、ワンワンやっている、、、。」
「なんか報復でもしてやろうかな。それくらいの感じは、個人的には持っている。例えばスポンサーにならないとかね」

・(この発言への感想とか、意見を言うもでもない。
「年金問題」=あのずさんさ!
「後期高齢者医療制度問題」=あの冷酷さ!
国民の怒りが全く、全く、分かっていないのだ。
・報復なんてことは、しないほうが良い。発言も撤回した方が良い。
国民の怒りを買うだけだ。)
―――
・もう一つ、テレビ討論等を聞いていて腹が立つことがある。
①「国民は定率減税の廃止で、実質増税になっている。
大企業・大資産家への減税は続けている。この行き過ぎた減税を元に戻せ。これだけでも・・・消費税に頼らなくても財源を確保できる」=これは正論だ。その通りと思う。実行してもらいたい。

(問題は、これへの反論らしきもの、大企業の代表とか御用学者が必ず言う)
「(大企業・大資産家への増税)・これをやったら、企業は海外へ逃げます。会社は外国へ移転してしまいます。産業の空洞化が起きます」

*(我々国民は、どんなことがあっても逃げられない。中小企業はどんな事があっても外国へは移転はできない。99%の人達は逃げられないのだ。大企業は逃げる。大企業の利益だけを考えていれば、それで良いのか?良いわけないだろう!そう思う。
また、奥田さんとか御手洗タツオさんとか大金持ちの人は、アメリカ国籍とか税金の低いところの国籍の人になるのかな?日本から出て行くのかな?などと思ってしまう。でも、政府委員とかイベントの長とか日本の代表者の様に振舞っているし、勝ってなことを言って、勝手な事をやっているなー。納税の話になると外国人、予算の分配の話になると日本人の愛国者に早変わり、これをグローバリゼーションというのかね?そんな風にも思う。簡単に首切りもするし。)
―――
(追伸)
*ボクはトヨタに乗っている。義理がある。少し返したいと思う。
あるキャスターの人 ―いつも社保庁、厚労省を厳しく、厳しく批判している人ー に黙ってもらう方法を教えてあげようと思う。
「みのもんた」さん。すごい人気。ボクも含め85%の支持率。
この方に黙っていてもらおうと思ったら、
「月乃家円鏡改め橘家円鏡さん」をゲストとして送り込むことだね。
何時だったか、文化放送でやっていた。土曜日午後1時から。
あの時はおかしかった。かの、みのもんたさん がずーっと聞き役、相槌を打つだけ。「久しぶり、あんた、こんなにえらくなるとは思わなかった」から始まって、円鏡さんがダーッと喋りっ放し。それがまた内容があっておもしろい、みのさんの聞き役もおもしろい、なつかしくもあり良かった。

もっとも、円鏡さんも社保庁批判をして、二人で合唱したら助からないけど。

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November 27, 2008

「堀文子 展 2008 ・・・ 現在」を観る。

2008年11月12日(火) 12時・ ナカジマアート(銀座5丁目)

・堀文子(ほりふみこ) 1918年 東京生 
旧女子美術専門学校(現・女子美術大学)日本画部卒業
(案内)
「今年90歳を迎えられた日本画家堀文子氏による新作展を開催いたします。
氏は昨年秋、大きな病を体験されましたが、回復後に精力的に取材を重ね、
これまでにない新しいテーマにも果敢にチャレンジされています。・・・」

新作15点を展示。
堀文子 「命の共演」 を観る。- 深海だ。くらげ、プランクトン、ザリガニ、UFO(かな)、竜の落とし子、森羅万象、皆なつながって遊んでいる。静かな世界の饗宴だ。ノーベル賞の影響か?クラゲ君が一番目立つ。

堀文子 「光る海」 を観る。 - 「光る海」と聞くと石坂洋次郎の小説を思う。吉永小百合さん、濱田光男さん共演で映画化もされたっけな。45年位前かな。当時は際どい"会話”でドキドキしたものだ。
画伯の「光る海」は、これ"モノトーン”っていうのかな。墨絵風。空も雲も砂浜も松林も。海は沖へ向ってズーット広がって小船が一艘浮んでいて、この海が微妙な色合い。雲はお寺の極楽鳥に見える。静かだ。そして、繊細、、。

堀文子 「燃える落日」 を観る。 - 空の色が何とも言えない。赤、黄、橙、、。日輪は日輪草的日輪で、輪になっていて、微妙な光を発している。木々の枝、枝、えだ、、、。安定した大地。神神しいなー。

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November 25, 2008

「第27回在京・久慈地区ふるさと会・総会 懇親会」 開催される。

2008年11月8日(土) 午後6時・茗鶏会館・参加者70人
「在京久慈地区ふるさと会」
岩手県久慈市出身者・同関係者で東京、関東在住者で構成。

・生平幸立 会長 の挨拶
(メモ)
第27回の総会になりますが、現在の「会」発足前から「ふるさとかい」は活動していました。
(45年以上も前になりますが)"兼田ヨシオ”さんが中心になりまして、良く招集が掛かりました。
本日、御出席いただいております山内隆文市長のお父さん山内曉文元市長が上京しましたときは、必ず集まりました。兼田さんは(亡くなられましたが)、当時自由民主党の本部へ勤めておいででした。組織部長でした。兼田さんと山内元市長は同級生でした。
当時は集団就職の時代でした。中学を出て、すぐ東京へ出てきて働くわけですが、職場でのトラブルが多くありました。ご両親、学校の先生から連絡を受け、上京した人たちが働いている会社へ行って社長さんと交渉したこともあります。久慈へ(少年を)送り返したこともあります。
そのようなことを経て、何回かの再編を経て27年前「在京久慈地区ふるさと会」として活動することになりました。
・来賓の方々を紹介します。
・久慈市から山内市長、宮澤憲司市議会議長、ねい議会事務局長、商工会議所会長の御出席をいただいています。
・初参加ですが、岩手県人連合会会長・瀬川爾郎先生(東京大学名誉会長)もお出でいただいています。
・近隣ふるさと会から、(野田村・普代村・洋野町・宮古市)の代表者の方々です。
・久慈高校同窓会、久慈地区連合高校同窓会の代表者の方々です。
・参議院議員工藤健太郎さん(民主党)、小沢一郎衆議院議員代理(北出みかさん)です。
・二十山仁親方夫人です。(親方は九州場所のため出席できません)
・・・・・・・・・
どうか、今日はお楽しみください。
(拍手)

*山内隆文 久慈市長の挨拶
(メモ)
・第27回総会ですが、27年前、私は鈴木善幸元総理大臣の秘書をしていました。第1回総会へ出席した事を覚えています。
27年間の会の歴史を重ね、その御努力に敬意を表します。
・久慈市は(旧山形村と)合併して3年になります。新たな歴史を紡ぎはじめています。
教育について
福祉について
雇用について
企業誘致についてー北日本造船は、10人から出発して3年で80人の会社を目指していましたが、現在3年で200人の雇用を実現しました。
・「在京ふるさと会」の皆様へのお願いです。
久慈を離れて故郷について分ったこと、気が付いたことをお知らせください。
ある人は、食べ物で昔はあったが今は無くなった。久慈にしか無い者を指摘してくださった方がいます。
(大変役に立ちます)
・ふるさと納税制への御協力もよろしくお願い申し上げます。
・久慈祭りは大盛況でした。600年の歴史を持ちます。今年は8組のお神輿は全て手作りでした。
宮古市から30人の団体旅行の方々が来られました。近くにこのような大きな祭りがあるとは知らなかったと感想を述べておられました。
(拍手)

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November 16, 2008

― ノーベル賞 ―

2008年11月3日(月・文化の日)

大江健三郎先生がノーベル文学賞を受賞されたのは、1994年10月13日だった。
もう、14年も前になるのだ。
この年は、村山内閣(自・社・さきがけの連立だった)が成立した年だった。

翌年の2月7日(土)・新宿区の安田海上火災ビル(西新宿の超高層ビル)で大江先生の講演会があった。
聞きに連れて行ってもらった。
主催は、新宿区医師会だった。
私の郷里の大先輩(大先生・御年80歳)が新宿区で医院を経営されていて、お呼び出しがあって、「少しは教養を身につけなさい!」と説教されて大江先生の講演を聞きに連れて行ってくださったのだ。

・会場は超満員だった。でも、静かだった。静かな音楽が流れていて、皆聞いていた。確か"アルビノーニのアダージョ”だった。
(この曲、1年ぐらい前かな、歌声喫茶ともしびの歌手小川那美子がCD「歌い続けて」を出して、その7番目にある。こっちは"夜明けのスキャット”風の歌い。いいねー。)

・講演が始まった。演題は「日本の私から」だった。
(あっ!音楽の続きだ。先生のお声をはじめて聞いて、そう思った。心地良かった。あとは、ぼーっとしていた。)

始めに、先生は1935年1月31日生まれ、と話された。
ちょうど100年前の1835年に「北越セップ」が現されている、と続いた。

(ぼーっとしながら、途切れ途切れに先生のお話を、分っても、分らなくても、自分なりに必死で聞いた。)

「記憶とメモ」
・司馬リョウタロウが死んだ。多くの人は「国民作家」の名がふさわしいと言っている。
しかし、彼が最初に書いたのは「私」ではなかったか。30年以上前になるが。

イアン・フレミング(007の作家)は、「(司馬は)吉川栄治と違って、インテリに読まれる国民作家になるであろう」と書いている。

・シーボルトをはじめとする外国人から医学を学んだ日本人のストーリーが文芸春秋社から出版されている。
学んだ方々は、その土地土地の健康の守り手になった。日本の近代化の支え手になった。
その方々(医師)は、屋敷内に神社を作り、外国人教師を祭っている。先生の祠をたてて祭っている。
・・・(竹内よしみの批評、歴史観について触れられた)
(医師の行為は)ナショナリズムではない。普遍的な日本人感というものを持っていた。

・「回復する家族」について。
「ゆるやかな絆」 ・ きずな=ロープのこと。
お互いをしばるようなロープではない。ゆったりしている。
どうしても助けが要るとき、支えが要るときは引っ張ってあげる。
山を登る。誰かが落ちる。その時はすぐ支える。
普段は束縛しない。必要な時は確認できる。そのような絆。
お互い成員で、インデペントな関係。
国家と人間の関係も、、。

光さんと「静かな生活」についてふれられた。
映画について、光さんの音楽について話された。

・ゆるやかな絆
私は「日本人論」というものを好まない。
歴史の中に人間を発見して、日本人とはこういうものだと「思い込み」で説教している場合がある。
司馬リョウタロウさんは、説教はしていない。
司馬さんの本から引っ張り出して説教をしている人がいる。

私も本を読む。94歳の母は今でも電話をかけてきて「勉強をしなさい」と言う。(笑)

・山路愛山 「豊臣秀吉」について
"サルと思うと人間、人間と思うとサル。小袖をやり、からかって愛した”
Sと云う作家は、これをこのまま使っている。
(資料)ー水で体を洗い、小袖をさすと生き生きした頭がよさそうな人間が立ち現れたーとある。
これを引用から省いている。
栗を食べた。1時間後、明敏な青年が立ち現れた、ともある。

・「アップ・スタンディング」であること。
どういう人間がすばらしいか。自分の望ましい人間はどういうものか、と思うことがある。
それは、「アップ・スタンディング」である人だ。
UPSTANDING-直立した。すらりとした。しっかりと据えられた。
高潔な。正直な。-という意味だ。
"国会へ参考人として呼ばれているようなタイプの人では無い”(笑)

これにふさわしいような日本人は、かつてはいた。今もいると思う。
しかし、出会ったことはないのではないか。
(私は)日本にも"アップスタンデイングな人が”いるということを書きたい。外国へアピールしたい。

直立していてゆるやかな絆で結ばれている。家族・社会・国家は・・・(良いと思う)。

・吉田健一は日本と外国との違いの一つに、日本には詩を覚えるという習慣が無い、と言っている。
ある言葉を覚えるため詩を覚えることが大切と思う。彼はシエクスピアを覚えたと言っている。
(イエーツについて触れられた)
(タワーの詩を読まれた)、、、わたしは、しっかりした直立したものをえらぶ、、、
・大義にも国家にもしばられないアップスタンデイングな人間ーそういう人に後をまかせたい。

・昨年(1994年)、国会で第二次世界大戦中の日本の犯罪を謝罪した。(村山談話)
新聞の投書にあった。女性からのものだった。
・・・22歳で結婚して、主人は戦争にとられ戦死した。主人も私も犠牲者ではないか。中国の人達も犠牲者だ。
中国への謝罪は私の夫への謝罪でもある。私の夫の魂を鎮めることにもなる。・・・こういう内容だった。
靖国は戦争を大義のためだった、と言っている。
国家が正義や大義を国民に押し付けることはまちがっている。

・オーム真理教の摘発があった。
政治家の談話があった。大臣を務めた人だ。
・・・若い人達が、あのような所へ行くというのは何故か?自分達が若者へ国家目的を示さなかったからだ。これからは、国家目的を示さなければならない。・・・こういう内容だった。

これは間違っている。国家目的を少しの言葉で示す事はできない。こういうものはあるよりは無い方が良い。
明治以降の日本国家は、大国化を目標とした。これは敗戦によって失敗した。
敗戦後、日本国憲法を制定した。日本国憲法が目標になる。
これを抜きにして、新しい構図を置くということは、無い方が良い。
民間レベルでそういうことを書く人がいる。これを疑う。アップスタンデイングな立場でこれを批判していく。
アメリカ人は日本人よりアップスタンデイングである、と私には思える。

・黒柳徹子さんの話を聞いた。
彼女はルワンダへ行かれた。ツチ族とフツ族が抗争をしていて、ツチ族が殺された。子供たちの目の前でお母さんが殺され、お父さんが殺されている。その子供たちの心理は同じ傾向がある。罪悪感をもっている。自分に対してだ。お母さんが死んだのは自分のせいだ。自分の責任だと思っている、そのようなお話だった。
(そのような中で、ある若者は)
「私は早く独立したい。お金が必要だ。大学へ行きたい。自分のためにではない。あなたのために大学へ行くのです。」・・・と話した。
劇的な状況においても、アップスタンデイングな人間はいる。
このような人達を傷つけているのは誰なのか、(と考える)。

・大義があるから生きるのではない。国家目標で生きるのではない。
ゆるやかな結びつきがあり、必要なら手を差し伸べる。国境を越えて話し合える。
そのような社会が、アップスタンデイングな社会である、と思う。
家庭にモデルがあるのではないか。

・21世紀の日本について
中国と日本の関係
韓国と日本の関係

ナイジェリアの劇作家・オーレーショイジンガーの「死と騎士」に触れられた。

・外国に向って普遍的な考え方の日本人になれるのか。
「日本」「普遍的」-題材が大きい。
私は日本人と言うことを考えないで40年間小説を書いてきた。しかし、日本人的であったということに気が付いた。
(論争があった)
日本人の限界をみつめたい。

・R.S.トーマス: は「核戦争」で世界は滅びる、と言っている。そして、人間はしょせん滅びる。滅びるなら抵抗しながら滅びよう。明日滅びようと、愛と美について母国語で語りながらほろびよう、と言っている。
日本語で語り、考える。普遍的であるように語り考えたい。
「日本の私」は、普遍的でありたい。ナショナリズム的であることにはんたいする。

国が盛んな時にナショナリズムは起きる。国が衰弱するときにもナショナリズムは起きる。
国家社会主義の形で現れる。

日本は、戦後50年間外国でナショナリズムを振り回さなかった。
最近それを言う人が出てきている。将来増えると思う。

ある映画人は、"司馬さんは日本が崩れていく姿を見ないで死んで行けた事は幸せであった”、と言っている。

・若い人たちが、厚生省の前で座り込み、力を発揮している。
・フランスの核実験に抗議してフランス製品の不買運動を始めたグループがある。効果が無かったという人もいる。しかし、意味はあった。フランス人から見た日本人観は、特に若い人たちは、フランスの物を買ってくれる人としか見ていない。
デモンストレーション ー 意味が無いという人もいる。私は意味があると思う。全ての行為に意味がある。
そして、現在のそれは前の運動とは違う。

ソ連崩壊以後、イデオロギー上の構図、体制、反体制の、こうあれ式の運動は無くなった。
アップスタンデイングな人間が中心の市民運動に変わっている。
母親運動、生協運動、平和への活動・・・。
(これが発展すると思います)

(長い拍手)

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November 14, 2008

―結婚式―

2008年11月1日(土)・ ハイアット リージェンシー(新宿)・
午後4時

・さと君(甥) と ちかさん の結婚式へ出席する。
30歳と28歳。美形、美形、、。
なんと、神式の結婚式だった。厳かでナカナカよいものだ。
・二人とも薬剤師で、職場結婚と言うわけ。
・披露宴は親族、友人知人で105人出席。
薬業系の方々の挨拶が続く。全員血色が良い。
(まちがいなく儲かっているゼ、、、。)
―――
・岩手から長兄夫婦が上京し、式へ出席する。
帰りに、兄が言った。
「土産はなにもいらない。」
「ただ、本を一冊頼む。小林多喜二"蟹工船”だ。読んで見たい。」
(もちろん、すぐ用意した。)
・長兄夫婦は結婚して、祖父母、両親と一緒に住んだ。昔の農家では当たり前のこととはいえ、3夫婦同居だった。
あれから48年経つ。祖父母、両親を介護し、4人をそれぞれ自宅で見送ったのだ。
大家族制を体験している最後の世代だ、と思う。
・今、二人で住む。(子供夫婦と孫は近くにいるけれど。)
「・・・限界集落になってしまった・・・。」

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November 10, 2008

第20回・平成20年度「ふるさと普代会・総会・懇親会」開催される。

2008年10月26日(日)・九段会館・午前11時・参加者 85人。
岩手県普代村・北緯40度の地球村
(現在の人口 約3、200人)
関東在住普代村出身者 数百人
ふるさと普代会 会員数 140人

*本日の総合司会・金子得栄 幹事長
(午前11時30分 開会)
*開会の言葉  富川佑子 副会長
 ふるさと普代会は結成20周年を迎える事ができました。会員の皆さん、ご来賓の皆様、普代村から来てくださいました方々、全ての参加者のみなさん!ありがとうございました。これから「ふるさと普代会の集い」を始めさせていただきます。

*中野健治 会長の挨拶
(メモ)
・ご出席の会員の皆さん、ご来賓の皆様、ようこそいらっしゃいました。本日は、会の総会とともに結成20周年の祝賀会も兼ねています。最後までお楽しみください。
・深渡 宏村長より、本日は公務と重なり出席できないとの丁重な挨拶をいただきました。代わってご参加くださいました柾谷伸夫副村長、遠路はるばるありがとうございます。
20周年を記念して、講演を企画いたしましたが、講師をお引き受けいただきました岩手県出身の(元小結栃の花)大相撲・二十山仁親方、どうもありがとうございます。
・普代会は平成元年、結成されました。初代会長ー現名誉会長の熊谷文弥先生、ご出席ありがとうございます。

・麻生太朗内閣が発足しました。
その後、悪いニュースと(少しの)良いニュースが続いています。
悪いニュースは、食の安全が脅かされていることです。株の暴落が起きていること、景気が後退していること等です。
明るいニュースは、日本人のノーベル賞受賞者が相継いだことです。
(良いニュースが増えてもらいたいものと思います。)

・ふるさとは、いま冬支度です。
私達は、特にこの時期、故郷への思いを強くします。
今日は、大いに語り、食べ、明日への活力にして行ければ、と思います。
今日のために、
普代村から、「鵜鳥神楽」が来られました。
会員さんによる、尺八、民謡、踊り、の披露もあります。
普代村長さんからは、ふるさと納税制度のお願いもありました。(笑い、拍手)

・最後までお楽しみください。
(拍手)

*柾谷伸夫 副村長の挨拶
(メモ)
・深渡村長に代わり挨拶いたします。
20周年が盛会であることを喜び、皆様に感謝申しあげます。
ご来賓の皆様、二十山親方、ありがとうございます。
・会員の皆様には、日頃から普代村の物産品販売ではご協力いただいています。中学生の鵜鳥神楽七頭舞いの上演ではご協力をいただきました。感謝いたします。
・村の現況ですが、鳥居ー茂市ー萩牛ー竜泉洞、を結ぶ道路工事は順調に進んでいます。平成22年完成予定です。
平成22年には、小学校1校体制に移行する予定でおります。
10月、「普代まるごと海産祭り」を開催しました。これには、全県から5千人以上の参加がありました。
・村の人口減少は続いています。限界集落の問題もあります。一番心配しているところです。
皆さんのなかで、故郷へ帰られる方々がおられましたら歓迎します。よろしくおねがいします。
・ふるさと納税制度についてのお話は会長からもありましたが、ご協力をお願いします。
・常々のふるさとへの思いに感謝し、今後の会の発展を祈ります。
(拍手)
・村から一緒に参加している中で代表して二人を紹介します。
熊坂伸子 教育長
太田としみつ 総務課長 です。 よろしく。
(拍手)

*中村 裕 村議会議長の挨拶
(メモ)
・普代村出身者の会員の相互の親睦、協力を目的に結成され、平成と共に20年間(ふるさと会は)歩んで来ました。 
会員の皆様の故郷への思い、団結力を持っての活動に敬意を表します。
20周年の日に参加された皆さん、二十山親方、ご来賓の皆様に心から感謝いたします。

・明治維新から140年になります。この間の普代村の歴史、文化財の調査も引き続き行なわれています。
・村議会は定数を2削減し、現在10議席です。10人の少数議会は岩手県に4町村あります。
議員の平均年齢は61歳になります。次の選挙にはより若い人の参加を希望しています。
・ふるさと納税制へのご協力、私からもお願い申し上げます。
会が益々発展し、意義深いものであることを祈ります。
(拍手)
―――

*二十山 仁 親方(元小結栃の花)のお話と親方への質問と答え
(メモ)
・私はこれまで相撲のことばかり考えていて人の前で話すことは苦手です。おゆるしください。
・私は、旧山形村(現久慈市)の「にからべ」と云う所で生まれました。
父親は、「谷地林業」を経営しています。双子の弟がいます。
・小学生の時から相撲をとっていました。強かったのです。普代村をはじめ色々な所へ行って相撲をとりました。
中学校では、柔道部へ入りました。
高校は、浄法寺高校です。相撲をまたはじめました。
大学は、明治大学です。相撲部に入り、栃の和歌さんに会いました。大学の先輩ということもあり、春日野部屋へよく稽古に行っていました。
・大学卒業の時、大相撲に入っても(怪我などがあり)、幕下付けだしには自分はなれない、ということが分っていました。しかし、相撲は続けたかったです。
父親に相談したら、双子だし家の跡取りは一人いる。お前は好きな道をやって見ろ。但し、3年間やってみて芽がでなかったらやめろ、と言われました。
平成7年に春日野部屋へ入門し、前相撲からスタートしました。
1年間で幕下まで進み順調でした。しかし、その後、足踏みが続きました。
3年経って、父親に相談したところ「あと1年死んだ気でやれ!」と言われました。
父親は親方へ「目一つ、腕一つ無くなっても良い。息子を鍛えてもらいたい。」と言っていました。
私は隣の部屋で聞いていました。
その後、1年で十両へ上がる事が出来ました。ああ、これで胸を張って家へ帰れると思いました。
・5月場所で新入幕を果たしました。このとき、12勝3敗の成績で3賞をもらいました。
大関・千代大海を破りました。印象に残っています。

・、、、怪我をし、腰を痛めたり、苦しい事も続きました。しかし、これまで続けて来られたのは
皆様の応援、声援があったからです。ありがとうございました。

・今年、1月引退し、現在二十山として親方の仕事をしています。
現役時代は相撲を取ることだけが仕事でした。今思うと楽でした。
今は、先に行って相撲を取る準備をする仕事です。一つ一つ準備をしていく、(若い時は分らなかったのですが)本当に大変な仕事です。
・これからも大相撲のために頑張って行きます。
近所、お知り合いに大相撲を目指す人がいたらご紹介くださいますようにお願いします。
(拍手)
ーーーー
二十山 親方への質問と答え
(質問:女性) ご結婚はしておられますか?
(二十山親方)
2年前結婚しました。子供も一人います。相撲場所の関係で1年のうち半分は別々です。

(質問:男性) 親方は現役時代、まじめで練習熱心と言われていましたね。
(親方)
春日野部屋は、稽古は特に厳しいです。稽古をしなければ強くなれないといつも言われました。「礼に始まり礼に終わる」と、生活面でも厳しく指導されました。(元横綱栃錦)春日野親方の教えがあります。これに失礼の無いようにと、いつも稽古をしています。

(質問:女性) 二十山という名前は(珍しいのですが)どうして付けたのですか。
(親方)
名跡は、全部で105あります。江戸時代から続いているものです。この中から継承したものです。私の前は「北天祐」さんが「二十山親方」でした。この方が病気で亡くなられました。同じ春日野一門でしたので私が受け継ぎました。

(質問:女性) 髪が素敵です。手入れはどのようにしておられるのですか。
(親方)
毎日スキます。協会には床山さんが50人います。春日の部屋には二人います。この方と4日に一度全部洗います。朝稽古をして直し、その後また整髪します。

(質問:男性) マスコミで八百長問題が取り上げられています。どのように思われますか。
(親方)
色々ご心配をお掛けします。昔からある話です。一対一の勝負の世界です。その勝負に(八百長の)疑問を持たれたら相撲は成り立たないと思います。しかし、毎場所同じ人と対戦している。7勝7敗の人と千秋楽に対戦して自分は勝ち越している。その時は少し気を使うのではないか、というような疑問はいつも言われていました。残念です。お金が動いているのではないか?と言う話もあります。私は、これは無いと思います。そんな現場を見たことはないです。(見たら言います)。大相撲は700人の世界です。とても狭いです。結局、一人一人の気持ちの問題、精神の問題になります。悪い事は悪いと言い、悪い事はやらない、これが大切です。
(拍手)

最後にお願いです。
来年1月31日(土)・両国国技館におきまして、引退興行を行ないます。(11時ー4時)。
横綱の土俵入り、十両からの普通の取り組み、初っ切り、相撲甚句、そして断髪式があります。
どうか観に来てください。
(拍手)

――――
東大野潤一 岩手県東京事務所所長の挨拶と達増拓也県知事からのメッセージ
(メモ)
・今年4月に赴任いたしました。
普代会の20周年おめでとうございます。
私は、久慈市で生まれました。大野村(現洋野町)で育ちました。
普代村とは親近感があります。

・達増岩手県知事からのメッセージを読み上げさせていただきます。

「ふるさと普代会の集いの開催、誠におめでとうございます。
岩手県では、二度の大地震の被害を乗り越え、県民総参加で復興に努力するとともに、県外に向けて元気に頑張る岩手を紹介するため知事を先頭に「がんばろう!岩手」運動を展開しております。
そして、皆様の岩手に寄せる想いを生かしながら、活力と希望に満ちたふるさと岩手を創っていきたいと考えております。
皆様には今後とも、ふるさととの、より一層の交流を深められ、熱烈な岩手ファンとして応援をいただくとともに、起業や転職、転居等をお考えの祭は、是非「ふるさと岩手」に戻られ御活躍くださるよう、お願い申し上げます。
また、岩手の地域医療を守るため、お知り合いの医師に関する情報をお待ち申し上げておりますとともに、この度、新設されました「ふるさと納税」についてもご協力をお願いいたします。
結びに、みなさま並びにふるさと普代会の今後益々のご活躍、ご発展をお祈りし、お祝いといたします。
岩手県知事  達増 拓也」
(拍手)
――――
来賓8団体(久慈・野田・田野畑・岩泉・宮古・山田・川井・矢巾・)を代表して
桜庭昌吾氏(野田はまなす会会長)の挨拶
(メモ)
普代会はお隣同士ということで、親しくお付き合いいただいております。
情報交換を強めて、これからも一緒にやって行きたいと思います。
20年間の継続に敬意を表します。
若年層をどのようにまとめるか、これからの課題です。
風光明媚な普代村と会のますますの発展を祈ります
(拍手)
―――
・2年ぶりに鵜鳥神楽を見る。三上胴元(82歳)はお元気だ。名人だ。
・砂合さん、柾谷さん、寺田さん、富川さん、の尺八、三味線、民謡を聴く。
「南部牛追い歌」「外山節」 プロ級だ。新潟地震の慰問にも行かれた方々だ。
―――
・ふるさと納税制度への協力
会員さんより(¥40,000)が届けられた。


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November 06, 2008

荒川区区議補選・鈴木けんいち候補(日本共産党)の街頭演説を聞く。

2008年10月25日(土) 午後3時・鈴木けんいち事務所前
・聴衆150人

鈴木けんいち さんのお話
(メモ)
・選挙告示は11月2日(日)です。それから9日(日)の投票日までお世話になります。近隣の皆様、よろしくお願い申し上げます。
・私は、後期高齢者医療制度に反対します。年金からの天引きがありました。その内容の酷さはますます明らかになっています。区民は怒っています。
・日本の政治はアメリカに従属し、軍事費を増やし、福祉費を削り、食料を輸入に頼る、そのような政治を続けてきました。
医療費も1970年代には高齢者は無料でした。それが、自己負担が導入され、自己責任が押し付けられるようになりました。後期高齢者医療制度はこのような中から出てきたものです。区民の怒りを、区政、国政にまで届けるように頑張ります。(拍手)

・荒川区には、現在貯めこんでいるお金が276億円あります。
住民サービスをカットして貯めこんだものです。
プールの料金が高い。
小学生のアルバム補助金をカットする。
6万円だった補助金を3万円にカットする。
お金があるかないかで学力が決まる。そのようになっています。
・貯めこんだお金を住民のため使おうではありませんか。
30人学級は、荒川区から実施しようではありませんか。

・荒川区の区議団は、昨年の選挙で5人から6人になりました。
中学生までの医療費の無料化ーこれは共産党が永年主張し、皆さんと運動してきたものです。
これが4月から実現しました。
共産党の議席がさらに1名増えれば、7人になれば、さらに大きな仕事ができます。
(鈴木けんいちを区議会へ送り出してください)

・私は区内の中小企業で働いてきました。
区内の業者は銀行の貸しはがしに脅かされています。
政府は大企業にはお金を使うが、中小企業には使いません。
区政においては中小企業を守る政治をー竹内区長を実現してー共に行ないます。
皆さん!共産党の議席を7にしてくださいl。鈴木けんいち を押し上げてください。
(長い拍手)

(酒屋さんで話す)
*鈴木けんいちさんは、息子さんが通われる小学校でPTAの会長も努めておられます。
東京経済大学を卒業しています。経済にも教育にも明るい方です。
*見た人は分りますが、頼もしいですね。雰囲気がよいです。

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November 03, 2008

東京の9条の会をつなぐ「9条の会東京連絡会・10/24発足集会」開催される。

2008年10月24日(金)・豊島公会堂(みらい座いけぶくろ)・午後6時30分開会・参加者800人
(超満員!)

司会者: 山口なおみ さん
(メモ) 2004年に9人の方々の呼びかけで結成された「9条の会」は、現在全国でその数は7000を超えるまでになりました。
東京には約800の9条の会があり、活発な活動を続けています。
この会がお互い連絡を取り合い、情報を交換するネットワークを造ろうと言う声が持ち上がり、賛同者を募り、関係者で準備を進めてきました。そして、今日を迎える事ができました。(拍手)
―――
賛同者を代表して3人の方の挨拶

*伊藤 真 氏(伊藤塾塾長)のお話
(メモ)
・昨日は東京青年会議所で話をしました。
・9条の意義、99条の意義についてでした。99条は、憲法は国家権力を縛るものだと述べています。
9条は、過去の日本の歴史、悲惨な戦争、国内で310万人、アジアで2000万人の犠牲者を出した戦争の体験と反省の中からうまれたものでした。
・私は、学生と中国の重慶へ行きました。中国人は戦争責任について、‟私達が憎むのは日本の軍国主義者だ。侵略戦争だ。(日本の国民は憎んでいない)”と言いました。
ありがたい話だと思います。しかし、言葉通り受け取ってはいけないと思います。
・加害者の日本軍人は、日本へ帰ればよい人間として生活します。
戦争は、個人の人格を変えます。
・9条は、あらゆる戦争を放棄しています。侵略戦争の否定から一歩進んでいます。
9条の功罪ということも考えなければなりません。日本には9条があるから過去の戦争と向き合わなくても良い、となったら間違いです。

・9条の現在ですが、日本はアメリカの戦争に参加しないで済んでいます。間接的には参加しているのですが、武力行使はしていません。名古屋高裁の判決で、自衛隊のイラク派遣は違憲であると明確に判断されました。
・9条で、軍隊を持たない事が規定されています。
軍隊は市民社会と異質なものです。
市民社会は、個人を第一に大切にします。
軍隊は、武力行使を行なう組織です。組織を第一に大切にします。
市民社会は軍隊をコントロールできません。
9条の立場からすると自衛隊=軍隊は無いはずの組織です。コントロールできないのですから。
9条の予定する我々の社会はどういうものであるのか、議論を深める事が大切と思います。

・憲法の未来ですが、憲法は日本と人類の理想を高く掲げています。
暴力の連鎖を絶とうとしています。暴力の連鎖ーこれには人類の未来はありません。
・未来を見つめて、同時に足元を見ることが必要です。
人々が生きること、人間らしく生きていくこと、個人の生活が保障されることです。
9条と憲法25条は深く結びついています。「恐怖と欠乏」からまぬがれ、一人一人が人間らしく生きていける社会ーそれが平和の9条の世界です。
・さらに、その根本に13条=基本的人権の保障があります。
国内で生存権を保障し、国家は戦争=(国家的)殺人をしない。それが13条に基づく、私達のめざす世界ではないでしょうか。

・意見の違う人達との議論も必要です。
ヨーロッパでは、死刑制度はありません。しかし、正義の戦争は認め、主張しています。
日本は、死刑制度はあります。しかし、9条で戦争を否定しています。
人権、防衛のあり方、議論することが多くあります。

・"地方自治”も現行憲法で新しく章が設けられました。
地方の力、地域の力で全体を変えることも出来ます。
・憲法の力は国民の力です。連帯と草の根の力で国民の力は大きくなります。
「(9条の会)東京連絡会」は地方の力、地域の力です。
一人一人の力を結集して大きな力となり、成功を収められることを祈ります。
(拍手)
ーーーー
アーサー・ビナード (Arthur Binard) さん(詩人)のお話
(メモ)
・「センタク」という言葉があります。
洗うのか選ぶのかおもしろい、と思います。
・洗濯機は約1世紀前、1920年にアメリカで100台販売されました。
全自動機は1930年代に現れ、戦後加速度的に広がりました。
昔話では、おばあさんが川で洗濯をしていました。手作業でした。
それだと、洗濯をして色々考える事があると思います。
川が汚れるとか、合成洗剤のこととか。
・全自動機だと放り込んでボタンを押して、後は何も考えません。何リットルの水が使われるとか、電力の消費量とか、環境への影響とか、いちいち気にしなくなります。
・ビート詩人ーアレンギンスバーは、次のような詩をかいています。
―詩の朗読―  拍手
・いかに私達は全自動になれていることでしょう。
地球には排水溝がないのです。
ーー
・イラク戦争は本当の姿が隠されています。テレビ、新聞、雑誌、写真、真実を報道していません。
ベトナム戦争の時と違っています。
ーー
・憲法を生かす運動は全自動ではできません。憲法を変える人達は全自動でやろうとしています。
憲法を守る方は手作業でやるしかありません。やり方は色々あります。それは、ある時一気に広がると思います。そして、ある日、新しい社会が流れて来るかもしれません。
・憲法を守ろうという人達を「ゴ憲派」と言います。しかし、私はこの言葉はあまり好きではありません。憲法に守られている、といのは分りますけれど。ゴは誤りのゴもあります。
「護憲」ではなくて「活憲」ではないでしょうか。
「改憲派」は一見良いようではありますが、内容は「殺憲」ではないでしょうか。
「活憲」(カッケン)と「殺憲」(サッケン)-この言葉が正しいと思います。(拍手)
ーー
・アメリカの大統領選挙では、オバマが勝つでしょう。
アメリカの選挙は二大政党制の中でよりよい方が勝つと言われていました。しかし、これまでは、民主、共和、どっちもどっちでした。
オバマは少し違います。市民運動の中から出てきました。献金も個人献金が主でした。政策は、環境、格差、医療、イラク戦争終結に触れています。
これも、市民運動が手を引けば元に戻るでしょうが。
二大政党制の中でアメリカは(これから抜け出す)光が少し見えてきました。
・日本は、アメリカのような二大政党制へこれから追い込まれようとしています。袋小路に入るようなものです。
これは止めてください。
「活憲」か「殺憲」か、良く見てください。
憲法に対する(各政党の)態度を良く見ることが大切です。
(拍手)
―――――――
小森陽一さん(9条の会事務局長)のお話
(メモ)
・9条の会は2004年6月に出発して4年半経っています。
9条の会はどんな会でしょうか。
「一人一人の個人が9条を持つ日本国憲法を見直し改めて活動をしていきましょう」というものでした。
全国とか地方とかはない会です。
やろうと思った人が声をあげて作った、つくる「9条の会」です。
なにかやる時は一緒にやりましょうという会です。

・いつ総選挙でしょうか。
数日間、重大なことが起きています。小沢一郎さんは、新テロ特措法を審議もしないで衆議院を通しました。
前は憲法違反だといっていたものをです。
オバマは、イラク撤退は言っていますが、アフガン政策は変えていません。オバマは小沢さんへアフガン派兵を要求するでしょう。アフガンは現在イラクの何倍も治安が悪化しています。

・品川正治さんと対談をしました。
10月12日にダウ平均価格が8000ドルを割りました。
この日、フィンランドのアハティハールさんがノーベル平和賞を受けられました。
・ギャンブル資本主義のバケの皮がはがれました。
アハティハールさんは1994年から2000年までフィンランドの大統領を務められ、1999年非軍事組織によってコソボ紛争を終結させました。これがノーベル平和賞の受賞理由でした。「平和の希求」「国家間の紛争を話し合いで解決すること」ーこれは日本国憲法の理念です。9条の勝利と思います。
・ギャンブル資本主義の崩壊と9条の勝利がはっきりしました。
・そして、現在この連絡会が結成されています。9条は、世界へ大きな影響を与えています。

・アメリカの無謀な戦争へ日本の青年の命を差し出してはいけません。
安倍元総理は、ブッシュの前で"ISAF”のように日本はアフガンで全面協力したいと言いました。アフガンはイラクより治安は悪くなっているのです。特租法を通します、と約束しています。行き詰って9月9日に政権を投げ出しました。
福田さんは、翌年の9月1日に政権を投げ出しました。総理になったのは、確か同じ日だったですね。
8月にぺシャール会の伊藤さんがアフガンで遺体で発見されました。
ぺシャール会の中村さんは、アフガンにおいて4月から対日感情が悪化している。6月は最悪になっている。このままでは日本人がターゲットになる、と訴えておられました。
福田政権は、4月にアフガンへの自衛隊派遣の研究を始め、6月に調査団を派遣をしています。
8月31日(日) 掛川で伊藤さんの葬儀が行なわれました。中村さんは挨拶の中でそのことを話されました。
報道はされませんでしたが。
翌日、9月1日に福田さんは政権を投げ出しました。

・9条の会に何が大切か。
大きな志とやさしいまなざし。
そして話し合うことです。
(拍手)

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November 01, 2008

「杉並区三曲協会演奏会」を聴く。

2008年10月19日(日)・セシオン杉並ホール・午後2時
第58回杉並区総合文化祭参加「杉並三曲協会演奏会」を聞いた。今年2度めだ。
吉崎克彦 作曲
「天空の扉」 が強く印象に残った。尺八 男性二人・箏 男性一人 女性二人の合奏。
座っている人は立ち上がり、立っている人は踊りたくなるようなそんな演奏だった。

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