「日本共産党創立89周年記念講演会」 を聞く。
2011年8月x日
*8月1日(月)・午後6時30分・日本青年会館
「日本共産党創立89周年記念講演会」 をインターネットで見た。聞いた。
*その内容が、「しんぶん赤旗」・8月2日(火)・8月3日(水)に載っている。
また、写させてもらいます。
【しんぶん赤旗】2011年8月2日(火)・3面
*日本共産党創立89周年記念講演会・3県委員長あいさつ
★(日本共産党)岩手県委員長 菅原 則勝 さん
○献身的な救援 人間的集団の党○
・3月11日に発生した大震災・津波被害に対して、全国からの御支援に心から感謝を申し上げます。(拍手)
県内の被害は、死者4614人、行方不明者2269人、うち死亡届けの受理数672人、家屋の倒壊2万4535棟、避難所で生活している方は4892人です。
仮説住宅のお線香の香りが物語るように、被災者、県民の傷痕は、いまだに癒えている状況ではありません。
しかし、多くのみなさんが、明日への希望を持ち、力強く復興に立ちあがっています。
全国のみなさんの協力を得て「無料青空市」、憩いの場になっている「お茶っ子の会」開催や、被災者の要求を聞く活動をさらに強めたい。
被災者に寄り添い、「被災者の生活基盤の再建こそ復興の土台」「上からの復興押し付けを許さない」の見地で全力を上げる決意です。
救援活動を通じて「日本共産党とは何か、党員とはどうあるべきか」を教えられました。
県内の党員の死亡21人、行方不明9人です。
及川一郎陸前高田市議をはじめ、最後まで住民の避難誘導にあたり、尊い命を津波で流された同志もいます。
被災地の議員は「津波の恐ろしさ、無情さ、悲しみの深さを埋めることは私の心ではできません。
しかし、被災者の方が毎日少しでも和らいでいければいいと思って支えています」と述べています。
斎藤信県議は毎週被災地に出向き、奮闘しています。
多くの地方議員、党員が、自らの被災も顧みず、献身的な活動をおこなってきました。
命をも顧みず、私心なく活動する。
人間らしい生活を求め、人間らしく生きるために活動する。
それはもっとも人間的であり、ヒューマンな姿だと思います。
その集団こそ日本共産党です。
悲しみは尽きることはありませんが、創立89周年にあたり、日本共産党は日本の社会にとって、日本の未来にとって宝だと痛感しています。
(拍手)
岩手は延期選挙の真っ最中です。
勝利目指し、奮闘する決意です。
(拍手)
(*昭和8年 3月 3日・三陸大津波・死者約3000人、流失倒壊家屋約7000棟、
昭和35年5月24日・チリ地震津波・死者139人、被害家屋約4万6000棟だった。
三陸大火もあった。それに続いてだもの。)
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★(日本共産党)宮城県委員長 中島 康博 さん
○被災者主役の復興 地方選全力○
・東京はじめ全国のみなさんのボランティア、物資の支援に心から感謝申し上げます。
死者・行方不明者をふくめ宮城県民1万1800人余の命を奪った大震災から5カ月近くになりますが、県民の生業はいまなお深刻です。
党のよびかけによる救援ボランティアが宮城県に約6000人入っています。
私たちは被災者によりそい、「物資のお届け」「要望の聞き取り」「泥出し」活動などにとりくんでいます。
訪問すると、物資の不足、生活環境の改善、将来の不安についてせきを切ったように訴えられます。
石巻市では7月20日の市議会で、市民から出された要望にもとづいて、わが党の水沢富士江市議が質問を行い、仮設住宅の玄関にも網戸が設置されることになりました。
亘理町でのいちご農家の泥出しでは、「農業を続ける希望がわいた」と感謝されています。
全国の支援を受けた私たちの救援、復旧をめざす活動が、被災者のみなさんの生きる力、将来への希望になっています。
(拍手)
宮城県では延期された地方選挙が8月、9月に行われます。
救援や復興、原発問題をどうするのか、被災者の声、市民の声で政治を動かす選挙にしなければならないと決意しています。
仙台市では、津波被害とともに宅地被害が大きく広がっています。
共産党も支援して被害者の会をつくり、宅地被害に公的負担を求めて全力をあげていますが、仙台市は国に要望するだけで、予算をつけようとはしていません。
今度の市議選で共産党を現状の6から7議席に躍進させ、この力で公費負担を実現させるなど、被災者主役の救援・復興を進める機会にしなければなりません。
(拍手)
同時に県民の暮らし、生業にかかわる復旧にむけたとりくみはほとんど進んでいないことから、「国も県も市政も何もやってくれない」との声がきかれます。
私たちは、政治と政党の在り方を堂々と訴え、頑張りぬく決意です。
(拍手)
(*第一線での奮闘、、。熱意が伝わってきます。
仙台市議選・28日投開票・共産党7人全員当選!1議席増!)
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★(日本共産党)福島県委員長 久保田 仁 さん
○原発反対貫いた党に 広い共感○
・昨日の福島市議選、4人全員当選を勝ち取り、原発事故以来、9市町村で15人の全員の当選を勝ち取って、この場に立つことができました。
全国からの御支援に心からのお礼と感謝を申し上げます。
(拍手)
選挙結果の一番の特徴は、投票率が過去最低の42,6%となった中で、日本共産党が初めて得票率で10%を超え、4人全員の当選を勝ち取ったことです。
民主党は2から1に後退、自民党も3から1、社民党も3から2に後退しました。
わが党は参院比例票から1116票増、得票率は前回比1・46%増の10・44%で4議席を確保しました。
この結果は、未曾有の危機の中で、わが党が国民の中に打って出るならば、前進しうる可能性が大いにあることを示した結果だと思います。
ほとんどの候補者が原発や放射能の問題をとりあげましたが、一貫して原発に反対し、安全性を求めてきたわが党への共感が広がりました。
原発事故や放射能汚染の賠償問題を訴えたのはわが党だけです。
賠償問題は、米国と財界いいなりという政治の「二つの異常」が具体的に問われる問題だからです。
日本の改革の方針を示す綱領をもつ党だからこそ、堂々と主張して力を発揮したと確信しています。
県は「原子力依存からの脱却」にふみだしました。
原発ゼロの声をさらに大きくし、「安心して住み続けられる福島県」を取り戻すため、徹底した放射線量調査を行い、徹底した除染を実施させていく、そして、その責任と負担は東電と国に求めていくたたかいと運動を強めたいと思います。
7月、原発事故による避難者の中から初めて入党者を迎え、5人の方が入党を決意しました。
わが党のボランティア活動や東電相手の賠償請求のたたかいを通じて、新しい社会を目指して入党を決意していただいたことは、大きな喜びです。
党建設に力を尽くし、引き続く選挙で必ず勝利する決意です。
ありがとうございました。
(拍手)
(*原発事故と大震災、二つの災難を前にしての奮闘。言葉もありません。
ボクの大学の同窓生で、双葉高校出身の人がいます。
教師をやっていて、最近定年になりましたが。
福島第一原発から、4㎞の所に実家がありまして、後を継いでいるお兄さんの家族の避難の様子など、聞かせていただきました。
東電が、第一原発の計画を発表した時、彼は高校1年生だったとか。
東電の当時の住民工作の様子なども話していました。
彼は、現在の浪江町町長、双葉町町長、広野町町長とも、高校の時の同級生、同窓生とか。)
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【しんぶん赤旗】2011年6月29日(水)・6面・を読む。
〈原発災害を考えるー歴史的検証と未来への提言〉
BS11番組 不破社研所長 語る
・26日放映のBS11番組「本格闘論(フェイス」に出演し、、、、
二木敬孝 解説委員のインタビューに答えました。
(見出し)
・「福島の原発事故をどうみるかー事態の全貌が分からないままでの対応」
・「不破質問(76~99年)のなかに「いまの原発の現状が全部ある」(二木)
・「使用済み核燃料問題」-10万年、100万年後の人類に脅威の先送りは許されない」
(絶対的 どうかん!)
・「ここから何を教訓としてくみとるかー原発撤退の決断と本当の安全優先の体制」
(二木) ほんとうに我々は「安全神話」から抜け出して、さあどうするのかという道は二つしかないと思うんですよ。
前に行くか、後ろに下がるかということなんですが、そういう意味では大きな契機になるだろうし、不破さんのこういう質問も積み重ねの中で今回、いろんな議論の問題点につながっています。
(*その通り!
不破哲三 「『科学の目で』原発災害を考える」(日本共産党中央委員会出版局)
・・・・
≪これまでの国会質問から≫
・形だけの審査体制。使用済み核燃料の危険性(1976年)
・スリースマイル事故の教訓もそっちのけ(1980年)
・東海大地震の予想震源地でなぜ原発増設を認めるのか(1981年)
・国際条約違反を承知で「推進機関」に規制を任せる(1999年)
・大災害でも司令塔を立てられない日本の体制
・専門家といっても何の専門家なのかが問題
ー読むべし!)
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【しんぶん赤旗】2011年8月3日(水)・7,8,9,10面
「日本共産党創立89周年記念講演会」 を読む。
★危機をのりこえて新しい日本を★
志位和夫 委員長の記念講演
(見出し)
*国民のなかの大きな変化と、日本共産党との共鳴
*大震災ー社会的連帯の広がりと、立党の精神にたった日本共産党の奮闘
・「自己責任」論を国民的にのりこえ、社会的連帯を求める変化が
・被災者の苦しみに心をよせてー被災地で、募金で、ボランティアで
、、、私(志位)も、何度か、被災地に伺いましたが、どこでも、日本共産党員が、自ら被災し、かけがえのない家族や友人を失いながら、救援・復興活動の先頭にたってがんばっている姿に接し、胸が熱くなる想いでありました。
大震災によって、わが党も、49人の同志が命を落とし、10人が行方不明という犠牲をこうむりました。
少なくない「しんぶん赤旗」の読者、支持者の方々も失いました。
地方議員では、岩手県・陸前高田市の及川一郎市議会議員が亡くなりました。
・・・(*合掌*)・・・
及川一郎同志の奮闘を、みんなで心に深く刻みたいと思います。
被災地の日本共産党員のみなさんが、避難所で、仮設住宅で、破壊された漁港で、地方議会で、被災者救援の先頭に立ち、切実な要求を掲げて政治を動かし、住民の信頼を高めている。
これは、「国民の苦難軽減のために献身する」という日本共産党の立党の精神を体現したものであり、わが党の誇りであります。
(拍手)
・・・・・・
・・・・・・
・日本共産党に託された「震災募金」は、8億8千万円を超えまして(拍手)、「党機関支援募金」は2億2千万円に達し、合計で11億円という空前の規模となりました(拍手)。
自治体、農協、漁協、商工会議所、商工会などにお届けしていますが、感謝と共に驚きの声も寄せられています。
「カネを出せという政党はあっても、義援金を届けてくれる政党には初めて出会った」(笑い、拍手)という声も少なくありません。(拍手)
ーーー
(*政党助成金を1円も受け取らない上に、義援金を届ける。
阪神大震災の時もそうだった。
パフォーマンスでできるものではない。
他の政党は何百億円も政党助成金を受け取りながら、何をやっているのだろう。)
(*自分のことなんですがね。
私の村は、岩手県の県北の村で、被災地なのですが、村の広報に義援金を贈った人の名前と金額が載るのですよ。毎月。
私の所へも、どこからか電話がありまして、田舎のほうから。
「オメ―の兄弟は、帰ってきて、村へ50万円、家の仏へ○○円、上ゲって行った。
オメ―の名前は、広報にのっていない。なにをやっているんだ!
生活に困っているのか!」
ボクは、とっさに言ってやりましたよ。
「村の広報に、日本共産党中央委員会300万円、と載っているだろう。
それが、オレだ!中に入っている」。
委員長、どうも、すみません。)
ーーーー
*大震災から国民の命を守ってー暗黒政治のもとでの不屈のたたかいの歴史
・関東大震災ー命がけで被災者救援にあたった共青初代委員長
・「昭和の三陸大津波」-苛烈な弾圧のさなかの救援活動
*”財界主導の上からの復興”のおしつけか、”住民合意を尊重した復興”か
・政治を前に動かす変化ー「二重ローン」の解消をめざすとりくみ
・漁業権の絆を分断する卑劣な動きー「水産特区構想」に反対する
・ソニーの無法なリストラ計画ー大震災のときこそ大企業は社会に恩返しせよ
・「ルールある経済社会」-社会的連帯で人々が支え合う新しい日本を
*原発災害ー「安全神話」の崩壊と、日本共産党への注目
・「政治のウソ」が明るみにだされ、「真実を知りたい」という動きが
・国民の声が政治を動かし始めたー原発再稼働と「やらせ」をめぐって
*原発の危険性の本質は何かーいまこそ「原発ゼロの日本」を
・「原発撤退提言」ー原発の危険性を突き詰めて解明し「撤退の論理」を示す
・国民に隠された恐るべき被害推定ー原発は隠蔽と虚構のうえにつくられた
*原発の危険に反対する戦後半世紀余のたたかいの歴史
・原発導入の最初の段階から、危険性に警鐘ならし、住民とともにたたかう
・全国のたたかいで、「原発1億キロワット」の計画を半分以下に抑えこむ
・立地が強行されたところでも粘り強いたたかいが続く
*日本の政治の歪みを正し、社会の姿かたちを変えるたたかい
・「原発利益共同体」-“原子力村のペンタゴン”
・・・・
・・(有名大学の御用学者)、、、原発事故が起った後も、彼らは恥知らずにもテレビに登場し、「ただちに健康に影響はないとかんがえられます」とか、「原子炉格納容器の健全性は確保されていると考えられます」とか、無責任な発言をくりかえしました。
そして、電力会社は、巨大メディアを巨額の広告費で買収し、「共同体」の仲間に引き入れました。
・「原発利益共同体」は、あらゆる異論を排除する「原子力村」をつくり、「安全神話」の製造元となり、国民をウソで欺いて原発を推進し、巨額の利益をむさぼってきました。
ーーーー
(*そういうことか。
1960年代後半、大学の中で「産学共同反対、学問の自由を守れ」の運動があった。
運動まで行かなかったかな。議論はあった。
当時、深く考えなかった。分からなかった。
「産学共同ではなく、学産共同ならいいではないか。
あくまで学問が優先する。学問に産業をしたがえるのだ。」
というような事を言った奴がいて、そこら辺で収まっていたのではなかったか。
だが、そんな、甘いものではなかった。
学者もマスコミも巨額のカネの前には、徐々にだったが、ダメになったのだ。
これからも、繰り返すのだろうか。)
ーーーー
・「原発マネー」で総なめにされた大手新聞に猛省を求める
(*拍手!まったく、その通り。外国特派員協会での講演も読みました。
共産党は、益々大手マスコミから遠ざけられると思います。
本当の事を云うから。
しかし、国民は良く見ていますよ。
深部の目、深部の力、これは存在する。
地殻変動も。信じます。)
ーーーーー
・濃縮ウランも原子炉もアメリカ頼みー対米従属から抜けだそう
・人間らしい社会をつくる大きな展望をもって
*政治が大きく変わる歴史的前夜ー日本共産党への入党を心から訴える
・「二大政党」づくりの動きの行き詰まりと、国民の中に起っている変化
・民間大企業のなかにも深い変化が起っている
・危機をのりこえ新しい日本をーこの大仕事にともにとりくもう
・・・・
・みなさん。
日本共産党員としての生き方は、世間的な出世や栄達とは無縁なものかもしれません。
共産党に入ってお金が儲かることもありません。
(笑い)
それぞれの力に応じて出費も(笑い)お願いしなければなりません。
(拍手)
しかし、みなさん。
不当な圧迫に屈せず、自らの良心と信念を貫く生き方にこそ、ほんとうに人間らしい生き方があり、生きるにたる人生があり、そしてその中にこそ人間の真の幸福があると、私は信じるものであります。
(大きな拍手)
(*拍手・名演説だ!)
――――――
○不破哲三
「時代の証言」(中央公論社) 2011年
を読む。
・革新自治体と共社接近ー革新共闘の広がり・
(120~121 頁)
1971年の大阪府知事選、黒田了一さんの勝利は劇的でした。
投開票日は、朝から開票状況を見ながらの与野党記者会見という舞台設定となり、自民党の田中角栄幹事長は、70年の大阪万博成功のあとだけに、現職佐藤義詮氏の勝利に自信満々の風情でした。
ところが第一報は「黒田一位」。
角栄氏は「まだまだ」と頑張りますが、間もなく「黒田当確」。
強気の角栄氏も兜を脱ぎ、私に向かい「これからは共産党に選挙のやり方を教わらんといかんな」と、この人らしからぬ言葉を述べたものです。
ーーーーーー
(*ここのところ、目に見えるようだ。
・ボクは、Tさん(故人)の事を思い出していた。
労働組合の幹部の方だった。当時は大阪におられた。
東京に出てきてから、府知事選挙のことを話しておられた。
”、、、どうしても勝ちたかった。
大阪で共社統一候補が決まるなんて夢のようだった。
黒田さんだろ。みんな歓声を上げたものさ。
・・・ビラは連日配った。駅頭、団地、全戸やった。
電話は当たり前だろ。
当たれる人には全部あたった。
やれる事は、全部やった。
でも、相手は佐藤義詮、全国知事会の会長もやっている。
現職だろ。誰でも知っている。
黒田さんは、知名度で落ちる。
どうにかできないか。
それで、最後にやったのさ。「迷子の呼び出し」さ。
全員で、一斉に、街へ散った。
駅と云う駅、デパートというデパートでやってもらったのさ。
「黒田さ~ん。黒田さ~ん。○○さんが、○○にいます。」
「クロダさ~ん。クロダさ~ん。大至急、改札口まで、、、。」
街宣車の連呼と同じさ。何日やったろー。
黒田了一さんが当選した。党首の記者会見があった。
宮本顕治さんは、
「あははは、敵は油断していたからねー。あははは」、とやった。
痛快だった。”
ーーーーーー
*Tさん、定年退職して翌年、フランスへ1年間遊学された。
学生(京都大学)時代からの夢だったと、、。
帰国して2年後、急逝した。64歳だった。
亡くなる1年前、西宮市のご自宅へお邪魔した。
奥さまと本とCDと花の家だった。
亡くなられて、もう7年、いや8年か。


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