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March 2009

March 27, 2009

講演・「年越し派遣村の意義と教訓、雇用問題の打開を」(井上 久さん・全労連事務局次長)を聞く。

2009年3月5日(木)・サンパール荒川・満席

(荒川区革新懇・総会)

*記念講演
講 師  井上 久 さん (全労連事務局次長) 

演 題 
 「年越し派遣村の意義と教訓、雇用問題の打開を」
  ―大企業中心から内需主導・国民本位の政治・経済への転換ー

(レジュメとメモ)
*はじめに
米国発の不況の深刻化ー外需頼みの日本経済を直撃(しています。)
冷酷・非道な派遣・期間工切りから、雇用破壊の全面的な深刻化(をまねいています。)
中小企業・業者も(困難に直面しています)・・・。地域経済の疲弊を招いています。
国民的な運動によって(この困難を打開する事が求められています。)

1、年越し派遣村はどうして生まれたのか。
・派遣きり、期間工切りに合った労働者が各地で組合に相談にきました。そして、その人たちが組合を結成して行きました。
派遣法の抜本改正を求める12・4野音集会を大きく成功させました。
派遣きり、期間工切りに合った人たちは、住む家が無いという人たちが多くいました。
「目の前の一人を救わなくていいのか」という発言が弁護士さんから行なわれました。
(正直言って、やっかいだなー、という気持ちもありました。)
役所も閉まる、年末年始9日間。その方々を寒風に放り出すわけには行きません。
派遣法抜本改正を求める共同行動の有志、労組メンバー、弁護士で(年越し派遣村)実行を決意しました。
これは、新聞、テレビでも報道されました。

2、日比谷公園にテントを張り、派遣切りの赤裸々な実態を訴える。
・仕事を失えば直ぐ寮を放り出されるという実態を赤裸々に示すものになった。社会問題化した。
政府・厚生労働省の目の前にテントを張り、改善を訴えた。
「派遣法抜本改正を求める共同行動」の有志で実行委員会を立ち上げ、慌ただしく準備作業に入り、記者会見は12月29日午後に行なった。直後から、電話が鳴りっぱなしになった。
・私も全労連の一員として参加した。連合からも、全国ユニオンへ100万円のカンパがあり、相談員が派遣された。
労働組合の共同が進んだ。

3、年越し派遣村の具体的な経過
・12・31開村式(村民希望者・70人 ボランティア300名、マスコミ100名)。
・入村者が相次ぎ、最終499人になった。交番で聞いたと言って電話をかけてくる人、村民になった人が一番多かった。
全国から支援物資が届いた。ボランティアが溢れるほど集まった。
・炊き出しと簡易宿泊(テント)設置を行なった。相談活動(生活、労働、就職、慰労など)を行なった。
ボランティアは、良く働いた。(表現上問題があるかもしれないが)まるで、軍隊のように、黙々と働いた。
・その場で、生活保護申請を作制したり、面接のための履歴書なども準備した。
・厚生労働省と交渉した。当初、「警備上の理由」で開放を渋っていたが、1月2日夜、講堂を開放した。
1月5日  国会請願デモを行なった。
1月5日から12日まで、厚生労働省と東京都が体育館など4箇所で派遣村の人達を受け入れてくれることになった。
・宿泊・食事とともに、相談窓口(ハローワーク、生活相談、不動産相談)を設置した。
生活保護では、2日間で申請した人全員の保護が認められた。
・1月12日ー 再度実行委員会で派遣村の人達を、旅館に集団宿泊(2/4まで)してもらう事とした。
援助活動を継続し、生活保護等に取り組み、法律家市民団体と共に、相談体制を充実させた。
・1月15日 緊急シンポ「やっぱり必要 抜本改正 年越し派遣村からの大逆襲」を開催した。

(印象に残っていることが多くある)
・医療体制が重要だということだ。
派遣村へたどり着いたという人には、極端な栄養不足と云う人が多かった。疲労で倒れる人が相次いだ。相談をしている最中に意識が薄れる人が相次いだ。
つくづく、酷い状態に置かれていたのだと、実感した。
・心と体のケアが必要だ。心の問題は特に大切だ。心をやられている人が多くいた。

・派遣村の村長を勤められた湯浅誠さんは、その後も「もやい」で活動されている。現在も1日の相談で100件を超える時もあると聞いた。

4、年越し派遣村の教訓と課題
(1) 教  訓
・派遣切りの切実な実態を赤裸々に突きつけたことが世論を作り、政治を動かした。
・ナショナルセンターの枠を超えると共に、国民的な共同・ネットワークを作り出した。
 法律家や野宿者支援等の市民団体との共同、広範なボランティアとの協力がすすんだ。
・生活保護を制度本来の活用方法で運用させ、生活再建のルーツとして広く認知させた。
・(まだ不十分だが)総合相談窓口の端緒をつくり、その重要性を明らかにした。
・社協の緊急小口貸付資金の特例的活用などで、公的資金援助の必要性を示した。
・(首を)切られて急迫状態になる前の運動が決定的。派遣切りをさせない国民運動が必要だ。
・派遣法抜本改正の必要性を明らかにし、改正論議のステージを引き上げた。

(2) 課  題
・年越し派遣村は、パイロットケースであり、全国で地域に根ざした総合相談の体制、そのためのネットワーク作りが喫緊の課題だ。
・年越し派遣村が広げた生活保護などの運用を特例に終わらせず、全国共通の基準として定着させること。
(今回、302名の生活保護受給が決まっている。)
・派遣切りを許さない闘いを徹底して強化し、ストップをかけるとともに、行政にシェルターの設置と総合相談窓口を設置させる運動を展開する。
・この流れを加速し、派遣法の抜本改正や雇用保険制度の改善などの運動に連動させていく。
・労働相談を通した労働組合結成への流れを加速する。
(派遣切りに係わる相談から、全労連関係だけでこの間60を超える組合が結成されている)

5、派遣切り等の相談には運動上の観点も加えた柔軟・挑戦的対応を
・まず、生活実態を聞き、その再建への援助体制を確立する。
緊急避難の宿泊体策、生活保護などの活用、緊急小口資金や自治体の援助資金の確認をする。
生活と健康を守る会や市民団体、地方議員などとの協力体制の確立が必要。
医療上の問題をかかえる人も多いので、民医連などとも協力する。
・まだ、寮などにいる場合には、そこでの生活の継続を基本に交渉する。
・期間途中の契約解除は違法、明白な法違反。
・期間・契約社員や派遣等を繰り返していた場合にも解雇できない。
・期間満了の場合も、実質的な常用代替の場合には挑戦的な対応を。
・労働組合加入を勧める。組合員になる事が解決の近道になる。
・福祉事務所やハローワークなど行政の活用も積極的に行なう。
・雇用保険を受けられる場合や不払い賃金がある場合もある。良く聞くことが大切。

6、雇用と生活を守る国民的運動を地域から巻き起こそう。
・貧困・生活危機突破の大運動を。
今こそ求められる国民的な総反撃ーカジノ資本主義の失敗のツケを労働者・国民に添加させない。
新自由主義の全面的な破たんー大企業の社会的責任追及と内需拡大の政治への転換を。
解散・総選挙ー労働者、中小企業に犠牲を強いる政治を転換する。

①派遣切り、首切り・リストラ許さない取り組みのいっそうの強化
宣伝の強化、大企業との闘い
労働組合に組織し、交渉・申告ー共同をひろげ、何でも相談体制を全国に確立する。

②派遣切りにあった労働者への支援・救済体制の確立
支援のネットワーク作りー全県・主要都市での一時避難所(シエルター)の設置と総合窓口の開設。
生活保護の活用と、雇用保険の改善はじめセーフティネットづくりを。

③派遣法の抜本改正など、雇用破壊の大本を絶つ
派遣法の抜本改正は喫緊の課題ー雇用は期間の定めの無い正規雇用を原則に、有期契約そのものを限定していく。

④地域から日本経済の再生、雇用創出の運動を
カジノ経済の民主的な規制の強化
内需中心の日本経済への転換
地域から雇用創出の大運動を

⑤労働組合は国民との共同を広げ、雇用と賃上げの攻勢的な運動を
異常な長時間労働を規制し、時短、賃上げこそ、雇用創出、内需拡大の最大の道、
労働組合の役割が問われる09春闘で、国民的な運動の先頭に!
(拍手)

(会場からの発言・質問など)
男性: 
講師の先生には、大変ご苦労様でした。私はカンパを少ししただけで、何も出来ないで、申し訳なく思っていました。今のままなら、派遣村は今年も、来年も、何回もやらなければならなくなるのではないでしょうか。
派遣業は、昔は「人貸し業」と言われていたと思います。やめるべきだと思います。

男性:
テレビを見て泣いていました。私達は何をできるのだろうか?と考えました。私はまだ働いています。労働組合の作り方などを教えてもらいたいと思いました。

男性:
派遣村は、正月休みでコタツに入りながらテレビで見ていました。申し訳なく思います。
テレビでは、菅さんとか、マスゾエさん、大村さんとか派遣村で写っていました。
政党との関係はどうなのでしょうか。
ワークシエアリングが盛んに言われています。大企業は採用するのでしょうか。やっていけるのでしょうか。

男性:
大企業の内部留保のことが取りあげらるようになりました。
経団連などは、そのことにどのように対応しようとしているのでしょうか。

*井上 久 先生(全労連事務局次長) の2回目の発言
(メモ)
・どういう方々が派遣村へこられたかを観てみますと
①期間工、派遣切りで仕事を失った人です。工場で上司に呼ばれて首を切られたと云う人もいました。そして、すぐ寮もおい出されたという人です。ピンはねも行なわれていました。
②登録型の労働者の方々です。建設、日雇いの方々です。持ち金がなくなり路上生活を余儀なくされていたと云う方々です。
③雇用保険切れの方々です。中高年の方々が主です。自分の病気、家族の病気が重なり、借金をした。一度つまずき、ころげると落ち続けてしまう、と云う方々です。自分の責任ではないのです。
④しばらく前からのホームレスと云う方々も来ました。その人たちは言っていました。今の派遣切りは「自分の10年前とおなじである」と。

*「派遣業」「人貸し業」、呼び方は色々ありますが、はっきりしている事は、大企業が労働者を良いようにこき使って、良いように切り捨てる制度だ、ということです。この制度は、大企業の要求で時の政府がつくったものです。

*労組と政党の関係ですが、従来にもまして共同が進んだと思います。
菅さんもテレビに写りましたが、共産党の小池晃さん(参議院議員)は、お医者さんということもあり、医療ボランティアで参加されました。新しい労働組合も60以上結成されました。

*非正規の労働者問題は、労働組合でも大きく取り上げるようになって来ました。
ワークシェアリングの問題は、率直に言って難しい内容を含んでいます。日本型のやり方で、うまくいかないのではないか、と思います。

*経団連へは、抗議行動などで何回か行っています。内部留保問題では、何も言わなくなっています。
全体、我々(労働組合)とは、やりとりが無くなっています。しかし、行動に効果がないと云う事ではありません。

中曽根康弘元総理大臣ですら、「企業経営者はけしからん!」と言っています。
署名な経済学者は、現在を「ガン化した資本主義、CANCER資本主義」とよんでいます。

*地場産業を育てる事、農業の重視し、内需拡大を図る、雇用創出を。
国民経済の再生が必要です。


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March 24, 2009

映画「英国王 給仕人に乾杯!」 を観る。

2009年2月29日(日)
「英国王 給仕人に乾杯!」 = 1月に観た。日比谷で見た。

監督  イジー・メンツェル
原作  ボフミル・フラバル

*笑って、少し悲しい気持ちになり、シンミリして笑わせられる。
チェコ人の深い気持ちと、チェコの国の長くて平坦ではない歴史を思う。

*主人公 ヤンさん(イヴァン・バルネフ)。体格の小さい方だ。ホテルマンとして生きる。
小回りが効いて、頭がよくて、愛嬌があって、皆に好かれる。
大概のことは、受け入れて逆らうことはしない。少し、無節操とも思ったものだ。

「英国王・・・・」とあるから、女王陛下が出るのかと思ったが一度も写らなかった。
「私は英国王に給仕した」、ことがある、と云う「給仕長スクシーヴァネク」(マルチン・フバ)が出てくるだけだ。
でも、この給仕長、ナチスの将校への対応の時は、見ていて面白かった。ドイツ語とチェコ語が。
しかし、何故、このタイトルなのだ。
ヨーロッパの中のチェコ、チェコ人、、。ということか。

*開けっぴろげだ。性の描写は。
ナチスの「優生学研究所」がプラハにあったというのも、始めて知った。優秀なドイツ人の子孫を残すための研究所で施設だ。ゲルマン民族の女性を集めていた。屈強なドイツ人兵士が通っていた。信じられないような本当の話だ。実際、ここで生まれた方々が現在も生存しているのだ、と後で聞いた。

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March 17, 2009

発言09 「恐竜」資本主義の断末魔 ― 作家 五木寛之 さん ―。

2009年2月22日(日) 
「しんぶん赤旗」へ、またまたまた、ビッグネーム登場。―五木寛之さんー。
・ブンカホウソウでの、ミノモンタさんとの対談も聞きました。2年続けて。
(いつきさんは)お声と写真と文章とが、見事に美しく100㌫、一致される方だと、赤旗を見ながら、思いました。
(ちょっと付け加えますと)
・ラジオを聞いていて、アナウンサーの方を、いつもどんな方かと、色々想像していますね。
昔「ほんきでどんどん」という番組があって、かじわらしげる、さんというアナウンサーがいらして、ボクは、きたおうじきんや、さんとか、かとうごう、さんとかをイメージしていました。すばらしくて。
また、天才といわれていた、よしだてるみ、さんは、(NHKの)たかはしけいぞうさん(故人)を想像していましたね。
・いまも、みやたてるさん、とか、よしながさゆり、さんを想像しながらきいていますが。
・本物を見たいような観たくないような。テレビも良いですが、ラジオもいいですね。
ーーーー
・五木寛之さん(作家)
1932年福岡県生まれ

(1面) 発言 09 
(内容)
「恐竜」資本主義の断末魔
・いまの政治、経済の状況や社会システムの崩壊について、、、「人間の魂の大恐慌が始まっている」、、。
近著「人間の覚悟」を書きました。
・いまの経済混乱を、麻生首相は「2,3年」、経済学者も「4,5年」かかるといっています。それは実感と違う、納得できませんでした。(資本主義の)周期的なリフレッシュ(循環)ではない。私は「その十倍の50年は続くのではないか」と思っています。、、、、
・根底から、従来の価値観が大きく揺らいでいるのです。
その様子を私は、「資本主義という巨大な恐竜が終焉の時期を迎え、断末魔の叫びをあげながらのたうちまわっている」と比ゆ的に表現しました。日本では十年連続で(自殺者が3万人)を超えています。この「恐竜」の犠牲になるのは、働くものであり、地球上の弱小の動・植物です。

*間違った政治
・高齢者の親を病気入院させても3ヶ月たつと「転院してください」と追い出されます。・・・
介護の現場では、あまりにも悲惨です。過酷な労働、収入が少なく、絶望して職場を去って行く人が後を絶たないでしょう。
・介護関係者の給与を50%くらいアップし、特別の資格を与える、必要な長期入院・看護もできる。そのくらい、国の予算規模からしても十分可能ですし、すぐやるべきです。医療現場でも、産婦人科や小児科の医師不足も手がうたれていません。・・・・・
・そんな現実を告発し、国民の不安と怒りを新聞・テレビなどのマスコミがなぜしっかり報道しないのか。メディアの退廃は極に達しています。私もメディアの中にいる一人として忸怩たる思いがあります。

*蟹工船の最後
・私は1966年に小説『演歌』を書き、「演歌は未組織労働者のインターナショナル」だと書きました。・・・・
・昨年来、「派遣きり」や非正規労働者の困窮化が問題になってきました。100年前に書かれたマルクスの『資本論』の内容の正しさや賃金、剰余価値などの用語が再び浮上し、「搾取」「組織」「闘争」などの言葉が違和感なく使われ出しました。
・小林多喜二の『蟹工船』が若者に読まれ、冒頭の「おい、地獄さいくんだで!」がいまの気分にぴったりくる。しかし、できるなら最後の「彼等は、立ち上がった。-もう一度!」まで通読してほしい。
・河上肇『貧乏物語』、横山源之助『日本の下層社会』等もっと読まれていい著書です。

*頼りは仲間の人垣
・「人間の覚悟」と私がいうのは、「判断は悲観的に、行動は楽観的に」ということです。・・・・
・いまは、「鬱の時代」です。これは、「鬱々」という漢字が「草木が茂る」「霊気の盛んなさま」というように、今は時代の大転換の可能性のある時代なのです。明けない夜はない。
・コリン・ウィルソンは、「口笛を吹きながら夜を行け」と言った。感性を磨いて楽しもう、弱気にならず頑張っていきましょう、というメッセージです。
*時代と「宗教」
・現在、新聞小説「親鸞」を連載中ですが、地震、凶作、内乱というひどい不安と飢えの時代に、「遊びと笑い」を忘れなかった雑草のごとき民衆を描こうと思っています。
・蓮如らの時代は、武士も百姓も階級、身分を超えて平等に語り合い、助け合う小さな細胞のような「講」が地下茎の如く全国に出来て、講と講のネットワークで情報交換がなされ、戦国の世まで持続しました。・・・・
・日本にも国家を超えた自主的な組織の時代があったことに注目したい。

・日本共産党の入党者が増えているそうですね。それを、一時的な僥倖とするのではなく、必然の流れにしなければなりません。
・21世紀は、科学的社会主義(マルクス主義)の思想と政党にとって、宗教をどう扱うかが大きな課題になるでしょう。・・・・
・一方で、『蟹工船』が読まれ、ドストエフスキーの作品が読まれている。・・・いずれにしても、科学と宗教は、親の敵のように背を向け合うものではないと考えます。
将来、日本共産党が政権を担うとき、病める時代に生きる「迷信と祈祷」とは無縁な、人間の心にかかわる宗教問題は、避けて通れないのではないでしょうか。
(聞き手:澤田勝男  写真:縣 章彦)
――――――――
(やっぱり、色々考えたり、思い出すことがある。)
「判断は悲観的に、行動は楽観的に」。
そして、「口笛を吹きながら夜を行け」=明けない夜は無い。コリン・ウィルソン。
・そよ風のような、つむじ風のような、メッセージだ・・・。と、思った。
ぼくも、そのようにやって行く。逃げる事は、しない。
ーーーーー
・自殺者か。
ぼくの友達でも、小学校の時の、まさし、中学校の時の、トク、高校では、ヨシオ、年下では、みつ。さっと思い出すだけで4人もいる。(普段は、思い出さないようにしているけど)。数年前だけど、田舎で、先生(定年退職されていた)も、そうされたんだ。
一人一人事情はあるし、時期も違うけれど、考えると嫌になる、、、。
終わってから、ああすれば、こうすれば、と(自分も含めて)言うだけだ。
自己責任で済まされている。特に自死は。
ーーーーー
・小説「演歌」(1966年)のこと。この年、私は東京へ出てきた。
新聞配達をしながら、江戸川区小岩で「サークル石ころ」の活動を始めた。
会員の"アク”君は、自宅でご両親とプレス加工の仕事をしておられた。中卒ですぐ働いていて、お花見に誘ったら参加して、それから毎週土曜日の夜の例会へ出席するようになった。
忘年パーティを行なった。喫茶店を借りて、20人位の参加だった。ビールを飲んで、お喋りをして、やがて一人一人余興をすることになった。
アク君が立ち上がった。普段は無口だ。何を始めるのか?と皆が思った。彼は歌い始めた。
北島三郎の「なみだ船」だった。搾り出すような声だった。皆聞き入った。3番まで何も見ないで歌った。拍手を受けて、はやされて、次に「兄弟仁義」を歌った。
村田英雄の「人生劇場」「みなのしゅう」「王将」と次々に歌った。
終わってから、アク君はあいさつした。「仕事をしながらラジオを聞いていて覚えたの。人の前で歌うのは始めて。すごく気持ちがいいよ。ありがとう。」
みんな、感心して、感激した。
ーーーーーー
「宗教」「信仰」について。
・僕達地方出身者にとっての「宗教」というのは、「家」と結びついているように思う。
子供の頃の「宗教」は、生活上、習慣化していて、「宗教」とは思っていなかった。
東京へ出てきて、「あー、そうだったのか」と思い出している。今の生活にどのように生きているのかは、まだ分らない。ゼロではないが、宗教とまでいえるのかどうか。子供の頃の習慣を東京まで持ってきて行っている人は一人も居ない。個人の信仰にまでは、なっていない。
・祖父母、両親が、一番鳥か二番鳥の鳴き声でおきて(夏と冬で違う)、まず、必ず、最初に、一日として違えずやることは、神棚のがらがらを鳴らす事。かしわ手をうつ。僕達の目覚ましだった。その次に、仏壇に水とご飯を上げて線香をあげてチーンとする。合掌する。起きたら、ボクタチも必ずやらされたものだ。習慣だった。意味は分らなかった。
百姓というこもあって、規則正しい生活であったことだけはたしかだ。
・年間行事(正月、盆、彼岸)、と法事は厳格だった。
お寺へ行くと、祖母も母も、畳に額をつけていた。
・でも、不思議な事が何回もあった。
お寺などへ行って、帰る時、皆なしんみりしていると、
祖母(明治22年生)は必ず言った。「神仏は頼るものにあらず!」と。
厳しい表情だった。言葉だけを覚えていて、意味はまだ良く分っていない。というか、深く考えてこなかった。


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March 10, 2009

発言09 「日本、おかしいのやないか」 臨済宗相国寺派管長 有馬頼底 さん。

2009年2月14日(土)
「しんぶん赤旗」 1面・ (表題) 有馬頼底さん インタビュー記事を読む。

2月8日(日) しんぶん赤旗日曜版 の1面には、品川正治先生(経済同友会終身幹事)のお写真が掲載されている。全身の。腕組みをして。睨んでいて。
これは、「鍾馗様」(しょうきさま)だ、と一瞬思った。子供の頃、掛け軸デ見た。髭もじゃで、衣冠をつけ、腰の剣に手をやり、睨んでいた。おっかなかったな。
どこが似ているのだろう。凄みかな。

・有馬頼底先生は、5百羅漢で見た、羅漢様だ。
素通りしようとすると、金縛りにあうようで、これもおっかない。
(記事の内容)
・今の日本、おかしいのやないか。そう思ったら行動する。私も日本国中で、しゃべりまくっています。
・北海道のお墓のお堂の例大祭にゲストで俳優の菅原文太さんもいらした。武部さんを見つけると「一言言いたい。後期高齢者とは何事ですか」とあいさつされた。
・トヨタは奥田さんも社長も存じ上げています。「奥田さん、まずいよ、あれは(派遣切り)。ちゃんとしなさいよ。しっかりとあなた方は退職金、もらっているじゃないですか」と申し上げたんです。
・資本主義の悪いところがどんどん出てきてますよ。おごり高ぶったアメリカを見てみなさい。大変な事態になってるじゃないですか。
・ブッシュはんが金閣寺にお越しになったとき、・・・「ブッシュはん、世界は平和でないとだめです」と申し上げた。じっと下を向いたまま。十秒程して顔を上げて「イエス」と。当たり前じゃないですか。
・人間、虫けらまでもこの世の全てのものに命の輝きがある。お釈迦様がお悟りになった「山川草木悉皆成仏」ですね。殺してはいけません、だけでない。「生かしなさい」なんです。
・憲法9条、大切ですね。日本が変な方向に行ってほしくない。だから今こそ声に出して言わないとだめなんです。これがいかに大切なことか。
・その点、はっきり物を言うのは「赤旗」さんだけですね。
・・・・応援しますよ。
――――――――――
(読んでいて、色々な事を思い出し、いろんなことを考えた。なんか、心が広々してくるね。)
○故郷の和尚さんを思す。曹同宗で、ボク達が子供の頃から同じことしか言わない和尚さんだけど。
「いいんだ。いいんだ。」「おじいさんとおばあさんを忘れんな。」
「いいんだ。いいんだ。」「父さんと母さんを忘れんな。」
(ボクが東京へ出てきてから)
「いいんだ。いいんだ。どこでなにをやっててもいいんだ。」「先祖を忘れんな。」
*子供の頃は、口真似をしたり、なまぐさ(スミマセン)なんて、陰で皆で悪態ついたものだ。この年になると、寅さんの心境だ。日夜反省しています。重たいね。

●田母神俊雄さんには、有馬師はなんと言って声をかけられるのだろう、と考える。

・田母神氏は、航空幕僚長時代、「日本は侵略国家だったのか」という懸賞論文を発表し、憲法を否定し、第2次大戦に対する政府見解を否定する言動を取り、「定年退職」させられた方だ。政府は処分はしなかった。
その後、テレビなどで見かける。講演なども活発に行い、「停滞していた改憲運動の再起を促す火付け役」をになっているようだ。
「田母神氏らは、使命感を持って、日本の侵略戦争を正当化・美化し、9条の撤廃を訴える。この教化を第二の戦場と位置付けるのである。」(猪飼隆明大阪大学名誉教授・赤旗より)
・田母神論文の内容は、「歴史家有志の見解」にもある通り、目新しいものはない。「遇劣で」すらある。

(田母神俊雄前航空幕僚長の言動、政府の対応、氏の身の処し方ー特に「退職金は受け取りますよ。生活がくるしいですから。」ーを見たり聞いたりしていて、ボクはまた思い出したことと、考えたことがある。)
①1960年代後半、大学で暴れまくった「全共闘運動」の幹部連中を思い出した。
彼らは、「ポツダム自治会粉砕!」「大学解体!」「自己否定!」「かくめい!」を叫んで妄動を繰り返した。ところが、(ボクの通っていた法政では)、就職説明会に「全共闘の連中」が来ていて、真面目に説明を聞いていた。何か変だなあと思った。しかし、まだ可愛いものだった。
「東大全共闘」の中核部隊は、「医学部の青医連」だった。彼らは、「国家試験のボイコット」を主張していた。機動隊の導入等等があって医学部から、かなりの逮捕者が出た。1969年、医師国家試験当日。東京拘置所は特別のはからいを行い、彼らに試験を受けさせた。試験ボイコットを主張していた「全共闘」も受験した。
一般逮捕者だったら、当局がこういうことを行なうことは、絶対にない。不公平だ。いい加減なもんだ、と思ったものだ。
田母神氏は、公務員でありながら、「憲法否定」の言動を繰り返したが、何の処分も受けなかった。他の省の公務員が同じことをしたら、やはり処分を受けないのだろうか。防衛省だけは、「憲法否定」が許されるのだろうか?と云う疑問が残っている。

②田母神氏は「幕僚長」だったし、「使命感」は人一倍強いものがあるに違いない。良くも悪くもだけど。
テレビ等で拝見すると、やや神経質的表情から甲高いお声で意見を述べておられる。内容は、自衛隊出身の大学教授が既に話していることと変わらない、との印象だった。しかし、気持ちだけは全面に出ていた。
浜田精一防衛庁長官は「武士道の国の自衛隊」と言って、イラクへ自衛隊を送り出した。田母神氏は、防衛大学校で教育を受け航空自衛隊のトップにまで上り詰めたその武士道の代表選手なわけだ。

・ボクは、ここで「武士道」の著者"新渡戸稲造”の言葉を思い出す。
"西郷隆盛の書いたものに「人を相手にせず、天を相手とせよ。天を相手として自己を尽し、人を咎めず自分の誠の足らぬ事を考えよ」という句がある。
また曰く「命もいらず、名誉も金もいらない人は、始末に困るものである。始末に困る人でなくては、困難をともにして、大業を成しえられない」とある。
つまりこの始末に困る人こそは、天を相手にする事のできる人であろう。”

*田母神氏が注目を集めるのは、その論文とか講演の内容が新鮮で「レベル」が高いからではなくて、その肩書きによるもの、に見える。現役時代からの「かがやかしい名誉」によるもの、にみえる。
厳しい批判の中、退職金は「生活が苦しいですから」とちゃっかり受け取っている。
本当に「武士道」なのかな?と疑問が残る。

・新渡戸稲造は、朱子学者の言葉を引用して次のようにも言っている。
「すべて学問をしようとする者は初めに徳を積むことを志し、その後、書を読むべきである。そうでなければ徒に書物などの見聞をふやすだけで終わる。それは傲慢となり、不正をうまく飾るようになる。いわゆる戦争にことよせて財を増やすようなことであり、充分に注意しなければならない。」

(*懸賞論文を募集したアパグループって何者だ。ホテル産業で、平和産業のようだけど、、、。先々は、何かとツルムこともある、、、。そんな計画もあったのではないか。)

*和尚様のお話と云うのは、(学問をしないものにとっても)この徳に係わる事だから大切だと、いつも思っている。

③田母神氏は、しばらくは注目を集めても「大業を成し遂げる」方とは見受けられない。
しかし、心配なのは現役時代、自衛隊の幹部学校、防衛大学校で、反憲法、日本の侵略戦争肯定の教育を組織的、系統的に行なって来たという事実だ。これを受け入れている幹部がいるのではないか。そして面従腹背を通し、時期を待っているのではないか。
自衛隊に反憲法の教育を行なうということは、どういうことか。選挙運動や議会活動を行なって憲法を変えろと教えるとは考えられない。結局、持っている武器を使えなどということになるのではないか。はっきりそう言わなくても、結局そう思われてくるのだ。
三島由紀夫事件が起きたのは、1970年11月25日だった。三島ほか「盾の会」メンバー計5人が市ヶ谷の自衛隊へ乱入し益田兼利総監を人質にし立てこもった事件だ。
あの時、三島由紀夫は、「自衛隊は10・21(国際反戦デー)のとき、いったい何をしていたか。すぐに憲法改正に決起せよ!」と演説している。あの日は、臨時国会開会の日だった。(国会占拠を計画していた、とボクは思っている)。結局、失敗して三島、森田が自殺した。失敗したのは、幸いに自衛隊内に呼応するものがいなかったからだ。少しでも内応者がいたら、大惨事になっていたと思う。
ボクの中学時代の同級生は、三島事件の時、一隊員として市ヶ谷自衛隊内にいた。除隊後の同級会で、言っていた。
「あの時(三島事件の時)、実弾を込めて警戒に当たった。命令だった。いいか、ああいう時、絶対に自衛隊なんかに近づくなよ。」(彼は、除隊後大型バスの運転手をしている。もうすぐ、定年だ。)
三島には、あせりがあった。
田母神氏の言動を観ていると、三島事件を思い出す。
田母神氏と彼に連なる一連の方々の行動は、国民も警察もきちっとマークする必要がある。
三島事件の時は、警察は学生運動と労働運動だけをマークしていて右翼団体の行動には甘かった。その間隙を付かれた。
現在も、警察は反戦運動や共産党のビラ配り、雨宮さん等の反貧困の行動などは、厳しく取り締まるが、右翼団体、改憲団体へは甘いように思われる。

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