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April 2009

April 30, 2009

講演・「都議選をめぐる情勢と3月都議会の論戦」(曽根はじめ 日本共産党都議会議員・都議団政調委員長) を聞く。

2009年4月10日(金)・サンパール荒川・午後6時30分・参加者 200人超超満員
「総選挙、都議選勝利/企業・団体献金をなくし、暮らしを守るまともな政治の実現を/
都政と党を語る決起集会」
主催: 荒川区日本共産党後援会/日本共産党荒川地区委員会

*曽根 はじめ 日本共産党都議会議員(都議団政調会長)の講演
演題: 「都議選をめぐる情勢と3月都議会の論戦」

(レジュメとメモ、記憶)
○はじめに・・政党の存在意義が試される情勢と都の予算
・不況の下、都民の雇用・暮らしの破壊がすすんでいます。それにどう立ち向かうか、その政党の存在意義が問われています。
・石原都知事は、「構造改革」を国より早く手がけてきました。「構造改革」は破綻し、都民の怒りをかっています。政党は、それにどう答えたでしょうか。

(1)福祉・医療・教育を全国最低にした石原・オール与党
①福祉を全国2位から44位に転落させました。
・石原都知事は、福祉を「ぜいたく」よばわりしました。資料を見てください。民生費・老人福祉費の全国の比較表です。金額は、都は1965億円と全国1です。しかし、全予算の中で占める比率で見ますと、2,85%で、全国47位です。ある事情から17位の時もありました。(障害者福祉年金)これを実施していました。これを入れると17位でした。これは打ち切りになります。それで、47位です。
・99年に都知事に当選して、石原さんは「財政危機」を言い、「財政再建」を言い、福祉10事業など740億円をカットしました。シルバーパス、マルフク、等を廃止しました。
・99年2位だった都の民生費は、06年度全国44位(普通会計決算)になりました。

②「年寄りは金持ち」論で高齢者福祉を狙い撃ち
・高齢福祉費は、全国2位から47位へ落ちました。
・渋川で老人施設が焼け、悲劇が起きました。福祉切捨てのしわ寄せは、老人へ押し付けられています。
特養ホームが不足しています。公立の特養ホーム、施設は満杯になっています。
生活保護の方だったんですが住所は区内にあるが、私立の案内に頼って渋川の施設を利用していたことも明らかになりました。
・「無届け老人施設」は、分かっているだけで都内に103箇所あります。「貧困ビジネス」です。
これに役所が協力しているようなものです。寝たきりのお年寄りに、(一人当たり)生活保護費、住宅、介護費、他で40数万円必要です。業者は、これを自分のものにしています。
基準も何も無い施設です。世田谷のある施設を調査しました。4LDKの部屋で10人を預かっていました。一人2畳のスペースをカーテンで仕切ってあるだけです。電灯は部屋に一つだけでした。窓の無い人がいます。24時間、ここで過ごします。経営者とヘルパーの会社が同じでした。ぼろ儲けをしています。
荒川区では、都外の施設に37人の方々を送っています。
介護に「自己責任論」、「応益負担方式」のやり方を持ち込んだ結果です。
業者の中には、真面目な方もいます。しかし、真面目な施設は成り立たたない、という実態もあります。
*共産党は、特養ホーム用地費はじめ支援強化、介護負担軽減、75歳以上医療費無料化を主張しています。
日の出町では、すでに実施していることです。

③福祉・医療版「構造改革」・・・矛盾ふきだし"手直しも”
・認証保育所の偽装登録・突然の閉園ーーー構造欠陥で"規制強化”へ
民間企業へ補助金を出して、保育園を運営させる、このやり方は以前は無かったことです。
荒川区の「ジャングル保育園」、他区ですが「ムック(保育園)」では、保育士が偽装登録されていました。
「ハッピー保育園」は、27園閉鎖する、と発表しました。
構造的欠陥があります。強い批判を浴びました。
石原都政は、かつて「認証保育所は中心的保育園」と言っていましたが、今は言わなくなりました。
代わって「認証保育所と認可保育所は、車の両輪」と言うようになりました。

・"墨東の悲劇”受け、"医師冷遇”から医師確保に「改革」を手直し
患者さんたらい回しの問題では、小竹都議が追求しました。医師不足解消、医師の待遇改善がどうしても必要です。
小児病院の廃止は許すことはできません。3,000人の子供を取り上げた病院をつぶすといっています。
3つしか小児科医院は残らなくなります。多くの都民が反対しています。デモが都議会へつめています。
民主党も反対に回りました。しかし、厚生委員会で、6対7で採択されてしまいました。
しかし、反対の世論は盛り上がっています。
*都議選へ向けて、共産党は「小児病院存続」「周参期医療」、「医師・看護士確保」「認可保育所増設」を訴えます。

④全国最悪だらけの東京の教育
・(石原都政は)少人数学級を、言葉では言いながら実施は拒否しています。30人学級の実現は「オール与党」の方々は、他県では賛成しています。東京では反対しています。千葉県の自民党の県議の方の話ですが、「東京は、まだ40人学級ですか?チバでは、現在35人学級です。25人学級を目指しています」。こう話しておられました。
・学力テスト、学区自由化 - 競争主義を先導しています。
・「日の丸・君が代」の強制、教育内容への政治介入、教職員の監視・抑圧ーさらに強めています。
最近、東京高裁で、「養護学校での性教育」問題で(一部都議の行為と教育委員会のやり方は)違憲であると判決がでました。都のやり方は、政府による教育の支配へ行き着く問題だと思います。
*日本共産党は、08年度予算からの減額分133億円で、30人学級をスタートさせよう、と要求しています。

(2)オリンピックを口実にした浪費的公共事業を礼賛
①オリンピック招待事業の浪費と癒着
・都の(オリンピックに関する委託事業の)9割近くが「電通」へ流れています。招致補助分も7割が「電通」です。
オリンピック招致運動で、大阪は50億円で失敗した。東京は(成功させるため)150億円を使う、そのようにも言われています。
4月14日からIOC委員会が来日します。歓迎の幟が商店街へ掛けられています。このポスター、コマーシャル、全て都の予算から出ます。その85%が「電通」へ発注されています。随意契約です。
開催が決定されたら、今の10倍からの予算が立てられ使われます。企業は、まる儲けです。
電通の現会長は、30数年前(1975年)、石原さんが(当時の美濃部都知事に対抗して)知事選へ立候補した時、石原候補の応援団でした。その頃からの付き合いです。
・世論調査で、東京都民の70%がオリンピック招致に賛成している、と発表されました。
この調査は、ヤフーに委託して行われたものです。インターネットでの調査なそうです。1000人の調査です。
(正確といえるでしょうか?)。60歳代、70歳代(比較的インターネットから離れている)、方々の意思も入っているのでしょうか。カットされているのではありませんか?
ヤフーは、(オリンピック招致)協力会社になっています。その会社へ委託し、その会社が調査したものです。
(客観的調査といえるでしょうか?)

②9兆円の浪費・半分は「3環状道路」へ
・「10年後の東京」の随所に「3環状道路効果」
(石原都知事)は「東京の街を立派にしたい」と言います。そのために、「高速道路」「空港」「港」の建設、整備を言います。3環状道路の必要、を言います。
(都民の暮らしを立派にしてこそ、立派な街だ!と言いたい。都知事には、それが出来ていません。)
「東京の10年後」=これをデザインした方は、建築家の安藤忠雄さんです。安藤さんは、今、招致活動をしている東京オリンピックの建物他も、委託されデザインしています。
(オリンピックを理由にして、諸々の道路工事を一挙に進めようとしています。)
・「外環道路」は1メートル1億円。
圏央道の工事を強行し、高尾山へトンネルを掘りました。
八王子城の湧き水が出なくなった。水枯れがおきた。滝が止まった。そのようなことが起きています。
八王子市長が業者を呼んで「トンネルのせいではないか?」と聴取しています。
その道路は、1m1億円です。130メートル分で、30人学級は実現できます。740メートル分で福祉予算をまかなえます。
*オリンピック基金は4千億円あります。浪費の見直しも必要です。溜め込み財源もあります。これを都民の生活、福祉に使うべきです。
800億円あれば、75歳以上の老人医療無料化を実現できるのです。(拍手)

(3)トップダウンと税金の私物化に追随する感覚麻痺
(新銀行東京の問題です。)
①新銀行破たんの責任をなすりつけ、3度目の税金投入の道
・新銀行東京にかんする「調査報告書」は、いわば"お友達”に頼んで作ってもらったとでもいいたくなるようなものでした。最初から知事と都幹部の責任を不問にしていました。
・都は「中小企業支援」の融資制度を作る。条例を作る、と言ってきました。都下の信金、銀行を通じて中小企業へ融資を行うという制度です。しかし、よく調べ、聞き取りを行ってみたら、破綻している新銀行東京へも都からの融資を行えるようになっていました。
都議会での追求に対して、産業労働局長は「そういうつもりは無いが、曽根議員のご指摘のようなことが無いとは言えない。」と答えています。
都知事の裁量で、歯止め無く、乱脈融資の不良債権を肩代わりできる条例の仕組みでした。
・「慎重に検討」と言いながら民主党は賛成にまわりました。自民、公明は手放しで礼賛しています。
*新銀行東京は、都民への被害を抑えるためにも早期破たん処理を行うべきです。都知事とその側近は退職金を返上せよ!と訴えます。

②築地市場の豊洲移転問題、三宅島バイクオートレース問題など「オール与党」は知事追随になっています。
・豊洲では新事実も明らかになっています。--「有楽町層」に新たな破壊箇所があり、深部に汚染拡大の疑いがあることです。
*築地市場の現地再整備と仲卸等中小業者を守ることを主張します。

③「オール与党」自身が税金の無駄使いを行っています。--海外視察、政調費など。
・この間31人の都議が「海外視察」を行い、一人平均189万円を使っています。行き先の多くが観光地になっています。
・視察の報告書に学術論文の盗用も行われていました。これは、新聞、テレビでも報道されました。
*都知事の無駄使いをオール与党は、批判できないのです。

(4)悪政追求と要求実現での党都議団の奮闘
①繰り返し提案で、子供医療費無料化、学校耐震助成の実現、を勝ち取る。
②雇用・失業者対策での幅広い成果
・50万人の公的雇用
・失業者、ネットカフェ難民相談窓口(休日・夜間も)
・都営住宅臨時提供・特別就職面接会・都臨時職員募集と賃金改善
(公明党は「失業者への都営住宅提供は困難」と攻撃していた。しかし、実現した。)
③今期18回の政策条例を出し、14年目の(予算)組み替え提案を行いました。
(拍手)

(会場からの質問)
*男性(60歳位)
新聞で読んだのですが、石原都知事が集会で「(認証保育園問題で)共産党のバカだけが反対している。」と発言していました。怒りを覚えます。バカとはどういう事なのでしょうか?

*曽根都議会議員の答え
石原都知事の粗暴な発言はよくあります。「バカ」とか乱暴なことを言うときは、追い詰められている時です。いつもそうです。
続く

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April 27, 2009

「特別展・平泉ーみちのくの浄土ー」展 を観る。

2009年4月9日(木) 世田谷美術館
「世田谷美術館」は初めて。広い公園の中にある。親しみやすい。
美術館入り口前。あっ!本郷新「わだつみの像」だ。参拝。
いつか、立命館大学内の「わだつみの像」にも参拝しよう。
「なげけるか いかれるか はたもだせるか きけ はてしなきわだつみのこえ」
(いかん、ユダンしていた。立ち直る。)
ーーーー
「死んだ人々は、還ってこない以上、生き残った人々は、何が判ればいい?
死んだ人々には、嘆く術もない以上、生き残った人々は、誰のこと、何をなげいたらいい?
死んだ人々は、もはや黙ってはいられぬ以上、生き残った人々は沈黙を守るべきなのか?
(ジャン・タルージュ 渡辺一夫訳)
・「わだつみの像」の顔は、ロダン「考える人」の顔に似ている。「考える人」が立ち上がったら「わだつみの像」だ。今日は、そう思った。
ーーーー
「今から900年ほど前、藤原清衡が争いの続いた"みちのく(東北)”を平和にしたいと考えて、東北地方の真ん中(岩手県)に中尊寺というお寺をたて、まちを作りました。これが平泉です。」
(特別展 平泉 - みちのくの浄土 - ジュニアガイド より)
・世田谷美術館にふさわしい企画だ、と思う。

・金色堂西北壇・仏像11体(国宝) を観る。
この御仏は、全員、京都の仏さんだ、と思う。8等身で、顔が綺麗で、上品だ。
8人様は、目を閉じ、穏やかで安心だ。同じお顔。すこし、形式的すぎるところもある。
増長天・持国天は、眼を開き、片方の手を腰に片方の腕を振りかざす。仏敵と闘う。しかし、優雅だ。しばらく、実践から遠ざかっているのかもしれない。
阿弥陀如来様は、「私たちを見守り、死後も幸せに暮らせるように導いてくれます」。悟りきっている。
ぜんたい、「春の院展」(三越)のイメージだ。

・(みちのくの古代・みちのくの仏たち)
「持国天立像」「広目天立像」を見る。=4体あるが、これはそれぞれ凄い。天を飛び、地から湧き出したようなエネルギーがある。背も高い。迫力だ。武器、鎧、は中国製だ。関羽とか張飛だな。
ここの仏像の顔は、全体人間そのものだ。縄文系だ。土地の人たちの顔が入っているに違いない。

・「訶梨帝母坐像」(平安時代後期・12世紀)を観る。
左手に子供を抱く。いつの時代も同じ、と思う。慈愛に満ち満ちている。
雰囲気は「マリア像」と同じだ。キリスト教の。そういえば、みちのく青森には(へらいに)キリスト伝説があったな。

・「露盤羽目板(迦陵頻伽文)」・「金銅伽陵頻伽文華隻」(平安時代後期・12世紀)を観る。
「迦陵頻伽」は、極楽にいる鳥。美しい声で鳴くという。
これは、絶滅種の鳥に違いない。お釈迦様の時代に地上では絶滅したのだ。それで極楽で鳴いているのだ。


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April 26, 2009

美濃部民子展「色と線の抒情詩 ピアニシモ」 を観る。

2009年4月6日(月) ギャラリー山下(錦糸町)

展示会最終日・
日本アンデパンダン展には、「都市伝説ー境界侵犯」をだしておられた。
今回は、29点を展示。
建物、橋、線、街路灯、街路樹、窓、川、屋根、もある。いろいろなものが組み合わさっている。
・僕は、何か、空から街を見ているような気持ちになる。
・外国の町のような気もする。いや、一番近くの、街のような気もする。

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April 24, 2009

「生活と芸術ーアーツ & クラフツ展」 ウィリアム・モリスから民芸までーーを観る。

2009年4月5日(日) 東京都美術館 午前11時
・ウィリアム・モリス(1834-1896)
1861年  Mourris,Marshall,Faulkner & Co. 設立
1890年  Kelmscott Press 設立

・テーブルとかイスとか、グラスとか花瓶とか壁紙とか祭壇、菓子入れー日常品が美術に変わる。
(オレのような)田舎モノにとっては、「贅沢なことだ」、と思ってしまのだが、やっぱり、見とれてしまう。

・「ウィーンにおけるアーツ & クラフツ」コーナーでは、展示品が一段と豪華になったように思う。手がかかっている。「背もたれ椅子」とか「フラワーバスケット」とか。

・「生活と芸術」=知識人階級、富裕層だけではなく、労働者階級、全国民が美術を日常生活の「伴侶」とできるような社会を目的とした。モリスの偉い点は、ここだ。モリスは、それが実現するのは社会主義国家でのみ、とも考えている。

・製作者の気持ちって、どういうものだろう?
「売れるかな?」「使う人が喜ぶかな?」「驚くかな?」「分かるかな?」=全部混ぜこぜかな?


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April 23, 2009

「古澤 潤 展」 を観る。

年4月4日(土)  ギャラリー山脇(市谷)

Iraq Body Count  1. 死者の譜ー 2,189ー
Iraq Body Count II., 死者の譜ー 6,035-
Iraq Body Count  III, 死者の譜ー 9,270-
Iraq Body Count IV, 死者の譜ー35,119-
Iraq Body Count V, 死者の譜ー12,344-
Iraq Body Count VI, 死者の譜ー 7,814-
Iraq Body Count VII, 死者の譜ー 4,587-

*藤野 まゆみ (美術史家、美術評論家)
【死者の譜「Iraq Body Count 1-VII」(2003-2007)
 -- あたらしき絵画的エクリチェールの生成 --】より

・古澤潤は常に動いている。画家の心と眼は、いま眼の前にしている人のことも、情報として受け取る重要な社会問題も含めて、現実世界の動きに敏感に反応しながら、常に動いて歩いている。動き歩いている心が何かしらふと思いつく。それがむらむらとふくれあがって、彼のなかで像をむすび創める。とにかく絵筆をとり、まさぐるように地塗りしたキャンバスに筆を置きはじめる。その筆跡を見ながらイメージを確かめてゆく。
ひとしきり、その模索を重ねた後、何かの霊感に導かれたかのように、今までとは違う不思議な形象が少しづつ出来始める。その新たな形象に突き動かされたかのように、次の色や形が画家の筆先から現れては描きつがれてゆく。、、、、略、、、、、。
Iraq Body Count 1 (60 x 40) 2003年
画家は、赤新月社のサイトから送られてくる死者の数を一人、また一人と数え始めていた。
・・・彼は、死者のひとりを、一筆のタッチで描きつける。また一人の死者を記す。ひとり、またひとり、次にまたひとり、、、、、。
・・・彼は、一人の人の命が無意味に踏み潰されて、その人と繋がっていた妻や夫、兄、妹、従兄弟、従姉妹達、叔父伯母、友達、恋人、隣の小母さんや、向こうのお爺さんなどの誰彼が、次々と打ち砕かれて、そうして増え続ける命の喪失を、絵筆のタッチで一人、また一人と、刻み付けるように記録し続けずにはいられなくなった。それは、総数0000名ではない、一人ひとりの命がわけも無く生活からもぎとられたことの、悲しい、口惜しい確認である。・・・略・・・
・・・以下、画評「Iraq Body Count VII」まで続く。
・・・なみだが出る。フカク、、、。

*古澤潤先生をお見かけする。杖をおめしだ。お体をどうかされたのか?
しかし、このエネルギー、集中力、神業だ!



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April 20, 2009

「2009・第62回 日本アンデパンダン展」 を観る。

2009年3月30日(月) 国立新美術館(六本木)

「ごあいさつ」より
"ようこそ 第62回日本アンデパンダン展にご来場くださいまして、ありがとうございます。
アンデパンダン展は1884年パリで開催されました。それは、既成のあらゆる権威や名声、アカデミズムや商業主義の勢力に対峙して表現の自由と独立を高らかにうたった展覧会としてその後の画壇に大きな影響を与えました。
日本におけるアンデパンダン展は第二次世界大戦後、平和・民主主義・真の自由を求める広範な人々の運動と連動して、全く新しい形の美術団体として発足した日本美術界の主催で1947年第1回が開催され、以来62回を数えます。アンデパンダン展を彩ってきた作品は、その時代を見つめ、とりわけ勤労者、庶民の様々な姿や生活やたたかいをとうして、作家たちが感じ、創作し続け、映しとってきた歴史です。
・・・・・・略・・・・・   ”

・今日が、展示の最終日だ。第1室から第25室まである。3時間見た。見切れない。作者と思われる方々が、絵の前でグループで立ち話をしておられる。笑顔、渋い表情、深刻。晴れ晴れ。こちらも楽しめる。

・故 永井 潔 ー 「裸の父」「母」「トラクターのある納屋」「菜の花畑」「注湯」「久留米絣」「自画像」「黒いセーターの人」 を見る。
人が集まっている。先生は「左利きだったんだ」と自画像の前での声。厳しい表情でキャンバスへ向かっておられる。

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April 14, 2009

斉藤くに子(日本共産党荒川区議会議員)地域後援会総会 開催される。

2009年3月29日(日) 午後3時 ひろば館 満席

アベタツオ後援会長 の挨拶
(メモ)
・日本、東京、荒川の政治がどのようになっているか。テレビ、ラジオ、新聞などで分ると思います。
・私は斉藤区議が初めて立候補する時、後援会長を引き受け6期の当選を勝ち取って来ました。約24年間会長を務めてきました。今日の総会で退任します。新しい会長のもとで都議選、衆議院選挙を戦いたいと思います。
・今日のNHKのテレビ討論で、共産党の市田書記局長は「日本共産党は政党助成金は1円も受け取っていない」と発言しました。テレビ朝日、サンデープロジェクトでは、小池晃政策委員長は「5%の消費税を上げようとしている。共産党は絶対反対だ。」と発言しました。衆議院選挙は9月までには必ず行われます。麻生内閣、公明党のやり方でも、小沢民主党のやり方でも国民が幸せになることはありません。共産党の前進が必要です。伊藤候補の押上と比例区での(東京での)複数議席を勝ち取りましょう。
斉藤くに子地域での草の根の活動に力を入れようではありませんか。
・都議選は7月に行われます。
鈴木けんいち都政対策委員長が立候補します。バッジを付けさせて、新銀行東京の問題、オリンピック問題ほか、石原都知事と対決してもらいたいと思います。
・私は今後とも全力で共産党の躍進のため頑張ります。
(拍手)

*斉藤くに子 区議会議員の挨拶
(メモ)
・アベ会長へ感謝状をお送りいたします。そして、花束です。24年間ほんとうにありがとうございました。
これからのご助言、ご指導宜しくお願いします。
・新役員を選び、総選挙、都議選挙で勝てる体制を作って行きたいと思います。
・西松建設問題を見ましても、自民、民主は同じ穴のムジナの印象を持ちます。
荒川区では、日暮里駅周辺再開発事業を中心に超高層ビル、マンションが3棟建設されています。そこに西松建設も入っています。藤沢前区長は西松建設から100万円のパーティ券を買ってもらっていました。現区政には疑惑は無いのか、よく追求していきたいと思います。
(拍手)

*鈴木けんいち 都政対策委員長(都議予定候補者)の挨拶
(メモ)
・都議選挙は7月12日が投票日です。
・街を歩いていると、国、地方の政治はいったい何をやっているのか、との声を聞きます。
石原都知事は、オリンピック開催を計画して、そのため毎年1千億円積み立てるといっています。
築地移転もそのために行おうとしています。1964年のオリンピック当時は、開発が必要だったかもしれません。しかし、現在大開発は不要だと思います。
新銀行東京への税金投入、海外への豪華視察、税金の無駄使いを続けています。
・石原都政へのチェックには、どうしても共産党の議席が必要です。
荒川区での2議席を与党に占めさせておくわけには行きません。
私へのより以上のご支持をよろしくお願いします。
(拍手)

*斉藤区議会議員 二度目の発言
・現実的な話をさせていただきます。3月の区後援会幹事会で、区全体で15,000人の後援会員にしよう、と決めました。比率で計算すると斉藤地域の後援会員は、2088人に拡大する事が目標になります。現在1,631人です。1621人の後援会員で前回区議選では、1,820票の得票でした。2088人の後援会を作れば鈴木候補の当選も見えてきます。全力を挙げましょう。
(拍手)

*会員(女性・50歳代)の発言
・私は、介護ヘルパーの仕事をしています。うまく言えないのですが、聞いてもらいたいのです。
人工透析の人を見ています。前は2時間かけて見ていたのが、30分で済ませるようにと言われそうしています。
30分、千円で、それ以上は実費です。30分で体を拭いたり、着替えさせたりして、あと30分で家事、食事するように、と言われます。しかし、どんなに急いでも1時間15分かかります。超過した分は請求できない、と言われました。
・いつか、骨折したお年寄りの方が、骨が完全にくっついていないのに退院させられてきました。病院は、年寄りは早く退院させます。喉にチューブをつけたままでした。関係者に言われました。「介護するときチューブに気をつけてね。万一抜いたり、ずらしたりして病院から看護士を呼んだら、1回、1万5千円とられるのよ」。つらいです。

*キタ 新会長の挨拶
・アベ前会長は、荒川に歴史を作ってきた人です。プレッシャーを感じます。
しかし、会員の拡大を続け、都議選、衆議院選挙で勝利する後援会を作るため、会長として全力を尽くします。
・活動は、楽しいものしていくことを心がけます。世話人、会員さんと力を合わせ、どんな目標も突破できる会にしていきたいと思います。ご協力をお願いします。
・私は、民商で活動してきました。振り返ると、活動上の失敗も多くありますが、楽しいことのほうが多いです。仲間がいる。相談することもあるし、甘えることもある。それが力だ。活動とはそのようなものだと思います。
・来週は、「お花見会」も予定されています。大いに盛り上げていきましょう。
(長い拍手)

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April 11, 2009

映画「シリアの花嫁」 を見る。

2009年3月20日(金・祝日)
・(今日は)みのる君の1周忌だ。中学、高校と同級生で同じクラスで、彼は故郷の役場へ勤めていた。定年10日前に急死した。心筋梗塞。奥さん、ずーっと、泣いていたナー。
(ボクは、生きているよー!)。
でもねー、君も親しかった同級生で、色々問題を起こしたり、定年退職後アルコール中毒になったりした奴が出てきたりで少し心配しているんだ。奥さんとか、色々電話があってね。
「・・・大五郎を一日に一本開けるんですよ。・・・昼間から飲んで。・・・夜中に痙攣を起こして救急車呼んで・・・。入院はしてくれないし・・・。」
「これまで、はっきり言って順調でした。彼は、よく働いてくれるし。家も建てられたし。娘も二人、大学まで出して、就職もできましたし・・・。」、、、「それが、今になって。娘も職場でミスばかり起こすようになった。家に帰りたくない、と言うし」・・「何か、間違っていたのでしょうか。」(・・・どうしよう・・・)

*映画「シリアの花嫁」を見る。
(岩波ホール)

「もう二度と帰れない。それでも私はこの境界を越える。
イスラエル占領下のゴラン高原。若き娘モナがシリア側へ嫁いで行く一日の物語。
一度境界を越えてしまうと、もう二度と愛する家族のもとへは帰れない。
それでも、女達は未来を信じ、決意と希望を胸に生きてゆく。」
(案内のパンフより)

「若き娘モナ」=モナ、どこかで聞いたことのある名前だ、と思う。日本にもいたな。
(知人の高校生の息子殿、去年だったかな、学校の成績がガタット落ちて、その理由を"モナさんがテレビ、ラジオにでなくなって、何故だろうとソウゾウして、心配して、寝られなくて、勉強が手に付かなくて”、とか何とか言っったとか言わないとか、ご両親は本物の涙を流し、こちらは後で笑いすぎて(スミマセン)涙がでたりしたものだ。)

・ゴラン高原、イスラエル、シリアと聞くと、すぐ"戦闘”と思うのだが、映画の光景は違っていた。むしろ美しい、静かな景色、街、笑顔いっぱいの人々の顔があった。
モナさんは、若くて美しいが、地味な感じだった。最後のシーン。境界線を花嫁姿で踏み越えて行く。"規則、法律、手続き”を破って。ああっ!主人公だ!ひとりの。と思う。
そして、モナのお姉さん。妹の決意の行動を見ながら、涙と笑みの顔(すばらしい)で自分の道を歩んでいった。胸を張って、大きい歩幅だ。
・お父さんはモナに言っていた。「誇りを持て。信念を曲げるな。お父さんの子だ。」
(ふと思い出す。記憶のままに)
「ルーツ」と云うアメリカの小説があった。映画化もされた。もう30年も前になるのか。
アフリカ大陸から拉致され奴隷にされた「キンタ・クンテ」。奴隷主の下で家庭を持つ。その娘が遠く離れた街へ売られる。何年か後、工夫して娘は父の生家へ短時間戻る。父は死んでいた。お墓を見つける。その墓碑銘は父の英語名だった。奴隷主がつけたのだ。娘は、その英語の上に石で「キンタ・クンテ」と刻み付ける。父の本名を刻み付ける。そして、「マンデンカの勇士!キンタ・クンテ!」と言う。父親から話を聞いていたのだ。民族の誇りを。

・結婚式の当日、モナを送り出す日、家族、親戚、近隣の人たちでパーティーを行なう。その準備は全部手造りだ。料理はお母さんが指揮して、大勢の女性が協力して何十人分も作る。むかし、僕達の田舎での結婚式も同じだったなー、と思う。
長男のお嫁さんはロシア人で、家族の一部特にお父さんからは認められていない。宗教上の理由もある。
その嫁さんも料理を手伝う。トマトの切り方を回りから笑われる。お義母さんはさりげなく、しかし、毅然と息子の嫁をかばう。
ああ!ここら辺も(形だけかもしれないが)同じだなー、と思いだす。日本でも、普段は"嫁姑”何処の家にもある問題を抱えて一緒にやっているけれど、他家から悪く言われると、母は猛然と反撃していたものだ。反対に自分が他所の家に手伝いに行って、そこの家の嫁批判をやっている。何時だったか、そこの家の義母は母に同調して一緒に自分の息子の嫁の悪口を言った。帰ってきて、「あの家の年寄りは馬鹿だ。釜戸をかえすぞ。(家をつぶすぞ)」と自分に同調した親を悪く言っていたものだ。

・「境界線」での言葉。イスラエル側の係員だったと思うけれど、花嫁の通行証に便宜を図ってくれた。その時の感謝の言葉。「Thank YOU!」(国連職員)・「スパスィーバ」(長男)もあったかな、、、。
モナの父親は「ショコラーム!」と言っていた。「ショコラーム」ー(アラビア語だ)良い響きだ、と思う。
「ショコラーム」は、(ラジオ放送)クニマルさんの番組で行っていたなー、何時だったか、と思う。
「ショコラーム」と同じような内容で「アッサラーム」もあると言っていたな。ゲストの先生、お名前なんといわれたかな。勉強になりました。


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April 08, 2009

映画「マンマ・ミーア!」を見る。

2009年3月15日(日)
・ドナさん ー お母さんー(メリル・ストリ-プ)
・ソフィさんー その娘ー (アマンダ・セイフランド)

ギリシャの小島が舞台だが、あの島とあの人々は未来社会、理想社会だ。それを描いている。
コーラスの中に生きている。
   

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April 04, 2009

講演・「人類に役立つ科学の発展と平和の確立を願って」(益川敏英先生・ノーベル物理学賞受賞、京都産業大学教授)を聞く。

2009年3月8日(日) 明治大学(駿河台)リバティタワー1011教室・参加者400人超満員(立ち見者多数)

9条科学者の会(「9条の会」のアピールを広げる科学者・研究者の会)
発足4周年の集い。

(明治大学の新校舎に入ったのは初めてです。豪華な造りと思いました。学生時代ー40年も前になるがー何回か来た事があります。その時は、法政よりも古めかしい建物でした。その分、伝統を感じたものでした。ボクは、その頃、小岩で新聞奨学生をやっていたのですが、毎朝、牛乳配達(興真牛乳)をしているK君と友達になりました。K君は、明治大学政経学部へ通っていました。お互い誘ったり誘われたりで行き来していました。彼はキリスト教徒で、いつもバイブルをもっていましたね。)

*記念演奏
チェン・シー さん (ソプラノ歌手)
・「鳥の歌」(カタロニア民謡)を歌う
 チェン・シー さん  のお話。
 "作曲家カザルスは言っています。「私のふるさとカタロニアでは鳥たちは、ピース(PEACE) ピース(PEACE)と鳴きながら、空を飛びます」。生きる喜び、平和の歌です。”

・「わが母の教え給いし歌」(作曲:A.ドヴォルザーク、作詞:アドルフ・へオドゥーク)
・「慕情」 (新疆民謡)
と、続けて歌う。美しいお声だ。
最後、両手を大きく広げた。ふと、ドラマ"ファン・ジニ”を思う。

チェン・シー さん
(1988年 雲南芸術大学音楽部卒業・1997年 桐朋学園大学音楽部研究科終了)

*チェロ演奏者 有泉芳史 さん
(17歳・ケルンで研鑽。パリ12区高等音楽院室内学科卒業・エコールノルマル音楽院チェロ科最高過程終了)
ーーー
○東京農工大学・からおか先生の挨拶
(メモ)
益川先生は、ノーベル賞受賞後の談話で「9条の会」のことについてふれられました。確か日経新聞に載ったと思います。
私は、自分がノーベル賞をもらったような気持ちになりました。(笑)
9条科学者の会として、先生に講演をお願いしましたところ、とにかくお忙しい中、快くお引き受けいただきました。ありがとうございました。

○益川敏英先生
演題 「人類に役立つ科学の発展と平和の確立を願って」
(講演の要旨は、3月18日付け「しんぶん赤旗」9面・文化 学問蘭に掲載されています。すばらしい内容です。)

・(ボクのメモ・記憶・印象に残った事など)
(先生の戦争体験を話された後)
・私の先輩の澤田昭二さんの文章を読む機会がありました。澤田先生は広島出身です。
原爆投下の数分前に家を出ました。ピカドンがあった。家に帰ると家は燃えていた。お母さんがその下じきになっていた。お母さんは、「私は助からない。お前は逃げろ。」と言った。私(澤田)は家を離れた。
実に乾いた文章で、(益川先生ー声を詰まらせる。)、よく淡々と書けるな?と思いました。私の思い違いでした。
彼は、そうしか書けなかったのです。
私は、自分の子や孫達にそういう思いはなせたくない。
・・・・・・
・ここで、自分の時間を引き延ばすのは止めて、澤田昭二先生を紹介します。

*澤田昭二先生のお話
(メモ)
・30数年前、同じ坂口先生の研究室におりました。今、こうして話すのは何か必然性があるのでしょうか。
・韓国の学者、アメリカの学者と話す機会がありました。
アメリカは、原爆投下後の放射能(線)研究をどのように行なっているか、ということについてでした。
・アメリカは、初期放射線の(人体への)影響はある程度認めています。
きのこ雲があり、黒い雨がふる。その後の影響は認めていない。
アメリカと日本政府は、無視している。
微粒子は測定できない、と言う。生物学的な手法でやっている。
・集団訴訟が起きている。
残留放射線の影響を認めるかどうかが争点だ。
私は、素粒子統計の立場からこれを研究している。
・放射線研究の科学者がばらばらにされている。
(あの当時)科学者がまとまっていれば、原爆は使われなかったかもしれない、と思っている。
・オバマ大統領は、核兵器を廃絶、なくす方向を言っている。注目している。
・益川先生は、発信の仕方が、いつも根底に進んで、そこから行なっています。さすがだと思います。
(拍手)

(益川先生ー話を引き継ぐ)
・私は、話していると、話を繰り返すくせがあります。(笑)
仲間内では、2回、3回とリピートしている。
・今、日本で憲法を考える時に、条文が不備だから変えろと言う。不備だからではない。ぎりぎり解釈改憲でやってきたが、それではできないところまできたから、変えろと言っている。
・専守防衛と言いながら、何故自衛隊がソマリアまで行くのか。
・憲法があるから兵器はまだ使えない。それを自由に使えるようにしたい、というのが狙いだ。
それは、国際協力の道では無い。
・日本は、軍隊は持たない、戦争は起こさないと世界に宣言した。
そういう立場で国際協力は進めていくべきだ。
(拍手)

*質問
増田先生(気象学者)
(メモ)
私は澤田先生と一緒に黒い雨の研究をしています。
国際司法裁判所に(ウィラマートリーさん)と云う方がおられます。
科学と云うのは両面がある。戦争に使う方法もあれば、平和にも使うこともできる。
その点に、科学者がどこまでタッチするべきか、という疑問です。
(ウィラマートリーさん)は、"一つでも問題があったら科学者はタッチするべきではない”と言っています。
先生はどのようにお考えでしょうか。

*益川敏英先生
(メモ)
色々なところで問題になります。
科学は中性です。戦争にも使えれば平和のためにも使えます。
東京で、超高層ビルが建ちました。最初、池袋でしたね。その時、テレビのゴースト問題が発生しました。住民の反対運動が起きました。今は、解決しています。ある塗料会社が、電波を吸収する塗料を開発したのです。それをビルに使いました。
ところが、その塗料はやがて、戦闘機に使われ始めたのです。見えない戦闘機、ステルスですね。
科学はそういうものです。電波吸収の塗料を開発した科学者に文句を言っても科学者は意味が分らないかもしれません。
しかし、開発した人はその危険性について、一番最初に気がついていたはずです。
その科学者がどのように行動するか、それはその人の良心、市民性に掛かってきます。
一方、市民の組織的運動がベースにあることが大切です。それとの係わりです。
学者には、(すけべ)なところがあります。
市民としての役割は何かと、科学者へ働きかける組織が恒常的に必要だと思います。

*質問
テラ さん
(メモ)
私は4月から慶応大学へ入ります。
先生は、澤田先生は(体験を)乾いた文章でなければ書けなかった、と話されました。
ぼくは、広島の原爆ドームへ行ったとき、意外にあっけらかんとしていました。乾いた感じというのでしょうか。
平和資料館へ行ったときは、戦争が迫ってきましたが。
戦争の時の日常とはそのようなものなのか?と思いました。
日常の中に原爆とか戦争が入ってきたらどうなるのか、と考えます。

*益川敏英先生
(メモ)
最終的には、理性だと思います。
私は、焼夷弾とその不発と云うことを経験して、そこから色々な事を想像して、恐ろしい経験だった、との思いを持ちました。
欠片を見て何を想像するかです。人間の想像力の問題だと思います。
予兆をみて想像をすることでもあります。
戦争を見て戦争バンザイを言う人もいます。経験してもそういう人もいます。その人がクレージーだというわけではありません。
その人の文化度、想像力、理性の問題だと思います。

*男性(70歳代後半)
質問ではありません。話を聞いてもらいたいのです。
私は中学の時、昭和20年4月23日でした、250キロ爆弾を受けました。益川先生のお話にもありましたが、それがたまたま不発弾でした。それで、今助かっています。
澤田先生は原爆の後遺症について話されました。
私の友人は、長崎で原爆にあいました。しかし、病院で手当てを受け無事でした。元気に暮らしていて、「みんな原爆のことを言い過ぎる」とよく話していました。しかし、その人も最後、肺癌で死にました。
被爆被害は、後々まで続くということを感じています。

(長い拍手)

(終)


*益川敏英先生

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