「建国記念の日」
2009年2月11日(水) 43回目の「建国記念の日」
「しんぶん赤旗」 2月10日・9面 "学問 文化”
猪飼隆明 (大阪大学名誉教授) を読む。
(見出し)
「建国記念の日」
憲法と相いれない紀元節の復活
「9条の精神を世界に」を誓い合う日にしたい
(内容)
・・・(建国記念の日は)休日としてはすっかり定着した感があるが、「建国記念の日」として定着したとはとても言えない。政府は、この日を国家の誕生日として強引に制定しながら、国家行事として奉祝できないでいるのである。
○戦後民主主義の否定と連動して
・・・「建国記念の日」は、戦前の紀元節を復活させたものである。『日本書紀』によれば、神武天皇は紀元前660年の1月1日に即位したという。歴史学の常識では縄文時代に当たる。
・・・紀元節には科学的根拠は全くないが、天皇制を支える重要なイデオロギー的装置であった。したがって、戦後民主主義・日本国憲法とは相容れない。
・・・「明治100年」論と重ねあわせられながら、1967年に復活されたのである。
○「海外展開」狙い田母神氏ら策動
・・・田母神氏らは、使命感をもって、侵略戦争を正当化・美化し、9条の撤廃を訴える。この教化の舞台を第二の戦場と位置付けるのである。
○「日本国憲法」の先見性を再認識
―――――
*日本の祝日が「天皇制」中心で設定されている事は広く知られている事だ。現行「平和憲法」が完璧に日本に定着し、公権力が「平和憲法」を尊敬するようになったら、象徴天皇制の下で、祝日も改めて見直す事があっても良いとおもう。
現在の「建国記念の日」では、聞いた事、話し合ったこと、考えること、思い出すこと、がある。
①1967年2月11日・初の「建国記念の日」
讀賣新聞奨学生で、江戸川区の新聞店に住み込んでいた。大学2年になる年だった。6畳間に二人だった。真ん中に本立てを立てて仕切って。
朝刊の配達を終わって、ご飯を食べて、一眠りして、"今日はやすめるぞー”と思っていたものだ。
10時ごろ、所長が来て、「おーい!起きろ、おきろ、おきろー!」と叫んだ。「なんですかー?」とボクたち。「今日は、休みでしょう。」
所長:「君達は、建国記念日制定反対!と言っていたではないか。今日休んだら、建国記念日=紀元節の復活を許すことになるんだ。ちゃんと働け。主義を貫け。(讀賣の)拡張へ行け。残っている集金をやれ。」と言った、のだ。反論も出来ず、ぶつぶつ言いながら、仕事に出たものだ。
②高校1年生の時(1962年)、学校で講演会があった。全校生徒が聞いた。
講師は「吉田コヨウ先生」(盛岡市立図書館館長)だった。
吉田先生は、小柄で細身、声なども緩やかでどちらかというと女性的な感じだった。小柄なのは同じだが、何時も胸を張り、大声で「モラールを!」「精神の高揚を!」「覇気を持て!」とボクタチに説く、タカハシイサオ校長とは対照的だった。でも、二人は尊敬しあっているのがすぐ分った。
講演は、「石川啄木、貧乏、戦争」、そういうような内容だった。
47年経った今も印象として残っていることが幾つかある。
・講演の結びは、啄木の歌だった。次の歌を読み上げ静かに壇上から降りられた。
地図の上 朝鮮国に くろぐろと 墨をぬりつつ 秋風を聴く
(初めて聞く歌だった。"一握の砂”には入っていねーなー、と、後で話し合ったものだ。)
・先生は、戦争をなくしたい、と話された。
・先生は、貧乏をなくしたい、と話された。
「貧乏は人間をおろかにします。貧すれば鈍するです。戦争は人間を狂人(きちがい)にします。そして、貧乏と戦争は密接につながっています。」
・そんなお話の中でふと、話された。
・皆さんには、ご両親がいます。そのお二人にも両親がいます。おじいさんとおばあさんですね。その方々にも両親がいます。こうして10代サカノボッタラその人数は何人になるでしょうか。1022人です。20代サカノボッタラ何人になりますか。なんと100万人を越えます。皆さんも計算してみてください。仮に、その中の一人が欠けたとしましょう。どうなりますか。そうすると、次々と次世代が無くなり、今いる貴方もいないのです。
("心に沁みる話”だった。後で、皆であれこれ話し合った。先生は、何を話されようとしたのかと。そして、次のような意見が出た。)
*命の大切さ、重さ、尊さ、継続、を知れ、ということ。(ありきたりだけど)。いずれ凄い連鎖だとおもった。
*人間1代を25年として計算すると、10代で250年、20代で500年、40代で1、000年遡る。平安時代だ。奈良時代も、その前も、鎌倉も、戦国時代も、ボクの、私達の先祖は間違いなく生きていたのだ。
先生は、"万世一系”という言葉も使われた。"万世一系”とは、永遠に同じ系統が続く事で、明治憲法では天皇のこととされていた。天皇は、万世一系で尊く、国民を統治し、命令するのは当たり前、日本を支配するのは当たり前のこととされていた。
しかし、サッキ見たとおり、万世一系は、天皇だけではない、全ての個人が、人間が、そうなのだ。万世一系だから尊いという所謂「皇国史観」は、否定されるのだ。そういうことも言いたかったのではないか。
(皇国史観は、昭和天皇の"人間宣言”で明確に否定されたけれど、あの当時は・イマモ、残っている感じだった。皇国史観は、戦前、特に学校の教室で徹底的に"叩きこまれた”。しかし、皇国史観の否定は、戦後、教室で充分に教えていない。それも、間違った歴史観が残っている理由と思う。)
*そうは言っても、天皇は「特別な血筋ではないか」「尊い血筋なのだ」。一般平民とは、違うのだ。という考えもある。
しかし、同じ血筋で家を続ける、何百年も、何千年も続ける、ということは無理だ。
徳川15代間を見ても、途中からの「血の衰え」は明白だった。
天皇家も、「第120代天皇は、皇后を除いた5人のお妾に15人の子供を産ませたが、12人が3歳以下で死んでいる」。
「第121代天皇は、17人の女性を擁し、うち4人に6人の子供を産ませたが、5人が早死にし、満足に育ったのは、、、祐宮(さちのみや)だけで、のちに第122代明治天皇になった」。
「その明治天皇には皇后美子(はるこ)のほかに5人の侍妾がいて、男子、女子あわせて15人を産ませたが、うち10人が夭折(弱年で死ぬ事)した。内訳は即日死亡2、一年以内3、二年以内4、三年以内1。・・・」
(元宮内庁記者の御著書より)。「血の衰弱」は明白だった。
「血の衰弱」の原因は、一つには血族結婚を繰り返した事もある。
これを救うのは、「新しい血の導入」しかないのだ。
120何代(これも嘘とは思うけど)の血の連鎖を続けるには、過去に、3兆人以上が結婚し子供を産んでいる。
途中、「新しい血」も「古い血」も「高い血」も「低い血」もなくなるのだ。
「古い家柄」ほど、血筋は大衆化している、という逆説も成り立つのだ。そうでなかったら続かないのだ。
「平民だからけしからん」というような皇族がいたそうだが、(今もいるのかな)、マッタク馬鹿げているのだ。
③「日本は天皇を中心とした神の国だ」と言われた現役の政治家がいる。この考えが「皇国史観」なのだ、と思ったものだ。本気で今もそうおもっているのだろうか。いや、そういう政治家がいっぱいいたから「建国の日」も制定されたのだ。
・「神の国」についていえば、昭和天皇は、人間宣言を行なって自ら「現御神(あきつかみ)」を否定している。天皇が否定しているのに、他人が何故、天皇は神、というのだろうか。モリサンが天皇のつもりでいるのかな?
いずれ、まちがった発言であることは明白だ。
ボクは、「人間宣言」の原文を見たことがない。実は、次の本で少しわかったのだ。
中野五郎 遺稿 (元朝日新聞記者・1907-1972)
「君は第2次大戦をしっているか・教科書では学べない戦争の素顔」
S57年・1982 (光文社) ¥1,200
御著書より P19
(太平洋戦争の評価と反省)
・・・この天皇の「人間宣言」は、いわば「平和憲法」と抱き合わせの形で、戦後の民主日本の再建に、二大支柱とされたものであるが、近年どういうわけか、一般の戦争記録書などにも全く再録されず、以外なくらい、その原文に接したものが少ないようである。とくに、読者諸君の中でも、若い世代は、それを知らないのではなかろうか、と思って、つぎにその勅語の一節(昭和21年1月1日)を紹介しておく。
(原文はカタカナですけど、ひらがなにします=ボク)
『―惟(おも)ふに、長きに亘れる戦争の敗北に終わりたる結果、我国民は動(やや)もすれば焦燥に流れ、失意の渕に沈論せんとするの傾きあり。
詭激の風激しく長じて動議の念頗(すこぶ)る衰え、為に思想混乱の兆しあるは洵(まこと)に深憂に堪えず。
然れども朕は爾(なんじ)等国民と共に在り。常に利害を同じうし休戚を分かたんと欲す。
朕と爾(なんじ)等国民との間の絆帯(じゅうたい)は、終始相互の信頼と敬愛に依りて結ばれ、単なる神話と伝説とに依りて生ぜるものに非ず。
天皇を以って現御神(あきつかみ)とし、且つ日本国民を以って他の民族に優越せる民族にして、延て世界を支配すべき運命を有すると架空なる観念に基づくものに非ず』 (以下略)
(ずいぶん、威張っている、ね・・・。)
・次に「国の中心」とは、どういうことなのかな?と考える。
(あれこれ考え、観察したけれど、結局、国民から年貢、税金を徴収する権限を持った人がその国の中心になる。その年貢、税金を使って国を運営する人が国の中心になるね。これは、古代も中世も近世も変わらない。ボクの観察だけれど。)
天皇が、その権限を完全に握り、"国の中心”になったのは、日本の長い歴史の中でも大日本帝国憲法(1889年制定)下の約60年間だけではないのかな。この時は、天皇はなにしろ「主権者で神様」なのだから。この60年間に、天皇中心主義、皇国史観が国民に植えつけられた。日本が生まれた時から、ズーッと、天皇が「国の中心」だ、これからもそうだ、と。「君が代」の通りだ!と。何千年も、国民から「税金」を集め続けられる家族がいる訳がないのだ。捨扶持で生きたり、自分で働いて生活したり、物乞いをしたり、何千年間も家を維持するのは、中々大変なのだ。本当の所は、そんなところだと思う。
徳川の時代は徳川が、戦国の時代は各地の大名が、足利の時代は足利が、それぞれ、その時々の国の中心だったのだ。天皇といっても、徳川時代は徳川家の1万分の一も社会への影響力は無かった。中心ではなかった。
やっぱり、モリさんは間違っている。国会議員を辞めるべきだ。
④「君が代」「日の丸」の強制は、象徴天皇制を危うくする。
(「君が代」は、国歌に制定されたけれど、これを歌いたくないと言う人は、いっぱい居る。歌の内容が「主権在民」と相いれない。「日の丸」は侵略戦争のシンボルだった。僕も、子供の卒業式の時は、立たなかったし、歌わなかった。ある時から、学校の方も工夫してきて、「全員御起立をお願いします」と先に言い、何が始まるのかな、と思って全員起立すると、オモムロニ「君が代」の伴奏が響くようになったものだ。歌わなかったけど。)
・「君が代」「日の丸」の学校現場での強制とそれの拒否。拒否した先生方への教育委員会の処分。処分された先生方のこと、で考えた。また、「君が代」を受け入れた人たちのことでも、考えた。
・処分された先生は、東京都で408人を越えると報道されている。大変な数だと思う。処分されても「受け入れられない」ものがある、ということだ。先生方には、ご家族もおられる。友人、教え子もおられる。その方々の悲しみ、怒りは計り知れない。
怒りは何処へ向けられるのだろうか。一つは、行政当局へ。「強制してはならない」事を強制しているのだ。
もう一つは、「君が代」、そのものへ向けられるのではないだろうか。忌まわしい天皇制の存在よ!と。
先生方を処分した役人は、やがて定年を迎え、なにくわぬ顔をして生活を送るのだろうが、「君が代」は何の弁明も出来ず、憎しみの目にさらされ続けるのではないか。歪んだ皇室報道が国民の間で読まれ続ける原因は、ここら辺にもある。「君が代」の圧迫に対しての鬱憤晴らしだ。
・さらに、もう一つ。「君が代」を受け入れ、「歌の世界」を信じるようになった人達が増えたらどうなるのだろうか。
学校で「この国は、天皇の世の中だ。美しい国だ。」と教育によって思い込まされるのだ。
その人たちがやがて社会へ出る。一部の人は、成功して「君が代」の通りと思うだろう。
しかし、99パーセントの人は、社会の矛盾に気が付く。貧困、格差、就職難、大量失業、自殺者の増加、衝動殺人、努力しても報われない社会に。
この社会を創ったのは、誰なのだ。第一に現在の政治の責任だ。大企業と癒着しきった政治の責任だ。
しかし、この国は、「君が代」でもあると歌ではおしえたではないか。政治的権能はなくても天皇もこの社会を創った責任の一端はあるのではないか。強制してまで「君が代」と教えたのだ。天皇にも責任があるのではないか?と考える人は出てくる。
・この人達は、天皇を見ても(テレビで)、楽しまなくなる。むしろ不機嫌になる。現にそういう人は回りに居る。若い人に増えている。ボクは、「君が代」の強制は、悪い結果として現れてくるように思う。
・天皇の生活費は、国家予算から出ている。その中には、国会の監査の及ばない部分もある。
「君が代」の強制は、天皇制に対して疑問を持つ国民を増やす。内廷費とか宮廷費とか皇族費とか、そこらへんを追及する国民が増えると思う。(これは別問題でもあるけれ)。
・「君が代」の強制は、天皇を「国民統合の象徴」ではなく、「国民分裂」の何かにさせてしまいつつある。
その点からも、強制は憲法違反で、間違っていると思う。
⑤象徴天皇制の未来
・ボクは、日本国憲法を守り、生かしていく立場だ。
当然「象徴天皇制」も守る立場になる。
・昭和天皇と比べると現在の天皇、皇后は、ズーット明るい。
昭和天皇は、テレビで見た感じだけれど、周りを暗くしていた。神憑り的、大権的なものがあった。表情から見ても、一般大衆には、あまり関心を持っていなかった。むしろ、大衆を警戒しているようなところがあった。
・現在の天皇、皇后は、その権威を自からの努力で築こうとしているように見える。
大衆の前に姿をさらし、ありのままを見せて、「尊敬できる人は尊敬して」「愛せる人は愛して」と、
何時の日か、皇室がそう言えるようなったら最高だ、と思う。
*ヨーロッパの王室は、国民との関係がより緊密だと言われる。
それは、一つに、第2次世界大戦中、王室は国民と共に団結してファシズムと戦い、ナチスと闘った伝統を持つからだ。
日本の天皇制との大きな違いだ。
・しかし、日本でも憲法9条を守り、平和憲法をまもり、この憲法を尊敬する政府が出来たならば、日本の天皇制もヨーロッパの王室に近いものに発展するように思う。
戦争をしない国、軍隊を持たない国、平和の国の象徴になるのだ、と思う。


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