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February 2009

February 26, 2009

「建国記念の日」

2009年2月11日(水) 43回目の「建国記念の日」

「しんぶん赤旗」 2月10日・9面 "学問 文化”
猪飼隆明 (大阪大学名誉教授) を読む。
(見出し)
「建国記念の日」
憲法と相いれない紀元節の復活
「9条の精神を世界に」を誓い合う日にしたい
(内容)
・・・(建国記念の日は)休日としてはすっかり定着した感があるが、「建国記念の日」として定着したとはとても言えない。政府は、この日を国家の誕生日として強引に制定しながら、国家行事として奉祝できないでいるのである。

○戦後民主主義の否定と連動して
・・・「建国記念の日」は、戦前の紀元節を復活させたものである。『日本書紀』によれば、神武天皇は紀元前660年の1月1日に即位したという。歴史学の常識では縄文時代に当たる。

・・・紀元節には科学的根拠は全くないが、天皇制を支える重要なイデオロギー的装置であった。したがって、戦後民主主義・日本国憲法とは相容れない。

・・・「明治100年」論と重ねあわせられながら、1967年に復活されたのである。

○「海外展開」狙い田母神氏ら策動
・・・田母神氏らは、使命感をもって、侵略戦争を正当化・美化し、9条の撤廃を訴える。この教化の舞台を第二の戦場と位置付けるのである。

○「日本国憲法」の先見性を再認識
―――――
*日本の祝日が「天皇制」中心で設定されている事は広く知られている事だ。現行「平和憲法」が完璧に日本に定着し、公権力が「平和憲法」を尊敬するようになったら、象徴天皇制の下で、祝日も改めて見直す事があっても良いとおもう。
現在の「建国記念の日」では、聞いた事、話し合ったこと、考えること、思い出すこと、がある。

①1967年2月11日・初の「建国記念の日」
讀賣新聞奨学生で、江戸川区の新聞店に住み込んでいた。大学2年になる年だった。6畳間に二人だった。真ん中に本立てを立てて仕切って。
朝刊の配達を終わって、ご飯を食べて、一眠りして、"今日はやすめるぞー”と思っていたものだ。
10時ごろ、所長が来て、「おーい!起きろ、おきろ、おきろー!」と叫んだ。「なんですかー?」とボクたち。「今日は、休みでしょう。」
所長:「君達は、建国記念日制定反対!と言っていたではないか。今日休んだら、建国記念日=紀元節の復活を許すことになるんだ。ちゃんと働け。主義を貫け。(讀賣の)拡張へ行け。残っている集金をやれ。」と言った、のだ。反論も出来ず、ぶつぶつ言いながら、仕事に出たものだ。

②高校1年生の時(1962年)、学校で講演会があった。全校生徒が聞いた。
講師は「吉田コヨウ先生」(盛岡市立図書館館長)だった。
吉田先生は、小柄で細身、声なども緩やかでどちらかというと女性的な感じだった。小柄なのは同じだが、何時も胸を張り、大声で「モラールを!」「精神の高揚を!」「覇気を持て!」とボクタチに説く、タカハシイサオ校長とは対照的だった。でも、二人は尊敬しあっているのがすぐ分った。
講演は、「石川啄木、貧乏、戦争」、そういうような内容だった。
47年経った今も印象として残っていることが幾つかある。
・講演の結びは、啄木の歌だった。次の歌を読み上げ静かに壇上から降りられた。
地図の上 朝鮮国に くろぐろと 墨をぬりつつ 秋風を聴く
(初めて聞く歌だった。"一握の砂”には入っていねーなー、と、後で話し合ったものだ。)
・先生は、戦争をなくしたい、と話された。
・先生は、貧乏をなくしたい、と話された。
「貧乏は人間をおろかにします。貧すれば鈍するです。戦争は人間を狂人(きちがい)にします。そして、貧乏と戦争は密接につながっています。」
・そんなお話の中でふと、話された。

・皆さんには、ご両親がいます。そのお二人にも両親がいます。おじいさんとおばあさんですね。その方々にも両親がいます。こうして10代サカノボッタラその人数は何人になるでしょうか。1022人です。20代サカノボッタラ何人になりますか。なんと100万人を越えます。皆さんも計算してみてください。仮に、その中の一人が欠けたとしましょう。どうなりますか。そうすると、次々と次世代が無くなり、今いる貴方もいないのです。
("心に沁みる話”だった。後で、皆であれこれ話し合った。先生は、何を話されようとしたのかと。そして、次のような意見が出た。)

*命の大切さ、重さ、尊さ、継続、を知れ、ということ。(ありきたりだけど)。いずれ凄い連鎖だとおもった。
*人間1代を25年として計算すると、10代で250年、20代で500年、40代で1、000年遡る。平安時代だ。奈良時代も、その前も、鎌倉も、戦国時代も、ボクの、私達の先祖は間違いなく生きていたのだ。
先生は、"万世一系”という言葉も使われた。"万世一系”とは、永遠に同じ系統が続く事で、明治憲法では天皇のこととされていた。天皇は、万世一系で尊く、国民を統治し、命令するのは当たり前、日本を支配するのは当たり前のこととされていた。
しかし、サッキ見たとおり、万世一系は、天皇だけではない、全ての個人が、人間が、そうなのだ。万世一系だから尊いという所謂「皇国史観」は、否定されるのだ。そういうことも言いたかったのではないか。
(皇国史観は、昭和天皇の"人間宣言”で明確に否定されたけれど、あの当時は・イマモ、残っている感じだった。皇国史観は、戦前、特に学校の教室で徹底的に"叩きこまれた”。しかし、皇国史観の否定は、戦後、教室で充分に教えていない。それも、間違った歴史観が残っている理由と思う。)

*そうは言っても、天皇は「特別な血筋ではないか」「尊い血筋なのだ」。一般平民とは、違うのだ。という考えもある。
しかし、同じ血筋で家を続ける、何百年も、何千年も続ける、ということは無理だ。
徳川15代間を見ても、途中からの「血の衰え」は明白だった。
天皇家も、「第120代天皇は、皇后を除いた5人のお妾に15人の子供を産ませたが、12人が3歳以下で死んでいる」。
「第121代天皇は、17人の女性を擁し、うち4人に6人の子供を産ませたが、5人が早死にし、満足に育ったのは、、、祐宮(さちのみや)だけで、のちに第122代明治天皇になった」。
「その明治天皇には皇后美子(はるこ)のほかに5人の侍妾がいて、男子、女子あわせて15人を産ませたが、うち10人が夭折(弱年で死ぬ事)した。内訳は即日死亡2、一年以内3、二年以内4、三年以内1。・・・」
(元宮内庁記者の御著書より)。「血の衰弱」は明白だった。
「血の衰弱」の原因は、一つには血族結婚を繰り返した事もある。
これを救うのは、「新しい血の導入」しかないのだ。
120何代(これも嘘とは思うけど)の血の連鎖を続けるには、過去に、3兆人以上が結婚し子供を産んでいる。
途中、「新しい血」も「古い血」も「高い血」も「低い血」もなくなるのだ。
「古い家柄」ほど、血筋は大衆化している、という逆説も成り立つのだ。そうでなかったら続かないのだ。
「平民だからけしからん」というような皇族がいたそうだが、(今もいるのかな)、マッタク馬鹿げているのだ。

③「日本は天皇を中心とした神の国だ」と言われた現役の政治家がいる。この考えが「皇国史観」なのだ、と思ったものだ。本気で今もそうおもっているのだろうか。いや、そういう政治家がいっぱいいたから「建国の日」も制定されたのだ。
・「神の国」についていえば、昭和天皇は、人間宣言を行なって自ら「現御神(あきつかみ)」を否定している。天皇が否定しているのに、他人が何故、天皇は神、というのだろうか。モリサンが天皇のつもりでいるのかな?
いずれ、まちがった発言であることは明白だ。
ボクは、「人間宣言」の原文を見たことがない。実は、次の本で少しわかったのだ。

中野五郎 遺稿 (元朝日新聞記者・1907-1972)
「君は第2次大戦をしっているか・教科書では学べない戦争の素顔」
 S57年・1982    (光文社)  ¥1,200

 御著書より P19
 (太平洋戦争の評価と反省)
・・・この天皇の「人間宣言」は、いわば「平和憲法」と抱き合わせの形で、戦後の民主日本の再建に、二大支柱とされたものであるが、近年どういうわけか、一般の戦争記録書などにも全く再録されず、以外なくらい、その原文に接したものが少ないようである。とくに、読者諸君の中でも、若い世代は、それを知らないのではなかろうか、と思って、つぎにその勅語の一節(昭和21年1月1日)を紹介しておく。
(原文はカタカナですけど、ひらがなにします=ボク)
『―惟(おも)ふに、長きに亘れる戦争の敗北に終わりたる結果、我国民は動(やや)もすれば焦燥に流れ、失意の渕に沈論せんとするの傾きあり。
詭激の風激しく長じて動議の念頗(すこぶ)る衰え、為に思想混乱の兆しあるは洵(まこと)に深憂に堪えず。
然れども朕は爾(なんじ)等国民と共に在り。常に利害を同じうし休戚を分かたんと欲す。
朕と爾(なんじ)等国民との間の絆帯(じゅうたい)は、終始相互の信頼と敬愛に依りて結ばれ、単なる神話と伝説とに依りて生ぜるものに非ず。
天皇を以って現御神(あきつかみ)とし、且つ日本国民を以って他の民族に優越せる民族にして、延て世界を支配すべき運命を有すると架空なる観念に基づくものに非ず』 (以下略)
(ずいぶん、威張っている、ね・・・。)

・次に「国の中心」とは、どういうことなのかな?と考える。
(あれこれ考え、観察したけれど、結局、国民から年貢、税金を徴収する権限を持った人がその国の中心になる。その年貢、税金を使って国を運営する人が国の中心になるね。これは、古代も中世も近世も変わらない。ボクの観察だけれど。)
天皇が、その権限を完全に握り、"国の中心”になったのは、日本の長い歴史の中でも大日本帝国憲法(1889年制定)下の約60年間だけではないのかな。この時は、天皇はなにしろ「主権者で神様」なのだから。この60年間に、天皇中心主義、皇国史観が国民に植えつけられた。日本が生まれた時から、ズーッと、天皇が「国の中心」だ、これからもそうだ、と。「君が代」の通りだ!と。何千年も、国民から「税金」を集め続けられる家族がいる訳がないのだ。捨扶持で生きたり、自分で働いて生活したり、物乞いをしたり、何千年間も家を維持するのは、中々大変なのだ。本当の所は、そんなところだと思う。
徳川の時代は徳川が、戦国の時代は各地の大名が、足利の時代は足利が、それぞれ、その時々の国の中心だったのだ。天皇といっても、徳川時代は徳川家の1万分の一も社会への影響力は無かった。中心ではなかった。
やっぱり、モリさんは間違っている。国会議員を辞めるべきだ。

④「君が代」「日の丸」の強制は、象徴天皇制を危うくする。
(「君が代」は、国歌に制定されたけれど、これを歌いたくないと言う人は、いっぱい居る。歌の内容が「主権在民」と相いれない。「日の丸」は侵略戦争のシンボルだった。僕も、子供の卒業式の時は、立たなかったし、歌わなかった。ある時から、学校の方も工夫してきて、「全員御起立をお願いします」と先に言い、何が始まるのかな、と思って全員起立すると、オモムロニ「君が代」の伴奏が響くようになったものだ。歌わなかったけど。)

・「君が代」「日の丸」の学校現場での強制とそれの拒否。拒否した先生方への教育委員会の処分。処分された先生方のこと、で考えた。また、「君が代」を受け入れた人たちのことでも、考えた。

・処分された先生は、東京都で408人を越えると報道されている。大変な数だと思う。処分されても「受け入れられない」ものがある、ということだ。先生方には、ご家族もおられる。友人、教え子もおられる。その方々の悲しみ、怒りは計り知れない。
怒りは何処へ向けられるのだろうか。一つは、行政当局へ。「強制してはならない」事を強制しているのだ。
もう一つは、「君が代」、そのものへ向けられるのではないだろうか。忌まわしい天皇制の存在よ!と。
先生方を処分した役人は、やがて定年を迎え、なにくわぬ顔をして生活を送るのだろうが、「君が代」は何の弁明も出来ず、憎しみの目にさらされ続けるのではないか。歪んだ皇室報道が国民の間で読まれ続ける原因は、ここら辺にもある。「君が代」の圧迫に対しての鬱憤晴らしだ。

・さらに、もう一つ。「君が代」を受け入れ、「歌の世界」を信じるようになった人達が増えたらどうなるのだろうか。
学校で「この国は、天皇の世の中だ。美しい国だ。」と教育によって思い込まされるのだ。
その人たちがやがて社会へ出る。一部の人は、成功して「君が代」の通りと思うだろう。
しかし、99パーセントの人は、社会の矛盾に気が付く。貧困、格差、就職難、大量失業、自殺者の増加、衝動殺人、努力しても報われない社会に。
この社会を創ったのは、誰なのだ。第一に現在の政治の責任だ。大企業と癒着しきった政治の責任だ。
しかし、この国は、「君が代」でもあると歌ではおしえたではないか。政治的権能はなくても天皇もこの社会を創った責任の一端はあるのではないか。強制してまで「君が代」と教えたのだ。天皇にも責任があるのではないか?と考える人は出てくる。

・この人達は、天皇を見ても(テレビで)、楽しまなくなる。むしろ不機嫌になる。現にそういう人は回りに居る。若い人に増えている。ボクは、「君が代」の強制は、悪い結果として現れてくるように思う。
・天皇の生活費は、国家予算から出ている。その中には、国会の監査の及ばない部分もある。
「君が代」の強制は、天皇制に対して疑問を持つ国民を増やす。内廷費とか宮廷費とか皇族費とか、そこらへんを追及する国民が増えると思う。(これは別問題でもあるけれ)。
・「君が代」の強制は、天皇を「国民統合の象徴」ではなく、「国民分裂」の何かにさせてしまいつつある。
その点からも、強制は憲法違反で、間違っていると思う。

⑤象徴天皇制の未来
・ボクは、日本国憲法を守り、生かしていく立場だ。
当然「象徴天皇制」も守る立場になる。

・昭和天皇と比べると現在の天皇、皇后は、ズーット明るい。
昭和天皇は、テレビで見た感じだけれど、周りを暗くしていた。神憑り的、大権的なものがあった。表情から見ても、一般大衆には、あまり関心を持っていなかった。むしろ、大衆を警戒しているようなところがあった。
・現在の天皇、皇后は、その権威を自からの努力で築こうとしているように見える。
大衆の前に姿をさらし、ありのままを見せて、「尊敬できる人は尊敬して」「愛せる人は愛して」と、
何時の日か、皇室がそう言えるようなったら最高だ、と思う。

*ヨーロッパの王室は、国民との関係がより緊密だと言われる。
それは、一つに、第2次世界大戦中、王室は国民と共に団結してファシズムと戦い、ナチスと闘った伝統を持つからだ。
日本の天皇制との大きな違いだ。

・しかし、日本でも憲法9条を守り、平和憲法をまもり、この憲法を尊敬する政府が出来たならば、日本の天皇制もヨーロッパの王室に近いものに発展するように思う。
戦争をしない国、軍隊を持たない国、平和の国の象徴になるのだ、と思う。


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February 23, 2009

やはり、今週も新聞が一番だった。

2009年2月8日(日)
1週間を振り返る。映画も観たし、落語も聴いた、"集い”にも出た。
でも、一番頭に引っかかっているのは、新聞だ。
(しんぶん赤旗)
1月31日(土) 志位委員長の(衆議院本会議)代表質問
2月 1日(日) 主張「赤旗」創刊81周年 "希望と勇気を運び続けて”
2月 3日(火) 市田書記局長の(参議院本会議)代表質問
2月 6日(金) 衆議院予算委員会 志位委員長の質問
          (4日に行なわれた基本的質疑の内容)
        4,5,6面 3ページに 掲載。
       「派遣切り を止めるために政治はあらゆる手段をつくせ」
2月 7日(土) 
 「くらし、福祉、雇用まもる都政をつくるために都議会での日本共産党の躍進を訴えます」
  2009年2月6日 日本共産党東京都委員会
ーーーーーーー
(朝日新聞)
2月3日(火) 3ページ
「この危機、文明の転換期」
"ドビルパン前仏首相(55歳)インタビュー(パリ=国末憲人)” を読む。

"世界の共存 正義の理念こそ必要”
・(世界は)前例のない規模の危機だ。「困難な時期を乗り越えればまた景気がよくなる」という日本のバブル崩壊のような危機ではない。
・長期的な「構造危機」だ。いまは文明の転換点だからだ。
・この10年間は、ブッシュ政権とネオコンによる「力の支配」だった。・・・これは成就しなかった。
新たな理念はなにか。私は「正義」であるべきだと考える。

"イラク戦 フランスは「ノン」通した”
・イラク戦争を巡る私たちの闘いは、結果がどうであれ遂行しなければならなかった。、、、戦争がおきた時、それが国際的なお墨付きを得たものでないことを明確にする目的もあった。

(2003年だったかな。ドピルパンさんの国連演説には、日本人の誰もが拍手をしていた。テレビに向って。)

"オバマの米国 協力の時代へ”
・オバマ政権誕生(諸々)その大きなチャンスだ。ただ、それですべては解決しない。「正義」の存在が不可欠だ。

"日本と中国 未来築く関係を”
・(イラク戦での)政治的歴史的に難しい日本の立場はよく理解していた。重要なのは、当時の経験から教訓を引き出し事だ。
・国際社会が中国と関係を持つ際、日本の役割は極めて重要だ。
・(地域のリーダーに必要な資質は) 歴史と地理、文化をふまえつつも、新しい関係を築く自由な発想だ。伝統と新しさ、正当性と独創性といった相反するものの融合だ。これら二つの間の境界を乗り越える能力こそ、世界が必要としているものだ。  終
ーーーー
*短いインタビュー記事の中で、政治、外交、経済、文化、文明、歴史、宗教、あらゆることが縦横に語られている。ドピルパンさんは、現在55歳とある。国連演説のときは、48歳であられたわけだ。

ふと、ふりかえり、日本の政治家を考える。ドピルパンさんと対等に話し合える方は、誰だろうと。
総合力で考える。そして、思い当たったのだ。

(日本共産党)
・不破哲三 さん
・志位和夫 さん
志位さんは、年齢ではドピルパンさんより下かな。しかし、おもしろい対談になると思う。ドピルパンさんは、フランスの保守本流の政治家と思われるが、外交、国連、歴史認識などでは、志位さんの主張と共通するものがあるように思う。

(自由民主党)
年齢順に
・中曽根康弘 さん (なんといっても)
・こうのようへい さん
・よさのかおる さん
・かとうこういち さん
・ますぞえよういち さん

ここらへんまでだなー。全員60歳以上だ。部分部分の問題ではお詳しい方はいるけれど、総合力となると、、、。
この党は全体、おいも若きも人と人との関係の中で立ち回っている人が多い感じを持つ。

(民主党)
・えだ さつき さん

かいえだばんり さん もおもしろい。
かんさんは、国会などで厭味たらたら追及するときはよく目立っているけれど、文化とか歴史認識などで体系的、系統的に話をしたのを聞いた事がない。咄嗟の判断とか、行動は優れていると思うけど。
――――――

*南部兵は精強だ。守って精強だ。
 九州兵は精強だ。攻めて精強だ。
 (日露戦争の時のトウゴウゲンスイのドクハク・適材適所で人を用いたと古老から聞いたことがある。)

・攻める民主党が小沢一郎さん(岩手) 守る自民党が麻生太郎さん(九州)。
そのためか二人ともヘマばかり。
麻生さんのことは誰もが味噌糞に言っている。早く国会を解散してくれ。
小沢さんも国会解散の予想屋のようなこと言わない方が良い。9月まで解散を引っ張られたら、政治家として致命的な打撃になるのではないか。選挙で勝ったとしても。大衆行動でもやって、国会を解散に追い込むべきだ。

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February 15, 2009

不破哲三さん(日本共産党社会科学研究所所長・前中央委員会議長) と 益川敏英さん(2008年ノーベル物理学賞受賞)の対談・「しんぶん赤旗 日曜版」・を読む。

2009年2月1日(日)
・しんぶん赤旗日曜版・1月25日号と2月1日号
2回続けて不破哲三さんと益川敏英さんの対談(素粒子のふしぎから平和・憲法9条まで)が掲載されている。
(これは永久保存版)
・1月25日号
先ず、お二人の写真、向って左に不破さん、右に益川さん。お声を発した直後かな。笑顔で。あじわいふかいものがある。読む人も一緒に笑っている。

(1月25日号)
不破: はじめまして。テレビで、お人柄も含め、いろいろな側面から拝見しているので、なんだか旧知のような感じがしております。(笑い)
益川: 私も新聞紙面上ではよく存じ上げております。(笑い)
不破: 、、、私は、湯川秀樹さんが日本で最初にノーベル物理学賞を受賞した1949年に素粒子論にひかれて(東京)大学の物理学科に入ったんです。、、、。
(調度、60年前になるんだ、と思う)

(*見出しをお借りします)
"物理学との出会い”
"物質の階層性”
益川さん 「この道志したのは坂田先生の新聞報道」
不破さん 「物理の危機に解決策示したレーニン」
"6種類のクォーク”
不破さん 「理論が新段階に発展するのは・・・」
益川さん 「何台加速器壊すんだ・・・(壊したら気が済むのだ)」と冗談交じりに言われたものです。
"科学の方法論”
益川さん 「"なぜか”を説明するのに神様に頼るのは好きじゃない」

(2月1日号・益川 & 不破対談 下)
"科学者は社会にどう向き合うか”
益川さん 「被爆者の先輩の話にじんと」
・・名古屋大学の研究室の先輩に澤田昭二さん(名古屋大学名誉教授)という被爆者がいます。
・・中学1年生の時に原爆投下にあい、お母さんの家の下敷きになった。火が燃え広がってくるけれども、どうしようもない。お母さんが火から離れろというので、泣く泣くその現場から離れた。そこで終わっているんですが、じんときました。
不破さん 「社会の知的土台づくりが大切」
"自然の弁証法”
"クォーク 色と香り”
"貧しい教育予算”

益川さん 「人類の歴史は必ず進歩。私も9条の会で貢献を」
  
                                (終)
――――
*9条・平和運動について語るとき、不破先生よりむしろ益川先生の方が熱心になる。
(翌日の朝日新聞夕刊でも、益川先生は話しておられる。「9条がおびやかさられる情勢になったら、研究より平和運動に軸足を置く」。)
物理について語るとき、益川先生よりむしろ不破先生の方が熱心になる。
この対照がおもしろい。
(不破前委員長は、エンサイクロペデイストだ。それでなければ、党首は勤まらないと思うが。)
ーーーー
*物理学の力と云うか、学問の力を政治の世界ではじめて感じたのは、不破哲三さんの国会質問でだった。
1974年1月29日・衆議院予算委員会
(放射能問題・日本分析化学研究所による原潜放射能のデータ捏造事件)だった。
質問者     不破哲三 委員(日本共産党)
政府側     田中角栄首相
         山中 防衛庁長官
         中曽根 通産大臣
         徳永 運輸大臣
         三木 環境庁長官
         森山 科学技術庁長官
         田宮 科学技術庁原子力局長
予算委員長  荒船せいじゅうろう (自民党)

不破哲三
 不破哲三国会論戦集
  (新日本出版社) 1979 ¥1,500
  P257 - 300  に詳しい。
(35年前になるのか)
あの迫力と緻密さ。ボクは、仕事中だった。タクシーの中で聞いていた。
タクシーの運転手さんが、「気持ちいいなー。すごい質問っすねー。」と話しかけてきて、意気投合したものだ。
(不破質問後の新聞社説ー御著書からの孫引き)
「放射能監視への信頼性回復を」(讀賣)
「原子力開発に不安残すな」(毎日)
「測定体制を立て直せ」(東京)
「科学技術軽視の姿勢を正せ」(毎日)
「許せぬ科学技術庁の失態」(サンケイ)
「分析化研事件が残した課題」(朝日)
「公害分析機関の信頼性を高めよ」(讀賣)
「放射能分析新機関の必須条件」(日経)
「問題データを見抜く体制つくれ」(毎日)
「隠された公害と"検査”」(東京)

*不破質問後、1年余に渡ってアメリカの原子力潜水艦の日本寄港は、ストップしたのだ。
学問の力、共産党の力、を実感したものだ。
―――――――――――――

・同1月25日号に、「中谷 巌 一橋大学名誉教授ー小渕内閣のブレーン」へのインタビューも掲載されている。
著書多数・最近「資本主義はなぜ自壊したのか」を現し、注目されている。
"「構造改革」まちがいだった・資本主義にルール必要だ。”
(日本のリーダーのお一人と思う。お立場はあるが、国民を裏切る事はない方、と思う。)

ーーーーー
・同 5面 「カンブリア宮殿」(テレビ東京、19日)・志位和夫委員長がゲスト。インタビュアー 村上龍さん(作家)
小池栄子さん(女優)
日刊「赤旗」・1月21日(水)(4)面には、主なやりとりが掲載されている。
1月19日、夜10時・ぼくは、この日は12チャンネルの同番組を見た。いつもは、報道ステーションを見ているのだが。
(村上龍さんは、限りなく透明に近いブルー、から何年経ったのだろう。若若しいなー。小池さんは、ご結婚されたせいか、ますます美しい。話が見事に噛み合っていて実におもしろかった。)
ーーーーー
・同2月1日号 (36面)
作家 天童 荒太 さん 登場。
「悼む人」で直木賞 受賞
"命に軽重つける世界問う”

       

 


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February 07, 2009

ヴァイオリン「尾崎羽奈」を聞く。

2009年1月24日(土) 午後8時・水月ホテル鴎外荘(台東区)

・知人と新年会を行なう。食べ話す。

・8時30分・ヴァイオリン演奏が始まる。尾崎羽奈さんと云う方だ。この演奏は想定外だった。
客全員が食べ、飲み、話しこんでいる。
尾崎さんは、雑音を気にも留めず演奏を始められた。
「G線上のアリア」
(会場が少しずつ静まる)
「津軽海峡冬景色」(石川さゆり)
(な、なんと、、。演歌だ。どよめく。終わって盛大な拍手)
「タエスの瞑想曲」
(・・・静寂・・・良い曲だ。)
計4曲弾かれた。
・尾崎羽奈さんは(どんな方だろう)。いずれ実力者だと思った。
ーーー
*話す。四方山話を。
・1月3日(土) NHK教育テレビ夜11時30分「悲劇の島チェジュ・済州島4・3事件・韓国建国前夜3万人の島民が命を落とした・・・」の話。私も見た。
R(チェジュ出身)さんのお話: 4・3事件の年、ボクは14歳だった。
・毎晩、窓から外へ出て行く叔父さんがいた。朝帰ってきて、窓から入って寝ていた。叔父さんは、4・3事件の時、処刑された。お父さんは、処刑ではないけれど早く死んだ。
・事件の後、お母さんが言った。男の子は日本に行きなさい。戦争が始まるから。女の子は私と一緒にいなさい。女は軍隊に取られないから。男の子の内の一人は、北へ行きなさい。戦争が始まっても、誰かが生き残れるから。
・僕は兄と二人で、大阪にいるもう一人の叔父さんを頼って日本へ来た。本当はお母さんと一緒にいたかったけれど。
・日本では、色々な仕事をした。東京へ出てきたのは学校へ入るためだった。定時制高校を卒業した。法政の二部へも通った。卒業は出来なかった。胸を悪くして入院したんだ。足立区の病院へ入院したが、先生方に良くしていただいた。本もこの頃一番読んだ。
・僕達にとって、「祖国」とは共和国だ、と思った。南の政府は、アメリカの傀儡政権だ。アメリカと一緒になって我々を弾圧したのだ。「共和国」は、自力更生で社会主義国家を建設し祖国を統一すると思った。「チョンリマ運動」とか、祖国へ貢献したいと思った。「そうれん」へ加入し、活動をしたね。
・1974・5年ごろだったか、朝鮮総連の副議長が北へ行った。議長、副議長というと、特別の権力を持った人だ。それが、そのまま帰らなかった。ボクも個人的にも知っている人だった。今も消息は分らない。(おそらく生きてはいないだろう)。NHKの例の番組の中にも、済州島の南労党の幹部が北へ行って、そのまま帰らなかった、と云うシーンがあったけれど、ぼくはあれを見て、思い出したんだ。
・ボクの兄は、母の言いつけ通り北へ行った。日本の学校を卒業してから行った。北で結婚もして子供も出来た。
総連の主な人は、全員、家族の誰かを"祖国”へ送っている。子供を送ったり、兄弟が行ったり、北で学校を卒業した人もいる。拉致問題など、色々あるけれど、総連関係の人は何も言えないね。人質を取られているようなものだもの。
・ボクの母が死んだ。100歳を越えるまで生きた。ボクはガマンできなくて葬式へ行った。約50年間、一度も故郷へ帰らなかった。親不孝だよ。泣いたよ。親戚が集まって。色々言われて。警戒されて。でもね、僕たちは日本で手続きを取って南へ行くと自動的に「韓国籍」になるんだ。以前は、それを"裏切り”という人がいたんだ。今は、それ程ではないが。
・葬儀から帰って、半年後、「北」から連絡があった。ぼくの兄が「事故で急死した」と。驚いた。
日本の学校での成績も良い優秀な兄だった。北でもそれなりの仕事をしていた。日本へ一度だけ来たけれど、随行のガードマンがいて兄弟でも自由に話ができなかった。それが最後になった。
それから半年後、その兄の長男が「急死した」と連絡してきた。僕の甥だ。会った事はないが兄から写真を送ってもらっていた。家族3人の写真もある。良い家族だ。良かった、と思っていたんだ。
・何があったんだろう。何が起きたのだろう。まさか、ボクが母の葬儀へ行った事と関係があるのではないか。
3人死んだんだ。あれこれ考えて、寝られないんだ。いま、病院へ通っている。
ーーーー
・「拉致被害者」の家族の方々には、深く同情している。
でも、何も出来ない。申し訳なく思っている。
ボクは思う。「北」は(拉致した人の)「調査」などは全部終わっている。調査などするまでもなく、いつも全部把握している。
事実を突きつけられても、「拉致問題」だけでは、北は動かない。
・(上手く言えないが)北は、「行動対行動」、これだけを基本にして日本を見ているね。
・日本政府の能力が大切だ。今年は山だと思うね。

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February 01, 2009

荒川区日本共産党後援会・2009年 新春のつどい・(in 下部温泉) 開催される。

2009年1月18日(日) 
・荒川区日本共産党後援会「2009年 新春の集い」が、山梨県の下部温泉「下部ホテル」で開催された。
参加者は、バス8台、約270人。ホテルの2階大ホール洋式会場へ全員集合すると、さすがに壮観だった。

・午前 7時30分 斉藤くに子区議会議員事務所前へ我が単位後援会は集合、バス1台、35人で出発。
・午前 9時10分 中央高速・談合坂サービスエリア着、休憩。荒川区後援会全体と合流、バス8台になる。
・午前10時10分 「道の駅 なるさわ」着、休憩。「富士山博物館」を駆け足見学する。
・午前11時30分 下部温泉「下部ホテル」到着・直ちに「集い、懇親会」へ入る。

(新春の集い)
*高月 昭 区後援会事務局長の挨拶
・予定より早く到着しました。ご協力に感謝します。
伊藤文雄予定候補者、区議会議員6人は壇上へお願いします。
(伊藤、相馬、斉藤、横山、小島、小林、亀井、7人壇上へ進む。―拍手―)
・本日の実行委員長、阿部龍男後援会副会長の開会挨拶をお願いします。

*阿部龍男 実行委員長の開会挨拶
(メモ)
・斉藤クニ子区議地域後援会会長・区後援会副会長の阿部です。
厳しい情勢の中での年明けとなりました。
商売、生活、老後、子育て、どの分野でも苦しくなったと区民は言っています。
自民党と公明党の政治を変えなければならない、どのように変えるのか、これが問われる年です。
・本当に国民本位の政治へ変えることが出来るのは日本共産党だけです。日本共産党の躍進を目指して、今年は熱い闘いの年になるでしょう。
本日は一大決起の場としましょう!
(拍手)

*野口 淳 荒川区後援会会長の挨拶
(メモ)
・新年おめでとうございます。
盛大な"新春の集い”となりました。共産党後援会を誇りに思います。
命と暮らし、平和、生存をかけた闘いの年になりました。日本共産党の出番の年です。
志位委員長の新春インタビュー、旗開きでの発言を積極的に受けとめ闘っていこうではありませんか。
・昨年、党と後援会は一体となって、区議補選、区長選をたたかい、当選には至らなかったのですが、大きな成果がありました。
今年は、衆議院選挙、都議会選挙が行なわれます。伊藤文雄予定候補は、この1年半全力で活動をしています。私達は、この奮闘に応えなければなりません。東京選挙区で2議席以上、伊藤候補の押上を勝ち取ろうではありませんか。
・生活は政治です。政治への参加、政治の改善なくして、私たちの生活の向上はありえません。
共にがんばりましょう。
(拍手)

*相馬堅一 共産党荒川区議団長の挨拶
(メモ)
・日本共産党荒川区議団を紹介します。
横山区議、小島区議、斉藤区議、小林区議、安部区議、そして私、相馬です。
私は、地区委員長代行も兼務しています。ご挨拶申し上げます。
・昨年末から大企業による派遣切り、期間工切りが相次ぎ、国民の間に怒りが広がりました。
日比谷公園の派遣村には、住居をなくされた方々が500人も集まり、年を越しました。
これに多くの人がボランティアに参加し支えました。募金も多く集まりました。
・輸出大企業は50社で内部留保を200兆円もため込んでいます。それが、簡単に労働者の首を切りました。
大企業への怒りを感じると共に、日本もまだまだ捨てたものではない。助け合いの精神は生きている、とそのことを感じた正月でもありました。
・麻生内閣は、支持率で20%を切りました。不支持はさらに増えています。
国民へ痛みと、ガマンを押し付ける政治をいつまでも続けさせるわけには行きません。
この政治を打開する道はどこにあるでしょうか。二大政党制では打開できません。
日本共産党の躍進こそが打開の道です。日本共産党への国民の期待は高まっています。テレビ、新聞でも取り上げられています。
・今年は、衆議院選挙、都議会選挙の年です。荒川区の昨年の区議補選では、当選には至らなかったのですが得票率は21%でした。これを全都的に獲得したとすれば衆議院の比例で3議席を獲得できます。
伊藤文雄予定候補の押上を計り、東京比例での2議席、3議席をかちとりましょう。都議会選挙で勝利しましょう。
・次の衆議院選挙で自民党は勝てないでしょう。しかし、民主党中心の政権になったとしても安定する事はないでしょう。また、選挙が必要になります。
国民の命、生活、雇用を守る政権が出来るまで政治的動揺は続きます。
いま、日本共産党と後援会の力を蓄える必要があります。
・後援会の会員数が1万人を突破しました。これを1万5千人の会員にしようではありませんか。
・日本共産党への入党を呼びかけます。どうか、党に入ってください。
共産党を大きくして、よりましな政治を創って行こうではありませんか。
(長い拍手)

*伊藤文雄 衆議院予定候補の挨拶
(メモ)
・総選挙の年です。14区から私を押し上げていただき、比例区で東京から2人、3人の議席を与えてくださいますようお願い申し上げます。
・この1年半の候補者活動で、約5,000軒を訪問し対話しました。街頭での宣伝活動は1千回を超えました。
1月3日には、日比谷公園の派遣村へ行きボランテイアに参加しました。20代、30代の青年までが失業し住居まで失っている現状に怒りを覚えました。また、連帯の力も実感しました。
・先日、錦糸町のハローワークを訪問し、所長に会い、話を伺いました。
平均1日700件の申し込みがあるが、正月になって1千件を突破していると話しました。
自営業だった方が廃業し、その本人、家族、従業員が相談に訪れるケースが増えているとも話しました。
・政治と行政の力でこれに対処していかなければならりません。
日本共産党は派遣切りに反対し、雇用確保に全力で取り組みます。
都議選、衆議院選挙で共産党躍進のため応援をよろしくお願いします。
(拍手)
ーーーーー
・ビールと酒をのむ。鍋、刺身を食べる。話し、歌う。
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*「下部ホテル」・フロントうえの額を見る。英字だが墨汁で次の様に在る。

"Wellcome,Fellow Traveller,Here’s Rest for the Weary Best.”
 NITOBE

・NITOBE とは「新渡戸稲造先生です」と係りの方に伺う。 
・昭和何年だろう。新渡戸稲造先生が逗留されたのだ。
ーーーーー
*ホテル内の展示コーナーを見る。

・下部ホテルさんへ
 方遍路を 右に左に 下部の湯
               裕次郎

・痛みとれ 別れ惜しむか 下部の湯
                 裕次郎

 昭和36年7月25日
ーー
石原裕次郎さんが事故で足を骨折され、このホテルで療養されていたのだ。
女優の北原みえさんと結婚された直後の事件だった。47年も経つのだ。
写真他、大切に展示されている。
ーーーー
*庭を見る。句碑がある。ホテルを利用された方々のものだ。

・百枚の 浴衣を干すも 花の中
                   素十

・春惜しむ 花も過ぎたる 山の湯に
                  俳一座

・この行や 花千本を 腹中に
                  虚子
ーーーーー
良い所で、良い集い、を持った。
ーーーーー
*西富士道路から富士インター、東名高速で帰る。
途中"白糸の滝”を見学する。富士山が裾野から頂上まで見える。雪の富士山だ。
冬の"白糸の滝”と、見事だ。

この上に 如何なる姫の おわすらん
おだ巻き流す 白糸の滝
                源 頼朝


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