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May 2009

May 26, 2009

前進座5月特別公演・「江戸城総攻」「左の腕ー無宿人別帳ー」・を観る。

2009年5月10日(日)・午後4時30分 国立劇場
・前進座は、調度1年前に来ている。あの時は「燃える富士」だった。
中国で四川大地震が起きた直後だった。後期高齢者医療制度が始まった直後だった。
舞台上の、富士山爆発が四川大地震に、被災住民へ対する幕府の態度は「後期高齢者医療制度」に重なって見えて興奮し、勇敢なサムライ=代官や農民、青年の活動に感動したものだ。
(今日は)

*「江戸城総攻」
作      - 真山 青果 (1978-1948)
改定・演出 - 鈴木 龍男

徳川慶喜  - 嵐 圭史
西郷吉之助 ー 藤川矢之助
勝 麟太郎 - 瀬川菊之丞
山岡鉄太郎 - 嵐 広也
高橋伊勢守 - 武井 茂
益満休之助 - 益城 宏

(第一幕 第一場)  勝安房守の屋敷
( 同   第二場)  駿州静岡、征討大総督府武家参謀の詰所
(第二幕 第一場)  江戸薩摩屋敷
( 同   第二場)  上野大慈院
( 同   第三場)  千住の大橋

・(前のほうの良い席で観た。)
舞台が美しい。役者がきびきびしている。緩急がある。身のこなしは、格闘家のようだ。声が良い。緊張と笑いが交互にくる。
徳川慶喜は憔悴している。しかし、かえって気品と威厳がある。やはり将軍だ!と思う。

*「慶応4年(1868年・9月8日から明治改元)・3月15日に決定していた江戸城総攻撃が直前になって何故中止され、江戸城無血開場となったのか。」
「時代の大きな転換期にあって、様々な政治的思惑が入り乱れる中、『江戸を戦火にさらしてはならない、無辜の民を殺してはならない』というヒューマンな選択は、それだけで我々を感動させてくれる。」
(青果劇への新しい挑戦 - 鈴木龍男・改定、演出 より)
=同感!
・色々なことが頭に浮かんだ。考えさせられた。切れ切れであったり、まとまらなかったり、だけれど。
①徳川幕府側には、徳川慶喜、勝他、上層部に「恭順」「話し合い」「外交重視」派がいた。中堅、実働部隊層に、榎本とか新撰組とか「軍事優先派」が多くいた。薩長軍には、岩倉、大久保、等上層部、中堅、実働部隊層とも「軍事優先」「武力倒幕」派が圧倒的多数、あるいはそれ一色だった。西郷が勝の要望を受け入れる。「軍事優先」を修正する。江戸城無血開城へと進む。舞台では、庶民の生活の話が出てきて感動的だった。
(何故、西郷は転換したかについて、その理由を、松尾章一先生は学者の立場から書いておられる。○イギリス公使パークスの新政府軍への圧力。○「世直し一揆」「打ちこわし」「ええじゃないか」、民衆反乱への恐れ。)
=なるほど、と思う。
ボクは、「軍事優先か?」「外交、話し合い優先か?」が鋭く問われていたのだな、と思った。
この時は、「外交=話し合い優先」主義が勝利した。江戸庶民の命は守られた。西郷の決断は立派だ。隊内の説得は西郷でも大変だったろうなと思う。勝の方も、暴発は起きているし、大変だったろうな、と思う。

②青山青果「江戸城総攻」は3回に分かれ書かれた。それぞれ、第1部(1926・大15)、第2部(1930・昭5)、第3部(1934・昭9)に発表されたとある。
この時代の日本は、国を挙げて「軍事優先か?」「外交優先か?」で揺れていた、ように思う。
国際的にも、次のようだった。
「・・ポール・ジョンソンは、その著(のなかで)・・・簡潔に述べている。
『1920年代、欧米の民主主義先進諸国は、一方に国際連盟、一方に英米間の経済外交を二つの柱として、不安定ながらも辛うじて世界秩序を保っていた。しかし、1930年代はじめには、この体制は・・・・・完全に崩壊し、世界は全体主義国家が゛軍事力″だけを頼りに行動する無法時代に入る』
1930年代はじめに世界秩序が崩壊するというのは、むろん昭和6年9月(1931年9月)の日本による満州事変、そしてその後の日本の国際連盟脱退をさしている・・・・」
保阪正康 「昭和史の教訓」 2007 (朝日新書)より。

・また、この本では、「近衛と東條の間の決定的な対立」も述べている。
・やがて、「陸軍が内閣を自在に動かす」ようになり、軍事優先論者が国を支配するようになった。
・あとは悲劇だ。

③4月上旬・「特別展 平泉 - みちのくの浄土」(世田谷美術館)を観た。
「国宝 金色堂西北壇壇上諸仏」は、11体の仏様がおられて神々しかった。これは、当時の「平泉」の象徴だ。「平和と慈悲の国」の象徴だ。そして、その仏は京都で作られたか、京都の仏師が平泉にきて創ったものと思った。少し華奢で、なにか垢抜けていた。京都の方からの"願い”も仏に入っている。
平泉は京都との平和、友好を第一の外交政策としていたに違いない。
京都が安定していれば、平泉も平和だ。それで約100年間、繁栄が続いた。
御仏は、平泉と京都の平和的交流のシンボルでもあった。(と思う)。

・平泉と京都との間に「鎌倉」が起きる。
一所懸命の武士団の"武装国家”だ。
平泉は鎌倉との外交、うまい付き合いは出来なかった。
平泉の御仏の思想は鎌倉には通用しない。
色々工夫したが、結局「義経」に頼った。
軍事的対応だ。そして、ほろんだ。

④現在の北朝鮮のミサイル発射問題を考える。
やはり、外交的に対応するべきで軍事的対応は間違っている。

北朝鮮の核実験もミサイル発射は、絶対許せない。
北朝鮮政府は、国連加盟国の抗議の声を聞かなければならない。
世界人民の抗議の声を聞かなければならない。
金日成元主席が生きていれば、必ず聞いていた。
現政府は、頑迷な態度を改めるべきだ。

*日本の一部政治家の中にある「敵基地攻撃」論に反対する。
北朝鮮の"冒険主義”に日本が軍事的に対応するのは、危険な上に北朝鮮の思う壺になると思う。

・「敵基地攻撃論」は、日本が国際紛争を平和的手段ではなく武力によって解決を目指す国と、全ての国に受け取られる。
日本は、ロシアとは、「北方領土問題」が未解決になっている。
日本は、韓国とは、「竹島・独島」問題が未解決になっている。
日本は、中国とは,「尖閣諸島」問題を抱えている。

この3国が、日本を軍事的対応の国、と思ったらどうなるか。表面的にはともかく、深部では疑念を持ち、しかるべく対応をしてくるのではないか。
あるいは、日本への不信が募れば、ロシア、韓国、中国、北朝鮮の「反日統一戦線」ができる可能性もある。
北朝鮮へ、日本が軍事的に対応すれば、日本が孤立してしまうこともある。

*日本は、憲法9条を持つ国だ!戦争をしない国だ!それを前提に外交をしている。
そのことを、アジアは勿論、世界190カ国、国連加盟国全てに通知して、徹底するべきだ。外務省は、繰り返し、日本は憲法9条の国であることを、世界の国へ知らせるべきだ。
その日本へ軍事的脅威を与えることは、世界中が許さない。
その力をバックにして、交渉を行うべきだ。


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May 21, 2009

志位和夫さん(2009年5・3憲法集会) のスピーチ。

2009年5月3日(日) 日比谷公会堂 ・ 参加者 4,300人

*志位和夫 さん
日本共産党委員長

(スピーチのメモ)
・私は、「核兵器廃絶と日本国憲法9条」というテーマで話します。
核兵器廃絶の運動と、憲法9条を守る運動は、戦後の日本の平和を求める戦いの二つの柱として発展してきました。
・米国のオバマ大統領は4月5日、プラハで演説を行いました。私は、3つの点を注目しました。
①米国が「核兵器のない世界」、核兵器廃絶を国家目標とすると初めて公式に述べました。
②広島、長崎への原爆投下が人類的道義に関わる問題だと表明し、その立場から行動する責任について述べました。
③「核兵器の無い世界」に向けて諸国民に協力を呼びかけています。
・私は、日米関係の在り方については、政府とは大きな違いがありますが、オバマ大統領の言明は、歓迎します。
私は、4月28日、オバマ大統領に対して、核兵器廃絶への具体的行動を要請する書簡を送りました。
アメリカ大使館を初めて訪問し、ズムワルト臨時代理大使へ書簡を手渡しました。
・「歓迎」の気持ちと共に同意できない点も率直に述べました。
同意できない点は、「核兵器の無い世界」の実現は、「おそらく私の生きているうちには無理だろう」といっていることです。・・・取り組む前から「生きているうちには無理」というのは、気が早いのではないでしょうか。
・アメリカに前向きの変化を促した根本の力は、平和を願う世界諸国民の闘いだと思います。
唯一の被爆国・日本で、「核兵器廃絶をめざす国際交渉を開始せよ」の声を広げましょう。

・核兵器廃絶の闘いと、憲法9条を守り生かすたたかいは、深く結びついています。
憲法9条はどうやって生まれたか。
1945年 6月  国連憲章で「武力の行使、武力による威嚇」を厳しく禁止しました。
1946年11月  日本国憲法公布。9条で、国連憲章からさらに進んで「戦争放棄とともに、一切の「戦力保持の禁止」を明記しました。
恒久平和主義を徹底する方向への飛躍があります。

・この飛躍は、どうして生まれたのか。
1945年6月・国連憲章決定の時、人類はまだ原子爆弾を知りませんでした。
同   7月・人類初の核実験が行われ、
同   8月・広島、長崎に原爆が投下されました。
この原子爆弾によって、20万人を越える人々の命が一瞬にして奪われ、二つの都市が廃墟と化しました。
この地獄を、世界のどこでも繰り返してはならない、という強い思いが「憲法9条」を生み出しました。

・日本国憲法が公布された1946年11月、(当時の)内閣が発行した「新憲法の解説」と題する冊子があります。
憲法第二章「戦争の放棄」の意義について、次のように述べています。
(志位委員長=読み上げる。・・・・・そして、力説する。)
"昔は政府もずいぶん良いことを言っています。(笑)
原子爆弾の出現によって、文明と戦争は両立しえなくなった。
「文明が戦争を抹殺しなければ、やがて戦争が文明を抹殺する」。
そういう恐るべき現実が目の前に生まれた。それならば文明の力によって戦争を抹殺しよう。
戦争を放棄し、陸・海・空軍、一切の戦力を放棄しよう。
それを世界に先駆けて実行しよう。
こうして私達の誇る日本国憲法第9条が生まれたのであります。(拍手)
憲法9条には、「二度と戦争を起こしてはならない」という決意とともに、
「核戦争を絶対に阻止したい」という願いがこめられており、それを世界の人々に呼びかけたところに、この条文の世界史的な意義があるということを、私は訴えたいと思います。(大きな拍手)”

・麻生、自公政権は、この平和の課題にどのような態度をとっているでしょうか。
アメリカの「前向きの変化」は、目に入りません。
中曽根外務大臣は、4月27日、オバマ演説を受けて、「ゼロへの条件ー世界的核軍縮のための『11の指標』」なる講演を行っています。内容は、
・米国に対し、核兵器廃絶のための具体的努力を何一つ求めていません。
・世界によびかけた「11の指標」のなかにも核兵器廃絶、という項目がありません。
・「日米安全保障体制の下における核抑止力を含む拡大抑止が重要」と、米国の核戦力への依存を続ける態度を表明しています。
米国大統領が、「核兵器の無い世界」への協力を呼びかけているときに、米国への核戦力への依存を言う。
恥ずかしい限りではありませんか。

・麻生、自公政権は、アメリカが「変化」していない部分では、(アメリカの)いいなり政治を続けています。
・米軍基地の強化・永久化、自衛隊の海外派兵を求めると言う点では「変化」は無く、日本政府は忠実です。
・アフガン戦争を支援する。ソマリア沖への自衛隊軍艦の派遣、派兵をしようとしています。本格的な武力行使への道を開こうとしています。
・自民、民主の両党から、集団的自衛権ー海外での武力行使容認の合唱が起こり、憲法審査会を始動させ、憲法改定原案を作ろうという動きが起きています。
わが党は断固として反対します。
憲法9条を守る、揺ぎ無い国民的多数派をつくろうではありませんか。
・自公政権は、・・アメリカの「前向きの変化」は目に入らず、「変化」していない部分では異常ないいなり政治を続けています。良いところには、ついて行けなくて、悪いところには追随しています。
こんな政治に未来はありません。

・世界は大きく変わりつつあります。
軍事力にモノを言わせて世界を支配する時代は終わりつつあります。
どんな問題でも、外交的な話し合いで平和的に解決する、新しい時代が到来しつつあります。
私は、日本国憲法9条の出番の情勢だと訴えたいとおもいます。
・憲法9条を守り生かす闘いと、核兵器廃絶を求める闘いを、それぞれ大きく発展させ、平和をつくる一つの流れに合流させ、核兵器の無い世界、そして戦争の無い世界を築こうではありませんか。
(長い拍手)
(しんぶん「赤旗」5月4日付・4面に詳しいです。)

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May 20, 2009

福島みずほ さん(2009年5・3憲法集会)のスピーチ。

2009年5月3日(日) 日比谷公会堂 参加者 4,300人

*福島みずほ さん
社会民主党党首
 
(スピーチのメモ)
・今日は大好きな「日本国憲法」の62回目の誕生日です。
・私は、日本の国が大好きです。世界に誇れる「憲法」があるからです。
・今日は、次の事を訴えたいと思います。
まず、平和の問題です。
ソマリア沖への自衛隊派兵が行われようとしています。
麻生内閣は、応急措置的に出すといっています。(海賊問題は)、国益を損なう死活的問題だ、と言っています。
"国益”のため、これは戦前の侵略戦争の時、言っていたことです。現在、日本人は世界のどこにでもいます。
「国益のため」といえば、いつでも自衛隊を外国へ出せることになります。「海賊新法」は国会の承認すら必要ない、ものになっています。戦後最大の憲法違反です。
民主党の修正案もダメです。民主党は、「武器輸出三原則」を緩めるべきだともいっています。大変な危惧をもっています。
私達は、これらに反対します。応援してください。
・オバマ大統領は、プラハで核兵器廃絶、核軍縮へ向けての声明を出しました。
私達は、これを支持します。
私達は、プルトニュームを無くすための運動も進めます。
・米軍のグアム移転は、日本のお金でやろうとしています。
辺野古の基地建設、強化は行っています。
日本政府は、これに協力するべきではありません。

・国会で、憲法審査会はストップしています。これを動かさないようにがんばります。
政府は、国民投票法についてのパンフを、409億円も掛けて作り、計800万部配ろうとしています。
国民をだますようなリーフレットです。大変な無駄使いです。
(憲法)改正発議が行われないように、一緒に頑張りましょう。

・生存権、基本的人権の問題について、です。
期間工切り、派遣切りは、生存権の否定です。
これを続けると、経済の底が抜けることにもなります。
生存権を守れ、生きさせろ、この運動を行い、共生型の社会を目指しましょう。

ビラを配って逮捕される。
君が代の強制に反対して、処分される。
これは、精神の自由、基本的人権の侵害です。
これを許すわけには行きません。

・一方で、政治家の世襲、大企業の政治献金問題、公務員の天下りは、続いています。
これを禁止せよ、と訴えます。

・国会で、「迎撃ミサイル」問題について、淡々と質問しているのに、周りは騒然とします。
(雰囲気を察してください)
・公然と日本国憲法を変えようとする自公政権が続くことを許すわけには行きません。
一票で政治を変えましょう。
憲法前文に在るとおり、主権者は国民です。
私達の手で政治を変えましょう。

・映画「おくりびと」を観ました。
市井に生きる人への敬意に満ちた作品と思いました。
私も、昨年12月、父親を見送りました。
父は、特攻隊の生き残りでした。滑走路が爆撃され、出撃できなかったのです。
戦後、結婚して私が生まれました。何も言わない父でしたが、8月15日には泣いていました。
戦争は嫌だ。憲法は大事だ。命は大事だ。
これは、親から贈られた言葉だと思っています。

・主権者の力で、憲法が輝く、そういう日本にするため、共にがんばりましょう。
(長い拍手)

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May 19, 2009

益川敏英さん(2009年5・3憲法集会)のスピーチ。

2009年5月3日(日)・日比谷公会堂 参加者 4,300人

*益川敏英 さん
物理学者。京都産業大学理学部教授
1973年に6種類のクォークの存在を小林・益川理論で提唱し、2008年ノーベル物理学賞受賞。

(スピーチのメモ)
・大変一杯のお運びです。昨日、同じ趣旨の集会が京都の公園で行われました。やはり大勢の人でした。瀬戸内寂聴さんが話されました。感動しました。
・憲法改定についての世論調査が発表されています。5:5とか言われていますが、これは設問の仕方によってもかなり違ってきます。
改定が(予定され)その間際になって、これを阻止しようとしたら、大変なエネルギーが必要となります。
改憲勢力に対して、変なことをしたら焼けどをする、そう思わせなければなりません。日本人の憲法9条に対する思いは軽くはありません。そうやすやすと改憲勢力の思うようにはなりません。
・私の精神形成は、1960年の安保条約反対運動です。60年安保は、当初盛り上がらなかったが、6月になって急に盛り上りました。日本人の意識は当時より進んでいます。
・改憲勢力は、なんらかの方法で戦争の危機をあおり、憲法改正に持っていこうとしています。
・私と日本国憲法の係わりは、名古屋大学時代の長谷川正安先生によるものです。
長谷川先生は、法律は一つの条文を見て解釈しただけでは判らない。周辺法を合わせて見て初めて判る、と話しました。唯物弁証法的、物理学的なものの見方をされる方でした。(笑)
・解釈改憲によって、自衛隊をソマリア沖まで出しました。彼らが欲しいのは、交戦権です。交戦権が欲しいために憲法を変えたいと思っています。
これに対して、日本人がイエスと言うでしょうか。言わないと思います。
保守政権も安泰ではありません。10年後も今のままということはありません。
だから、今を最後の決戦と考えているのかもしれません。
私達は、これに備えなければなりません。回りの人たちにこれを知らせてください。
・明るい話をします。
私は、「あと200年経てば戦争は無くなる」といいました。仲間から「本当にそう思っているの?」と言われました。
人間の歴史は確実に進歩しています。
戦後、アメリカは自由の国でした。自由が氾濫する国でした。
その一方で、労働組合の委員長が銃で殺されたり、黒人が警官に殴り殺されたりする国でした。
そういう野蛮さのある国でも、60年経って、黒人の大統領が誕生しています。
アフリカは、かつて植民地が大半でした。現在、問題は抱えながらも、植民地国はほとんどなくなりました。
もちろん逆流もあります。しかし、大きな目で見れば、人類の進歩の歴史です。
・平和憲法の危機の問題も、日本人は乗り越えていかなければなりません。
私も老骨にむち打ってがんばります。
(拍手)
原稿に書いてきたことと、別なことを話しました。ありがとうございます。
(笑・長い拍手)

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May 18, 2009

落合恵子さん(2009年5・3憲法集会)のスピーチ。

2009年5月3日(日)・日比谷公会堂・参加者4,300人

*落合恵子(おちあいけいこ)さん
作家。子供の本の専門店、女性の本の専門店クレヨンハウス主宰。
著作多数。

(スピーチのメモ)
・怒りの髪、と書いて「怒髪(ドハツ)」と読みます。
通行人の方が私の髪を見て「あっ!オチアイよ!」と言います。(笑)
・一つの言葉が、この国を駆け巡り、社会的にひどい仕打ちをしています。
「自己責任」という言葉です。あらゆる場で「自己責任」が問われるようになりました。
・私は、1945年生まれ64歳です。これは自己責任ではありません。
85歳になって、リハビリ、介護が必要になる、これが自己責任ですか?
職を失うこと、住居を失うこと、これが自己責任ですか。
渋川の老人施設「たまゆら」で、10数人の方が命を失いました。
(公的な)特養老人ホームへの入所には、300人、400人と待たなければなりません。
不幸は、長生きしたことですか?
・全ての人々は、生存の権利、「健康で文化的な生活を営む」権利を持っているはずです。
・私は、母の介護をしました。
母が死ぬか。私が死ぬか。どっちが先に死ぬか?そういう思いでした。
母は、何回か入院しました。
隣の部屋から、うめき声が聞こえます。のどに痰を詰まらせています。吸引が必要です。
看護士さんは、走り回っています。手が回らない。他人は、手を出してはいけない。
看護士さんは、「事故が起きない方がおかしいですね。」「バーンアウト状態に落居ってしまう。」「もう少し休みたいです」。そう話していました。
看護師さんからメールをいただきました。
「最低限の生活を守れない私たちに、お年寄りの方々の生活を守れるでしょうか?」「最近、朝起きられません。」「良心的であろうとすれば、するほど、自分の仕事に罪を感じます」。そうありました。
入院しても「180日の壁」もあります。
・国の不作為を感じます。国は棄民をしています。
私たちの「自己責任」ではありません。責任があるのは、この国を動かしている人たちです。
公園で酔って逮捕された芸能人がいますが、何千万円も使って外国へ行き酩酊している政治家もいます。この人は逮捕されていません。こういう人に「責任」があるのです。(笑)

・イラク戦争反対運動を行っておられたアラン・ネルソンさんーこの方はアメリカの従軍兵でしたーは、次のように言っています。
「私の苦しみを断ち切れたのは、日本の憲法9条です。」
彼は、足の調子が悪く少し引きずっていました。
怪我ではなく、アメリカでデモ行進をしていた時、警官に足を蹴られ、悪くしたのでした。
しかし、彼は「戦争に比べたら、これぐらい、なんでもないです。」と話していました。
彼は、今年、3月9日亡くなられました。

・「うったら、あかん」の詩の岡部さんもいません。
年を取ることはなんとも思っていない。しかし、一つ悲しいことは、敬愛する人が亡くなることです。
近藤トシ子さん。清楚な無愛想な人、でした。
いつも「護憲」を言い、90歳になられても、「心の栄養は9条だ」「上の世代から多くの栄養をいただいている。」と話していました。

・10代、20代の若い人たちの、このような集会へのより多くの参加を願います。
しかし、あの方々も失意の中にいます。
経済界のトップは、巨額の内部留保を持ちながら、労働者の首を切っています。
あの人達の"責任”を追及したしたいものです。

・石垣りん さんは、「言葉は、ズタズタに切り裂かれた者の包帯になる。言葉は、切り裂いて行く者へのナイフにもなる。あなたは頑張りなさいよ」。こう話しておられました。

・私の母は、湾岸戦争の時、アメリカ軍の空爆をテレビで見ながら言っていました。
「あなたは髪の毛が焼ける匂いを知っている?あの爆撃の下には、焼け死んでいる人が何人もいるのだよ。それを忘れたら人としてダメになるよ。」

・私達は、憲法を守る、という宿題を次の世代に渡していかなければなりません。
最後に、私の好きなオーストラリアの詩人の詩を私の訳で読ませていただきます。
(ごく一部、メモ)
・・・
最初は父親だった
次に息子だった
その間に夫だった
ドラムに送られて戦場へいった
・・・・
耐えること、従順であること、受け入れること、
それが女の人生であると
そう教えられたから、
・・・・
最初は父親だった
次に息子だった
その間に夫だった
ドラムに送られて戦場へいった
・・・
お母さん、
私は、あなたを尊敬します、あなたを愛します、
でも、あなたと同じ人生を送ろうとは思いません
ーーーー
アイスウォカーは、言っています。
人が自分を見切る、最もありふれた方法は、自分に力が無いと思うことです、と。

・怒髪が地を潤すように、どんな小さな力でも、声を出し続けていくこと、それが人生に勝利する方法です。
(長い拍手)


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May 16, 2009

生かそう憲法・輝け9条 「2009年5・3憲法集会」・参加した。

2009年5月3日(日)  日比谷公会堂
*生かそう憲法 輝け9条 2009年5・3憲法集会
 (主催:2009年5・3憲法集会実行委員会)

・午後1時30分開会、12時30分開場。
午前10時50分に、日比谷公会堂へ行った。行列ができていた。入場整理券をもらった。710番だ。
開場1時間半前に来て、この順番だ。開場に入れない人がいる。場外電光テレビの前に大勢の人がいる。最後に参加者数4,300人と発表された。熱気と"人気”がある。

・プログラム (開会 13時30分)
司会  榎本よう子 (女性の憲法年連絡会)
     星野正樹 (許すな!憲法改悪・市民連絡会)

・主催者挨拶
 柴田真佐子 (憲法改悪阻止各界連絡会議)

・スピーチ   
①落合恵子 さん
②益川敏英 さん
③福島みずほ さん
④志位和夫 さん
   
・カンパのお願い
 藤田貴裕 (市民憲法調査会)   (最後に130万円寄せられた、との報告あり)

・アイヌ民族の音楽と踊り - レラの会

・集会アピール
 毛利亮子 (平和を実現するキリスト者ネット)

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May 14, 2009

「善光寺 御開帳」・ お参りをした。

2009年5月1日(金)
・善光寺へは何回か来ているが、
「7年に一度の盛儀」「善男善女が信州に集う」「善光寺前立本尊御開帳」へは初めて。
「回向柱」へ触れる。本堂の前立本尊と「善の綱」でむすばれている。
「護憲、活憲」を祈り、闘いを誓う。
・良く人が出ている。
ーーーーー
私の8代前の先祖(六左衛門)が、文化、文政期に諸国巡礼を行い「巡礼帳」3冊をのこしている。善光寺へもお参りをして御朱印をいただている。
次のようなものだ。
「   奉納経

 信州 善光寺

 五月ニ十二日     堂司」
(印が3箇所に押してある)
これだけだと、何年に行ったのか判らない。
・この巡礼帳の最初のページは次のようになっている。
「 奉納経
東奥
富士千手観世音大士
       大迎寺
          行者丈
文化十一年正月十一日」

・2番目が
「 奉納経
       東奥仙台名取郡植松村
弘法大師作
聖観世音大士
  金剛遊山
  観音院弘誓蜜寺
文化十一 申 戌 年
       正月十七日 」
(文化11年 = 1814年)
*「六左衛門」の住所は、通行手形からして、「南部藩野田通り萩牛村」で、現在(岩手県普代村)と同じだ。
巡礼のスタートは、(東奥)、伊達藩(仙台)からだ。南部藩内は素通りしている。仙台まで船で行ったのだろうか。
この年、全部で(ボクの計算だと)83箇寺(神社)回っている。
(最後の参拝ももやはり、仙台になっている。)
「 奉納経
              全部
奥州仙台宮城郡神主部(2字ヨメナイ)寺
大崎八幡宮神前
文化十一年六月十一日
             別当 東光院 」
(1月11日から6月11日まで、ジャスト6ヶ月間歩いている。)

・善光寺は、75番目に行っている。1月11日の始まりから数えて、4ヶ月と10日後の5月22日に朱印を頂いている。
善光寺の一つ前は、
「 奉納経
本尊蟹薬師如来
   濃州可児郡御嶽宿
           大寺山
           可児大寺 知事
申戌  五月十五日 」
(濃州とは、岐阜県のことかな。善光寺まで7日かかっている。)
*(善光寺 五月二十二日)
・善光寺の次は、
「  信州水内郡平出村
      彦坂藤兵衛
奉安置
 九字御名号 聖八御真筆
 三州沸堂ニ於テ先祖彦坂五郎太夫江賜ル
 縁起如別紙  」
(日付け無し)
その次、
「 奉納経
財前
本尊上品阿弥陀如来
弘○住御即身沸
戌 六月二日     西生寺 知事」
(西生寺は、どこにあるの?新潟かな?善光寺から10日かかっている。
この後、越後新潟とか、蒲原とか、羽州とかがあって、6月11日に最後の仙台へ行っている)
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ボクも、御朱印をいただきました。
「 奉納
      平成二十一年五月一日
  善光寺
           堂 司  」
(スタイルは、文化11年のものと同じです。
違う点は、文化11年のそれに比べて、奉納経の"経”が無いこと。信州善光寺の"信州”が無いこと。
印3箇所は全く同じです。今回は"御開帳記念”の印が一つ増えて4つになっています。
文化11年 = 1814年
平成21年 = 2009年
・200年後=(2200年)、子孫もボクと同じように、無事に、御朱印をもらいに来る事を祈ります。)
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上田市

・山本宣治   記念碑
 「VITABREVISSCIENTIALONGA」=(生命は短し、科学は長し)
 (上小農民組合連合会建設)

・タカクラテル  記念碑
 「人間を信じる心」

・(斉藤)房雄  記念碑  
 「新しく 元にもどるの めでたきよ
 心静かに 黄泉路たどらん」

*山本宣治を真ん中にして、3人並んでいる。
それぞれへ参拝。合掌。

*("無言館”はここから5キロだ。)

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May 11, 2009

「みさと・芝桜まつり」 を観る。

2009年4月29日(木・祝)・
・「梅香る古城の里・箕郷町」の「みさと芝桜公園」へ日帰り(小旅行)を行う。
久しぶりに関越自動車道を走る。東京ー前橋間、ゆっくり走って約2時間、前橋インターから20分程で着く。
"みさと芝桜公園”は、4年ぶりかな。榛名山が良く見える。近くの林は、木立は、新緑だ。
・肝心の芝桜は、盛りを過ぎている。しかし、まだまだ元気だ。人は良く出ている。
公園のキャッチコピー。「織姫が置き忘れた桜色の羽衣」=うまい!
誰のデザインだろう。斜面を上手く利用している。赤、白、ピンク、紫、の花が帯状で渦を巻いている。それが10数箇所。ケンシン公の"車掛かり”だな、とかなんとか・・・。
公園の高台から、しばらく見続ける。
・園内の売店で、芝桜3鉢を買う。(ベランダで今も元気だ)
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・花を買ったのは、2月に房総の千倉へ行ったとき以来かな。
あの日は土曜日だった。カーラジオで、ゲスト「北原ミエ」さんを聞いていた。

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May 09, 2009

-ノルマンディーの風たより-「谷内こうた展」 を観る。

2009年4月22日(水)・ギャラリー タクト(銀座5丁目)
油絵 30点 展示。

(谷内こうた さんはフランス在住・パリから100数十キロの"いなか”へ30年来、お住まいとか。落ち着いた風景画が多い。絵の中に人がいる。たいてい一人。ぽつりと。)

・「坂道」を観る。 少年が坂道を歩いている。しかし、 "坂の上の雲”的では無い。(54万円=どうしても気になる。)
・「睡蓮」を観る。 池に写っている青空、ちぎれ雲、池の中の鯉=赤い色の二匹の、が強烈。白い花2つと睡蓮の葉たち、が浮かび上がる。(54万円)
・「秋の釣り人」を観る。 川岸の木がコロー的。川は日本的。人は静寂。「紅葉はね、日本の山のほうが鮮やか。木の種類がフランスより日本の方が多いから」(谷内さん弁)。(150万円)

(谷内さん、ヨーロッパの水運、川の発達についても語る。"飛鳥”=JTB世界一周観光船、がセーヌの上流までくるとの事。乗ってみたいですねー。)

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May 07, 2009

「小倉寿夫 個展」 を観る。

2009年4月18日(土)・ギャラリー沙画夢(サガン)・北区王子
・曽根はじめ都義(共産党)の講演(4・10)を聞いたから、と言う訳でもないが、都議の地元、北区を歩いてみる。
・王子駅近くで「小倉寿夫 個展」の看板をみて、立ち寄る。「傘寿記念展」ともある。80歳ということか。
・墨絵 30点を展示。他、陶芸、古木彫塑 を展示してある。
「黒部噴流」 を観る。
墨絵の"噴流”だ。ダムから噴き出す水の量感、勢いが良く出ている。白と黒の按配が上手いもんだ、と思う。それと「テレビドラマ」みたよ。「・・・貝になりたい」もだけど、いいねー。

「遊 夢」   を観る。 
新宿の高層ビルの上を、鯨が2頭斜め上空へ飛んでいる。鯨は、親子だ。鯨は、大きく大きく描かれている。
海の鯨が空を飛んでいる。何か、子供にネダラレテ、お母さんが思い切って一緒に飛び出してみた、ようだ。高層ビルが小さく見える。スケールの大きい夢だ。
シュールレアリズム、というのかな?
それといえば
大丸ミュージアム・東京での「ミロ展」(3月)を 思い出す。

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May 05, 2009

「ともしび 春の大うたごえ喫茶 Part 8」-未来に輝け!いのちあふれる歓びのうたごえ! 開催される。歌う。

2009年4月12日(日) 上野公園水上音楽堂・12:00-16:30・
参加者 1,200人
主催・音楽文化集団ともしび

・Part 8 とあるから今年で8回目=8年目になる。Part 20 あるいは Part 30 の時も歌っていたいものだ。
桜咲く その下で。
・ともしびのカトウさんは、いつだったかラジオ放送で紹介されていた。氏の「君恋し」が流れた。
諸々を乗り越えてきた人の味わいと哀愁がある。"暗い”だけではないのだ。遠くからだが、僕(たち)は一緒に歩んできた。ちから、だった。
・働くこと、まなぶこと、そして、集い歌うこと。東京へ出てきてからの人生はそんな風だったともいえる。
(仕事だけだったら、続かなかったにちがいない。)
しかし、考えてみれば、これは自分たちの祖父母、両親の行ってきたことでもある、ともいえる。昭和20年代、30年代の岩手県の山村だが、農作業、山仕事、牛、養蚕、目いっぱい働いていたが、夜になると大人は良く"集び”をもっていた。親戚だけの時もあったし、近隣住民全員の時もあった。酒が出て、必ず歌っていた。(思い出すままに)、地域の「盆踊り歌」「外山節」「八戸小唄」、そして「おもしろし、おもしろし、せんやおもしろし、おもしろきものにとりては、それむかし・・・」の神楽歌(この歌は、唱和して長かった)。
地方から東京へ出てきて、"ともしび”に惹かれたのは、そういった原体験のようなものがあったせいかもしれない、と思う。
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プログラム
*総合司会  永井康子
・1回目 (12:00 - 14:00)
司会   寺谷宏、山岸恵美子 ・ 中西明、津田伸子
・2回目 (14:30 - 16:30)
司会   間下邦彦、遠藤真奈 ・ 金指修平、石垣美恵子

*第一曲目 (今年は)「青い山脈」だった。
労働歌、ロシア民謡、山の歌、青春歌謡、とリクエストに応えて続く。
清水まさみ「鶴」「百万本のばら」は、ほぼ独唱だった。聞き入った。
小川くみこ、啄木の「初恋」(砂山の砂にはらばい・・・)。CDでもよく聞く。今日は、いっしゅん大観衆が静まりかえった。やがて、合唱する。歌手とタクボクの力だ。


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