« ー伝説からのメッセージー 「水上士郎 水彩画展」を観る。  | Main | 劇団『ING進行形』第14回公演・人形の家ーイプセンよりー を見る。 »

October 20, 2009

こまつ座ホリプロ公演「組曲虐殺」 を見る。

2009年10月5日(月) 天王洲銀河劇場

・高畑淳子さん、石原さとみさん、伊藤ふじこさん=女優さんの美しさに見とれてしまう。
テレビよりずーっといいよ。声も。
・笑いがいっぱいあったが、あとになって、すごいものを見たと思う。
小林多喜二(井上芳雄)を思いだして、やっぱり泣く。
・2人の刑事は、普通の人になったり特高になったり、難しいところを上手く演じていると思った。
(思い出したことがある。)

*作      井上ひさし
 演出     栗山民也
ピアノ     小曾根真
(配役)
小林多喜二 (作家)       井上芳雄
佐藤チマ   (多喜二の実姉) 高畑淳子
田口瀧子   (多喜二の恋人) 石原さとみ
伊藤ふじ子  (多喜二の妻)  神野三鈴
古橋鉄雄   (特高刑事)    山本龍二
山本 正    (特高刑事)   山崎 一
ーーーーー
*多喜二の姉(高畑淳子)が多喜二(井上芳雄)に「大森ギャング事件」について詰問するところ。
ハラハラした。
同じく、多喜二の活動が何の役にたっているのか。何のための苦労か?という質問もあった。
多喜二への支援を惜しまない姉の言葉だけに重たかった。

・多喜二の答えは、具体的で暖かくて確信に満ちたものだった。
ごまかしは一切無い。

*此処のところで、ぼくは’宮本顕冶’を思い出したんだ。
昔読んだ本のなかの宮本さんの一節、
「私は社会主義という問題の原理につきまして、旧制高校の一年生ごろから勉強し始めて、本を読みあさりました。そして、22歳で共産党に入ったけれども、結局、世の中というものはそういう方向にかわらざるをえない。
とするならば、だれかがその先頭に立たなければならない。
私の母なんかは、
『そういう世の中にどうせなるなら、おまえがなにも無理して犠牲になることはないんじゃないか』
『そうなるなら、自然になるだろう』
と、こういって私が運動に入らないようくどきました。
しかし、世の中というものはやっぱり人間が働いてこそ変わるんです、世の中というのは人間のあつまりですから、そう考えて私は、日本共産党に入りました。・・・・」
(宮本顕冶 「回想の人々」 新日本出版社 1985・”共産党員の人間像、これからの世界と日本”

(!宮本さんは、1908年生まれ、22歳というと1930年。1930年の入党ということになる。多喜二と同じ頃だ。
お母様の言葉はさらっと述べられているが、お母様にしたら心配で心配でたまらなかったろう。
多喜二のお姉さんの言葉と重なる。同じ気持ちだったろう、と思う。
ここで考える。
もし、宮本顕冶や小林多喜二が安穏な生き方を選択していたらどうなっていたか、と。
共産党をやめちゃって。
そうすれば、
「党生活者」も「蟹工船」も「1928年3月15日」も世の中にでてこなかったろうなー。
「12年の手紙」も無くなるわけだ。
日本共産党はどうなっていたのだろうか。
無くなるまではいかなくても、現在とはかなり違ったものになっていたと思われる。
「自主独立の党」「民族の党」では無くて「外国盲従の党」になっていたかもしれない。
アメリカと日本の大企業に物を言える政党がなくなっていたかもしれない。
井上ひさしさんは「組曲虐殺」を書けなくなる。
文化が衰退する。日本に魅力がなくなる。

やっぱりあの不屈の闘争は日本の歴史にとって決定的に重要であったのだ。)
ーーーーー
*「多喜二を囲む女性の中で、妻役を演じる神野三鈴が発する怒りと恋人役の石原さとみが抱く悲しみも印象的だ・・・」(しんぶん赤旗・10月8日・9面 「組曲虐殺」 多喜二の生、今をえぐる・瀧口雅仁)

・伊藤ふじ子(神野三鈴)と田口龍子(石原さとみ)のやり取りは、佐藤チマが加わって心に残った。
伊藤が龍子に言う。「(多喜二にとって)(結婚生活は)”現在は”この形が一番いいのよ」。
龍子は黙ってふじ子を見つめる。少しして、うなずいた。(とぼくは思った。)
龍子は多喜二を!お兄さん!と呼んでいた。
多喜二が殺され、龍子は佐藤チマと北海道へ帰る。龍子は、「多喜二さん!」と呼んでいた。

(!ここのところで、ある論争を思い出し、それへの回答とボクは思った。
「党生活者」は、いくつかの点で戦後の文学界の中で非常な論争の対象になったものであります。
・・・戦後、一部の人びとから笠原という婦人の扱い方が、きわめて非人間的で、目的のために手段を選ばない、人間蔑視であるなどという攻撃がなされ、これにたいしていろんな論争があって、多くの「党生活者」論が書かれました。笠原の描き方の欠点をとらえて、そのように断定することに私も反対してきました。
=宮本顕冶。

平野謙氏や荒正人氏が、「党生活者」の中における主人公の女性に対する扱い方が、非常に非人間的であると批判して、中野重治氏や蔵原惟人氏など旧ナップ出身の人々とのあいだに激しい論争が行われました。
=佐々木基一

・この論争に対する回答だと思った。)

*古橋鉄雄(山本龍二)と山本正(山崎一)の二人の特高刑事は、多喜二を監視し付け狙う。その一方、多喜二に魅かれるところもある。
刑事として威張っているが、貧しかった生い立ちのことにも触れる。人間的なところを見せる。
フルーツパーラーでの多喜二、ふじ子、チマ、龍子とのやり取りは、ピストルが出てきたりで、緊張した。そして、笑わせられた。おもしろかった。

(!新宿区にSYさんという方がおられる。現在も80歳代半ばでお元気だ。
私が新宿に住んでいた頃はご夫婦で文房具店を営んでおられた。
現在は、同じ場所でビルのオーナーになっておられる。
ご夫婦で共産党の活動をしておられた。私もちょくちょく、ビラ巻きとか赤旗配達を手伝って、ご自宅へお邪魔するようになった。奥様のカレーライスをご馳走になった。
SYさんは自分がなぜ共産党に入ったかなどを話してくださったものだ。
「組曲虐殺」でSYさんのことを思い出した。内容とは離れていると思うんだけど、話してみたくなった。

SYさんのお話(記憶のままに)、
・ボク(SY)は、当時(1950年ごろ)、神楽坂警察署の警察官だったんだ。
(神楽坂警察署は早稲田警察署と合併、現在牛込警察署となっている)
警察官になって3年目だった。交番勤務になった。真面目に勤務していた。
・ある日、近くの文房具店へ買い物に行ったんだ。お店の娘さんが店番をしていた。
その娘さん、美人で可愛らしくて、20歳位だよ。(今の奥さんだよ。)
ボクは、びっくりして何も言えなくて、「何か御用ですか?」って、警官が質問されて。
一目ぼれさ。
・それから、制服警官が毎日文房具店へ買い物に行くようになって、真ん中を省略するけれど、ようやくにして本人の了解をとりつけお母さんに挨拶するところまでこぎつけたよ。お父さんは亡くなられていた。
お母さんの名前は仮に映画から借りるわけではないが「とら」さんとしておこう。とにかく凄い人で「とら」が一番いいよ。会ってこれはただ者ではないと思ったね。
でも、ボクは娘さんとどうしても結婚したかったんだ。
正座して「とら」御母さんへお願いしたよ。
「娘さんをボクにください。娘さんと結婚させてください」って。
・御母さんは、しばらく黙っていたね。今思うと、ボクの彼女から聞いていて考えていたのだと思うんだけど。
口を開いたね。そして言ったね。

「結婚は許します。
但し、三つの条件があります。これを全部飲んだら娘と結婚してもよろしい。
一つ、警官を辞めて文房具店を継ぐこと
一つ、日本共産党へ入党すること。
一つ、我が家へ婿養子として入ること。姓を変えること。」

・ボクはどうしたと思う。
二つ返事で、「ハイ!分かりました!」と言ったんだ。
「結婚はゆるします」、しか聞いていなかったんだなー。
いずれ完落ちだよ。完落ち。
・とらオカアサンが、共産党が非合法だった戦前からの活動家だったというのは結婚してから聞いたね。
迫力が違うよ。迫力が。

・そうこうしている内に手続きが進んで、結婚して共産党へハイって、活動を始めたね。
その頃は、レッドパージ、50年問題の頃で、共産党へ近づく人なんかいなかったよ。
警察は共産党を追い掛け回していたんだから。
そんな時、警察官だった男がが共産党を始めるんだから戴したものだと思うね。

・ボクが共産党の活動に最初に参加したのは、1955年(昭和30年)4月の新宿区議会議員選挙だ。
共産党からは、茶山克己さんと村越喜一さんが立候補した。
時代のせいもあって運動員は少なかった。
ボクは、朝8時にリュックサックにビラをメ一杯つめて出かけた。妻から握り飯5つと水筒を渡されてね。
新宿を二つに分けて、一方(茶山地域)のびら配りを一人でやったわけさ。
市谷、戸山、大久保、落合、早稲田、飯田橋、神楽坂、全部一人で配った。
夜8時までかかったね。
その時、茶山さんは、44人中4位で当選した。村越さんも当選した。うれしかったね。
「50年問題」から共産党が立ち直るときだった。その先頭にいた。

・こんなこともあった。ある日のことだが。
ビラ配りを終わって、ほっとしてボクは尿意をもよおした。
立小便をした。当時は誰でもやる時代だよ。
刑事が後をつけていたんだね。
軽犯罪法違反で逮捕だよ。
四谷警察署へ連れて行かれたね。
どうなることかと思った。
事情聴取に来た人が、昔の上司だったよ。
ボクをみて一言、
「なにやってんだ。すぐ配置に付け。」
で、すぐ釈放された。
粋な人だった。
・立小便なんかしてはだめだよ。

・結婚して、子供も授かった。
子供は高校、大学とも自転車通学。電車に乗ったことはない。
今、医者をやっている。

・共産党には感謝している。


|

« ー伝説からのメッセージー 「水上士郎 水彩画展」を観る。  | Main | 劇団『ING進行形』第14回公演・人形の家ーイプセンよりー を見る。 »

「文化・芸術」カテゴリの記事

Comments

25日の普代会に参加させていただきます、普代村議会議員のなかがみと申します。 初めて参加しますので、参考までにと思って検索して訪問させていただきました。 昨年の普代会の様子を読ませていただき参考になりました。 25日にはよろしくお願いいたします。私用もあり21日出発してそのまま参加いたします。楽しみです。

Posted by: 中上かずと | October 20, 2009 at 08:12 PM

お名前はかねがね賜っております。
楽しみにしております。
お待ちしています。

Posted by: さすらい | October 22, 2009 at 07:47 AM

Post a comment



(Not displayed with comment.)


Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.



TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/96057/46533007

Listed below are links to weblogs that reference こまつ座ホリプロ公演「組曲虐殺」 を見る。:

« ー伝説からのメッセージー 「水上士郎 水彩画展」を観る。  | Main | 劇団『ING進行形』第14回公演・人形の家ーイプセンよりー を見る。 »