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January 2012

January 26, 2012

「2012年・新春の集い in 石和温泉・(主催:荒川区日本共産党後援会)」へ参加した。

2012年1月8日(日)
“楽しい輪をさらに広げ、いっそう大きな後援会を”
“バスで日帰り・くつろぎと安らぎの甲斐路へ”
【2012年 新春の集い in  石和(いさわ)温泉
(主催:荒川区日本共産党後援会】 へ参加した。

(毎年、恒例になっている。参加費 一人¥6,800)
・斎藤くに子区議会議員地域後援会のバスに乗る。
・目的地は、ホテル「ふじ」(山梨県笛吹市石和町)
途中、甲斐善光寺へ寄り、見学とお参りをする予定。

・荒川区発7:30分ー首都高速から中央高速へ。
午前9時・談合坂サービスエリアで荒川区全体が合流する。
バス8台が連なる。
(大月は素通りする。秩父に劣らず良い所ときいているが。申し訳ない。)
午前10時30分
★甲斐善光寺へ。
(昨年は筑波神社だった。)
・甲斐善光寺は高さ38メートル。東日本最大の木造建造物と伺う。
広くて大きいお寺さんだ。
・開基は、武田信玄。
永禄元年(1558年)、川中島の合戦での破壊、消失から守ろうと信濃善光寺をこの地に移した。
戦国、豊臣、徳川の時代を経て今日に至る。
屋根に武田菱。それを囲んで葵の紋所が二つある。
ぞろぞろ、三々五々、本堂へお参りする。
菩薩様だろうか観音様だろうか。
いずれ、元気で、本年もよろしく、御頼みもうします。
(参拝、礼!)
ーーーーーーー
*ボクの8代前の先祖もここへお参りしている。
御朱印をいただいて、巡礼帖が残っている。
文政5年正月20日に、南部藩野田通り萩牛村(現・岩手県普代村)を出発して
同3月18日に、来ている。(文政5年=1822年=190年前か。)

奉納経
甲斐善光寺
 午年 三月十八日
  執事

(甲斐善光寺の前は)

奉納経 知事
甲州裂石山
 文政五年 午
    三月十七日
 
(甲斐善光寺の次は)
 
○○一宮
○○大明神
 ○○○
 三月〇日
  〇〇院

(〇=オレには読めない文字・頭にくるぜ。)
(その次)

信州高遠
〇〇大権現
午三月二十五日
 神主 井〇〇前〇

(止めた!読めない。)
ーーーーーーー
★午前11時50分・ホテル「ふじ」到着。
庭から、富士山のてっぺんが見える。
風が冷たい。
景色が良い。

*大広間へ入る。畳の間だ。
座イスに座る。300席ある。

★「新春の集い」★

*高月後援会事務局長の挨拶
(メモ)
・これから新春の集いを始めます。
後援会の会長、副会長、共産党地区委員長、区議会議員のみなさんは壇上へ上がってください。
挨拶をお願いしますが、申し訳ないのですが、それぞれ手短にお願いします。
先ず、本日の実行委員長・トヨダさんからどうぞ。

*トヨダ実行委員長の挨拶
(メモ)
・バス7台、285名の参加です。
ご協力に感謝します。
私は東京土建の方でも活動しています。
昨年は、3・11大震災、大不況と大変な一年でした。
しかし、私達は区議選挙では奮闘しました。
6人全員の当選をかちとりました。
ことしも、不況とともに原発事故の影響が深刻です。
後援会は、さらに奮闘しなければなりません。
ともにがんばりましょう。
(拍手)

*司会
・役員を紹介します。
副会長のカネダさんです。
同じくスズキさんです。
同オカダさんです。
同キタジマさんです。
同ツチダさんです。
会長のノグチさんです。
(この方々は、6人の区議さんの地域後援会の責任者=会長でもあります。)
代表してノグチ会長、お願いします。

*ノグチ会長の挨拶
(メモ)
・いつもおせわになります。
たたかって、たたかって、たたかいぬく、今年もそういう一年になります。
会を大きくする、そうして、やっていく。
みなさん、私は、せんとうにたちます。
(拍手)

*鈴木けんいち 日本共産党荒川区地区委員長の挨拶
(超短かったので、バスの中での話とかその後のおりに付けてのまとまった話とかを合わせて書きます。)
(メモ)
・昨年は、東日本大震災、フクシマ原発事故、不況、大変な中で課題に取り組み活動してきました。
募金、ボランティア、温かい支援。
感謝します。
・野田内閣は消費税増税を打ち出しました。
新年の新聞各社の社説が出ています。
中には、内閣の力量不足を国民にしわよせしてはいけない。
増税は公約違反である。
身を削ると言って、衆院の比例定数部分を減らすのは納得できない。
320億円の政党助成金を減らすべきではないか。
そのような、共産党の主張に近いものもあります。
しかし、新聞大手各社は、消費税増税の応援団です。
去年もそうでした。
ーーーーーー
ーーーーーー
・荒川区地区委員会は、現在区民アンケートを行っています。
8万戸全世帯を対象に行う予定です。
現在、200弱の回答がよせられています。
内容は、男女半々の回答です。
記入のあったものでは、職業別では、
会社員46で一番多く、主婦、パート、自営業の順です。
年代別では、氏名、年令の記入のあったものだけですが、
30歳代 45
60歳代 39
40歳代 26
20歳代ー50歳代、と続きます。
内容的にみても、30歳代の方々の政治への関心が高くなっています。
・消費税についてですが、
やはり、「増税はしょうがないのではないか」と云う回答が一番多い。
大手マスコミの影響を感じます。

しかし、一方で増税で生活は苦しくなる。
消費税増税で、財政再建ができるとは思わない。
増税で景気はさらに悪くなる。
景気の底が割れる。
そして、
共産党の政策には共感する。
政党助成金を受け取らないのは立派だ。
そうも言っています。
(そして、「党名を変えてもらへないか」というのもけっこうあります。)

・共産党の政策の中味をどのように伝えていくか。
ここが重要です。
志位委員長の説明もあります。
「赤旗」に詳しくでています。
「しんぶん赤旗」を読んでもらうことが重要です。
大手マスコミは、どうしても財界よりの報道になります。
ーーーーーー
ーーーーーー
国会が始まりますが解散含みです。
今年、がんばりぬきましょう。
(拍手)

★司会者
ここで、4人の方からメッセージが寄せられています。
紹介します。
笠井あきら さん
田村とも子 さん
小池あきら さん
宮本とおる さん
です。
(代読・拍手)
それと、もうお一人方、
山梨県甲州市市議会議員
川口のぶ子 さんからのメッセージです。
どうもありがとうございました。
(大きな拍手)

★区議会議員の挨拶です。
(一言ずつです。)
・安部区議~3・11後の区議選、激戦のなか、11票(前回より)伸ばして当選しました。

・斎藤区議~2012年、希望を取り戻し、希望のある年にしたいですね。

・相馬区議~昨年の区議選、第2位の当選でした。
民主はダメ、自民もダメ。この政治状況をを切り開いて行けるのは日本共産党だけです。
そのことを分かりやすく、分かってもらうための活動に全力をあげます。

・小島区議~8期目です。地元町会と新年から一緒に活動しています。
住民要求はかつて無く大きなものがあります。

・小林区議~4期目です。
活動によって信頼を得る。全力で取り組んでいます。

・横山区議~東日本大震災、フクシマ原発事故、復興復旧が急がれます。
荒川でも震災に強い町づくりを進めなけらばならない。
住民の命を守るための政治のため、全力をあげます。
(拍手)
ーーーーーー
★食事、酒、歌ー武田節もあったーを楽しむ。
温泉は止めた。
長老系から、飲酒後の入浴はヤメロ、危ない、の声が入った。
~ざんねん、なるほど~
ーーーーーー
ーーーーーー
★午後3時:帰りのバスに乗る。
土産も買わなくては。

・午後3時30分:
「本坊酒造株式会社 山梨マルスワイナリー」へ寄る。

・工場を見学する。案内をいただく。
地下ワインセラーを見る。
樽と香りと、、。心地よい。

(会社のパンフより)
「良いワインは、良い葡萄から。」
鹿児島に本社を持つ本坊酒造が、洋酒製造の拠点として1960年(昭和35年)に設立した山梨マルスワイナリー。
西に南アルプス、南に富士山を望む甲府盆地、石和。
この一帯、冬は寒く、夏は暑い、雨が少なく日照時間が長いという、葡萄の栽培に非常に適した環境です。
収穫される葡萄は糖分の高い良質のもので、まさにワインのために選ばれた地であるといえます。
以来50年近く、マルスワイン(MARS WINE)のブランド名で日本各地においしいワインを送り出しています。
2000年(平成12年)茅ヶ丘山麓の韮崎市穂坂丘陵に日之城農場を新設し、更なる個性あるワイン造りに取り組んでいます。

(*会社の試飲コーナーが充実している。)
・今年の葡萄から造った、できたてワイン、
9年醸造、15年醸造、20年醸造、とゆっくり何回でも試飲できる。
安物しか飲むことのないボクでも、濃くとか味の違いが分かったのだ。
値段の違いも。
やはり、一本買う。

(良い所だ。)

*午後6時 帰還。

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January 21, 2012

深川七福神巡り・を行う。(日本共産党・斎藤くに子区議地域後援会・荒川)

2012年1月3日(火)
”この指とまれ!”で三々五々集まる。
今年は、25人集まった。
共産党後援会の正月の七福神巡り。
もう何年続いているのだろう。
ボクが荒川区へ越してきて23年になるのだから、それ以上にはなる。
去年は、谷中七福神だったが、今年は深川七福神だ。
午前10時・京成町屋駅出発。
上野で都営大江戸線へ乗り換え森下駅下車。
先ず、寿老神から。
斎藤くに子区議を先頭にゾロゾロ歩く。
まだ、混んでいない。
・最高齢は、81歳の女性。一番若い方は、20歳代かな。
2月出産予定という若夫婦もいる。
今年は、外国人もいる。

*「七福神詣で」とは、年初めに福徳を願って七福神を巡拝する風習、である。
七福神とは、福徳の神として信仰される七神、である。

①寿老神(深川神明官・江東区森下)へお参りする。
(参拝・礼)
・長寿を授ける神。
杖とうちわを持ち鹿を連れている。

・深川神明宮は慶長年間(1598-1614年)、大阪摂津から来た深川八郎右衛門らによって建立された。

(甘酒を飲む。200円)

ー次の布袋(ほてい)尊を目指して歩く。
途中、大相撲・北の胡部屋、大鵬部屋を見学する。
全員で、両部屋の力士の初場所での健闘を祈願する。ー

②布袋尊(深川稲荷神社・江東区清澄)へお参りする。
(参拝・礼)
・常に布の袋をかついで喜捨を求めて歩く神。
太鼓腹を露出している。

(小さめの神社だ。行列ができている。町内会の方々が整理、案内を行っている。)

・深川稲荷神社は、寛永7年(1630年)建立と伝えられている。

ー次の毘沙門天をめざして歩く。
清澄庭園を見る。
(清澄庭園)
江戸の豪商・紀伊国屋文左衛門の屋敷があった。
その後、享保年間(1716-36)、久世大和の守(下総国関宿城主)の下屋敷なる。
明治11年(1878年)、旧三菱財閥の岩崎弥太郎が造園を計画、明治13年(1880年)、「深川親睦園」開園。
1979年(昭和54年)、東京都の名勝に指定。

ー深川江戸資料館通りを歩く。
(松平定信)の墓所を見る。
白河藩主。江戸後期老中として寛政の改革を断行した。

③毘沙門天(龍光院・江東区三好二丁目)へお参りをする。
・仏法の守護神。北方を守る。
(参拝・礼)

・慶長16年(1611年)、馬喰町に創建。明暦3年の大火で全焼し、岩井町に移転、天和2年現在地へ。
鬼門除けとして東北角に祭られている。

(*行列が出来ている。混んで来た。)


④大黒天(円珠院・江東区平野1丁目)へお参りをする。
・福徳の神として信仰を集める。
(参拝・礼)

・円珠院は日蓮宗のお寺。
創建時不明。
開山は義勝院日演(寛保元年=1741年没)、永見重見の娘で、永井讃岐守直充の後室。
没後円珠院に葬られた。

(*歩き始めて、7000歩を超える。
目的地まで、半分と少し来た。
お賽銭が不足してきた。
小銭をそれぞれ補給している。
ここら辺から、隊列がばらける。
先頭の人はどんどん前へ行く。
どうしても遅れる人が出てくる。
いつものことだが。
いろいろなことが、頭に浮かび出す。
自分のこととまわりのこととを見たり考えたりしながら一人一人歩いている。
話してもいる。
先頭の人は、以外にも81歳の女性二人だ。
永いことハイキングのサークルで活動してきて去年まで山へ登っておられたとか。
ゆっくり歩くとかえって疲れるとか。
足の少し不自由な方もいて、足をひきずっている。
「大丈夫・・・?」と誰かが声をかける。
「大丈夫って、聞いたって、助けてくれないでしょう。
ちゃんと最後まで歩くはよ!」
「年末、子供が手術したの。病院にいるけで、行ってきて、というから参加した」
「自分の田舎はフクシマなんだ。来週帰ろうと思っている。墓参りに。」
「2月おめでたとか。元気なあかちゃん生んでね。」
「ハイ、がんばります。でも、初めてなもので、すこし不安で。」
「大丈夫よ。良いだんなさん、ついているんだから」
「うらやましいよ。オレのところの娘も結婚したけど。」)

⑤福禄寿(心行寺・江東区深川2丁目)へお参りをする。
・福・禄・寿 三徳を備えている神様。
人間の寿命を書いた巻物をつけた杖を持ち鶴をつれている。
(参拝・礼)

・元和2年(1616年)、八丁堀に創建され、寛永10年(1633年)現在地へ移転した。
開基の養源院は、岩国藩主・吉川広嘉(1621-1680)の妻で、ここに葬られている。
吉川広嘉は、延宝元年(1673年)、錦帯橋を架橋した。

(*心行寺境内はかなり広い。その一角に福禄寿は立っている。
長い坊主頭と長いアゴ髭。左手に杖、右手を上げている。
お参りの行列ができている。像の頭をなでる。)

⑥弁財天(冬木弁天堂・江東区冬木22)へお参りをする。
*弁財天は琵琶を弾ずる財福の天女。
また、ベンザイとは河川の女神の名前でもある。
(参拝・礼)

・江戸時代の豪商・冬木氏の邸内鎮守が、冬木弁財天。
冬木家屋敷に世話になった尾形光琳が、夫人のために描いたと伝えられる「冬木小袖」は東京国立博物館に保存されている。

(*葛西橋通りに面している。
比較的小さめの神社。町内会の方々が整理、案内をしている。
案内の方のお話、「ここはね、水と音楽に関係する神様だからね。芸能関係の人がお参りに良くくるよ。」
~なるほど~。)

ー最後の、恵比須さんは富岡八幡宮内ですぐ近くだ。
さあ、歩こう。

⑦恵比須神(富岡八幡宮・江東区富岡1丁目)へお参りをする。
*恵比須さんは、商業、漁業、海上の守護神。
福利を招来する神様として信仰されている。

(*恵比須さんは、富岡八幡宮の境内の一画にあるが、長~い行列だ。
蛇行しながら20~30メートルはあるのではないか。
それで、全員入口の所でのお参りとさせていただく。)
(参拝・礼)

・富岡八幡宮(本殿)には参拝者がさらに長い行列を作っていて、入口の大鳥居まで続いている。
「深川八幡宮」とも云う。
天平宝字年間(757~765)の創建。
のち、太田道灌の守護神として伝えられている。
「深川祭」は、神田祭、山王祭とともに江戸三大祭の一つ。

*全員、遠くから、さんぱい。
今年も七福神巡りは無事完歩しました。
なにがあっても、きっと、ちからを合わせて、だいじょうぶ。
*13000歩の小旅行でした。
(拍手)
―――――――――――
*大江戸線、京成線と乗り継いで、町屋へ帰る。
午後3時:駅近くの居酒屋さんをあけてもらう。
午後5時開店の店だが、そこは普段の付き合い。顔。
25人、入れて貰う。
乾杯!かんぱい!
話す、はなす。
あれこれ。

・宗教は文化か。
生活だ。
宗教と政治、、、。生活と政治と信仰と。
共産党と宗教、、、。
党と信仰とどっちを取るか。
それほど、真剣な人がいるのか。

・いや、共産党の宗教心は厚い。
少なくても創価学会よりは、共産党の方が宗教心が熱い。
荒川はそうだ。
分け隔てがない。安心だ。
・おれの家は、代代てんり教だ。
ずーっと、共産党と付き合っている。

 

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January 16, 2012

年末・年始

2011年11月30日・
*掃除も終わったし、年賀も出したし、正月準備はできたし、と云う所で、午後、浅草へ行って見る。
今日は、若い夫婦と一緒で、気分は悪くない。
案の定、比較的だが今日は空いている。
旅行客、外国からの方々が目立つ。
スカイツリ―が良く見える。
お参り。
しかし、凄い年だった。
(被災者の方々は、、、、。)
ーーーー
・良いこともあった。
一昨年の甥の所に続いて姪の所にも子供が生まれた。
両方とも男子である。
次は、、、。
しかし、原発、放射能がな~。
口には出さないが、、、。
夏のことだが、あそこの家では、ジイサンが若夫婦からえらい叱られていた。
孫と雨の日に外で遊んでいて。
水たまりで。
関西の実家へ帰りそうだとか。
いやな時代だ。
なんとかしたいね~。
しなくちゃ。
観音さん!力を貸してください!
来年もよろしく。
(合掌・礼!)
ーーーー
*12月31日(土)
テレビの無い大晦日。悪くない。
(何十年ぶりだろう)
ラジオを聞く。
「紅白」は、所どころ、を聞いた。
新聞を読む。
ビデオを見る。
(古いテレビDVD専門になっている。)
なつかしいものだけを。

・「青い山脈」(1949)
池辺良さん=いいねー。
原節子
(今井正監督)

・「カサブランカ」(1942)
ハンフリー・ボガード
イングリッド・バーグマン
(マイケル・カ―ティス監督)

(映画の誇り、ハリウッドの誇り、だ。)
――――――――
★2012年元日★

*新聞を読む。(1月1日・日)*

●しんぶん赤旗●日刊紙・元日号・
(1面)
「潮流」(毎日読んでる。)

*志位委員長 新春インタビュー*
聞き手
小木曽陽司・赤旗編集長
大内田わこ・同局次長

(見出し)
「創立90周年の年にふさわしい躍進を」
・歴史に学び、国民に語り、党の新たな躍進を
・党史の二つの時期
・「第一の時期」-戦前のたたかいには日本共産党の原点がある
・「反戦によって日本の名誉を救った」
・多喜二の作品が、時代をこえ、世界のたたかいを励ます
・「第二の時期」-戦後の十余年のたたかい
・曲折と試練を経て、自主独立の路線、綱領路線を確立する
・「第三の時期」ー綱領路線の半世紀のたたかい
・ソ連、中国による干渉とのたたかいー党を鍛え多くの財産が
・新しい綱領ー全党の開拓と苦闘を踏まえた画期的な理論的到達
・試練の連続ーその中で貫かれた「不屈性」と「先駆性」
・党史を学び、党史を生かしたたたかいを


「いまに生きる力(1)-大震災・原発事故」
・「国民の苦難軽減のために献身」-立党の精神が危機の中で発揮されている
・災害から国民の命を守るために頑張り抜いた歴史
・自民党幹部も驚く「存在感」ー90年の党史の積み重ねのうえに
・仮設住宅(団地)で新しい党支部がつくられた
・大震災と原発事故ー復興をいかに持続的な国民的課題としてとりくむか

「いまに生きる力(2)-野党外交」
・韓国との交流の進展ー朝鮮王朝儀軌の返還にかかわって
・「日本共産党と連帯すべきだとの方へ意見がまとまった」
・日本共産党への見方が韓国社会で大きく変わりつつある
・90年の「党史の力」が、アジアでも世界でも絶大な力を発揮する

「綱領路線の半世紀でどこまで来たか」
・「第一の躍進」-自主独立、綱領路線にもとづく全党の努力が実った
・反共デマキャンペーンと、1980年の「社公合意」
・反共作戦は「反国民作戦」でもあった
・「オール与党」体制の破綻と、「二大政党づくり」の開始
・「第2の躍進」-筋をつらぬいてきた日本共産党への期待が大きく広がる
・熱い政治問題での党の値打ちとともに、「日本改革の方針」を大きく示す
・第二の反共作戦の発動ー反共謀略から本格的な「二大政党づくり」
・「二大政党づくり」のもとで、暮らしと経済、政治、社会はどうなったか
・奮闘いかんでは「第3の躍進」を現実のものとする可能性が

「歴史的岐路」にたつ日本
・支配勢力は、反共作戦をやるたびに、自らの基盤を掘りくずす
・反動的逆流を許さないーこのたたかいをつうじて新しい共同を
・「危機」と「希望」が交錯ー日本共産党の頑張りどころの情勢
・「希望」を現実のものとするカギはどこにあるか
・「しんぶん赤旗」読者のみなさんに心から感謝し、協力をお願いします
(終・拍手)
ーーー
*「主張」 2012年の年頭に
「歴史的岐路に立ち向かう決意」
・「二大政党づくり」の破綻
・90周年の真価発揮を
ーーー
●しんぶん赤旗・日曜版・新年合併号・2012年1月1日・8日●
*新春対談*
大原穣子さん (方言指導)
志位和夫さん (日本共産党委員長)

(見出し)
「言葉の力、共同の力で」
(ハートにも響く言葉で語りたい)
・方言・
広島弁が美しい 舞台 「父と暮らせば」・志位
被爆者の思いで作り上げた世界・大原

お国言葉をうんと大切に

(心こもっていれば必ず通じます)
・震災・
列島が一つになって生きていく・大原
救援活動を続け政治を動かした・志位

・暮らし・
社会保障の切り下げが心配です・大原
消費税に頼らないプランを示す・志位

・一点共闘・
TPPって日本の米国化ですね・大原
農・漁協、医師会 保守の人とも・志位

「橋下独裁」なぜあんな政治が・・・

“北朝鮮問題”どう解決するか

“党創立90年”躍進へ決意新たに
 
(終・拍手)
―――――――
●東京新聞●
*2011年11月31日・5面
「社説」
人間、そのすばらしさー大晦日に考える
・世界を驚かせた日本人
・権力も財もないひとり
・私達は助けあおう
(ハイ!)

*2012年1月1日(日)
(1面)
「筆洗」 (毎日読んでいる)
・雨にもマケズ

(2面)
*新潮社 2012年 賀正*

「日本人よ、勇気をもちましょう」
 ドナルド・キ―ン
(写真)

かつて川端康成さんがノーベル文学賞を受賞したとき、多くの日本人が、こう言いました。
「日本文学が称賛してもらえるのは嬉しいが、川端作品は、あまりに日本的なのではないか」。
・・・・
(スミマセン。中略)
・・・
昨年、地震と津波に襲われた東北の様子をニューヨークで見て、私は、「ああ、あの『おくのほそ道』の東北は、どうなってしまうのだろう」と衝撃を受けました。
あまりにもひど過ぎる原発の災禍が、それに追い打ちをかけています。
しかし、こうした災難からも、日本人はきっと立ち直っていくはずだと、私は考えるようになりました。
それは、「日本的な靭(つよ)さ」というものを、心にしみて知っているからです。
昭和20年の冬、私は東京にいました。
あの時の東京は、見渡すと、焼け残った蔵と煙突があるだけでした。
・・・・・
・・・・・
私は今年6月で90歳になります。
「卒寿」です。
震災を機に日本人になることを決意し、昨年、帰化の申請をしました。
晴れて国籍がいただけたら、私も日本人の一員として、日本の心、日本の文化を守り育てていくことに微力を尽くします。
新しい作品の執筆に向けて、毎日、勉強を続けています。

靭健(けいけん)なるみなさん、物事を再開する勇気をもち、自分や社会のありかたを良い方向に変えることを恐れず、靱く歩を運び続けようではありませんか。
(礼!)

(*申しわけありません、もったいない、と云う気持ちと、少し心配な気持ちがある。
先生は日本と日本人のことを知り尽くしておられるけれど、、。
それだけに、また。
何年前だったか、テレビ番組に「知っているつもり!」というのがあった。
かなり前に終了していて、誰の司会で何チャンネルだったかもわすれたけれど。
その番組で、野球選手のスタルヒンを取り上げたことがあった。
「ロシアから来たエース」だったかな。
日本球界初の300勝投手の。
最後のナレーションが気になって、記憶に残っている。
「スタルヒンは日本と野球を誰よりも愛した。しかし、日本は彼を受け入れなかった。」
・・・・
現在の日本人は、色々な意味でだが、心が広くなっているのだろうか。)
ーーーーーーーー
★東京新聞(5面)★
「社説」
(見出し)
「民の力を今、活かそう」
―年のはじめに考える―
・・・・・
・政治意志感じぬ予算案・
・・・・・
野田佳彦首相は消費税法案が国会を通過してから実施までに信を問うと言ってきましたが、年末の若手議員の離党騒動もあり実現は不透明です。
そもそも増税の必要はないと公約し政権を取った政党が一転、増税に走るのは信義にもとります。
こうした手法を認めるのは選挙をすれば増税できないと考える考える官僚と、発想が同じ学者やメディアでしょうが国民は愚かではありません。
・・・・・
(*そうそう、ここまで読んできて、アリガタシ。
ボクは1年前を思い出していた。
ちょうど、1年前の1月。官直人首相だった。
12月の臨時国会で、仙石官房長官と馬淵澄夫国土交通省、2人が参院で問責決議を受けていた。
それと、与謝野カヲル議員を「たち日」から引き抜いて「経済財政担当相」へ起用して話題になっていた。
5大紙ほか、与謝野大臣への期待を大々的に表明していた。
消費税増税の。
与謝野氏は自民党時代、2015年までに消費税税率を10%にすることを主張していた。
そして、今年、1月。
山岡、一又、2人が問責決議を受けた。
岡田議員を副総理へ起用した。
5大紙ほか、は岡田副総理への期待を大々的に書き立てる。
同じパターンだ。なんとかの・・・なんとか。
・・・・・
国民は、十分に警戒感を持ち、大メディアへの不信感も持っていますから。
支持率は上がらないのです。)
ーーーーー

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January 11, 2012

「新聞を読んで」

2011年12月18日(日)~31日(土) 
*日曜日・東京新聞 5面・は面白い。
「社説」「太郎の国際通信」「今週の動き」、と共に「新聞を読んで」と云う欄がる。
いつも読んでいる。
18日(日)・小町谷育子(弁護士) 「意見表明容易な社会を」・を読んだら、ナルホドと思ったり、その通りと思ったり、した。
そこで、また、(一部)写させていただきます。

・小谷野育子 
「意見表明容易な社会を」

東京新聞には、さまざまなコラムがある。
他誌と比較すると、コラムの書き手のバックグランドの多様さと数の多さは抜きんでているように思う。
(*同感!本音のコラム、紙つぶて、文化欄、立命館の先生とか、、、。)
・・・
・・・
過去に芸能界から政治家に転身した人はいる。
しかし、芸能活動をしながら政治的な意見を発信している人はほとんど見かけない。
太田光さんや山本太郎さんぐらいだろう。
ハリウッド俳優が特定政党の支援を公然と表明しているのとは大きな違いがあるようだ。
思想や信条が無色透明という印象のある日本の芸能界のなかで、杉(良太郎)さんはけっこう勇気のある異色の存在なのかもしれない。
遅ればせながら、杉様ファンになろうかな。
(拍手)
・・・
・・・
芸能界だけでなく、日本の社会全体が政治的な意見の表明をどこか歓迎していないようだ。
その最たる例が、公務員の政治的な活動の禁止ではないか。
休日に公務員が職務とは無関係に、政党関係のビラを配布したからといって、市民が公務員の中立性、公平性を真剣に疑うことがあるのだろうか。
(*そうだよ!)
裁判官が法廷の外で政治的な集会へ参加したり、メディアで意見を述べたりしても、それだけで判決が中立的でなくなるはずがない。
(*まったく、そのとおり!)
・・・
・・・
外国と比べて、日本では人権が保障されているといわれるのは誤りではないが、大多数の人と同じ行動を取っている限りにおいて保障されているにすぎない。
だから私達は権利が侵害されていると感じないのだ。
異なる意見を尊重しない社会、意見に対する批判を恐れて自主的に規制する社会ほど怖いものはない。
・・・
・・・
(*ここまで読んできて、ボクは今回は、“裁判官”のことが気になった。
小町谷先生が、最後の所で触れている、「個性を殺した画一性、協調性を重んじる日本社会の息苦しさ」。
ここの画一性、息苦しさって、大部分の裁判官が持っていて、それをまた、社会に広げているのではないか、と思ったりする。
全体、公平とか正義とともに裁判官にオープンで明るさが欲しいと、ぼくは思う。
明るさって、何だ?と云われるのはわかっているけど。)

(同5面)
・「21日 初の裁判員と識者懇談」

(ちょっと、飛んで、2012年1月7日・土・東京新聞・24面)
「裁判官も会見を」
―裁判員経験者が改善提言―

(*裁判官も直に国民へ話すことが必要だよ。
国民へ希望をあたえるようなメッセージを発せたら、社会は明るくなると思うよ。
政治がダメで、裁判官が暗かったら、国民は良い社会を造ろうなどとは思わなくなるよ。)

*昔読んだ本で、裁判官の生の声がのっているのがあった。
家永三郎先生の本の中でのものだけれど、強く印象に残って、家永先生も立派だが裁判官も立派だなあと思ったものだ。

*家永三郎
「一歴史学者の歩み・教科書裁判に至るまで」
 (三省堂) 昭和42年=1967年

(140ページから)
たとえば、最近公刊された『高見順日記」を見ると、昭和22年5月3日の条に、

今日の新憲法発布と云う歴史的な日である。
一つの政治的な事件である。
しかし私は全く無関心である。
私だけのことか?
・・・・・
(大事なところだけれど略)
・・・・
と記されているが、23年10月20日の条には、次のような感想が示されている。

東宝争議、組合幹部退職で解決、惨敗。
左翼小児病的な連中が第二の軍閥みたいに横行していた時は、こまるなあと思ったが、この頃のように反動風潮が強くなると、共産党を支持せねばならぬとも思う。

・このあとのほうの日記には別に憲法のことが表にでているわけではないでれど、故高見順氏もまた私と似たような心境で戦後の情勢の推移に対処されていたいたことがわかる。
私はこの一節を読んだとき、私の戦後の心境が必ずしも私一人の特異のものでなかったことを、改めて知ることができたのであった。
(*エート、家永先生は大正2年=1913年=生まれだから、新憲法発布=1947年=の時は34歳であられたのかな。
新憲法をどんな気持ちで読んだか迎えたかでは、品川正治先生=1924年生=の戦地からの引き揚げ船の中で読んだ新憲法の感想のことを講演で聞いたことがある。
家永先生とはかなり違った感想だった。
戦地を経験した人とそうでない人との違いとか、正直なおもしろさとか、当時の雰囲気が分かる。
確固とした護憲の立場であることは同じだ。)

(家永続き)
・高見氏よりもいっそう憲法の問題に直結して、同じような心理的家庭をたどった法律家の例もある。
雑誌『ジュリスト』昭和30年11月15日号に、「日本の裁判官」と題する座談会の速記が掲載されているが、その中に新村義広・横川敏雄両判事の次のような発言が記録されている。

横川:
私自身も終戦当時、新村さんと同じように悩んだ経験があります。
戦争がはじまったときはまだ私は26,7で裁判官になってやっと3年目位でした。
ところで、あの当時の国家主義的、軍国主義的空気の中にあっては、思慮の十分固まっていない私達仲間は、多かれ少なかれその影響を受けざるを得ませんでした。
今から考えるとお恥ずかしい次第ですが、これが事実です。
(中略=家永)
しかし他方裁判官として、種々悩んでいたことも事実です。
(中略=同)
というのは、ある程度闇買いをやらないでは生きて行けないような条件のもとで、わずかの闇をやったというだけで経済違反として起訴されてくる者がある。
純真な学生が、数名でマルクスの『資本論』を読んでいたと云うだけで国体変革の目的遂行に役立つ行為をした者として起訴されてくる。
(中略=同)
これらの事件は大抵執行猶予にはされましたけれども、なかなか無罪にはできませんでした。
当時は、法律と判例に忠実である限り、そうせざるを得なかったのです。
私はこれらの事件にぶつかる毎に、いつも暗い気持ちになり、「法とは何か」「司法官の使命は、一体どこにあるのか」等という根本問題に悩まされたものです。
(中略=同)
このような心理的プロセスを経て迎えた終戦でしたが、国家の前途、自分達の将来を思うと、やはり暗たんたる気持ちでした。
特に悪しきものとともに良きものさえも吹き飛ばしてしまうような空気、限度を忘れた自由と権利の主張、軍部にこびを呈しこれに便乗していた者にかわって、駐留軍にこびを呈しこれに便乗しようとする者、昨日まで軍国主義の旗を振っていた者が今日は平気で民主主義の旗を振り回す無節操ぶり、終戦当時のかような空気には到底なじめませんでした。
(*ウ~ム。無節操、恥知らずと云えば、60年後の現在も同じ人たちがいるよな。
11月に行われてた大阪府知事選挙、同市長選挙後の自民、民主、公明、これらの政党の姿はまさにこれだ。
勝ったものに媚びへつらって。
屁理屈をつけて、、、。ミニクイよ。)
(横川続き)
そうこうするうち、新憲法が発布されましたが、この憲法も極端な自由主義、19世紀的自由主義思想に立っているような気がして、急には親しめませんでした。
(中略=同)
こんなことから一時は自分の過去を反省し、将来に備えるために、暫く裁判官をやめて一人で静かに考えたいという気持ちが強かったのです。
ところが色んな事情で遂に踏切りがつかづ今日に至ったわけで、この点全くお恥ずかしい気が致します。
ただ最近、特に新憲法の改正が、公然と議論されるようになった頃から、この憲法の良さがほんとうに分かってきたような気がします。
そして現在では、細かい技術的な点は別として、この憲法の根本的精神は、あくまで守ってゆかなければならないと痛感しています。
(中略=同)

新村:
私も同感です。
戦争に負けて、日本の国は甚だ多くを失った、と多くの人は考えています。
それはその通りで、国民の犠牲は計れ知れないものがあったわけですが、それと差し引きしても残るいいものが新しい憲法ではないでしょうか。
この憲法を擁護するための裁判官、そう考えると、幸いに許されるならばこれからも長く裁判官をやらせていただきたい、しっかり勉強していい仕事をしたいと決意を新たにする次第です。
(*「この憲法を擁護するための裁判官、、、」=あたりまえの言葉ともいえるが=
ボクは、こう言い切る裁判官がいたことがうれしい。
現在もそんな裁判官がいたら本当にうれしい。)

(家永続き)
長々とお二人の発言を引用させていただいたが、特に横川判事の発言の中の、施行直後の時期には親しめなかった日本国憲法の「良さ」がその「改正が公然と論議されるようになった頃からほんとうに分かってきた」という一節は、そのまま私の心境に引きうつして言える言葉であり、ここでも私は、私のような心理的プロセスをたどった人間が私一人でないことを知り、正直言って安心感を覚えた次第であった。

いずれにしても私は、国の政策が憲法を無視して軍国主義化、治安立法の強化の方向に逆行し始め、思想界もまた再び右旋回を始めた時点において、ようやく終戦直後の消極的な態度を捨てて、国家=社会の問題に積極的に取り組まねばならぬと考えるようになったのである。
(礼!)
ーーーーー
「意見表明 容易な社会を」
本当にそうだと思う。
でも、ボクタチ一般庶民は、文章もなかなか書けないし、話もうまくない。
デモ(今はパレードと云うんだ)ぐらいはできるけど。

だから、弁護士さんとか学者とかが自分達と同じ気持ちでいてくれる、代弁してくれていると思うとうれしいものだ。
芸能人、公務員、裁判官も。
ーーーーー
・草の根で行動するのさ。オレ達は。
ーーーーー
・伊達秋夫
 「裁判官の虚像と実像」
 (佐木隆三編「裁判」・作品社・1998・180ページ)
 もおもしろかった。

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January 09, 2012

「野見山暁治展」(ブリジストン美術館) を観る。

2011年12月21日・ ブリジストン美術館

*「野見山暁治」展を観る*

・全部で113点展示している。

・(凄い展示会でスゴイモノを観た。
ボクだけじゃない。
みんな、作品の前で、息をのんだり、大きなタメ息をしていた。)

・「ままならぬ景色」 2010
・「無情な風景」 2007
・「どこからどこまで」 2008
・「海のむこうから」 2010
・「近ずいてきた景色」 1981
・「目をつむれ」 1996

*これって、「3・11大震災」の絵ではないのか。2011年、ことしの。
根こそぎ持って行ってしまった。
でも、描いた時期は大震災前だ。30年前のものもある。
ウ~ム。わからん。ビッグバーン ?
ビッグバ~ン とは。こういうことか。
終わりで はじまり だと。

・「明日の場所」 2008・

*これは何だろう。明日は、、、。
カッカ、、 してくるぜ、
コノヤロウ (あっ、すみません。)
――――――――――――
*「人間」 1961* を観る。

(赤みがかった拳=こぶし=のようであり、心臓のようであり、が真中にデンとあって、真っ赤ではないが赤、その赤い色が目に残る。
野見山画伯は、映画「無言館」の映像の中で話しておられた。
〈記憶のまま書くけど〉軍隊に取られて―確か学徒動員だった―満州に居て、ある日、道路の氷の中に何かがある、氷を砕いて中のモノを見た。
それは、赤、だった。
赤い何なのかははっきりわからないが、「赤」だった。
そして、軍隊に居て、自分は「赤」の色を忘れていた。
そんなお話だった。
画を見ていて、そんなことを思い出して、「人間」をみていた。)
ーーーーーー
*「廃坑(A)」 1951
*「廃坑(B)」 1951
*「廃坑(C)」 1951
*「ベルギーのボタ山」 1954
*「ベルギーの炭鉱」 1955-56

(先生は福岡県筑豊のお生まれでお父様は炭鉱経営者であられたとか。
「物心のつくまでの環境が・・・いかに貴重か」。

ボクは炭鉱は知らない。
岩手県の炭焼きなら良く知っているけど。

炭鉱で知っているのは、民謡の「炭坑節」だ。
今でも、盆踊りには必ず踊る。
あと炭鉱で知っているのは、映画「わが谷は緑なりき」(1941・アメリカ)だ。
ジョン・フォード監督の。
労働への誇り、勇気、教育、学校、家族、信仰、音楽、恋愛、大切なものが詰まっていた。
絵って、なんていいんだ。)
ーーーーーーーー
*「ぼくの生まれた川オンガ」 1992* を観る。

・川はすべてのみなもとだ。
激流でもある。

(「遠賀」と書いて=オンガ=と読む。)

外れるけど。書き写したくなった。思い出して。

真壁仁編
「詩の中にめざめるにほん」(岩波新書)
(74ページ)

*森崎和江 「あたしゆめみた」*

あたしゆめみた
水へしずんでいくゆめみた

猿田峠に星がでて
ままおはなししていた ぱぱと

あたし呼んだの
水でつぶれるとき きまって

木屋の瀬のみちで
ままわらっていたよ ぱぱと

はっぱむしっていたんだもん
あたしのことみなかった

おなかのおおきい鮒がいて
ままのぞいていたよ ぱぱと

遠賀川はまっくろ
ままのばかたれ あまえんぼう
ーーーーー
(マカベさんのコメント)
・・・・・
森崎和江は北九州の炭田地帯に住んでいる詩人だ。
『まっくら』(理論社)という著書がある。
これは男といっしょに坑低にもぐって、炭を掘った女たちの波乱にみちた半生をはなしてもらって、その聞き書きをまとめた記録である。
・・・・・・・・・
――――――――
*4中総・志位和夫委員長の結語*
・・・・
三つ目は、党機関の指導と活動の改善の問題です。
福岡県からの発言で、八幡・戸畑・遠賀(おんが)地区委員会で、2中総決定、3中総決定を受けて、支部に足を運ぶことに重点を移し、活動改善をすすめている経験が報告されました。

(*遠賀〈おんが〉、がでてきた。)

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January 05, 2012

忘年会

2011年12月・忘年会

①荒川区日本共産党後援会総会・忘年会
12月6日(火)・サンパール荒川・参加者 70人

*野口 淳 後援会会長の挨拶
(メモー1部)
・1年間、ごくろうさまでした。
特に区議選挙ではご奮闘いただきました。
全員当選をかちとりました。
後援会のすそ野を広げること、これを楽しくやる、さらにがんばろうではありませんか。
東日本大震災では、物心両面からの支援活動に取り組んできました。
ご協力に感謝します。
10日に全都後援会の会議があります。
出席して報告をしてしきます。
ありがとうございました。
(拍手)

*鈴木けんいち 荒川地区委員長の挨拶
(メモー1部)
・東日本大震災支援を継続して行っています。
湯たんぽ募金では、ご協力ありがとうございました。
この前ですが、湯たんぽ(27万円分)、被災地へ届けてきました。
被災地は冬です。
さらに、支援が必要です。

・2009年のリーマンショック以降、世界で2億人以上の失業者がでている。
1929年の世界大恐慌に匹敵するような内容になっている。
これをどう打開するか。
政府は、これを金融恐慌ととらえ銀行支援のみを行っている。
これではダメだ。
根本には過剰生産と消費の矛盾がある。
実体経済を強める、国民の所得を増やす政策が必要だ。
150年前マルクスが指摘した通りだ。
改めてマルクスが見直されている。
資本主義を乗り越え新しい社会を目指そう、そういう時にきている。
共産党の役割は大きい。
国民の期待もある。
先月行われた被災地(岩手・宮城・福島)3県での県議選挙では、共産党は6議席から11議席へ躍進した。
宮城県石巻市では、三浦さんが共産党として初めて当選した。
その後、隣の気仙沼の方々から、気仙沼では共産党は何故候補者を出さなかったのか、と言われた。

・民主党は消費税を上げると言っています。
マニュフェストを全部なげすてた。
こう云う中、今度の総選挙では、共産党は全選挙区で候補者を立てることに決めました。
・・・・・・
供託金が必要になります。
早めに募金に取り組みたいと思います。
ご協力をお願いします。

区議選挙で発揮した力を総選挙でも発揮しようではありませんか。
(拍手)
ーーーーー
(乾杯)
ーーーーー
ーーーーー
*津田恵一さん(前進座俳優)のあいさつ*
(メモー1部)
・挨拶をさせていただきありがとうございます。
前進座は、昭和6年、80年前、大不況、物価高の中で(出発)しました。
最初、「市村座」だったのですが火事にあいました。
再出発の時、「前進座」と名前を付けてくださったのは村山知義さんです。
23人で始めてそれから80年です。
皆さまに可愛がっていただいたおかげです。
(拍手)
・前進座は株式会社です。
60歳定年です。
私は64歳になります。
65歳までは座に居られることになっています。
そのご、役員になれると、、良いのですが、、、。
(笑)
65歳過ぎると契約社員になります。
役者ですが、年金、労災、保険、全て加入しています。
劇団でこのような制度を持っているのは前進座だけです。
ーーーー
・中村翫衛門の時代ですが、劇場を造ろうと云うことになりました。
500人収容の劇場です。
美濃部都政の時でした。
地域の皆さまと協力し署名を集め建設を認めて頂きました。
吉祥寺の住宅地へ作ることができました。
一億円の募金も集まりました。
そして、劇場開設から30周年です。
(拍手)
皆さん、どうか劇場へも足を運んでください。

・東日本大震災、フクシマ原発事故、、、。
悲しい、大変な年でした。被災地の方々へは、、、、。
私達はチャリティー公演を行いました。
募金活動も行っています。


・新年から公演を予定しています。
引き続きよろしくお願いします。
(拍手)
――――――
②法政大学9条の会・有志忘年会
 12月9日(金)・千代田区神田司町・日本蕎麦店
 参加者・25人

(全国から集まった。
大阪のMの話がおもしろかった。
「やつらを通すな!」・これからだ。)
――――――
③太極拳クラブ忘年会
 12月20日(火)・千代田区神田神保町・庄屋
 参加者・18人

(陳式太極拳ー大会をめざす。)
―――――――
④荒川区共産党区議会議員・斎藤くに子 地域後援会・忘年会
 12月25日(日)・「赤いランプ」
 参加者・15人・

*キタジマ後援会長の挨拶
(メモ)
・一年間、ごくろうさまでした。
おかげさまで、斎藤区議の7選を果たすことができました。
去年は、忘年会を「ひろば舘」でやりましたが、今年は地域の方のご協力を得てここ「スナック 赤いランプ」で行うことができました。
今日は”歌中心”で、楽しく過ごしたいと思います。
(拍手)

*斎藤くに子 区議会議員の挨拶
(メモ)
・今年は、いろいろありがとうございました。
区議会、東日本大震災、ボランティア活動、全力で取り組んできました。
やることはまだまだ一杯あります。
来年もどうかよろしくお願いします。
(拍手)
ーーーーー
【荒川区日本共産党後援会ニュース・N0.163・2011年12月18日】より

*12日に終わった第4回定例会では、斎藤くに子区議が共産党を代表して質問。
まず、原発事故後、8カ月間も区内の放射線量を測定せずに、除染必要地域で子供たちを生活させてきたことへの認識と対応を問いただしました。
また、原発ゼロと自然エネルギーへの転換を区政の基本にすえ、区内での転換促進を提案しました。
そして、災害時の障害者など要援護者の避難支援プランの整備を要求。
くわえて、来年度の介護保険料抑制などを求めました。

放射線量測定問題については区長は全く発言せず、担当部長が、いま除染しているのは「念のためだ」と答弁しました。

また、斎藤区議は、江戸時代からの荒川の伝統野菜「三河菜」の栽培を応援し、都市農業を支えるために、学校給食にも取り入れたらどうかと提案。
教育委員会も検討を約束しました。
(拍手)
ーーーーー
*歌った。歌った。
参加人数が限られているから、カラオケを充分、5曲も歌えたのだ。

*「赤いランプの終列車」
♪白いよぎりの灯りに付けて 分かれせつないプラットホーム・・・
(お店の名前が、「赤いランプ」だから、これを歌ってみたわけ、、、。)

*「17才のこの胸に」
♪風に吹かれた花びらを浮かべて波は遠ざかる、、、
(この前、夕方6時30分ごろだったかな~。
文化放送で、西郷輝彦さんの「涙をありがとう」
♪呼んでもかえらぬ 兄貴だけれど、、、、をやっていてね。
よかった。それで、西郷さんのを歌って見たわけ。
その日は、朝は、テルミさんの番組だったけど、「学生時代」を聞いた。3番まで。良かった。
でも、「学生時代」はカラオケでは歌えない。なんとなく。
歌声喫茶へいくと、必ず歌うんだけど。)

(歌うのに一つ一つ理屈がいるんだ・・・。こっちは。)

*「好きだった」
♪好きだった 好きだった うそじゃなかった 好きだった そんなひとこと・・
(これは、この前、NHKラジオでやっていた。鶴田浩二さんの、、、。
それで歌ってみたわけ。)

*「男の慕情」
♪みなと夜霧に濡れてかわした 分かれ口づけ 忘れるものか 伽羅のかおりの、、、。
(・これは、石原裕次郎さんの「赤いハンカチ」の雰囲気で歌う。
「赤いハンカチ」を別の人に歌われたから、、、こっちにした。)    

*「高原の旅愁」
♪昔の夢のなつかしく 訪ねきたりし 信濃路の山よ小川よ また森よ
すがた昔のままなれど 何故に かの君 影もなし

(これは名曲だ。伊藤久男さんの。
カラオケで歌う人は、今はめずらしいようだ。
昭和16年の歌だ。)

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