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February 2012

February 23, 2012

「太極拳・交流大会 表演会」(東京中国武術協会) へ参加した。

2012年2月11日(土・祝日) AM9:30~PM4:30
①「THE☆表演会
 第17回 太極拳交流大会
 第22回 表演会」
会場:BumB東京スポーツ文化舘メインアリーナ
主催:東京中国武術協会
へ参加した。

*第一部 第17回太極拳交流大会
全部で39組が参加。
24式、32式、42式、楊式、陳式、呉式、
太極剣、楊式13勢刀、扇子前、、、。
(*これだけ揃うと、やはり壮観だ。)

*75歳以上の高齢者の表彰
92歳の女性をはじめ35人(女20人・男15人)が紹介され、表彰された。
女性の方が多い。今日の参加者もそうだが。
(拍手)(*姿勢が良い。)

*第二部 第22回 表演会
・選抜された5組が表演ー(さすがだ)
・ジュニア表演ー少年チーム4組が演武
・コーチ表演ー5人が模範演武
・特別表演ー(協会名誉会長、顧問、理事)6人が模範演武
・客演
(王建軍老師ー九節鞭)
(李自力老師ー楊式太極拳)
(*老師とは名人以上という意味かな。)
―――――――――――――
②日中友好協会荒川支部
「2012年 新春のつどい」へ参加できなかった。
夜6時30分・アクト21(荒川区尾久)で行われた。
誘われて、「出席する」と返事していたのだが。
昼の太極拳で少々疲れてしまったのだ。
BumBの体育館は、節電で寒かったし。
ザンネン。
――――――――――――――
③「2・11さよなら原発1000万人アクション全国一斉行動 in  東京」
(主催:同実行委員会)
場所・代々木公園
(*参加した友人から、メールと写真が送られたきた。)
様子を、「しんぶん赤旗・日曜版」(2012年2月19日・32面)が伝えている。
写させていただきます。
(見出し)
「原発いらないー
大江健三郎、澤地久枝、落合恵子の3氏訴え」
・・・・・・・
東日本大震災1周年を1ヶ月後に控えた11日、作家の大江健三郎氏ら著名9人が呼びかけた「2・11さよなら原発1000万人アクション全国一斉行動 in 東京」(主催、同実行委員会)が、東京代々木公園で開催されました。
時折、冷たい風が強く吹き付けるなか、1万2千人が参加しました。
壇上から呼びかけ人の3人が発言しました。
大江氏は、
「処理技術を持たない核廃棄物を後世に残すことは、人間のモラル(道義)に反する。
私たちは原発再稼働に抵抗しなければならない。
これは、いかなる立場の違いも超えて根本的に重要な倫理です」とのべました。
(*拍手)
作家の澤地久枝氏は、
「すべての命あるものに私たちは責任を負っている。
どんなことがあっても原発はとめなければなりません」と訴えました。
(*拍手)
作家の落合恵子氏は、
「収束していない事故を”収束”と言った人や、原発を輸出しようとしている人たちに『ノ―』をつきつけよう」と呼びかけました。
(*拍手)
・・・・・・・・
夫を福島に残し、小学生の子供と東京へ自主避難している増子里香さんは、
住宅や就職を探す困難さや、子供の不安を涙ながらに語りました。
「私たち被災者は、さざ波にくるくる回る枯れ葉の小舟のよう。
手にはオールもありません。
これ以上、福島の子供に悲しみを負わせないで」と訴えました。
(*・・泪、、、。ウ~ム。)
ーーーーー
(*参加した友人が話した。
色々な人がいたよ。
法政の旗を見て、話しかけてきた人がいた。
彼は言った。始めて会った人と思ったが。
”40年ぶりだ。
法政の旗を見てなつかしくなった。
オレは、、、、卒業式の時。武道館で行われた、、。
あの時、警察の留置場にいた。逮捕されて。
3里塚でだ。
40年前だ。・・・”
そのうち、また。と言って分かれた。)
――――――――――――――――
④今日は、「建国の日」、でもある。
昔読んだ本を引っ張り出す。
3冊。
また、写しておこう。

(一冊目)
★永原慶二(ながはらけいじ)
 「歴史教科書をどう作るか」
 (岩波書店)  2001年・全245頁
(その中から一部)
・・・・
歪められた歴史に夢を託す、というのは危険なことである。
歴史は楽しみのための物語ではなく、国民や国家の現在・未来を見定めるための、たしかな学問成果に裏付けられた認識でなければならないからである。
史実を歪めた歴史物語をそのまま歴史教科書にもちこむことは、どれほどおそろしいことか。
もしそのような教科書によって教育されれば、若い世代の人々は、知識も心も歪められ、未来に向けての冷静・的確な判断をもつことが出来なくなってしまうだろう。
世界的に定着している歴史認識に背を向け、自国中心の独善的な優越感やナショナリズムに心を奪われてしまえば、国際的な友好・平和の民とはいえない大量の若い国民が生み出されるおそれがある。
・・・・・・略・・・・・・
戦後の半世紀余りにおいても、戦前の皇国史観に根をもつ国家主義的思考は、文部省の検定やその背後にある保守派支配層に根強く生きつづけ、「自分の国の悪かったことを書くな、歴史を明るく書け」といって種類の要求をくりかえしてきた。
・・・・・・・・・
・明治以来の国家主義歴史教育観
・・・・・・・・
・・・・・・・・
・29頁 (皇国史観とは何か)
さて、改めて皇国史観とは誰によって形成されてきたものなのかを問い直すと、正確に答えることは存外むずかしい。
普通、平泉澄氏(東京帝国大教授・歴史学)をその代表とし、昭和初年から次第にその形を明らかにしてきたと見られている。
・・・・・・・
しかしここでは、個々人の思想・歴史観に立ち入ることはやめて、もっとも煮つまった皇国史観「国史」像の典型として、1937(昭和12)年に文部省思想局が編集した『国体の本義』と、1943(昭和18)年文部省編纂の『国史概説」(上下)をとりあげ、これを手掛かりにしてその特徴を追ってみよう(文部省自身が直接に、日本歴史の決定版=「正統の国史像」を国民に提示すると云うこと自体も、いちじるしく権力的発想のあらわれである)。
・・・・・・・
・・・・・・・
1937年の時点で本書がつくられたのは、
・・・・
当時の思想界には、「民主主義・社会主義・無政府主義・共産主義が侵入」しており、それらは「究極に於いてはすべて西洋近代思想の根底をなす個人主義に基づくもの」で、わが国の伝統と思想とは相容れないため、それが思想の「行詰り」「混乱」をもたらしている。
したがって、それを克服するためには、国体の顕現としての日本の歴史を明らかにし、国民の国体に対する自覚をうながすことが緊急不可欠である。-
皇国史観はそのような使命感をふまえた国定の歴史観として登場し、およそつぎのような主張を強烈におしだしている。

〈国体論と皇国史観〉
第一は、「国体」という特殊な価値を体現している国家に対する絶対的優越感とも言うべき思考である。
・・・・・・
・・・・・・
したがって皇国史観はその立脚点において、はじめから史実を無視した独善性によって特徴づけられていたのであるが、国体が永遠に変化せず、しかも独自の価値をみずから体現しているとする点で、まことに特殊な思考・論理をとるものといわなくてはならない。
この点の意味は、丸山真男が論文「超国家主義の論理と心理」で、戦後いち早く指摘したところである。
氏によれば、明治以来の日本「近代国家」は、思想・道徳・信仰等人間の内面的世界のことがらは個人の問題であり、したがって国家はそれに対してはニュートラル(中立的)であるべきだというヨーロッパ近代国家の基本性格とまったく異なり、「国体」を通じて国家がみずから特定の価値を独占しているというのである。
・・・・・・
・・・・・・
〈皇国史観の民衆像は?〉
第二に、皇国史観の立場からは、民衆は忠孝一体の論理で、家→国=天皇に帰属することだけが価値とされ、それにそった事実以外はまったくかえりみられるの値しなかった。
・・・・・・
・・・・・・
〈他民族支配の肯定〉
第三の特徴として、皇国史観は、自国中心主義と表裏一体の関係で、帝国主義的侵略や他民族支配、戦争などに対しては一貫してこれを肯定賛美している。
・・・・・・
・・・・・・
〈非科学としての皇国史観〉
第四に、以上のような考え方や歴史解釈に特徴づけられる皇国史観は、近代科学としての歴史学的認識とは異質のものであって、わりきっていえば、天皇制国家と日本帝国主義とを正当化するためのイデオロギーにほかならない。
・・・・・・・・
そうした状況のなかで、皇国史観は合理主義的諸思潮に対し、みずからも一つの科学として立ち向かうのではなく、権力と結びつき、権力を合理化するイデオロギーとして、みずからの存在を強めようとした。
それゆえに皇国史観は、本質的に、非科学的であった。
それは神勅や天孫降臨、神武天皇から日本の歴史の叙述を開始すると云う点だけの非科学性ではない。
日本の歴史を究極的にはすべて「国体の顕現」の歴史と見、日本帝国主義の侵略行動を「皇化」と説明することによって、歴史の学問的認識の道を基本的にとざしてしまっているところに非科学たる基本があるのである。
(*なるほど)
・・・・・・・
・・・・・・・
(~そろそろ終わりにしよう~)

〈教育と学問の分離〉ー「教育と学問は別だ」
・・・・・・・
すでにふれたように、「国体」や「国体の精華」の歴史的検証の試みとして形成されてきた皇国史観は、明治以来、学校教育とくに「国民教化」を目的とする義務教育課程の歴史教育と結びつき、教育と学問を切りはなすという基本枠組に立っていた。
そこでは真理の探究は大学にまかせる、
義務教育は真理を教える場ではない、「教化」教育によって国体に対する信念(信仰)をもつ「国民」「日本人」を作り出す、ということが基本目標とされていた。
(*いわゆる、叩きこむ、信念を叩きこむ教育ですね。暴力的でもある。)

(223ページ)
・この学問と教育の分離という考え方が、もっとも露骨に示され、教育の内容を規定したのは歴史教育です。
いわゆる「万世一系」の「国体」の優越性といわれるものが天皇制イデオロギーの基礎ですが、これを子供たちに信じこませ、「国民」として「教化」していくためには、日本の歴史は神話の語る「神勅・天孫降臨」から始める必要があります。
考古学的な考察から始めるわけにはいかないのです。
そこでとられたのが、大学は学術研究の場だから研究の自由は認める、しかし小学校は別だ、という二本建て路線でした。
もちろんそうはいっても、考古学が発達して神話を史実とするような物語・信仰が解体すると困るわけです。

そこでなんと敗戦後まで、東京帝国大学には考古学科がおかれていませんでしした。
ちなみに同大学文学部には私の学生の頃(1942年~)、17学科がありましたが、考古学科と露文学科はおかれていませんでしした。
・・・・・・・・・・
(*ハァ~!分かりやすいことで、、、。
露文の方は、ソ連社会主義革命との関係で。考古学科は、皇国史観との関係で、ですね。)

*永原慶二(ながはらけいじ)
1922年 中国大連に生まれる。
1944年 東京大学国史学科卒業
一橋大学教授、日本福祉大学教授、和光大学教授を歴任。
―――――――――
【二冊目の本】
・・・・・・・・
・・・・・・・・
最初に日本古代史研究の一般的な問題を、少し申し上げてみたいと思います。
終戦までは、日本古代の歴史研究上には、一種のタプ―すなわち口にすることを禁じられていたことがあります。
それはご承知の通り古事記・日本書紀などの記事とか、皇室に関する伝統的な歴史的解釈に対する批判で、これは非常な圧迫を受けたわけであります。

正しい真理を追究する学問が、一部の政治的勢力の圧迫によって歪められることは、国民の最も大きな不幸であります。
しかしながら良心的な学者は、表には出さないでも、確実な歴史的事実と不確実な事柄とをはっきりと区別して、学者としての節操を保っていたのであります。
終戦時には一時に言論の圧迫がとれたので、反動的に、自由というより、むしろ、めちゃくちゃな議論が行われました。
歴史の研究においても同様で、現在でもなお一部においては特殊な色眼鏡を通じて見た歴史著述やジャーナリスティックな歴史の本がでておりますが、大体において研究も軌道に乗り、正しい方向に進みつつあるように見受けられます。

終戦後の日本古代史研究上における一般的特徴は、大体次の通りだと思います。
第一は、終戦前の古事記その他の日本古典の鵜呑み主義の反動として、これらの文書資料を捨て去り、考古学的な物質遺物一辺倒とでもいうべき傾向であります。
第二は、終戦前の歴史教育では、天皇、貴族、武将など支配者や上流階層の人たちのことは詳しく語られたのに比し、一般人民の歴史についてはほとんど教えられなかったことの反動として、英雄や偉人の伝記や物語はまったく抹殺され、いわゆる社会科学の歴史が重点になり、あるいは支配者側の行動は常に悪かったような歴史記述が多かったのであります。

しかしこれらはいずれも物の一面のみを見て全部を見ておりません。
・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・
そこで今後の古代史研究においては、次の事柄に注意すべきであろうと考えております。
その一は、広い視野から古代を顧る必要があることです。
今のコップの例のごとく、歴史もまた上からも下からも、右からも左からも、外からも内からも、これを熟視しなければなりません。
言いかえると、支配者側からも被支配者側からも、また日本人みずからの観点からも外国人の目からもー日本古代に於いては主として朝鮮半島や中国の人々の目からですがー農民の立場からも、手工業者の立場からも、商人の立場からも奴隷の立場からも、あるいは男性の立場からも女性の立場からも、あらゆる異なった立場に立ってそれぞれの歴史を分析し、最後にそれを総合しなければならないと思います。

その二は、歴史学が今やあらゆる科学の総合的学問になったということであります。
一例をあげると、土中に埋もれていたような古代の遺物の年代を決定するにあたって、炭素の放射能を用いるわけです。
私はその専門家でないので間違っているかもわかりませんが、大気中で宇宙線によって放射能を持った炭素がつくられます。
その放射能の炭素が、約5700年の間に半減をするという原則を利用するのです。
・・・・・・・・・
・・・・・・・・・
このように歴史学は世界の最先端を行く原始物理学をも利用することになります。
・・・・・・・・
従って今後の歴史学は、ただ人文科学の一分科という狭いわくの中に閉じこもっていることができなくなり、人文科学界と自然科学界とを股にかけて横行闊歩しつつ研究しなければならない、ということになった次第であります。

その三は、従来の日本古代史研究上における盲点を、充分究める必要があることであります。
それは何かというと、一般国民の歴史であります。
民族学会ではこれを常民ともうしております。

われわれが小さかったころ学校で習った歴史を振り返ってみるのに、たとえば仁徳天皇というと、多くの人はすぐにあの
「高き屋に上りてみれば煙立つ民のかまどはにぎわいにけり」
という歌を連想すると思います。
そしてその連想は、従来に於いては、ただ天皇が情けのある方であったという印象を受けるにとどまってしまったように思います。
その場合、その煙が何を炊いた煙か、米を炊いたのか、栗を炊いたのか、それとも、もっと違ったものを煮ていたのか。
すなわち当時の常民はどんなものを食べていただろうか。
それから、その煙はどんな家から立ちのぼっていただろうか。
そのころの常民はどんな家にすんでいただろうか。
それは天皇のおられた高殿とどんな違いがあったろうか。
またその煙は、どれくらいの地域に何本くらい立っていただろうか。
言いかえれば、当時の首都における戸数とか世帯数とか人口密度というような問題になります。

さらにもっと大切なことは、天皇が3年前に高い山に登ってごらんになったときは、煙が立っていなかった。
そこで課役及び貢物を免除したら、今度はたつようになった。
これは古事記にもある伝承ですが、では3年前にはなぜ煙が立っていなかったのだろうか。
言いかえれば、社会の食糧事情はなぜ悪かったのだろうか。
飢饉か洪水でもあったのか。
戦争でもあったのか。
それとも、支配者の経済政策や税制が悪かったのであろうか。
古事記にも、その前に、堤防工事や灌漑工事をやった記事がありますが、かかる土木事業の結果、一面、農業生産は向上したでしょうが、半面、民の間に色々の不平不満が起きたのではないでしょうか。

このようにいくらでも疑問が湧いてまいります。
ただ煙が立ちのぼっていたという、きわめて簡単な歴史的伝承を一つ取り上げても、研究者の着眼一つによって、いくらでも深く広く研究を進めることができます。
旧憲法のように天皇主権の時代には、この煙の研究もただ仁徳天皇のご仁慈ということにとどまったのであります。
むしろそこでとどめておく方が支配階層にとっては都合がよかったわけでしょう。
しかしながら今ははっきりと主権在民の原則が確立したのですから、この煙の研究もただ天皇のご仁慈だけでとどめることはゆるされないのであります。
(*拍手)
従ってわれわれは、今申したように、歴史研究のメスを常民の社会生活の奥深く突き刺さねばならないのであります。
そうすれば国民は自分達の先祖がどんなものを食べ、どんなものを着、どんな家に住み、いかに働き、いかなるものを生産したか。
そしてそれらの生活の中においていかに苦しみ、いかによろこんできたかの経験を具体的に、身近に感じることができます。
それによって国民は自らの力を知り、みずからの責任を自覚し、主権者たるに恥じないりっぱな行動ができるようになると思います。
(*!なんという!カンドウ!)

さて、その常民の中の大部分を占めるのが農民であります。
・・・・・・・・・
・・・・・・・・・
彼ら農民の生産活動があってこそ、その上に座りえた貴族とか、武家たちの歴史のみが多く伝えられたのに、その社会活動の源泉ともいうべき真の農民の姿は、ほとんど学校教育でも教わっていなかったのであります。

最近少数ですが、柳田国男先生や折口信夫先生はじめ、われわれこの方面に興味を有する者が集まって、ニヒナメ研究会を組織しました。

ニヒナメというのは皆様ご承知の通り漢字にあてはめると新嘗祭のことであります。
・・・・・・・
・・・・・・・
(以下 略)

★三笠宮崇仁(みかさのみやたかひと)著
 「古代オリエント史と私」
 (学生社) 昭和59年(1984年)
の中の(250頁)「日本古代史におけるニヒナメマツリの問題」(昭和28年)
を写しました。

(*何十年前になるのだろう。
大内兵衛先生が、書いたか話されたか、したのを覚えていて。
たいへん、優れた内容だと。)
――――――――――――――
【三冊目は、
保阪正康 著
「昭和史の謎 “激文に秘められた真実」
(朝日新聞社・朝日文庫) 2003年】
(*ラジオで言っていたけれど、朝日の出版部の責任者は誰かに代わったのかな。)

*全301頁だけど、
その中の、(104頁)
10 帝国の光栄を保全せむことをー開戦の詔書  
(114頁) 敗戦の詔勅
ーーー
(157頁)
16 民主天皇という名のシナリオ―天皇の人間宣言
ーーー
(273頁)
26 国民とともに―新天皇の「お言葉」
―――――――――――――
(東京新聞)2012年2月19日(日)・28面
作家 保阪正康さん特別寄稿 を読む。


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February 16, 2012

上野ー荒川ーと歩く。

2012年1月x日
*急な来訪者あり。一緒に歩く。
①上野・「美教展」(藝大アートプラザ・主催:東京芸大美術教育研究所)を見る。
18人の方々が出品しておられる。
藝大構内・(売店)での展示会で即売も行う。
値段がついている。
舘山拓人「ある時の情景」 ¥157,500
原口健一「異相」 ¥80,000
など、等、、。

*あっ!
これから、の方々だ。
ーーーーーー
★喫茶室で今日は「カレーライス」を食べる。
―――――――――――――――
②(株)日興エボナイト製造所(荒川区荒川1丁目) を訪問する。
客人H氏の要望による。
良い万年筆を買いたいと。

(会社のコメント)
静電気の実験で知られる「エボナイト」は、電気絶縁材はもちろん、高級万年筆、プロ用の楽器、マウスピースなどに必要不可欠な素材。
弊社製のエボナイトは天然ゴムをゴム中100%使用。
国内での素材製造は弊社のみ。
今後も世界に貢献できるよう頑張ります。
・(『下町のエボ屋さん=笑暮屋』
エボナイト万年筆、即売します。)

*万年筆を見せて貰う。
すべて手造り。

*社長さん(遠藤智久氏)と社員・職人のカナサキさんのお話を伺う。

*社長さんの母君も一緒に仕事をしておられる。
「このまえ、俳優の中尾彬さんがみえられましてね。
万年筆を見せて、と。」
(ボク:恐くなかったですか?大きい目で。にらまれたりして。)
「何がこわいものですか。
ずーっと、笑顔笑顔で。素敵な方ですよ。
近所の人たちも呼んで一緒に写真を撮ってもらいました。」
(笑)

★「日興エボナイト製造所」のことは、作家の江上剛さんが紹介しておられる。
江上 剛 文
イラスト・マグマ ジャイアンツ
「大人の社会見学
第42回 日興エボナイト製造所」
(WEDGE 2012年12月号・60~61ページ)
より。

“身近にあふれるプラスチックと
一見同じようだが、
手に吸いつく感蝕のエボナイト。
周りとは少し違った
エボナイト製万年筆がほしいと思った。”

エボナイトという物質をご存じだろうか?
・・・・
エボナイトは天然ゴムに硫黄をまぜたもので、その色合い、光沢が黒檀(こくたん=エボに―)に似ていることからエボナイトと呼ばれるようになった。
・・・
・・・
「日本でエボナイトを作っているのはうちだけです。
世界でも数社しかないんじゃないでしょうか」
日興エボナイト製造所会長の遠藤昌吾さんが言う。
同社は、東京都荒川区荒川という下町にある町工場だ。
遠藤会長は二代目。
今は三代目の智久さんが代表として会社を取り仕切っている。
・・・・
・・・・
白いエボナイトに色を混ぜてみたが、パッチワークのようなモザイク模様しかできない。
何度も何度も試行錯誤を繰り返したが、色を混ぜ過ぎて結局黒くしてしまったこともある。
5年の歳月をかけ、ようやく父と子は思い通りの色で墨を流したような模様を作り出すことに成功した。
「父の色彩感覚は天才的です」智久さんは昌吾さんを尊敬のまなざしで見つめる。
・・・
・・・
これを万年筆に加工するのは、職人さんの仕事だ。
・・・
ここで働く職人さんは、万年筆に魅せられてサラリーマンを辞め、この世界に飛び込んだ。
職人さんは、専用の工房でろくろと呼ばれる加工機械を使ってエボナイトを棒で回す。
そこに何種類もの切削工具を当てる。
微妙な加工が必要なため切削工具は全て手作りだ。
ペンはドイツ製の14金の最高級品。
使う人を想像しながら丁寧に加工していく。
1日に完成品は1本から2本しかできない。
「万年筆の知識があり、ろくろを操れるのは日本で彼一人でしょう」と智久さんは全幅の信頼を置く。
・・・・・
・・・・・
「エボナイトの良さを知らない人が増えてきました。
こんな物をエボナイトで作れないかという相談が日本ばかりでなく海外からも舞い込んできます。
エボナイトは、今や新素材なんです」
智久さんは目を輝かす。
エボナイト万年筆を手にすると優しい柔らかさ、温もりが伝わってくる。
プラスチックや金属にない感覚だ。
すたれゆくエボナイト製造を、意地でも守り抜いてきた町工場が、最先端に躍り出る時代が到来したようだ。
(終)(拍手)
(えがみ・ごう)作家。1954年うまれ。
’77年第一勧業銀行入行後、’02年『非常銀行』で作家デビュー・・・。★H氏、万年筆1本(数万円)を買う。
(竹をデザイン化した形のもの。マグマ・ジャイアンツさんのイラストのものと同じものだ。)
ニコニコ、、、。
――――――――
③荒川区町屋の会社会長S氏(70歳位)と話す。
話をうかがう。
(株)A社、S会長、としておこう。

・S氏は、集団就職で東京へでてきた。
「ボクは、だから中卒だよ。」
「最初、港区の会社へ勤めた。30歳の時独立した」
「会社は1回つぶした。色々あったけど最初からやり直した」
途中は略だ。苦労話は省略だ。
「現在、社員は15人いる。年商は5~6億円になった。」
話したいことは、二つある。
一つは、今年はじめて大学卒の新入社員を採用したこと。
募集したら60人も応募してきた。おどろいたね。
ぼくも、面接した。
一流大学を出ていて何で内のようなボロ会社に入る気になったのか聞いてみたくてね。
そうしたら、みんな苦労しているんだね。
何十社も受けて中々採用してもらえないと。
同情して、全員採用したくなった。
しかし、そうもいかないし。
率直に聞いたよ。
初任給は18万円だ。
会社に入って、3ヶ月後から月50万円の売り上げをあげてもらわなければやっていけない。
やれると思うかと。
色々な答えがあった。
何人か採用した。
今までにないぐらい優秀な人たちだ。
楽しみだよ。

もう一つ、以前会社を止めた奴が戻ってきてね。
彼は内で5年働いて、そして試験を受けて別の会社ー上場企業へーへ移ってね。
大企業へ移った。4年前だがね。
試験に受かる位だから、良くできる人だった。
残念だったが笑って送りだしたよ。待遇じゃかなわないし。
その彼がこの前だが、社長(会長)のところでまた働きたいと言ってきてね。
いろいろ事情があったようだ。
態度には出さなかったが、ボクはうれしかったね。
「初任給からになるが、それでも良いか」と聞いたら「そこからやり直します」と言ってくれてね。
よく働く。
しかも新しい技術、やり方を身につけている。
前の会社で習ったことを持って帰ってきてくれた。
・・・・
・・・・
ボクは、酒もたばこもやめた。
健康に気をつけている。
会社を良くしたい。
給料を上げたい。
10億円を目指している。

前に入院したことがあってね。
経営が苦しい時だった。
その時、社員が見舞いにきてくれた。
全員、、、、。言ってくれてね。

・・・明日から営業は自転車で歩きます。
自動車は止めます。駐車場を解約しましょう。
社員全員で決めました。
会社を守ります。

――――――

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February 07, 2012

いろいろな、ボクの読んでいる新聞

2012年1月x日
*新聞を読む*
【生活と健康を守る新聞】(全生連中央機関紙)
(1月1日・8日(日)合併号 2面)
新年あいさつ
第39回全国大会開催の年にふさわしく
生存権裁判勝利
暮らし守る運動強めよう
全国生活と健康を守る会連合会会長
松岡 恒雄
・・・・・
・・・・・
民主党野田政権は、「社会保障と税の一体改革」と称して、消費税増税と社会補障制度の改悪を具体化しています。
・・・・・・
しかし、消費税は所得の低い人ほど税率が高くなる最悪の税制です。
税源といえば「打ち出の小槌」のように消費税アップしか頭にないのが困ります。
大企業や高額所得者への適正課税、政党助成金や米軍への思いやり予算の廃止などは考えにありません。
・・・・・・
世論調査では、増税反対は半数を超え、「法案提出前に総選挙をせよ」の声は3分の2を超えています。
「国会を解散して国民の信を問え」の声を大きくしていきましょう。
・・・・・
昨年は、東日本大震災があり、多くの犠牲者が出ました。
・・・・・
フクシマ原発による放射能汚染では、汚染が極めて広範囲に現れ、改めて原発問題を考えさせられました。
・・・・・
今年は、生活保護の老齢加算廃止の違憲を求める裁判が重大な局面を迎えます。
裁判を勝利させ、暮らしを守る運動を強めましょう。
・・・・
(*ハイッ!がんばりましょう。)
ーーーーーーーーーーーー
*荒川生活と健康を守る会
会長  角 光男

あけましておめでとうございます。
・・・・・・・・
・・・・・・・・
厳しい情勢ではありますが、どんなちいさい要求も大事に、みんなで班を中心に運動していける強大な守る会をつくりながらたたかいの輪をひろげていきましょう。
会員同士のつながりを大事にし、守りあい助け合い、みんなで力を合わせて生き甲斐のある社会をつくっていきましょう。
健康に充分気をつけてがんばりましょう。
・・・・
(拍手・いつも、よくやっておらますね。みんな知っていますよ。)
―――――――――――
【東京民報】・東京民報社・週刊(毎日曜日発行)
*12月25日*
インタビュー:震災から見える貧困
反貧困ネット代表 宇都宮健児さん
(弁護士・2010年4月より日弁連会長)
(見出し)
・震災に強い社会 貧困解消でこそ
・政府は目標立て対策を
・「関係の貧困」も課題に
運動の深さが問われる
・・・・・・
今の貧困と云うのは人と人とのつながりが失われて、貧困当事者が孤立している。
反貧困の運動は、この「関係の貧困」問題にも同時に取り組むことが大切だということです。

(*どうかん!)
ーーーーーーー
(同・東京民報)
*2012年1月1日・8日(日)合併号*
(新春対談)復興と希望の国づくり
笠井 亮 (衆議院議員)
  &
鈴木 浩 (福島大学名誉教授)

(見出し)
・響きあう原発ゼロの願い

・遅い政府、被災地もたず
・復興ビジョン オール福島の機運に

・「福島方式」で温もりの木造仮設
・・・・
鈴木:
復興の問題でもう一つ、あまり知られていないことですが、今回福島県では「福島方式」と呼ばれているように、地元の工務店や大工に発注して、木造の仮設住宅を6千戸作りました。
当初、プレハブ建築協会(プレ協)が1万4千戸の仮設住宅をすべて作る予定で、配置図を出してきたのですが、まさに詰めるだけ詰め込んだ「ニワトリ小屋」で、阪神大震災での仮設住宅の劣悪な環境による二次災害の教訓をまったく踏まえていないものでした。
・・・・・・
・・・・・・
・・残りの戸数を地元の業者が参加できるよう発注し、温かみのある木造仮設でつくりました。
(*なるほど)

・憲法の立場に立ち返る時
・日本社会を問い直す動き

(続き 1月15日号)
・復興と希望の国づくり
政治を替える年に

笠井:
復興に向けた政治の取り組みの遅れは本当に深刻です。
被災地の願いを受け止めて、被災者の人たちが毎日を過ごすなかで、前に向かっていると手ごたえを感じられる変化をつくりたいですね。
そして、衆院選なども予想されます。
首都東京から日本共産党の躍進の波を起こし、ぜひ政治を大きく切り替える機会にしたい。
日本全体で、閉塞感を前向きに打開していく年にするため、全力を尽くします。
(拍手)
――――――――
【広報 東京都 1月】
東京都知事
石原慎太郎

明けましておめでとうございます。
昨年を振り返ると、3月に発生した東日本大震災が大きな被害をもたらし、電力不足にも見舞われるなど、我々が当然と思ってきた安全で便利な生活が、いかに脆いものであるあか、ということを思いしらされた年でありました。
大震災に加え、国際社会においても日本を取り巻く状況は厳しさを増しております。
・・・・・
・・・・・
高度防災都市を実現するため、木造住宅密集地域の不燃化や建物の耐震化をすすめつつ、近所同士で助け合う「防災隣組」の活動を支援してまいります。
・・・・
・・・・
危機を乗り越えるのは人の力であります。
・・・・教育再生の議論も進めます。
・・・・
被災地の支援でも先頭に立ち、復旧の足枷(あしかせ)となる瓦礫(がれき)も、安全を確認しながら受け入れます。
・・・・・
・・・・・
日本人一人ひとりが持てる力を発揮し、それが束ねられることで、必ずや輝かしい未来が拓けると思います。
皆さまのご理解とご協力をお願いします。
(*フム、フム、フム、・・)
ーーーーーーーーーー
【東京新聞・1月21日・土・朝刊・25面】
*石原都知事インタビュー*
(見出し)
・新党参加は条件次第
・政界再編・待望論
うれしさ、迷惑が半々
・・・・・・
「僕が就任した時200億円しかなかった都の貯金が今は8000億円ある。
国だって同じことをやればいい。」

「大事なことは官僚制度をいかに抹殺するか。
それから、僕は日本は核装備をすべきだと思っています。
できないんだったら、核のシミュレーションだけやったらいい。
(*ジョウダンだろ!)
私が新党に参加するなら一つの絶対必要条件にする。」
「若者をもうちょっと意欲的な人間にするために、高校を卒業した2年間ぐらい、自衛隊、警察、消防、最低限、海外協力隊に出て集団生活させたらいい。
教育は破壊的に変えないとだめだ。
(*就職難はじめ困難な時代、意欲を失わず良く努力している青年が多いことをちゃんと見てよ。
先生方の苦労、献身をちゃんと見ろよな!)

「先生の能力の査定は必要だと思う。
東京の教育委員会はしっかりしたいいメンバーです。
(歴代の都庁出身者の)教育長は次の人事で考えます。
何も役人が天下りで行く必要はない。
外部からしっかりした人間を就けた方がいい。」

―震災のとき「日本人の我欲を洗い落とす必要がある」と発言されたが、日本人の考え方は変わったか。―

「関東大震災のとき、多くの有名な論客、文化人たちが天罰だって言っている。
私も死んだ親の年金を詐取した人間がいるような社会になったことへの天罰だって言ったんだけど、そこだけクローズアップされた。
天罰だよ、本当に。警告ですよ。
我慢ってものを体得しないと。
結局、今の日本人は体罰のない教育を受けたから、今みたいになっちゃたんだ。
(*ヘ―ェ。オレは、体罰教育を受けてこうなった。
お前たちもオレのようにえらくなれ!と言っているのかなー。
体罰肯定、暴力肯定の教育を受けて、その人たちが世の中で多くなったら、社会はジャングル状態になりますね。
それが輝く未来ということなのかな―。ちがうだろう!)
―――――――――
【東京民報・2011年9月25日・10月2日・9日】
*どう読む
石原知事「新・堕落論」
渡辺 治 一橋大学名誉教授に聞く。①②③*
(見出し)
改憲、核武装、徴兵制、、、
古い思想、震災後の装いで

・石原知事・・の本・・・は、
「東日本大震災と原発事故を、日本の戦後の歩みの帰結、日本人の堕落への天罰だと論じています。」
「戦後アメリカが日本を弱体化するためにあてがったいびつな平和と憲法に甘んじて、自分達の国家を自分で守る努力を放棄し『他力本願』に依存して繁栄を追求した結果、我利我欲、金銭欲の氾濫する社会になってしまった。
震災は、そういう日本社会の堕落に対する天罰であり、戦後社会全体を反省・克服しなければ国の復興などあり得ないというものです。」
・・・・
「大きく言って、
①新自由主義的な構造改革派 ②新保守主義・国家主義派 
③民衆的な新しい福祉国家派
ーという3つの立場からそういった構想が出ています」
(*なるほど)

・新保守の一部に・

「・・1つ目の構造改革派の主張は、財界がいち早く提起し、政府の復興構想会議も受け入れ、野田政権が実行しようとししているものです。」
・・・
「この主張は、今回の震災で経済が大きな打撃を受け復興が遅れているのは、大企業の競争力を強化する構造改革の遅れによるものだとします。」
「この派は、経済の復活や大企業の誘致のためにと云う口実で、早期の原発再稼働を主張しています。」
「震災の被害が、大企業本位の構造改革による地場産業、農業衰退、リストラや公務員削減、福祉切り捨ての結果、深刻化し復旧の遅れを招いているという、事実をまったくねじ曲げた主張です。」
(*わかるよ)

「2つ目の新保守主義派の主張は、これとは逆に、震災は、戦後経済発展のみを追い求め、物的幸福を追求してきた日本のあり方に反省を迫っているといいます。」
・・・・・
「だから震災を機に、経済成長優先主義を反省し、強い国家の再建が必要だと主張します。
この派は、経済成長優先主義への批判から、原発についても「脱原発」の可能性を訴えます。」
「経済優先の私利私欲の社会を批判する点、国家や共同体の価値を主張する点では、石原知事の主張も、この新保守主義に入ります。」
「しかし、・・・構造改革や原発のとらえ方では、石原氏の主張は新保守主義と大きく異なる部分もあります。」
(*そうか。なるほど)

・民衆の復興構想・

「3つ目の構想は、これまでの2つの立場に根本的に対立しています。」
「東北地域では、高度成長政策の下で農業や地場産業が壊されるなか、自民党は公共事業などで雇用とある種の安定をもたらし、支持基盤を維持してきました。」
(*「ある種の安定」・・。その通りだった。なつかしむ気はないけれど、、、。)

「しかし構造改革は、こうした公共事業投資も、社会保障と並び財政を肥大化し、大企業の負担軽減のじゃまになるとして、公共事業を減らし、自治体の財政も削減しました。」
「その結果、福祉・医療施設の統廃合、公務員の非正規化などが進み、地域経済が崩壊していたところに、今回の震災が起き、未曾有の被害を生んだのです。」
(*ウ~ム。なるほど)

「原発も、大企業本位のエネルギー政策の下、国策として推進され、原発交付金などを餌に、地場産業の衰退で困難を抱える地方に押し付けられてきました。」
「このため、共産党や私たち様々な民衆的な運動は、東北地域を復興させるには、原発に依存しない経済、農業や業業などの地場産業の再生、福祉型の民衆的な復興構想が必要だと提起しています。」

*「対案示す批判が大事」*

「新・堕落論は、新保守主義の主張を極端に単純化して提起しています。」
「各論で見ると、憲法の改正、核武装、若者への徴兵制、教育改革など、出てくる主張は、彼が20年来繰り返してきたものでしかありません。」
「・・・新しい装いでくるんで古い主張を繰り返したことにあります。」

*欠落した貧困への視点・
原発、消費税で構造改革擁護*

「詳しく見ると、典型的な新保守主義の議論と、石原知事の議論には大きな違いがあります。」
「新保守主義の特徴は、日本がグローバル競争に勝つためと称して、資本の利潤追求、構造改革に走った結果、地域の衰退、社会の格差や解体を生んだと、『まともな』言説を唱えつつ、返す刀で、その克服と日本の再生のためには国家と伝統の再建が必要だとして、憲法改悪、国防強化、教育の国家主義統制などを主張していることにあります。」
(*なるほど)

「結論を言うと、石原知事の主張は、こうした新保守主義の『まともな』構造改革批判の部分は捨て去り、危険な国家主義の部分を極端に肥大化しているのです。

*遺体放置の背景は*

「それを象徴しているのが、日本人の堕落の象徴として石原知事が繰り返し書いている、親の遺体を放置して家族が30年前から年金を受給していた事件の取り上げ方です。」
「これは、社会保障がきちんと機能し、一人一人の年金が充実していれば起きなかったはずの出来事です。
その意味で、構造改革による貧困が家族や人々の心をむしばんだ構造改革問題なのに、石原知事にはそうした視点はまったくありません。」

「石原知事は、子供の虐待も日本人の堕落の例としてあげますが、これも子供を抱えながら、仕事を何件も掛け持ちしないと暮らしていけず、次第に子供を邪魔に感じるようになるといった、構造改革で生まれた社会環境を考える必要がある問題です。」
「ところが、石原知事は、虐待は母親が自分の欲望のじゃまだからと我利我欲に走る堕落の結果だと繰り返すだけです。」

「石原知事の議論はどこに問題があるのでしょうか。
根本問題は、石原知事が、家族の崩壊や虐待を、大資本の「我利我欲」「堕落」である構造改革の問題としてでなく、国民の我利我欲、堕落にしてしまっている点にあります。
この点が、石原・新堕落論の『個性』なのです。
(*そうか。『個性』。そうなのだ。)

*東北の復興触れず*

「石原知事の2つ目の特徴は、一つ目の延長にあるもので、あれだけ震災のことを書きながら、東北地域の復興をどうするかをまったく書いていないことです。」
・・・・
「新保守主義と石原知事の違いの3つ目は、戦後日本の堕落の原因として、アメリカの弱体化政策のもとで日本が他力本願の『平和』に安住し国家を解体させたことを過度に強調している点です。」

*「脱原発」を敵視*
・・・・・
「原発については、政府、財界が、日本経済の復活のためには電力の安定供給は不可欠だと称して、その維持、再稼働に邁進していることは周知のことです。」
(*再稼働!まったく、恥知らずな。これこそ我利がよく、ですよね。)

「それに対して石原知事は、原発はアメリカの押し付けの産物であり、薄っぺらな繁栄、経済発展至上主義の産物だと批判的なことも匂わせながら、その維持を断固として主張しています。」
(*巧妙に。)
「それどころか、国民の中に沸き起こっている脱原発の主張は、広島、長崎への原発の経験を引きずって「日本人が核のトラウマにとらわれている」せいだなどと、「脱原発」への激しい敵意を示しています。
(*核武装論者にとっては、、、困ると。)

「石原知事は、野田政権や財界が推進しようとしている消費税の引き上げにも賛成しています。
違いは、その理屈だけです。
消費税や福祉切り捨てに反対する声を、『福祉はいいが負担はいやだ』という日本人の我利我欲の現れだとののしり、その克服には、消費税のような国民の負担、我慢が必要だというのです。」

「こうして全体を見ると、石原知事の立場は、見た目は『我利我欲」を批判するなど新保守主義の装いをとりながら、構造改革批判をはじめとしたその『健全な』部分を取り去り、政策的には大企業の私的利益追求の極致である構造改革路線を擁護しているのです。
野田政権を石原知事が高く評価しているのも、こういう発想の当然の結果です。」
(*そうか。「大企業の私的利益追求の極致である構造改革路線」か。
すこし外れて、野田さんは、ハトヤマ、カン両政権とは確かに質的に違ったものがありますね。
さらに、寛容さが、無くなっていて。)

*危険な「平和の毒」論*
*改憲・軍事化独自の論理で*
(読むべし!)
・教育の「改革」も・
(読むべし!)
・軍事大国化の焦り・
(読むべし!)
・守るべきもの示す・

「石原知事のような主張も、結果としては日米同盟のもとで軍事大国しようということにしかならず、アメリカからの『自立』といった主張はそれを隠すレトリックに過ぎません。」
「その証拠に、石原氏は、アメリカをののしっておきながら、いまアメリカが要求している普天間の辺野古移転についても、TPPについてもひと言も批判しないのです。」
(*そうかー)

「逆に、石原知事らが『平和の毒で堕落した』と罵倒する憲法や平和こそ、私たちが日本社会の『堕落』を克服し、日本を再建する際に守るべきものであることを示しています。」

「私たちは、石原知事とは正反対の立場から、東日本大震災や原発事故の教訓をくみ取らなければなりません。」
・・・・
「いまこそ、構造改革、原発をただちにやめて、新しい福祉国家へと日本社会を変えていかなくてはいけません。
その際、憲法と平和こそ、これからの日本をつくっていく旗印になることは明らかです。」(終)
(*拍手*
Q先輩からの手紙、「社会は『我欲』でなく『協同』で成り立っています。」
・・・・
「石原氏の独善的な我欲観及び終末観は、法華経からヒントを得ているようです。
・・・・・・
仏教の代表的な経典である法華経は、貪欲、慢心、嫌疑などを戒め、人間の仏性を信じ、すべての生き物の救済を説く宗教です。
・・・・・・
彼は、法華経の『譬喩品』のなかにある『貪欲』と云う言葉を『我欲』ということばに置きかえるのです。
・・・・・」
*長いから・・・止めておこう。そのうち、また。)
――――――――――――――――
【全国商工新聞】・2012年1月9日(月)
*新年のごあいさつ*
  全国商工団体連合会
  会長   国分  稔

 「切実な要求さらに結集し 悪政を正す大きな運動を」
ーーーーー
(東京商工新聞)・1月2日(月)
*2012年 明けましておめでとうございます*
 東京商工団体連合会 
 会長  西村 冨佐多
―――――――――――――――
【日中友好新聞】・2012年1月5日(木)

*2012年を迎えて ― 新春インタビュー ―*
:山田洋次監督 日中映画交流を語る:

・北京電影学院で
・「白毛女」と中国映画
ーーーーーーーーーー
*新春のあいさつ*
 日本中国友好協会
 会長 長尾 光之

・日中国復交40周年迎え 一層の友好増進を
ーーーー
*民間交流の拡大で相互理解深めよう*
  中国国際交流協会

*両国関係の発展へ新たな貢献を*
 中国日本友好協会
 会長  宋 健
――――――――――――――――
【あらかわ区報】・平成24年1月1日(日)
*迎春*
つながろう!東北と~荒川交流都市
・福島県二本松市―二本松の菊人形
・岩手県釜石市―五葉山のシャクナゲ
・福島県福島市―くだもの王国ふくしま
・福島県小野町―諏訪神社の翁(じじ)スギ・媼(ばば)スギ
・福島県桑折町―半田山と桃源郷
・福島県石川町―今出川の桜並木

*年頭にあたって*
荒川区・区長
特別区長会・会長
西川 太一郎(にしかわたいちろう)
・・・・・・・
・・・・・・・
区民の皆さまからは、被災地への義援金や支援物資等が数多く届けられ、支援の輪が広がりました。
・・・
東京23区も一丸となって、職員の派遣やがれきの受け入れなど、引き続き被災地を応援してまいります。
・・・
今年、荒川区は区政80周年を迎えます。
下町人情に支えられた荒川区には、先人から受け継いだ「地域力」という大きな財産があります。
・・・
本年も、区民の皆さまと共に手を携え、ご意見を頂きながら、荒川区政に全力を傾注してまいります。
・・・
(*ご意見を頂きながら、と云う点が良いですねー。)
―――――――――――――――
【日本共産党荒川区議団ニュース】・1月15日・No.130・発行責任者 横山幸次

“2012年 区民の声で区政を動かす立場つらぬき
放射能から子供を守り福祉・くらしに全力”

*議会での論戦と区民の声で放射能線測定と除染を実施させました。
・給食食材の検査実施を

*復興に逆行する「国民負担増」「農業破壊」の消費税増税、TPP参加で区長の考えをただしました。

・荒川区が0.23マイクロシーベルト以上を除染したのは?
国際放射線防護委員会(ICRP)勧告では、放射能限度地を年間(1ミリシーベルト=1000マイクロシーベルト)以下として、一般人の放射線量をなるべく低く抑える指標にしています。
1ミリ(1000マイクロシーベルト)÷365日÷(8時間+16時間×0.4)=0.19025マイクロシーベルト/時。
これに自然界の放射線量(国内平均0.05マイクロ/時)を加えて=0.24025マイクロシーベルト/時。
国は0.23マイクロシーベルトを目安にしており、荒川区も事実上この基準で除染(した)。

((2面)
*区議会での論戦からー日本共産党区議団*
・小林行男区議ー「耐震化など防災まちづくりは最重点課題・命守る自治体の役割の発揮を求める」
・相馬けんいち区議ー「荒川2丁目の複合施設は図書館を基本にした見直しを」
・小島和夫区議ー「共産党区議団の提案が議会と区政動かし来年度から区に『就労支援課』が・・・」
・横山幸次区議ー「太陽光など自然エネルギーの導入を、区の産業政策としても位置付けて・・・」
・安部キヨ子区議ー「介護保険と福祉の充実にむけ地域支援事業は区の福祉で」
・斎藤くに子区議ー「後期高齢者保険料も値上げに・・・」「平均保険料年間 98、149円で13,622円の値上げです」「・・・負担の限界はすぎています。」
―――――――――――――――――
【日本共産党荒川区議団 斎藤くに子ニュース】2012年1月15日・第910号・
*今年もよろしくお願いいたします*
・・・・・
今年も、ご意見ご要望をお寄せください。
・・・・・
(*拍手)

・高齢者肺炎球菌ワクチン助成・3月31日まで延長(になりました)・

*平成24年 成人の日のつどい*
たちあがれ!ハタチー希望を胸にそれぞれの未来へー

荒川の新成人 1811名
平成3年4月2日~平成4年4月1日生
男性 906名
女性 905名

*東日本大震災避難者へ予防接種費用の助成*

*三河島水再生センター
第二浅草系ポンプ室の整備*

*1月5日、福井県から水仙娘がやってきて、福井県の花・越前町の花である「越前水仙」を荒川区に届けてくれました。*
(*3人の女性と水仙の写真=春!。が、福井の雪はどうなのだろう、、、。)

*千住散策をしてみませんか*
・・・足立区と合同で作成した「千住散策マップ」は観光振興課にあります。
―――――――――――――――
【きずな】・平成24年1月1日・第23号・発行:岩手県人連合会

「東日本大地震津波と原子力発電所」
岩手県人連合会
会長 瀬川 爾朗 (東京大学名誉教授) 
ーーーー
「世界遺産 『平泉』 の国際貢献」
岩手県平泉
町長 菅原 正義
――――――――
【広報 ふだい】・2012年1月号・No.596・発行:岩手県普代村

*復興元年 大漁願う*

・新年のごあいさつ・

*普代村村長 柾屋 伸夫
 「真の復興」に村の底力発揮

*普代村議会議長 大上 浩史
 「互譲の精神で復旧・復興を」

(10~11面)
*~自分を信じ 未来へ羽ばたけ~
  成人おめでとう
・松の内成人式・
・・・・
式典には今年成人を迎える40人のうち27人(男13人、女14人)が出席(しました。)

{(平成3年4月2日~平成4年4月1日生)
全 40名(男 19人 女 21人)}
―――――――――


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February 01, 2012

しんぶん

2012年1月15日(日)
★東京新聞 1面・トップ★
(見出し)
“こどもも「脱原発”
「世界会議 横浜に30カ国」

原子力エネルギーからの脱却をテーマに、約30カ国から集まった専門家らが、原子力の問題点について話し合う「脱原発会議 2012 YOKOHAMA」が14日、横浜市西区のパシフィコ横浜で始まった。15日まで。

・4500人がデモ行進

(*参加できなかった。)
ーーーーーーーーーー
同日・★「しんぶん赤旗」 15面★
(見出し)
「脱原発世界会議」が開幕
ヨルダン国会議員「輸入反対」 
横浜

原発のない未来をめざそうと、世界各地から専門家や市民団体が参加する「脱原発世界会議」が14日、横浜市内で開幕しました。
主催は同会議実行委員会。
3000人以上が参加しました。

「原発再稼働許すな」
笠井議員参加・「大行進に」4500人

「原発いらない」「再稼働許すな」-。
14日、横浜市内で開催された「脱原発世界会議」に連帯し、「脱原発世界大行進」が行われました。
4500人が参加し、買い物客などでにぎわう、みなとみらいの町を行進しました。
首都圏でデモなどを行っている団体や賛同する個人で構成される、「首都圏反原発連合」が主催。
集会では、日本共産党の笠井亮衆院議員が国内の国会議員として唯一参加しました。
笠井議員は、現在稼働している原発が54基のうち5基であると話すと、会場からはどよめきが起こりました。
「『原発なくせ』の声をあげて、東電はじめ電力会社、政府を追い詰めようではありませんか」と力強く訴えました。
(拍手)
・・・・・
(*収束だなんて、、、。だれもそうは思っていない。)
―――――――――――――
★しんぶん赤旗・2012年1月1日・日・15面★

それでも
祝(ことほ)がれる年は
くるのか

  金 時鐘 (キム・シジョン)

まだ明けきらぬ夜。
うす闇を透かして 事物を見る。
くろぐろと科学の驕りにうずくまった街。
家並みのはずれでほの白く尽きている
先のない道。

木が立っている。
立つしかない木が
 ふるえて射すくめられているということは
故知らぬ蝉を
今に毒気の茂みで鳴かすということだ。
犬っこ一匹居つかない街で声をかぎりと虚しい叫びを上げるということだ。

けっして瓦礫ではない。
それは散らされた暮らしのかけらだ。
ねじれた窓枠に
こびりついた新聞紙。

逆さに埋もれて
もがれた人形。
割れた口につき刺さって吹く
欠けた瓶の
風の傷痕。

嘘はここでうごめいている。
心情の励ましで結び合うのは
何から何を癒すことか。
壊れてついに 静かになった物たちの上に
朝が骨も露わな建屋の屋根から射している。
それでも天外の火は年を待たず
囲んで静めた水壁の底で
千年変わらぬ青い鬼火をゆらめかしている。

どこかの空き家のちゃぶ台の上で
ひっそりたたずんでいる
ひとすじの光よ。

(*ウ~ム、、。ソーカ、、。ソーダ、、。ヨシ!
・・・・・・・
故知らぬ蝉、、。か。
魚も。
ラジオで、、、Oさんだったか、言っておられた。
、、、魚は、川の汚染、放射能汚染、、!
魚を獲るなだって。なるほど。それはいいよ。
でもだよ。川の中の魚はどうなるの。
魚は汚染されっぱなしで、そのまま大きくなって。
どうなるの!)
にんげんは・・・?
―――――――――
★昨年(1月1日)のこの欄(しんぶん赤旗・文化学問)の御方は、今年はメシュウドであられるか。
(東京新聞・1月12日・夕刊 8面)

雲浮かぶ波音高き岸の辺に
菫(すみれ)咲くなり春を迎えて

ーーーーーーー
*ウ~ム。雲、雲、くも。
(ここにひっかかって。むかし読んだ本を思い出して。
それでまた、写しておこう。)

雲こそ わが墓標
落暉よ
碑銘をかざれ
   出水(いずみ)特攻隊

一定の年齢に達した人ならば誰でも心の中に深い傷を持っている。
思い出したくない。
しかし忘れることのできない、ある時期の自分の姿、周りの人々の姿、その中で大きい大きい一つ。
それは私たちの年頃の者にとっては戦争である。

昭和18年、学徒出陣がきまったとき、私は音楽学校(現藝大)の生徒だった。
男の生徒が出陣するので短期卒業となり、仲のよかった人が戦地へ行ってしまうのかと思うと胸のふたぐ思いであった。
10月には神宮競技場に出陣する学生が集まってお別れの行進をし、場内は見送る女学生でうずまった。
雨の降る日であった。
・・・・・
・・・・・
12月1日。
陸軍へ入る人々の学徒出陣であった。
一歳年下の弟は学生服の肩から大たすきをかけ、新宿の駅から甲府の63部隊へ入隊していった。
弟は父母や私たちをむしろなぐさめるごとく朝食の食堂に入ってくるとき、歌舞伎の六方を踏みながら入ってきた。
そしていつもと少しも変わらぬ態度で平静に出征していった。
駅前で皆が歌っていた。

海ゆかば 水づくかばね
山ゆかば 草むすかばね
大君のへにこそ 死なめ
かへりみはせじ

胸のやぶれる思いであった。
見送りの人々と別れを惜しむのを嫌って、上官は学生たちが汽車に乗りこむと窓のブラインドをおろした。
これで当分、いや悪くすれば一生弟との縁を切られたと思うと切なくて、汽車がみえなくなるまで立ちつくしていた。
甲府の63部隊は山猿部隊とよばれるひどい部隊であった。
面会が許されるようになって会いに行ってもむしろ辛い思いが増した。
皆飢えていて寒さにかさかさの肌をしていた。
慣れぬ洗濯、訓練で指はあか切れ、弟の友人Nはそこから瘭疽(ひょうそ)になった。
「注射もしてくれずに爪をはがされてヨ―チンをつけてやがるんだから」とそれでも陽気に語ったNは昭南島(シンガポール)で戦死してしまった。
サディスティックな上官にいじめぬかれて自殺したした人も両手の指にあまる。

10日後の12月10日は海軍入隊の学徒出陣だった。
三田の泉岳寺に集合し、品川駅から海兵団入りしたが、陸軍よりもスマートな出陣ぶりで私たちの見送りの者は泉岳寺から品川駅までの長い道のりの間で別れを惜しむことができた。
私の夫はその日入隊していった学徒の一人、14期特別攻撃隊の生き残りである。
生き残った者の心の傷は私たちが想像できぬほど深いのであろう。
めったにその頃の話はしない。
阿川弘之先生はその悲しみを、いきどおりを書きつづけられている。

うったえるのもだまっているのもその苦しみは一つなのであろう。
私も、死んでいった人々、生き残った人々と同年である。
だから学徒出陣、特攻隊という言葉が私の心を今でもしめつける。

政治とは恐ろしいものだ。
まちがった政治が行われたとき、それは過失であったとあやまられてもこれは許されることではない。
沢山の若者を死においやり、国民を不幸のどん底に落としいれたかつての指導者たちの罪は深い。

終戦から30年たって、夫と私は鹿児島へ旅をした。
出撃命令のおりるのを待機していた谷山の航空隊あとをたずねて行ったのだった。
しかし、そこはマンモス団地と化し、谷山特攻隊基地を知っている人は一人もいなかった。
出水(いずみ)に行ってみた。
そこには特攻碑が建っていた。
かつての滑走路は道路になっていて、航空隊のあとはゴルフ場であった。
クラブハウスの屋上から広々としたグリーンを眺めた。
ぬけるような青い空に白い雲がぽっかり浮かんでいた。

「雲こそ わが墓標」

涙があふれた。
ーーーーーー
石井好子
 「思い出はうたと共に」 1980
 (人文書院・京都市) のなかの
119ページ
 「雲こそ わが墓標」より。


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