2008年11月3日(月・文化の日)
大江健三郎先生がノーベル文学賞を受賞されたのは、1994年10月13日だった。
もう、14年も前になるのだ。
この年は、村山内閣(自・社・さきがけの連立だった)が成立した年だった。
翌年の2月7日(土)・新宿区の安田海上火災ビル(西新宿の超高層ビル)で大江先生の講演会があった。
聞きに連れて行ってもらった。
主催は、新宿区医師会だった。
私の郷里の大先輩(大先生・御年80歳)が新宿区で医院を経営されていて、お呼び出しがあって、「少しは教養を身につけなさい!」と説教されて大江先生の講演を聞きに連れて行ってくださったのだ。
・会場は超満員だった。でも、静かだった。静かな音楽が流れていて、皆聞いていた。確か"アルビノーニのアダージョ”だった。
(この曲、1年ぐらい前かな、歌声喫茶ともしびの歌手小川那美子がCD「歌い続けて」を出して、その7番目にある。こっちは"夜明けのスキャット”風の歌い。いいねー。)
・講演が始まった。演題は「日本の私から」だった。
(あっ!音楽の続きだ。先生のお声をはじめて聞いて、そう思った。心地良かった。あとは、ぼーっとしていた。)
始めに、先生は1935年1月31日生まれ、と話された。
ちょうど100年前の1835年に「北越セップ」が現されている、と続いた。
(ぼーっとしながら、途切れ途切れに先生のお話を、分っても、分らなくても、自分なりに必死で聞いた。)
「記憶とメモ」
・司馬リョウタロウが死んだ。多くの人は「国民作家」の名がふさわしいと言っている。
しかし、彼が最初に書いたのは「私」ではなかったか。30年以上前になるが。
イアン・フレミング(007の作家)は、「(司馬は)吉川栄治と違って、インテリに読まれる国民作家になるであろう」と書いている。
・シーボルトをはじめとする外国人から医学を学んだ日本人のストーリーが文芸春秋社から出版されている。
学んだ方々は、その土地土地の健康の守り手になった。日本の近代化の支え手になった。
その方々(医師)は、屋敷内に神社を作り、外国人教師を祭っている。先生の祠をたてて祭っている。
・・・(竹内よしみの批評、歴史観について触れられた)
(医師の行為は)ナショナリズムではない。普遍的な日本人感というものを持っていた。
・「回復する家族」について。
「ゆるやかな絆」 ・ きずな=ロープのこと。
お互いをしばるようなロープではない。ゆったりしている。
どうしても助けが要るとき、支えが要るときは引っ張ってあげる。
山を登る。誰かが落ちる。その時はすぐ支える。
普段は束縛しない。必要な時は確認できる。そのような絆。
お互い成員で、インデペントな関係。
国家と人間の関係も、、。
光さんと「静かな生活」についてふれられた。
映画について、光さんの音楽について話された。
・ゆるやかな絆
私は「日本人論」というものを好まない。
歴史の中に人間を発見して、日本人とはこういうものだと「思い込み」で説教している場合がある。
司馬リョウタロウさんは、説教はしていない。
司馬さんの本から引っ張り出して説教をしている人がいる。
私も本を読む。94歳の母は今でも電話をかけてきて「勉強をしなさい」と言う。(笑)
・山路愛山 「豊臣秀吉」について
"サルと思うと人間、人間と思うとサル。小袖をやり、からかって愛した”
Sと云う作家は、これをこのまま使っている。
(資料)ー水で体を洗い、小袖をさすと生き生きした頭がよさそうな人間が立ち現れたーとある。
これを引用から省いている。
栗を食べた。1時間後、明敏な青年が立ち現れた、ともある。
・「アップ・スタンディング」であること。
どういう人間がすばらしいか。自分の望ましい人間はどういうものか、と思うことがある。
それは、「アップ・スタンディング」である人だ。
UPSTANDING-直立した。すらりとした。しっかりと据えられた。
高潔な。正直な。-という意味だ。
"国会へ参考人として呼ばれているようなタイプの人では無い”(笑)
これにふさわしいような日本人は、かつてはいた。今もいると思う。
しかし、出会ったことはないのではないか。
(私は)日本にも"アップスタンデイングな人が”いるということを書きたい。外国へアピールしたい。
直立していてゆるやかな絆で結ばれている。家族・社会・国家は・・・(良いと思う)。
・吉田健一は日本と外国との違いの一つに、日本には詩を覚えるという習慣が無い、と言っている。
ある言葉を覚えるため詩を覚えることが大切と思う。彼はシエクスピアを覚えたと言っている。
(イエーツについて触れられた)
(タワーの詩を読まれた)、、、わたしは、しっかりした直立したものをえらぶ、、、
・大義にも国家にもしばられないアップスタンデイングな人間ーそういう人に後をまかせたい。
・昨年(1994年)、国会で第二次世界大戦中の日本の犯罪を謝罪した。(村山談話)
新聞の投書にあった。女性からのものだった。
・・・22歳で結婚して、主人は戦争にとられ戦死した。主人も私も犠牲者ではないか。中国の人達も犠牲者だ。
中国への謝罪は私の夫への謝罪でもある。私の夫の魂を鎮めることにもなる。・・・こういう内容だった。
靖国は戦争を大義のためだった、と言っている。
国家が正義や大義を国民に押し付けることはまちがっている。
・オーム真理教の摘発があった。
政治家の談話があった。大臣を務めた人だ。
・・・若い人達が、あのような所へ行くというのは何故か?自分達が若者へ国家目的を示さなかったからだ。これからは、国家目的を示さなければならない。・・・こういう内容だった。
これは間違っている。国家目的を少しの言葉で示す事はできない。こういうものはあるよりは無い方が良い。
明治以降の日本国家は、大国化を目標とした。これは敗戦によって失敗した。
敗戦後、日本国憲法を制定した。日本国憲法が目標になる。
これを抜きにして、新しい構図を置くということは、無い方が良い。
民間レベルでそういうことを書く人がいる。これを疑う。アップスタンデイングな立場でこれを批判していく。
アメリカ人は日本人よりアップスタンデイングである、と私には思える。
・黒柳徹子さんの話を聞いた。
彼女はルワンダへ行かれた。ツチ族とフツ族が抗争をしていて、ツチ族が殺された。子供たちの目の前でお母さんが殺され、お父さんが殺されている。その子供たちの心理は同じ傾向がある。罪悪感をもっている。自分に対してだ。お母さんが死んだのは自分のせいだ。自分の責任だと思っている、そのようなお話だった。
(そのような中で、ある若者は)
「私は早く独立したい。お金が必要だ。大学へ行きたい。自分のためにではない。あなたのために大学へ行くのです。」・・・と話した。
劇的な状況においても、アップスタンデイングな人間はいる。
このような人達を傷つけているのは誰なのか、(と考える)。
・大義があるから生きるのではない。国家目標で生きるのではない。
ゆるやかな結びつきがあり、必要なら手を差し伸べる。国境を越えて話し合える。
そのような社会が、アップスタンデイングな社会である、と思う。
家庭にモデルがあるのではないか。
・21世紀の日本について
中国と日本の関係
韓国と日本の関係
ナイジェリアの劇作家・オーレーショイジンガーの「死と騎士」に触れられた。
・外国に向って普遍的な考え方の日本人になれるのか。
「日本」「普遍的」-題材が大きい。
私は日本人と言うことを考えないで40年間小説を書いてきた。しかし、日本人的であったということに気が付いた。
(論争があった)
日本人の限界をみつめたい。
・R.S.トーマス: は「核戦争」で世界は滅びる、と言っている。そして、人間はしょせん滅びる。滅びるなら抵抗しながら滅びよう。明日滅びようと、愛と美について母国語で語りながらほろびよう、と言っている。
日本語で語り、考える。普遍的であるように語り考えたい。
「日本の私」は、普遍的でありたい。ナショナリズム的であることにはんたいする。
国が盛んな時にナショナリズムは起きる。国が衰弱するときにもナショナリズムは起きる。
国家社会主義の形で現れる。
日本は、戦後50年間外国でナショナリズムを振り回さなかった。
最近それを言う人が出てきている。将来増えると思う。
ある映画人は、"司馬さんは日本が崩れていく姿を見ないで死んで行けた事は幸せであった”、と言っている。
・若い人たちが、厚生省の前で座り込み、力を発揮している。
・フランスの核実験に抗議してフランス製品の不買運動を始めたグループがある。効果が無かったという人もいる。しかし、意味はあった。フランス人から見た日本人観は、特に若い人たちは、フランスの物を買ってくれる人としか見ていない。
デモンストレーション ー 意味が無いという人もいる。私は意味があると思う。全ての行為に意味がある。
そして、現在のそれは前の運動とは違う。
ソ連崩壊以後、イデオロギー上の構図、体制、反体制の、こうあれ式の運動は無くなった。
アップスタンデイングな人間が中心の市民運動に変わっている。
母親運動、生協運動、平和への活動・・・。
(これが発展すると思います)
(長い拍手)
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