« November 2011 | Main | January 2012 »

December 2011

December 31, 2011

日本共産党・第4回中央委員会総会・志位和夫委員長の幹部会報告・を読む。

2011年12月5日(月)
「しんぶん 赤旗」 を読む。
(まる写し・見出しと・お借りします)

★第4回中央委員会・志位委員長の幹部会報告★
・・・・
・この4中総の任務は、「政権交代」から2年余、東日本大震災と原発事故から9カ月を経た日本の政治の現状と、たたかいの課題を明らかにするとともに、来るべき総選挙でわが党が本格的な反転攻勢に転じるための方針を提起し、総選挙勝利を正面にすえて「党勢拡大運動」の飛躍をかちとる全党の意思統一をはかることにあります。
(*党のまとまり、意思統一、大切なことと思いますね。
民主党を見ているとつくづくそう思います。)

①、「政権交代」から2年余、日本の政治はどこまできたか
・・・・
*鳩山・菅政権から野田政権へー「二大政党づくり」が破綻に直面している*
・・・・
・鳩山・菅政権の失敗は何を示したか・
・・・・
国民が政権交代に託したものは何だったか。
「政治を変えてほしい」という願いであります。
その結果、発足当初の民主党政権の個々の政策には、国民の願いを反映した前向きの要素も混在していました。
どころが、裏切りと転落が始まります。
最初の裏切りは、沖縄・普天間基地問題でした。
この問題で、迷走の果てに「県外、国外移設」という公約を裏切った鳩山政権は退陣に追い込まれました。
ーーーーー
(*そうそう、ダメ元でも良いから、一言でもアメリカ政府当局へ、“基地を国外へ!”と言ってもらいたかったですよ。
国民はそれを期待していたのです。
ハトヤマさんも、沖縄の基地が100年後も今のままでよいとは思わない、と言っていたのですから。
まあ、日米関係に深刻な日本の従属があることが分かったー人的にも機構的にも言論界でも経済会は勿論外務省も軍事もー国民全体が改めて分かった点は良かったと思います。
鳩山さんを基準にして、それ以上の人を選べばあるいはアメリカへ基地撤去を言えるかもしれない。
民主党以上の政党、国民と団結して揺るがない政党が政権へ入ればアメリカへ基地撤去を言えるかもしれない。そんな風に思いましたから。
その政党が別に共産党だけ、と言う意味ではないですが。
共産党には政権に入ってもらいたいですよ。
世界で最後の植民地ー沖縄と日本。今はそうだ。
アメリカが偉い国であることは良く分かっているが、どうしてもここから抜け出したい。
一つに、メカケ思想の人が威張って中心に居てもっともらしくシャベリまくっている日本国はいやだから。

また、こう云えばすぐ中国のことを言いだす人がいるのは分かっていますが。
これもごまかしでしょう。
やめよう。きりがない。あらためて。)
ーーーーーー
・代わって登場した菅政権も、公約を裏切って消費税10%への増税を持ち出し、更に突然、TPP(環太平洋連携協定)交渉参加検討を打ち出し、国民的怒りにつつまれました。
3月11日に発生した大震災と原発事故は、それまでの政治のあり方の根本を問うものとなりました。
しかし、菅政権は、、、、、、
住民合意を無視した上からの財界本位の計画の押し付けなど、復興に逆行する数々の問題点が噴き出し、退陣に追い込まれました。

鳩山・菅政権の失敗は何を示したか。
それは、私たちが「二つの異常」と呼んでいる「異常な対米従属」「大企業・財界の横暴な支配」という国民の願いに決してこたえられないということであります。
同時に、鳩山政権は、普天間問題で一時であれ「県外、国外移設」といい、菅政権も、原発問題で一時的に「個人の見解」といいながら「原発のない社会」をめざすと発言するなど、「二つの異常」を特徴とする古い政治の根幹に触れる問題で、支配勢力から見ると動揺と迷走ともいうべき対応をおこないました。
その結果、二つの政権は、国民からだけでなく、支配勢力からも見放されて、失脚に追い込まれたのであります。
ーーーー
(*なるほど。国民からだけでなく、支配勢力からも見放された、、、。=良く分かる。
野田政権が、TPP,消費税、普天間基地問題で遮二無二突っ走るのは、国民からは既に見放されているが、支配勢力からの支持だけはなんとかつなぎ止めようとしていると、そう云う訳ですね。
消費税のことですが、町会の人で歳末募金を集めている人が言っていました。
この頃集まりが悪いと。
毎年、決まって1000円募金している人が「今年から300円にして」といわれたとか。
「5000円していた人が1000円になった」と。
景気が悪くて収入が減っている。
店に客がこない。
この上に消費税増税なんて、もうやっていけない。
増税は無理ですよ。野田さん!
松下政経塾というのはダメだとも、、、。)
ーーーーーーーーーー
(見出し)
*野田政権ーアメリカ・財界の「使い走り」、「民自公」の3党体制*
・・・・・
米倉経団連会長は「(菅前首相とは)首から上の質が違う」と大歓迎しました。
・・・・
ーーーーー
(・これは、同会長の原発発言と共に記録しておくべき発言だ。
胴体は同じだが首から上の質が違うと。
どういう意味なのだ。
胴体は99%の側だが、首から上だけは経団連と同じ1%の側だと云う意味か。
都合の良い人間と言う意味か。ソウリでも。
経団連はそんなに偉いのか。
そういえば、テレビでもラジオでもその手の“評論家”が多い。
芸能人も。パシリのような。)
ーーーーーー
・日本の政治の真の「対決軸」が見えやすくなる新しい情勢が進展している・

〇新しい政治への国民の探求、日本共産党との新たな共同の広がり〇

・これまで保守の基盤とされてきた団体・個人との共同が劇的に発展しつつある・
*大震災・原発事故という未曽有の体験を契機とした新たな共同の広がり*
・・・・・
この間おこなわれた被災3県での県議会選挙で、わが党は、
岩手県議選で1議席から2議席、
宮城県議選で2議席から4議席、
福島県議選で3議席から5議席、
3県合計で6議席から11議席への躍進を果たしました。

これは、選挙と云う有権者の審判によって、大震災と原発事故に対する我が党の基本姿勢が、国民の利益にかなうものだという社会的評価をされたものにほかなりません。
・・・・
(拍手)

*「県内移設反対」が揺るぎない県民の総意となった沖縄の歴史的変化*
・・・・
11月14日、沖縄県議会は、全会一致で新基地建設のための環境アセス評価書の提出に反対する意見書を採択しましたが、この意見書をもって国会に、わが党に要請にみえた県議会超党派の要請団の方々が、口々に「2年前とは沖縄はまったく変わりました。
政府はそれを理解すべきです」、
こう語っていたことは、たいへん印象的でありました。

(*政府の理解。アメリカの云うことだけは聞くが、で。情けない政府ではダメだ!)

〇歴史的岐路にたつ日本の政治ー変革者の党の真価が問われる〇
*新しい政治への「歴史的前夜」-国民が真実を見きわめる条件が急速に広がる*

*閉塞状況の反動的・ファッショ的打開の危険を直視し、正面からたたかう*

*政治と社会の危機と新しい時代への希望が交錯する激動の情勢にふさわしい奮闘を*
ーーー
②各分野での国民運動の大きな高揚―日本共産党が先駆的役割を

〇大震災・原発災害からの復興、「原発ゼロの日本」をめざすたたかい〇

*復興財源、復興のありかた、公的支援―復興をめぐる政治的対決点が鮮明に*

*徹底した除染と全面賠償―原発に固執する姿勢を変えさせるたたかいと一体に*

*「原発ゼロの日本」への合意をつくる広範な共同と粘り強い運動を*

〇TPP問題、普天間問題―対米従属を問う二つの熱い焦点〇

*たたかいはこれから―TPP参加阻止の一点での共同闘争の発展を*

*力ずくでの新基地建設は許さない―全国の連帯したたたかいを*

〇「消費税増税と社会保障の一体改悪」反対、社会保障充実をめざすたたかい〇

*社会保障大改悪と一体の消費税大増税―これまでにない最悪の計画*

*財源を段階的に確保しながら、段階的に社会保障拡充に踏み出す*

(志位さん)
この問題では反対とともに対案を示すことが重要です。
・・・・
・・・・
日本共産党は、社会保障の改悪を中止し、つぎの三つの内容で財源を確保しながら、段階的・連続的に社会保障の拡充に踏み出すことを求めます。

第一に、大企業、大資産家への新たな減税を中止し、軍事費、大型開発、原発関連予算、政党助税金など「聖域」を設けず歳出のムダにメスを入れます。

第二に、富裕層と大企業に応分の負担をもとめる税制改革―これまでのゆきすぎた減税を見直し、欧米で検討されている富裕層への課税強化をすすめます。

第三に、国民全体で社会保障の抜本的拡充の財源を支えるため、所得に応じた負担をもとめる税制改革をおこないます。

過去最悪の「税と社会保障の一体改悪」を許さず、社会保障の充実をはかるたたかいは、今後の国民の暮らし、日本の経済と社会のあり方を左右する歴史的たたかいとなります。
「消費税増税と社会保障の一体改悪」反対、社会保障充実の財源はムダの削減と「応能負担の原則」でまかなえ―この旗印を高く掲げ、国民的たたかいをおこそうではありませんか。

(*なるほど。よくわかる。
第三の〈国民全体で〉抜本的拡充の財源をささえるため・というのは、新しい提案ではないのか。
〈国民全体〉というとすぐ消費税へ結びつけるのが政府のやり方だとおもうのだが。・・・)

〇貧困と格差をなくし、雇用・家計・経済を立て直す〇

*「私達は99%だ」―世界の運動と響きあう日本の現状*
(読むべし!)

*大企業に過剰に蓄積された富を、暮らしと経済に還元させよう*
(読むべし!)
全くそのとおり。

〇選挙制度改革をめぐるたたかいについて〇
(これは重要だ!)

〇要求実現のたたかいと一体に、綱領路線を国民多数の合意にする独自の努力を〇
ーーーーーー
③総選挙方針―「二大政党づくり」を乗り越え、綱領実現にむけた新たなスタートを

〇来るべき総選挙の歴史的意義と目標について〇

*民主連合政府にむけて、新たな本格的なスタートを切る選挙に*

*「成長・発展目標」を自覚化し、650万票以上の得票目標に正面から挑戦しよう*

〇比例代表と小選挙区の候補者擁立の基本方針について〇

*前回総選挙の候補者擁立の方針と総括について*

*新しい情勢のもとでの提案―「すべての小選挙区で候補者擁立をめざす」*

*中央と地方が一体で候補者づくりの大仕事に力をつくす*

〇全党が総選挙、とりわけ比例選挙を、「自らの選挙」として取り組む〇

*比例代表選挙を「自らの選挙」として取り組む一大画期の選挙に*

*第一の力点―比例ブロックごとに議席増のための政治・組織戦略を具体化する*

*第二の力点―結びつきを生かし、広げることを軸にした選挙活動の日常かをはかる*

〇次期参議院選挙勝利をめざす活動と一体にたたかう〇

(・小池晃さんは、国会に絶対的に必要な方です。みんな、今いなくて残念、と言っていますよ。)
ーーーーー
④「党勢拡大大運動」の到達点と、発展・飛躍にむけた方針

〇「党勢拡大大運動」の到達点について〇

〇総選挙勝利を正面にすえた運動に発展させる―目標の明確化と発展を提案する〇

*「大運動」は、「党員拡大を中心」にした運動―5万人の目標を必ずやりきる*

*総選挙勝利を正面にすえ、読者拡大の目標の見直しと発展を提案する*

*「大運動」の目標を「成長・発展目標」に接近する第一歩として自覚的に位置づける*

〇「大運動」の発展・飛躍に向けて―五つの強化方向〇

*情勢の劇的変化、党躍進の条件を、決定と「しんぶん赤旗」にそくしてつかむ*

*「支部が主役」で、要求活動と党勢拡大を「車の両輪」として取り組む*

*量とともに質を―“日本共産党らしい党づくり”への特別の努力をはらう*

*「集い」を党生活推進の「軸」として位置付け、豊かに発展させる*

*「党機関は支部へ、支部は国民の中へ」―党機関の指導の改善と刷新の努力を*

〇職場支部と若い世代の中での活動―変化をとらえ発展の芽を育てる〇

*職場支部―政治的体験を積む中で労働者の意識に大きな変化が生まれている*

*若い世代―知的探求と人間的連帯を求める動きにこたえる取り組みを*
ーーーー
⑤資本主義の矛盾の深まりと科学的社会主義の生命力

〇世界経済危機―過剰生産が土台にあり比重を増しつつある〇
・・・
「金融危機と過剰生産恐慌の結合」(第25回党大会決議)
・・・
金融的対応に終始し、実体経済と国民生活の安定のための手を打たなかった国々では、失業率が増大し、消費は落ち込み、貧困と較差が広がりました。
・・・
ニューヨーク・ウォ―ル街でおこり、世界に広がっている運動の背景には、貧困と格差の世界的規模での拡大があります。
  
(なるほど。)

〇マルクスへの注目の世界的な広がり〇
(読むべし!)

〇党綱領と科学的社会主義の示す変革の展望を、大いに学び語ろう〇

(志位報告終わり)

| | Comments (0) | TrackBack (0)

December 30, 2011

「秩父夜祭り・八ヶ岳リゾートアウトレット・忍野八海・富士山」を観る。バスツアーへ参加する。

2011年12月3日・4日(土・日)
*クラブツーリズムのバス旅行、一泊最安値プランへ申し込む。
(第一日)
・午前11時30分・上野発(強雨だ・どうなるのだろう)
(途中、雨が止む。)

・午後6時~9時・「秩父夜祭り」を観る。
人人人、、、。後で東京新聞で読む。26万人の人出だったと。
なんといっても笠鉾屋台。6台でている。
「下郷傘鉾」「中近笠鉾」「上町屋台」「宮地屋台」「本町屋台」「中町屋台」。
・「秩父神社」への宮入れを見る。
身動きできない。人のむれで。
笠鉾は大きすぎて境内へはいらない。独特の儀式があるようだ。
笠鉾を大きく傾ける。おーっ!の声。

(「秩父困民党」はこの場所ではなかったかな。
明治・自由民権運動の。)

・「秩父祭り会館」で映像をみる。
“たいへいさん”のエコパック(¥755)を買う。

・「西部秩父駅」前広場テント店で立ち食い蕎麦を食べる。
なが~い行列に並ぶ。
数名いる蕎麦店店員さんの手つきがぎこちない。
「手伝おうか?」とボク。
店員さん、「そのバッチはクラブツーリズムさんですね。15番、成マスですかな。バス会社は。」
ボク、「なんで、分かるの?」
店員さん、「実は普段は営業の仕事してるんですよ。今日は、年一度、臨時でかりだされているわけです。はい。」
(ごくろうさま)

*花火が綺麗だ!

(深夜、八ヶ岳ロイヤルホテルへ入る。寒い。)
ーーーーーーーー
(二日目)
7時起床。天気快晴。気温2度。
ホテルから富士山がみえる。
「高原の旅愁」
♪昔の夢のなつかしく 訪ねきたりし信濃路の、、、。
まてよここは、長野ではない。
山梨県小渕ざわだ。

*午前10時30分~12時。
「八ヶ岳リゾートアウトレット」を見る。
イタリア料理の店で「スパゲッテイ」を食べる。
コーヒーと。
腕が良いのか水が良いのか。とにかく美味い。

*「本栖湖」
*「河口湖」
*「忍野八海」
と回る。

3か所とも、「富士山」が素晴らしかった。
快晴の中の「富士山」。
こんなに裾野からテッペン頂上まではっきり見える富士山は初めてだ。
お札の中の富士山よりはっきりしている。
不気味なくらいだった。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

December 23, 2011

法然上人800回忌・親鸞聖人750回忌特別展 「法然と親鸞 ゆかりの名宝」 を観る。

2011年11月29日(火)
*法然上人800回忌・親鸞聖人750回忌特別展「法然と親鸞 ゆかりの名宝」*
:東京国立博物館 平成館:(上野)
(主催:東京国立博物館、NHK、朝日新聞社)
をみる。

午前10時・行列ができている。並ぶ。
係り員、「30分待ちです。」
(少しして)
同じ係り員、「この頃のケイコウですが、土曜日曜は思ったより混みません。平日の方が混みます。
ちなみに、この前の土・日は待ち時間なしでした。」
全員、「エーッ!」の声。(笑・一部拍手)
ーーーーーーーーーーーー
【朝日新聞 記念号外】(別刷り特集)より
“法然と親鸞 ゆかりの名宝”
“師弟 800年ぶり再開”
・写真・
親鸞ー重要文化財 親鸞聖人影像(熊皮御影)(部分)室町時代 奈良国立博物館蔵
法然ー法然上人像(隆信御影)(部分)鎌倉時代 京都・知恩院蔵

(ウ~ム。800年ぶりか。
確か、一緒だったのは6年間だった。
例の小説によりますけど、親鸞29歳から35歳までだった。京都吉水で。
そして、二度と生前会うことはなかった、、、。)

〈好物食べて しのぶ遺徳〉

・親鸞聖人は、あずきが好きだった。・
・法然上人は、豆腐が好きだった。・

鎌倉仏教の先駆者で浄土宗の宗祖の法然。
40歳年下の弟子で浄土真宗の宗祖親鸞(しんらん)。
好物をめぐる伝承からも、2人の遺徳をしのぶことができる。

法然は豆腐が好きだったという言い伝えが残る。
・・・・・
・・・・・
親鸞の好物は、小豆だったとされる。
・・・・・
・・・・・
本展では、豆腐と小豆をデザインしたミニしおりを作製。
上野のれん会のほか豆腐店、甘味処、懐石料理店などで配布している。
(なくなり次第終了)

〈もらえなかった。〉
ーーーーーーーー
(館内の女性係り員の方)、
「順番にこだわらず、ご覧ください。館内は混みあっています。空いているところからご覧ください。」

*「性信坐像」大進作 (鎌倉時代・13-14世紀)群馬・宝福寺
*「西念坐像」 (鎌倉時代・14世紀)茨城・西念寺
*「顕智坐像」円慶作 (鎌倉時代・1310年)栃木・専修寺
*「善然坐像」 (鎌倉時代・14世紀)三重・太子寺
を観る。

(表情が良い。とにかく。
口を開けていたり、ボヤッとしているような、ヨシヨシと声をだしているような、そんな人ばかりだ。
どこが偉いのだろう、、、?)

*善導大師坐像 (鎌倉時代)・福岡・善導寺
は、歌っていうるようだ。
ーーーーーーーーー
*親鸞聖人坐像 (三重・専修寺)
*親鸞聖人人影像 (奈良国立博物館) を観る。
先ず、
親鸞と言う人は、凄い迫力の顔の人だと、思わせられる。
アメリカ人で言ったら、リンカーンの顔かな。
決して、ハンサムではないが、なにか、つよいものを感じる。
親鸞は90歳まで生きられ、奥さまも何人かおられたのかな。
精神も肉体も頑丈だったのだ。

*法然上人坐像 (奈良・當麻寺奥院)
*法然上人像  (京都・知恩院蔵) を観る。
確か、
親鸞より40歳年上だった。
こちらは、温厚で、なんでも聞いてもらえるような雰囲気がある。
お弟子さんは誰でも受け入れたに違いない。
弟子は、親鸞だけではなかったと思うけど、、、。
法然は一生不犯だったとか。

・坐像を観る限り、お二人は対象的だと、受動的ー攻撃的と、そんな風に思うのだが。
ーーーーーーーー
*選択本願念仏集 
*源空(法然)・証空書状
*教行信証(坂東本) 親鸞筆(国宝)
****等等、、、。
人だかりだ。
阿弥陀経とか、、。著作が多かった方々だったのだと思う。

・奈良、平安時代と天台宗、真言宗が中心だったのだが、その中から新しい宗教、新しい教えを生みだした。
二人とも必死で勉強し修行したろううな。
現在にまで生き続けていて、、、。
・高い教義があって、その教えが一般民衆に浸透する、布教活動だって、小説にもなってけれど、生中なものではない。
ーーーーーーーー
★親鸞と法然ー浄土経、浄土真宗ーとか。
はじめて聞いたのは何時のことだろう。

ボクタチの村はー岩手県の県北の小さな村だけれど、お寺は漕同宗だ。
漕同宗というと開祖は道元、、、。
仏教といえばお寺のことで宗派が幾つもあるなどと言うことは考えたこともなかった。
小学生の頃だったか、お寺のイトウ住職様が法事で家に来た時、集まった人に話していたのを聞いたことがある。
お盆の時などに、旗紙をお墓にかざる。
そのときの表示は「南無阿弥陀仏」となっている。
「南無阿弥陀仏」はもともとは浄土教、浄土真宗です。
漕同宗では、「南無釈迦牟尼仏」です。
それが教えとか教義とかです、というような話だった。
そして、漕同宗なのに何故村のみんなが「南無阿弥陀仏」なのかというと、大昔この地域は浄土真宗が流行っていた。
南部藩政の時、この地域は藩の直轄地なって、盛岡から役人が来た。
その時一緒に漕同宗のお寺を村に持ってきた。
みんな漕同宗のお寺の檀家になったが、昔からのやり方は何も変えなかった。
それでかまわないと思う。
そんな話だった。
浄土真宗ー「南無阿弥陀仏」
漕同宗ー「南無釈迦牟尼仏」
その時、はじめて聞いた。
もちろん、その違いなどは、今も分からない。
ーーーーーーーーー
★その後、親鸞について聞いたのは高校生になってからだ。
2年生の夏休みに特別講座があった。
全員受けた。
講師は、久慈高校のボクタチの頃の高橋校長の前の校長ー松生利直先生ーだった。
松生先生は定年退職の後、山形村(当時・現久慈市山形)の教育長を務めておられた。
その時、歎異抄とか「善人なをもて往生をとぐ、、、、」とか(記憶のままだが)「ムトノイチジョウ、、、」とかの話を聞いた。
内容はこれもよくわからなかった。
しかし、松生先生の凛として透き通るような風貌は印象に残った。
いまでも覚えている。
松生利直先生は、(聞いた話だが)東京出身で戦前の一高か三高かから京都大学へ進まれ西田幾多郎先生の門下生だった。
川端康成と同級だったと云う話も聞いたことがある。
大学教員への道もあったが生涯を僻地教育にささげると云う信念を貫いた。

・松生(まついけ)先生にはお嬢様がおられた。
高校のボクタチの2年先輩だった。
山形村からバス通学しておられた。
47年前になるのか。
竹久夢二の絵の中の女性のそんな感じの、、、。
みんな、あこがれた、、。
あの方は、高校卒業と同時に仙台のキリスト教修道院へ入られた。
そして、現在も関西の教会におられる。

「出家とその弟子」を読んだ。
中山義秀「少年死刑囚」を読んだ。
(読んだ。と云うだけだが。)

| | Comments (0) | TrackBack (0)

December 21, 2011

2011年第37回・玉姫稲荷神社靴のめぐみ祭り市・で靴を買う。

2011年11月27日(日)
*今年も元気に開催!!靴のめぐみ祭り市*
!日本最大の靴のバザール!
場所:玉姫稲荷神社(台東区清川2丁目)

毎年来ているが今年もやってきた。
神社境内と外とで50店舗はでているのではないか。
大勢の客客、、、人だかりだ。

昼過ぎ、靴の神輿が繰り出した。
「地球儀の上の男性靴」と「宝冠の中の女性靴」が神輿になってまつられている。
おもしろい。
それぞれ8人で担いでいる。
めでたい気持ちになる。
これは新聞(ボクは東京新聞で見た)にも紹介されていた。

靴2足とベルト1本をゲット。
サービスのガラガラの抽選は3回とも外れ。(ティッシュ)をもらう。
1等賞は、家族旅行券、だったかな。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

December 19, 2011

2011年第42回「国画展・水墨画」 を観る。

2011年11月26日(土)・

*2011年第42回 「国画展・水墨画」 *
場所:東京交通会館 地階ゴールドサロン
(本年は東京都美術館が改装休館中のため、会場は昨年と同じです。)
の案内をいただく。
 
(早速、いってみよう。)
ーーーーーーーーー
*風間一男
 顔・阿修羅

(達観したような、正面の、アップされた顔だ。
阿修羅にもこういう時があっても良いと思った。)

全部で、80数点展示されていた。
比較的、去年と同じ様な、絵が多かった。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

December 18, 2011

平成23年度・区民文化際・三曲の集い(板橋区三曲連盟)を聞く。

2011年11月20日(日)・
*平成23年度区民文化際・「三曲の集い」
場所:板橋区文化会館小ホール
共催:板橋区三曲連盟・板橋区
時間:午前10時30分~午後7時
(全部で34組が出演している)

(案内をもらいでかける。午後の部を聞く。)
会場・「東部」の緞帳が映える。

*水川寿也 作曲
「宇宙(そら)の詩」
箏 Ⅰ  二人
箏 Ⅱ  二人
17弦   一人
 3絃 三人
尺八 一人
(しっかりしていて、あたらしい、。)

*西山検校 作曲
「秋の言の葉」
箏本手  三人
箏替手  二人
尺八    一人
(尺八がよかった。静寂・・・ねむる・・・。)
―――――――――――――――――
★平成23年4月23日(土)・午後2時30分
同じ場所・
「板橋区三曲連盟・第一地区箏曲演奏会~こころなごむ音色をもとめて」
も聞きに来ている。
(・・・東日本大震災の惨状と頻繁に起きる余震に落ち着かぬ不安な日々・・・)(挨拶)の中での演奏会だった。

その時の、
鶴田錦史 作曲
「壇ノ浦」
琵琶: 田中之雄
は、凄かった。
琵琶とは、こういうものか、と思った。
運命をうけいれて、、、。しょぎょうむじょう、とか、うまく言えないが、、。

あと、
ネプチューン海山 作曲
「五足十三和十八番」(5たす13は18ばん)
箏: ティムソン雅楽澄
ヴァイオリン: 西谷国登
が、印象に残った。
箏とヴァイオリンと二人の全身を使っての演奏だった。


| | Comments (0) | TrackBack (0)

December 12, 2011

「久慈ふるさと会」平成23年度(第30回)総会・開催される。

2011年11月5日(土)・

「久慈ふるさと会」平成23年度(第30回)総会
場所:東京都・アルカディア市ヶ谷
時間:午後3時より
ーーーーーーーーーー
(参加者 80人)
―――――――
1、総合司会   野中健悦(副会長)
  開会の言葉・黙祷

(・兼田茂八顧問=県連顧問でもあった、他物故者への黙祷をささげる。)

★会長挨拶 生平幸立
(生平会長の挨拶のメモー1部)
・本日は第30回の記念すべき総会です。
3・11大震災以降、事の他多忙の中ご出席いただきました久慈隆文市長、ご出席ありがとうございました。
岩手県人連合会から、瀬川じろう会長の御出席をいただきました。
瀬川会長は釜石市出身です。
震災の事はもうしあげるまでもありません。
瀬川会長は、東京大学で地震の研究をされ、海洋学、地球物理学の専門家です。
あとでお話を賜りたいと思います。
岩手県東京事務所から菅原義彦(総務行政)部長の御出席をいただきました。
他友誼団体、近隣市町村ふるさと会からの御出席、まことにありがとうございました。
みなさん、
3月の大震災は、1000年に一度と言われるものでした。
・・・・・
政治の世界も総理大臣が変わりました。
大きな転換期に入っているように思います。
・・・・
私たちのふるさと会も活動の仕方を考え直す時に来ていると考えました。
人事の発掘を心がけ、新体制を整えました。
あとで紹介します。
・・・・
私は、84歳になります。
人の話を良く聞いて成長していこうと思います。
今後とも、よろしくおねがいもうしあげます。
(拍手)
ーーーーー
(*本日は、「哲学的、人生論的、訓話的」お話は無し。
そのかわり、なにげに手渡される。
読んでおきたまえ、と。
「弘道」第1074号・”特集 古川哲史前副会長を忍ぶ”
・古川先生に「明治の精神を」憶う・・・・生平幸立・
84歳。「人の話を聞いて・・・」。やるものだ。)
ーーーーー
★山内隆文 久慈市長の挨拶
(メモ)―1部
・第30回総会おめでとうございます。
「ふるさと会」結成の頃、私はまだ東京におりまして、会結成に参加しています。
あれから30年経ったのかと、、、。

3月11日、14時46分、あの大震災で久慈市は大きな被害をうけました。
久喜港には、9mの波が押し寄せ、津波の遡上は27メートルに及びました。
久慈港全体で94%の船が流されました。
家屋、港湾、観光ほか、経済的損失は300億円にのぼります。
人的被害は、死者4人、行方不明2人、負傷者12人でした。
市街地への被害はなかったのですが、これは未完成ながら基礎ができていた湾口防波堤、8mの防潮堤、6mの河川防波堤が有効だったためでした。

・消防、防災関係者の迅速な行動は特徴的でした。
地震発生3分後、避難誘導、水門閉鎖を命令しました。
2分後、全水門閉鎖完了の報告を受けました。
(一番大きな津波を受けた)久喜港では誰一人犠牲者を出しませんでした。
・・・・・
・現在、復旧復興に全力をあげています。
二日前、三陸鉄道復旧の着工式を行いました。
100年前、函館で大火事がありました。
その時、久慈市では支援物資をおくりました。
函館市ではそのことを知っていました。
この度、函館からは255漕の船を送っていただきました。
全国各地からの支援に心から感謝いたします。
7月、復興計画を作定しました。
計画の内容は、久慈市の復興だけではありません。
久慈市の復興は近隣町村全体に影響する。
遠野市の例にも習うものです。
自衛隊、消防関係者とも協力し、久慈市を後方支援の拠点にしていく、そういう内容のものです。
・・・・・・
ふるさと会のみなさん、今後ともご協力、御支援よろしくお願いいたします。
(拍手)
ーーーーーー
★八重桜友夫 久慈市議会議長の挨拶
(メモ)
・4代目の議長に今年選ばれました。
・・・・・
3・11大震災への復興支援に感謝します。
市長の話の通り、1日1日復旧は進んでいます。
サンマの水揚げは、県内一でした。
新しい見通しも出ています。
・・・・
みなさん、久慈へ帰ったらお立ち寄りください。
ありがとうございました。
(拍手)
ーーーーーー
★畑 浩治 衆議院議員の挨拶
(メモ)
・久慈市出身の(民主党)衆議院議員です。
・3・11大震災では、東京の方々は心配の思いでいっぱいだったと思います。
久慈市は、比較的ですが、人的被害は少なかった。
そして、着実に復旧している。
被災地の皆さんからは、国会は何をしているか。
対応が遅い、と言われます。
しかし、今国会での第3次予算案には、被災地への経済的、財政的援助を行い、しっかりした街作り支援をおこなう。その内容が盛り込まれています。
久慈湾港の復旧、道路の整備、八戸ー仙台間の三陸海岸高速道路建設を8年以内に行う、久慈市を陸の孤島と言わせない、県北の中心都市として発展させる、その計画が盛り込まれています。
三陸鉄道も復旧の運びです。
原発事故により、今後自然エネルギーに力を入れます。
久慈は、風の都と言われている。
風力発電も期待できる。
県央では、地熱発電にも力を入れることになる。
観光では、三陸海岸を復興国立公園として再生したい。
長距離遊歩道を作ろう。
300㎞のトレッキングコース建設の計画もある。
久慈地域、八戸まで含め、この間を修復するだけでなく、さらに良い地域にして、岩手県を引っ張っていけるようにしようではありませんか。
(拍手)
ーーーーーーーー
★菅原 芳彦 岩手県東京事務所総務行政部部長の挨拶
(メモー壱部)
・3・11大震災では、私も帰宅困難者になりました。
24時間体制で対応した。
・岩手県における被災への他県、海外からの支援は大きなものがあった。
また、ふるさと納税制度による納税が急速に増え、3倍になりました。
被災者の皆さんは、困難な中、実に落ち着いて行動した。
全国からの支え合いを力強く感じています。

報道は少なくなりつつあるが、現在復興の過程にあります。
久慈市を含め岩手県北には風光明美なところが多い。
産業もある。
県全体で全力で(復旧復興に)取り組みます。
いっそうのご支援をお願いします。
(拍手)
ーーーーーーーー
●第二部
司会・ 加藤和子(久慈高校同窓会副会長)
司会・ 崎山恵子(久慈高校同窓会副会長)

★来賓紹介
*久慈市観光物産協会事務局 戸川宗純
*久慈市役所総合政策部主査 工藤健二
*衆議院議員・小沢一郎秘書  小原和也
*鈴木俊一事務所 鈴木敦子(鈴木元環境大臣夫人)
*他 近隣ふるさと会・団体・8人
(拍手)
ーーーーーーーー
★瀬川爾郎 岩手県人連合会会長
 (東京大学名誉教授) の挨拶 
(メモー壱部)
・貴重な話を聞く事ができました。
・・・・
・私の専門は地球科学です。
3・11東日本大震災は、半分以上私の専門になります。
・あの時、私は仕事で海にいた。
勝どき橋から千葉県勝山まで30キロを3日間往復していた。
3・11 14時から14時30分、船の上で物を落としたような音がした。
やがて、乗っていた船がガーンと叩かれた。
ただ事ではないと思った。
船長が飛び出してきて、地震だ!と叫んだ。
10~20分後、陸が見えた。
ビル、ビルの屋上がグラグラ揺れている。
さっきの地震波が船をたたいた。
P波しか海には伝わらない。
・20代の時から、海底の地震を研究している。
地上の地震波とは違う。
本物の地震を自ら船で感じた。
大変な経験であった。
・・・・・・
・・・・・・
東京湾では3~4時間の間に、1mの波の上下が何回も起きている。
・・・・・・
・・・・・・
・昔の地震、(明治29年と昭和8年)、と今度の地震とどう違うか。
前の地震は、震源地が岩手県よりだった。
今回は、震源が宮城県よりだった。
現象が違っている。
宮城県では、聞いたこともない地震といっている。
964年前の地震と同じと分かった。
・・・・・・・
(拍手)
ーーーーーーーーー
★白戸正治 宮古同郷会会長の挨拶
(メモ)
・宮古同郷会は、宮古からサンマ7千匹を運び、目黒駅前で目黒サンマ祭りを行いました。
大勢の方々に来ていただき、うれしかったです。
久慈市からも応援をいただき誠にありがとうございました。
・・・・・
久慈、宮古、ふるさと復興のため一緒にがんばっていきましょう。
(拍手)
ーーーーーーーーー
★細谷地淳吉 久慈商工会議所会頭の挨拶
(メモ)
・地震、津波から8カ月が過ぎました。
復興が云われていますが、二重ローンの問題が深刻です。
補助事業は、2分の1から4分の1に減っている。
久慈の「土風館」は、観光客が対前年比68%です。
レストラン、他売り上げは良くて横ばい、中には10%というところもある。
・元にもどすのには、まだまだ容易ではない。
・東京のみなさん、どうか久慈においでください。
(拍手)
ーーーーーーーーー
●乾杯ー音頭とあいさつ
・佐々木 務 (弁護士)
元気で、、、。
(野田村出身)です。
連絡をとれなくなった人もいますが、。
・・・・・


| | Comments (0) | TrackBack (0)

December 08, 2011

「なくせ!原発 安心して住み続けられる福島を!10・30大集会 in ふくしま」 へ参加した。

2011年11月30日(日)・福島市「四季の里」:(参加者 1万人超):午後1時 開会

(千葉の友人に頼んで貸し切りバスに乗せてもらう。西船橋発午前7時・現地到着 12時。)
「四季の里」は初めてだが、広くて美しい公園だ。
木々が紅葉している。
人が一杯だ。北海道、沖縄の旗も見える。
あちこちで、線量計を手にして放射能量を計っている。
(0,5だとか、芝生の上に置いて、一を超えた!とか、大声をだしている。)

(開会)
●片岡 輝美 さん 
(会津若松市会津放射能情報センター代表)の
スピーチ。
(メモ)
・招かれて兵庫県西宮市に37人の親子で一時保養に行った時、3歳の子どもが、保育園の砂を見て「この砂さわっていいの?」と聞きました。
あるお母さんは、「3歳の子どもにガン保険をかけたい」と話しました。
全国のみなさん想像してください。
子どもの成長が楽しみな時期をこのように送らなければならない福島の母親の思いを。
これを食べて良いのだろうか。
これにさわって良いのだろうか。
道端で遊んでよいのだろうか。
石ころを拾って遊んでよいのか。

(この公園の放射線量よりも家の部屋の放射線量の方が高いと云う人もいる。)

責任はいったいどこにあるのか。
東電も国も正しいデータを出していない。
何百人もで東電を取り囲み、大きな声で訴えました。
行進もしました。
責任をとれ。データを出せ。
みなさん、私達の気持を全国へ届けてください。
(長い拍手)
ーーーーー
●庄條 徳一 さん
(福島県農業協同組合中央会会長)の
スピーチ。
(メモ)
農業者を代表してあいさつ致します。
全国からこのようにかけつけていただき本当にご苦労様です。
高校の文化際がありました。
福島で生まれ、フクシマで育ち、
フクシマで勉強し、福島で結婚し、
フクシマで働き、
青年が暮らしていく福島、
この夢をこっぱみじんに砕いた、原発事故を許すことはできない。
農業者は、一瞬にして故郷を捨てなければならなくなった。
友人と離れ離れになった。
この怒りを誰にぶっつければ良いのか。
東京電力、政府の人災だ。
保障を要求する。
対決してきた。
先人から受け継いだ豊穣の大地、自然を私共の世代に取り戻したい。
子供や孫が夢をもって暮らせるふるさとを取り戻すため頑張ります。
(長い拍手)
ーーーーー
●馬場 有(たもつ) さん
ー(浪江町町長)
のスピーチ。
(メモ)
・震災から236日です。
私たちは、原発事故で避難所を巡っている。
10何か所をめぐった人もいる。
役場機能も今の所で3か所目だ。
頑張っているが、頑張りきれないところまできている。
村長!いつ帰れるんだ。もうたえなれない!と訴えられた。
若い人は、何処かへ避難して、新しい町をつくろう、と言ってきた。
私は、東京電力、政府に除染を一生けん命やれ、と強く訴えている。
政争をしている時ではない。
1日も早く除染して、3・11以前の元の生活へ戻せ、と強く訴えている。

東京電力の賠償責任のあり方は、目線が上だ。
損害補償などと書いてある。
補償するから言う通りに書類を書け、と云う態度だ。
一緒に行った被害者は、怒って書類を破棄した。
町民は、県内に1万4000人、全国に7000人が避難している。
加害者は、この東電だ。
国策として(原発を)進めてきた国の責任だ。
私は、国と東電に果敢に挑戦していく。

最後に、これまで全国津々浦々からもてなしをうけました。
生き抜いています。心からお礼申し上げます。
これからも支援をお願いします。
(長い拍手)
ーーーーーー
●菅野 典雄 さん
ー(飯舘村村長)
のスピーチ。
(メモ)
・みんなで作り上げてきた村が、福島第一原発事故で、全村避難を余儀なくされた。
腹がたって、恐ろしくて、苦しくて、悲しくて、くやしくて・・・。
このつらさは、(体験してみなければ)、わからない、、、。
しかし、ふるさとを取り戻すために全力をあげて頑張っている。
全国の皆さんに訴えたい。

戦後、大量生産、大量消費、大量破棄で生活をしてきた。
これを見直す時だ。
人情をもって、トラサン、ハッつあん、で生活してきたのを、いつか忘れていた。
足し算の中に幸せを求めて来た。
引き算の中にも幸せがある。
一人一人がこの時代どのように生活するか考える時だ。
30年、40年後の世代の人が、あの時の努力によって良い社会が出来ている、そのように言われるようにしたい。

ふるさとは、まさにそこにいて慈しむもの、という思いでいっぱいだ。
私たちは、もういっかい、必ず故郷へもどる。
応援をおねがいします。
(長い拍手)
ーーーーーーーー
●佐藤 栄佐久 さん
ー(前福島県知事)
のスピーチ。
(メモ)
・呼びかけ人の皆さんに誘われ参加しました。
全国からこんなに大勢集まっていただけるとは、、、。
感謝します。

福島の象徴の木々が色ずいている。
放射能汚染されていなければよいのに、との思いでいっぱいだ。
チェルノプイリ原発事故から25周年になる。
20周年の時、ヨーロッパへ行った。
ナカソネさん、イナバさん、等と一緒だった。
東欧へ行った。
牛肉の汚染が云われていた。
フランクフルトは、チェルノプイリから2000キロも離れているのにだ。
福島で同じことが起るとは、悪夢を見ているようだ。

ドイツ政府は、この時、原発事故は社会主義(全体主義)帝国主義のもとで起きた、と言って切り抜けた。
(ドイツはそれとは違うと云った。)
ドイツは、1970年、原子力発電を作ろうとした時、これに反対する3万人のデモ行進が起きている。

福島での事故は、その25年前のことを思い出す。
日本も原子力帝国主義に陥っていた。
これを実感した。
企業、学会、マスコミ、全部が全体主義ー原子力帝国主義になっていた。
私たちは、福島のため頑張った。
原子力発電のことも、福島県民が自分の頭で考えて決めようとした。
その時、エネルギー庁は、それは生意気だ、(原発は)国家の問題だと、言って、原子力は安全ですと云うビラを2万2150戸にまいた。
その人たちはいま、避難民になっているではないか。

双葉郡を必ず元に戻す。
1000年かかっても元に戻す。
棄民にしないでください。
町村長は必ずもどる気持ちでいる。
私もたたかいます。
(長い拍手)
ーーーーーーーー
●早川 篤雄 さん
ー(樽葉町・住職)
のスピーチ。
(この時、ケイタイ電話が東京から入った。きけなかった。)
(それで「しんぶん赤旗」から写します。)

・避難した人は20万人を超えるでしょうか。
私もその一人です。
ふるさとを奪われ、職場を奪われ、地域社会のきずなを断ち切られ、家族さえもばらばらにされました。
先が見えず苦しんでいます。
大多数の県民の願いは、放射能被害から子供を守る、全面賠償させ、原発をなくすことです。
第二の福島をおこなせないために、日本のすべての原発をなくすまで、知恵と力をあわせましょう。
(拍手)
ーーーーーーーー
●志位 和夫 さん
ー(日本共産党中央委員会委員長)
のスピーチ。
(10・31付け・しんぶん赤旗・から 写します)
・・・・・・
いまのお話をうかがいまして、「3月11日以前のあたりまえの生活に戻してほしい」-福島のみなさんの願いは、このことにつきるのではないでしょうか。
加害者である国と東京電力は、この願いに全面的にこたえる責任があります。

(徹底した除染で子供の命守れ)
・・・・・・
環境省の試算でさえ、除染が必要な年間1ミリシーベルト以上の地域は1万1600平方キロ、国土の3%に及びます。
ところが政府の除染予算は、3次補正でわずか2400億円、来年度予算と合わせても1兆2千億円にすぎません。
あまりにも少ないではありませんか。
・・・・・・
政府は、子供たちに安心を取りもどし、避難されている方々が1日でも早く故郷に戻るために、必要な除染はすべて責任をもっておこなえ、そのための予算は責任をもって確保せよ、汚染廃棄物の処理はあくまで住民合意を貫けーこのことを強く求めていこうではありませんか。

(東電は加害者として全面的賠償をおこなえ)

原発事故によるあらゆる損害をすべて賠償させるー全面賠償をさせることを、私は皆さんととも強く求めます。
衆院予算委員会でこの問題をとりあげましたが、あのあまりに煩雑な賠償手続きは何ですか。
被害者のみなさんがおっしゃっているのは、「東電には加害者の自覚はあるのか」。
私は、東電の西澤社長に、「あなたはそういう自覚をもっているのですか」と聞いたところ、社長は「加害者としての自覚はもってございます」と言うんです。
そこで、「それだったら、人災と認めますか」と聞いたところ、人災とは認めないんです。
これでは、反省とはいえないではありませんか。
どうしてあんな煩雑な手続きをさせるのか、それは賠償を少しでも値切ろうとしているからですよ。
私が、国会でそう問い詰めますと、枝野経済産業大臣も「ご指摘の通り、東京電力の対応は、少しでも賠償額を少なくできないかという考えがある・・・・この事故は国と東京電力の責任による人災だ・・・・そうした責任をふまえて国として誠意ある対応をしていかなければならない」と答弁しました。
この答弁どおり実行させようじゃありませんか。
「オール福島」のみなさんと心を一つに、全面賠償を実行させるために頑張りぬく決意を申し上げたいと思います。

(「原発埋蔵金」を除染と賠償に使え)

除染と賠償の費用をどうするか。
第一義的には加害者である東京電力が負担するのは当たり前です。
ただ同時に電力業界には共同責任があるでしょう。
電力業界は、核燃料サイクル計画などを推進するための基金=「原発埋蔵金」を持っています。
19兆円を積み立てる計画で、すでに4・8兆円の積立金の残高があります。
みなさん、核燃料サイクルなんて物騒なものは中止させて、このお金を国が管理する「基金」に移し、原発の賠償と除染と廃炉のために使わせようではありませんか。
19兆ではまだ足りません。
電力業界だけではなくて、原発メーカー、鉄鋼・セメントメーカー、大手ゼネコン、大銀行など原発で大儲けをしてきた「原発利益共同体」の大企業にも、この「基金」への拠出を求めていこうではありませんか。

先日の党首会談で、私のこの提案にたいして、野田首相は、「原発関係のお金は、可能な限り賠償と除染につかっていく」と答えざるをえなくなりました。
これを実行させようではありませんか。
「原発埋蔵金」を使って、徹底除染と全面賠償を行えーこの声をみなさん、ご一緒にあげましょう。

(「安心して住み続けられる福島」「原発ゼロの日本」を)
福島原発事故による甚大な被害がいかに深刻かは、先ほどの村長さん、町長さんの話を聞いて胸がつまります。
原発と人類とは共存できない、このことを示しています。
いま全国で「原発ゼロ」を求める運動が大きくひろがっています。
この集会のおおきな成功を力に、さらに世論と運動をひろげ、原発にしがみつく勢力を追い詰め、包囲しようではありませんか。
「安心して住み続けられる福島」
「原発ゼロの日本」をつくるためにがんばりましょう。
私もともに頑張ります。
(長い拍手)
ーーーーーーー
ーーーーーーー
★福島瑞穂さん からのメッセージの朗読あり。
ーーーーーーー
●福島の子供たちの叫び

・もっと外であそびた~い!(11歳)
・もっとプールであそびた~い!(7歳)
・しん君、フクシマで待っているよ!(5歳)
(しん君は山形へいきました。)
・ほうしゃのうのせいで、○○と○○がいないです。さみしいです。(6歳)
・幼稚園のゆうぐであそびたいです。(5歳)
・外でかくれんぼしたい!(4歳)

(お母さん)
・ここ、四季の里で子供たちを遊ばせるのも不安に思います。
しかし、この公園より家の中、部屋の方が、放射線量が多い所がある、というのが現状です。
どう子供たちを守り、育てていくか、なやんでいます。
・・・・・
泣いてばかりもいられないし・・・。
・・・・・

(長い拍手)

| | Comments (0) | TrackBack (0)

December 01, 2011

前進座創立80周年記念十月公演・「明治おばけ暦」・を観る。

2011年10月25日(火)・台東区・浅草公会堂・満席
(浅草:お参り。買ったり食べたりするもの、「八つ目鰻キモの油」、「麦とろ丼」、「梅村のあんみつ」、「天丼」)

今日は、
*前進座創立80周年記念十月公演*
ー「明治おばけ暦」ー・を観る。

作  =山本むつみ
演出=鈴木龍男

(配役)
嵐 芳三郎・・・・・・角屋栄太郎
河原崎國太郎・・・河竹新七(後の黙阿弥)
山崎辰三郎・・・・ 常吉
渡海元之・・・・・・・佐竹万次郎
津田恵一・・・・・・・徳右衛門
黒河内雅子・・・・・お里
松涛喜八郎・・・・・番頭
中村梅之助・・・・・守田勘也
嵐 圭史・・・・・・・・大隈重信
上沢美咲・・・・・・・佐野千代
志村智雄・・・・・・・佐野源左衛門
北澤知奈美・・・・・新聞茶屋の女将
石田 聡・・・・・・・・鳶・松吉
上滝敬太郎・・・・・車夫・喜八
藤井偉作・・・・・・・新聞茶屋の客
生島喜五郎・・・・・お富(岩井半四郎)
高橋佑一郎・・・・・与三郎(河原崎権十郎)
寺田昌樹・・・・・・・但馬屋清七
ーーーーーーーーーーーーー
(序幕)
角屋栄太郎(嵐芳三郎)登場、、、。
舞台が絵のようだ。客席が沸く。
マント姿で、当時の流行の最先端だったのだろう。

(第二幕)
河竹新七(河原崎國太郎)は、インテリ風だ。キリットしている。
常吉(山崎辰三郎)は魅力的だ。
ただの小間使いのようだが、実践で鍛えられた武術の達人で、「叩き上げの盗人」だ。
盗人ではなくても、どこの世界にもこういう人はいて、役割をはたすものだ。
若い元赤報隊隊士佐竹万次郎(渡海元之)を一撃でたおす。

守田勘弥(中村梅之助)が出て来ると、客席の人たちはイスから腰を浮かし、身を乗り出すような格好になって見ている。笑顔になる。
徳右衛門(津田恵一)のときもそうだった。

ウサギを持った浪人(佐野源左衛門=志村智雄)が現れる。
娘さん(佐野千代=上沢美咲)と。
失業していて、ウサギの繁殖とその販売で生計を立てようと云うのだ。
むりだよ。
現在で言ったら、退職金で株を買うようなものだよ。
(実際、何人もいて、泣いているよ。バ―カ。だまされて。
株なんかやったこともないのに買うだもの。)
・ご浪人と千代さんは、かわいそうだ。
偽ウサギをつかまされていたんだ。

・暦が替わる。
舞台の始まりが、明治5年10月(1873年10月)。
何日か後だろうが、浅草の新聞茶屋で、新七と栄太郎と万次郎が「暦が変わるよ」の号外をみている。
現在の浅草の新聞茶屋と云えば、東京新聞下町支局かな。
地下駐車場の前の。

明治5年12月3日をもって、「明治6年1月1日と定める」。
従来なら正月まで、2か月はあるのに、これだと年越しまで22日だ。
誰だって大変だ。
暦屋さんの「角屋」さんはなおさらだ。
政府は、これを僅か20日で決めた。

(第三幕)
・大隈重信(嵐 圭史)登場。
縛られている。
やがて、カラカラとわらう。
芝居をやめよ。縄をとけ、と云う。
立ち上がる。
客席の人たちは、ボクも、イスに押し付けられている。
みあげる。立ち姿だ。威厳がある。
やはり大隈重信だ。
政府の立場を、栄太郎、新七、万次郎、常吉、庶民に説明する。
上から目線だ。
暦を変えた理由の一つに、旧暦だと今年はうるう年で1年が13カ月だ。
官吏に給料を1カ月余計に払わなければならない。
それを節約するため、急遽新暦にした。
国家財政が苦しいのだ。
というような、正直と云えば正直な話があった。

現在でいったら、どうなるか。
公務員全員に、いや会社員全員にかな、12月のボーナスをマッタク払いません、というようなものだ。
20日間位で決めて、それをやったら、どうなるかな。
みんな怒る。
国民の反撃とストライキ位は起きるだろう。
玉突きで、ホームレスとか自殺者とか増えるだろうな。
いつもそうだ。弱いモノが犠牲になる。

・明治時代は財政が苦しかった。現在も苦しい。
苦しいことは暗いことでもある。

「明治は暗い時代であった。
その前の慶応も元治も文久もみな暗かったが、それは夜の明けぬ前の暗さで、明治の暗さは夜が明けてからの暗さであった」。
(本久久恵「明治の女性たち」・・・)
と云う面を忘れてはならない。
ーーーーーーーーー
*庶民の怒りや要求を政府に伝え、分かってもらうにどうしたらよいか。
これは、永遠の課題だ。
芝居の中では、芝居仕立てにして、時の政府高官・大隈重信に直訴するやり方をとっているが。
うまいものだ。
しかし、庶民がプロの政治家と対等に討論するというのは難しい。
河竹新七とかの当時の知識人が話しても、なかなか相手は言うことをきかないのではないか。
ーーーーーーーーー
*「労働組合運動の歴史」という授業があった。
中林賢次郎教授だった。
記憶のままに書くが、
資本主義の発展=本源的蓄積期、マニュファクチュア、産業資本主義、帝国主義時代と学んだ。
労働者の労働条件改善の闘いは、資本主義のその発生時から始まった。
先ず、個人的抵抗から集団的暴動へ、機械打ちこわし運動、全国的統一行動、そして労働組合の結成へと繋がり、発展した。
労働者階級は資本主義の発展とともに数と社会的影響力を増して行った。
100年を超える政治的経験を通して労働者の政党を結成することは当然だった。
社会民主主義政党が結成され、その後共産党が結成された。
資本家や地主が中心の議会へ労働者階級、農民の代表が進出するとことになった。
複雑な政治、経済、外交、文化、教育、の課題を労働者、農民、庶民の立場からしっかり議論し、議会を通して働く者の政策を実現することができるようになった。
そのような政党を持ったのだ。
現在は、われわれ草の根の声も区議会や都議会、国会へ共産党はじめ政党を通して届けることができる。
それは、草の根が社会の主人公なのだと云う自覚を増すことでもある。

(前進座を観て、あらぬこと考えたり思い出していたりしていたものだ。)
ーーーーーーーーーーーー
昔、読んだ本:

田中 彰 著
「未完の明治維新」 新版 1979
(三省堂)
・・・・・・
(表紙)
押さえつけられても、踏みつけられても、民衆と云う名のエネルギーは再び頭をもたげる。
“未完”というのは、人々が頭をもたげ、前へ向かってすすむからだ。
前進するものは常に“未完”である。
育つものだけがかたちをかえる。
明治維新は“未完”であることによって、民衆にとっての近代日本とは何かを問いかけて来る。

(その中の)
はじめに
・・・・・
〈凡礼〉
本書の年月日は、とくに断わらない限り“明治5年12月2日までは陰暦、その翌月、つまり明治6年1月1日”からは陽暦である。 
引用史料はなるべく原文に忠実にとこころがけたが、読みやすくするため多少手を加えたところもある。
ーーーーーー
“・・・・”のところ。
改めて、意味が分かった。

田中 彰
1928年 山口県生まれ
1953年 東京教育大学史学科卒業
      北海道大学名誉教授


| | Comments (0) | TrackBack (0)

« November 2011 | Main | January 2012 »