« August 2016 | Main | October 2016 »

September 2016

September 24, 2016

2016年4月

2016年9月X日
【4月を思い出す・記録】
①4月11日(月)
★春の院展ー最終日★ 見た。
・三越本店・新館、7階へ
・全部で300数十点、、。

*下重義寛 《白暈》=(はくうん)
=真冬、車のなか東側の演習場あたりで、日の出を待つ。
すでに雄渾壮大な富士の姿は朧にみえはじめ、心は逸(はや)る。
山頂に最初の日射しが届く瞬間、紅富士と呼ばれる不思議な紅色が広がり、その威容を染め上げる。
と思いもかけず天頂に白い暈が出現し、刻々変化してゆく雲の光は響き渡るように広がり、私の心に囁きかける。
凍てつく雪路さえ穏やかに共鳴し、不可思議な原始の世界へ誘う。
一瞬の出来事であった。
やがて雪面は黄色味を帯びそして白となる。
富士に向かって合掌していた恩師にこの作品についてお言葉を伺ってみたかった。
(・ウ~ム! 拍手)ーー演習場・富士山ーー
ーーーーーーーー
②4月18日(月)・
★ドキュメンタリー映画・「種まきうさぎ」★を見た。
・会場: ムーブ町屋4階
・日時: 4月18日・午後6時30分~
(監督:森康行/ナレーション:大竹しのぶ)
~それは福島の高校生の朗読グループから始まった~
*森康行監督の挨拶を聞いた。
「・・・10年前、”夜間中学・こんばんわ”をつくった。
その時、荒川区の中学校を使わせてもらいました。
・・・・」
ーーーーーーーーー
③4月24日(日)
★東日本大震災・福島原発事故から5年、、、。
区民みんなで「原発NO!」
脱原発みんなで一緒にコールしよう」!集会!
・4月24日(日) 午後2時集会・午後3時ーデモ行進
・会場: 荒川区役所公園
・主催: 脱原発オール荒川アクション
参加者ー130人~
(続けることが大切だ)
ーーーーーーーーーー
④4月16日(土)
★映画・「宗家の三姉妹」★を見た。
・場所:アクト21
・主催:日中友好協会荒川支部

*長女ー宋虂齢~大財閥と結婚
*次女ー宋慶齢~孫文夫人
*三女ー宋美齢~蒋介石夫人
・父親ー宋嘉樹~財閥
「一人は金と一人は権力と一人は国家と結婚した」
⁂メイベル・チャン監督
面白い!良い!
ーーーーーーーーーー
⑤4月17日(日)
★桑野純平 個展★を見た。
・場所:ムーブ町屋
*東京新聞・4月13日*より。
《仏美術展で入選ーきょうから 地元荒川でー桑野さんが個展》
「フランスで芸術家の登竜門として知られる美術展「サロンド・ドートンヌ」に入選した画家桑野純平(42)さんの個展が、ムーブ町屋(荒川区荒川)4階ギャラリーで始まる。
「サロン・ドートンヌ」は100年以上の歴史があり、ピカソらも出品した。
・・・桑野さんは昨年、油彩画「Nocturne(ノクターン)」で2013年に続く二度目の入選を果たした。
・・・・
・・・・
17日まで。
入選作を含め油彩画や水彩画など75点を展示している」

*見学者、前回より多数。


| | Comments (0) | TrackBack (0)

September 14, 2016

お こ と ば

2016年8月9日(火)
★朝日新聞・2016年8月9日・火★1面・見出し
◎「象徴の務め 難しくなるのでは」
◎天皇陛下 お気持ち表明
◎退位の願い にじむ
《解説》=国民への影響 案じる=島康彦
・11面=全文
【写真説明】=象徴としてのお努めについて、お言葉を述べる天皇陛下=(宮内庁提供)
ーーーーーーー
★東京新聞・2016年8月9日・火★1面・見出し
◎生前退位 強いお気持ち
◎「象徴の務め、難しくなるのでは」
◎天皇陛下が表明
◎意識「5,6年前から」-宮内庁長官
《解説》=人間天皇として問いかけ=小松田健一
【写真説明】=象徴としての務めについて国民に向けて語られる天皇陛下=皇居・御所応接室で・(宮内庁提供)
・国民へ11分間・
ーーーーーーー
★しんぶん赤旗・2016年8月9日・火★1面・見出し
◎「象徴の務め難しく」
◎天皇が国民に向け表明
◎政治の責任で生前退位の真剣な検討が必要
志位委員長が会見
【写真説明】=国民に向け発言する天皇=(宮内庁提供)
(全文)→4面
ーーーーーーーーー
ーーーーーーーーー
(全文)の見出し
*象徴としてのお努めについての天皇陛下お言葉(宮内庁8月8日発表・全文)=朝日新聞
*天皇陛下 お気持ち全文=東京新聞
*「象徴としてのおつとめについて」天皇の発言(全文)=しんぶん赤旗
ーーーーーーーーー
【全文】写す
戦後70年という大きな節目を過ぎ、2年後には、平成30年を迎えます。
私も80を越え、体力の面などから様々な制約を覚えることもあり、ここ数年、天皇としての自らの歩みを振り返るとともに、この先の自分のあり方や務めにつき、思いを致すようになりました。
本日は、社会の高齢化が進む中、天皇もまた高齢となった場合、どのような在り方が望ましいか、天皇という立場上、現行の皇室制度に具体的に触れることは控えながら、私が個人として、これまでに考えて来たことを話したいと思います。

即位以来、私は国事行為を行うと共に、日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を、日々模索しつつ過ごして来ました。
伝統の後継者として、これを守り続ける責任に深く思いを致し、更に日々に新たなる日本と世界の中にあって、日本の皇室がいかに伝統を現代に生かし、いきいきとして社会に内在し、人々の期待に応えていくかを考えつつ、今日に至っています。
そのような中、何年か前になりますが、二度の外科手術を受け、加えて高齢による体力の低下を覚えるようになった頃から、これから先、従来のように重い務めを果たすことが困難になった場合、どのように身を処していくことが、国にとり、また、私のあとを歩む皇族にとりよいことであるかにつき、考えるようになりました。
既に80を越え、幸いに健康であるとは申せ、次第に進む身体の衰えを考慮する時、これまでのように、全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが、難しくなるのではないかと案じています。

私が天皇の位についてから、ほぼ28年、この間私は、我が国における多くの喜びの時、また悲しみの時を、人々と共に過ごして来ました。
私はこれまで天皇の務めとして、何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが、同時に事にあたっては、時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なことと考えてきました。
天皇が象徴であると共に、国民統合の象徴としての役割を果たすためには、天皇が国民に、天皇という象徴の立場への理解を求めると共に、天皇もまた、自らのありように深く心し、国民に対する理解を深め、常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました。
こうした意味において、日本の各地、とりわけ遠隔の地や島々への旅も、私は天皇の象徴的行為として、大切なものと感じてきました。
皇太子の時代も含め、これまで私が皇后と共に行ってきたほぼ全国に及ぶ旅は、国内のどこにおいても、その地域を愛し、その共同体を地道に支える市井の人々のあることを私に認識させ、私がこの認識をもって、天皇として大切な、国民を思い、国民のために祈るという務めを、人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは、幸せなことでした。

天皇の高齢化に伴う対処の仕方が、国事行為や、その象徴としての行為を限りなく縮小していくことには、無理があろうと思われます。
また、天皇が未成年であったり、重病などによりその機能を果たし得なくなった場合には、天皇の行為を代行する摂政を置くことも考えられます。
しかし、この場合も、天皇が十分にその立場に求められる務めを果たせぬまま、生涯の終わりに至るまで天皇であり続けることに変わりはありません。
(!ウ~ム。しかし、、なるほど!)
天皇が健康を損ない、深刻な状態に立ち至った場合、これまでにも見られたように、社会が停滞し、国民の暮らしにも様々な影響が及ぶことが懸念されます。
更にこれまでの皇室のしきたりとして、天皇の終焉に当たっては、重い殯(もがり)の行事が連日ほぼ二か月にわたって続き、その後葬儀に関連する行事が、一年間続きます。
(!しかし、、ここまで、、!)
【注:殯(もがり)=(荒城)=貴人の本葬をする前に、棺に死体を納めて仮に祭ること。また、その場所=広辞苑】

その様々な行事と、新時代に関わる諸行事が同時に進行することから、行事に関わる人々、とりわけ残される家族は、非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません。
(・胸中を、、、、!)
こうした事態を避けることは出来ないものだろうかとの思いが、胸に去来することもあります。

始めにも述べましたように、憲法の下(もと)、天皇は国政に関する権能を有しません。
そうした中で、このたび我が国の長い天皇の歴史を改めて振り返りつつ、これからも皇室がどのような時にも国民とともにあり、相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう、そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ、ここに私の気持ちをお話しいたしました。
国民の理解を得られることを、切に願っています。
(終)
ーーーーーーー
ーーーーーーー
●日本語とマナーのお手本でもあると思った。
思想も感じる。良質な。
◎「思い」「お気持ち」が かないますように。
ーーーーーーー
☆「日本の皇室が、いかに伝統を現代に生かし、いきいきとして社会に内在し、人々の期待に応えていくかを考えつつ、今日に至っています」
・・
ここを読んで、
三木清の本を、、、同じだ。
・三木清・「親鸞」(人間 愚禿の心)より。

→親鸞の文章を読んで深い感銘を受けることは、人間的な情味の極めて豊かなことである。
そこには人格的な体験が満ち溢れている。
経典や論釋からの引用の一一に至るまで、悉く自己の体験によって裏打ちされているのである。
・・・
(重要なところと思いますが、長いので略します。)
・・・・
そこに我々は彼の宗教における極めて深い「内面性」を見出すのである。
しかし内面性とは何であるか。
内面性とは空虚な主観性ではなく却って最も客観的な肉体的ともいい得る充実である。
超越的なものが内在的であり、内在的なものが超越的であるところに、真の内面性は存するのである。
・三木清「哲学と人生」(講談社)1971・486p
ーーーーーーーーー
◎また、本を写す。
入江 相政 著
  「城の中」 (中央公論社) 1959

(80ページ)
☆ご婚約発表のあとさき☆
11月の25日に、私は正田さんのところへいった。
皇室会議がひらかれたり、発表がある予定になっている27日の、前々日のことである。
東宮侍従の黒木君と一緒にいった、、、。
・・・・

・・・
応接間にとおされた。
夫妻があらわれ、しばらくして、美智子さんも出てこられた。
実に美しい方だと思った。
聡明さが底の方からにじみ出てくるような美しさだった。
皇太子さまは、あっぱれ、素晴らしい女性を発見し、そしてそれを獲得しようとしていらっしゃるもんだ、とおどろいた。
 
27日に御所に参内なさるときに、一人でも多くの顔見知りがいるほうがよかろうし、宮廷と云うものが、別に大して窮屈なものではない、ということを、よく話してあげた方がよかろう、ということで、推参したわけだったから、私は日頃のガラッパチぶりを、遺憾なく発揮するように努力した。

正田さんは「野人礼にならわない」というようなことをいって、心配なさるから、われわれもすべて野人であること、行儀がいいと買いかぶってくださるようだが、とんでもないことで、儀式とか、お供とか、そういう時は、すこしきちんと見えるかもしれないが、それは長年の間、工夫してごまかしているからである。
25,6年も、そんなことをやっている私などは、いわば猫のかぶり方が巧妙をきわめているだけのことで、宮廷というものに、おそれをいだかれることなんか毛頭ないというようなことを言いつのった。

黒木君は27日の午後の記者会見について、いろいろ説明する。
記者の方からは、大体こういう質問がでるらしいが、なるべくお父様がおこたえになってはいかがだろう、と言った。
正田さんは「それはこまったことになりましたな」とか言って、頭をかいておられたあが、それを見た美智子さんが、お父様のほうを向いて、すこしほほえみながら、「どうぞよろしく」というようなことをいわれたのが、非常に可憐でそしてユーモラスだった。
5時に辞去した。
・・・・

・・・・
27日はうららかな小春日和。
御所には早朝から各社の車がたくさんならび、テレビカーも4,5台来ている。
空からはヘリコプターの爆音が、ひっきりなしにきこえてきて、たいへんなものものしさである。
10時から皇室会議。
全員一致で可決。
午後1時20分に、正田さん夫妻と美智子さんが参内。
おなじみ甲斐に玄関近くまで出張って迎え、いっしょに二階へあがった。
二日前に2時間ほどお邪魔しただけなのに、非常に親しみを感じた。
両陛下の御前で茶菓。
私はその部屋を出たり入ったりしていたから、聞きもらしも多いが、スポーツのこと、国内、海外の旅行のこと、その日、正田家から御所までのあいだのこと、などが話題になったようだ。
そのあと、お三人は、別室で皇太子さまにゆっくりお会いになってから、記者会見の席にのぞまれた。
強いライトに照らされながら、3,40人の記者連が、右からも左からも放ってくる質問に対して、美智子さんはほほえみながらしずかにこたえておられる。
前々日の打ち合わせの時に、黒木君は、「なるべくお父様がおこたえになるように」とかいったのに、ふたをあけてみたら、なんのことはない、質問のすべては、美智子さんに集中されている。
その上、「大体これこれのことを、うかがうはずです」なんていっていたのが、ひとつもあたらない。
記者連が約束に違反したのか、それとも黒木君の”山”がはずれたのか。
それなのに美智子さんは、そんなことにはかまわず、おちついて見事にこたえておられる。
それを聞くご両親のほほえみには、無限の満足がたたえられていたし、それを見たり聞いたりした私は、胸にこみあげてくるものがあった。
それから間もなく退出なさるお三人を送った。
今日の一日は、美智子さんにとって、大変な負担だった思うが、「両陛下に拝謁して非常にうれしかった」といって帰っていかれた。
その日は朝から晩まで、ラジオもテレビも、おふたりのことで持ちきりだった。
両陛下もおよろこびになって、夜おそくまでテレビをご覧になった。
そしてあくる日、こもごも次のようにおっしゃっていた。
「非常にいい感じだった。
記者会見の時の態度も立派だったし、国民一般もよろこんでくれているようだし、こんなうれしいことはない。
これですっかり安心した」と。
28日の午後、お三人は東宮御所へいかれた。
この時も往復の沿道は、たいへんな人の波で、車はしばしば立ち往生した。
・・・・

・・・・
28日の夜、龍泉寺あたりの人、7,8人と、浅草の牛肉屋で大いに飲んだ。
浅草の人たちはみんないっていた。
皇室というものがグッとわれわれに近づいてきた。
今度のことで、われわれも皇室といっしょにいるという感じになってきた、と。
敗戦直後、混乱と虚脱の戦災地にとびこんでいらっしゃった地方巡幸。
あの時、一体だれが陛下をおまもりしたか。
大群衆がおしよせて、身動きも出来なくおなりになったことが、しばしばであったが、そういう風にしてご身辺にせまり、あるいは一歩でも近ずこうとした、一般大衆というもの、その人たちが陛下をおまもりしたのである。

皇室はつねに大衆とともになければならない。
国民から遊離した皇室なんて存在理由もないし、考えるのもまっぴらだ。
同僚のひとりが円タクに乗って「坂下門」といったら、運転手が、「あなた宮内庁の人か、今度あなた方はよくやった。
見直してあげる」といったそうだ。
そんなことを考えながら歩いた。
その夜は三の酉。
大きな熊手をもった人がたくさんいて、浅草は夜ふけまで人がうずまいていた。
(終)
ーーーーーーーーーー
▲56年前になるのか。ご結婚は。
「皇室はつねに大衆とともになければならない。」
これは、(宮中革命)であったのかもしれない。
それまでは、(新憲法制定後12年だが、頭の中は)
「(皇族の結婚は)同族又は勅旨に由り特に認許せられたる華族に限る」
(旧皇室典範)
の人が、政治の世界にも、いっぱいいて、
天皇と云ったら、庶民大衆にとっては、おっかなくて、触れてはならない人であり、「平民との結婚」などは考えられなかった、の人が、多数ではなかったか。
それをやった。
だから、ご苦労もあったと思うが。
ーーー
「生前退位」も大衆は支持するが、抵抗する人たちは、いるだろうな。
ーーーーーー
ーーーーーー
●寺山修司・「思想への望郷」(大光社)・1967年出版
(301ページ)
《落書きしよう》
大学の便所の落書きをあつめたのが、国立国語研究所監修の「言語生活」(126号)にのっていました。
・・・ 

・・・
わたしが大学生だった頃、やはり便所の落書きを読むのが興味深くて、いつも違う便所へ入るようにして(ちょうど、レストランでメニューの品を一渡りたべてみるように)いろいろ落書濫読のために便所めぐりをしてみたことがあります。
そして、そのときに何よりも意外に思ったことは、大学の便所にはセックスにかんする落書きがまったく少ない、ということでした。
これが上野駅の公衆便所とか、目白の川村女子学園の公衆便所になると、ガラリと様相を変え、、、
・・・・

・・・・
大学の落書きは、なんて生真面目だろう。
そうおもって、おおいに失望したのを覚えています。
たとえば私の母校大学の便所の落書きは、
「内的自由と外的自由と
混同してはならぬ
望む者に内的自由が
ないことがあるだろうか
 ↓
便所の落書きは
内的自由か?」
といった調子のものが大半でした。
ここには、長い間書きたいと思いながら書く機会を与えられなかった、
「書く喜び」などまったくなくて、読む者を意識した、作為だけが感じられます。
・・・・

・・・・
だいたい、人前で大声で言えるような大義名分を落書きする奴は、自分の存在が、画一的社会用具になっていることを意味するものであります。

受け取る者がどうとろうと、他者を意識せず書く喜びにだけ没頭できる、純粋に反文学的な記録が落書きであり、それを、日記などという保存品にではなく、群衆の糞のたまり場に排泄してくるところに、落書きの面白さがあるのです。

大学の便所の落書きにいちばん多く登場するのは天皇であり、街の公衆便所の落書きにいちばん多く登場するのは、おスタちゃんだった・・・・といわれております。
しかし、ここには「共に皇族」という点の他には、まったく何ら共通性はありません。
なぜなら「天皇の存在価値は何か、合理性に秀でた戦後は青年よ此処から考えよ」といった大学生の観念的な落書きは、公衆便所のおスタちゃんの(ここには再現しかねるような)素朴な写実の性的空想美学にくらべて、何ら批判性をもつものではないからです。

わたしは、学生運動のなかにある、最近の停滞の原因の一つには、やはり、便所の落書きにまで欲望を規制してしまうような退屈さが、大きくあげられるのではないかと、おもっています。
もっと、のびのびと落書きもできるようなのびやかな精神こそ、青年の権利であり、すべて人間家族の権利なのではないでしょうか。
・・・

・・・
(終)
ーーーーーーー
●大宅壮一 「実録・天皇記」 (大和書房)
 2007年(1975年角川版・再編集)
のなかの、
☆資料 1・はしがき (昭和27年=1952年)
《私たちの家はすべてそれぞれ一つの小さな天皇家である》

大正の初期だから今を去る40年も前のことである。
当時地方の一中学生であった私は、国語の時間に「教育勅語」の中の一句「一旦緩急アレバ」について質問し、これは文法的には「アらバ」のまちがいではないかという意見をのべた。
これに対して国語の先生は、昔から「綸言汗の如し」といって、天皇の言葉は理屈も批判もぬきにして従うのが国民たるものの義務であることをじゅんじゅんと諭した。
だが、私は納得できなかった。
その後、私は心の中で、天皇と云うものに対する疑惑の目が急速にのびて行った。
そしてついに私は、”危険思想”の故をもって学校を追われるところまで行った。
・・・・・

・・・・・
今度の敗戦のお蔭で、天皇は”人間”の仲間入りをした。
もはやタブーではなくなった。
これと同時に、これまでの天皇中心の歴史をすっかり裏返しにしたような書物が、堰(せき)をきったようにどっとでた。

そうかと思うと、一方ではその反動として、天皇の周囲にもう一度、注連縄(しめなわ)を張りめぐらそうとする動きが看取(かんしゅ)される。
この調子では、せっかく解放された天皇や皇族を、またもや神格の檻の中へ押し込めるようなことにならぬとも限らない。
そこでこの機会に、こういった面に関する自由な発言の機会がふたたび失われてしまうようなことにならぬ前に、私の天皇感をまとめて世に問う気になったのである。
・・・以下略・・・・
ーーーーー
:*「天皇の周囲にもう一度注連縄を、、、」「神格の檻の中へ押し込めよう」と望む人たちが、現在もいるわけですね。
ーーーーーーーーー
◆最後に、井上ひさし さんの「お言葉考」をうつしてみよう。
1992年だから、24年前、平成の即位式が終わって、、、平成3年の文章、、。

◎井上ひさし コレクション (全3冊)
 (岩波書店) 2005年
「日本の巻」
(21 ページ)
【「お言葉」考】
このたびの今上(きんじょう)のお言葉は、中国政府の上層部と日本国内では好感をもって迎えられたようである。
(注:今上=今上天皇の略。当代の天皇。=広辞苑)
筆者の意見などはどうでもいいようなものだが、今上の北京での晩餐でのスピーチの
「この両国の関係の永きにわたる歴史において、我が国が中国国民に対し多大な苦難を与えた不幸な一時期がありました」
というところに少なからず心を動かされた。
大戦争の重要な当事者の一人であった昭和天皇とちがって、今上はそのころ少年であった。
したがってそのお言葉には大戦争から距離をおいた自由な開明さがある。
そこに筆者などは大いに共感をもつのである。

どなたもおっしゃることだが、今回は主部と述部とがはっきりと立てられ、「だれが、どこに、なにをしたか」が
明確になった。
これまでは、日本語の「主語がなくてもものが言える」という性質に隠れて、責任のありかがとかく曖昧になり勝ちであったが、今回はちがう。
主部と述部とをはっきりさせ、歴史としっかり向き合うことになったのは、日本人には当座は辛いにしても、しかし長い目で見ればその方がいい。
過去をしっかり見つめることのできない民族は、現在では軽んじられ、未来では堕落するに決まっているからである。

こんなことを言うと、右からも左からも痛棒が飛んでくるかもしれない。
そして訳知りからは次のような注意を受けるだろう。
「お言葉は今上自身の作文ではない」と。
たしかに対外的なお言葉は政府の責任において作成される。
原案を外務省の対外部局が作成し、これを宮内庁に送り了承を得るのが通例になっているそうだ。
今回は事前に日中間で慎重な打ち合わせがあったとも聞いている。

しかし、それでも筆者はお言葉に今上の意志がずいぶん込められていると思う。
そう思う理由はいくつもある。
たとえば、昭和天皇の時代は原案がそのまま返ってくることが多かったのに平成になってからは今上がよく手をお入れになるという噂、そして今上の皇太子のときのお言葉。
昭和48(1973)年7月、赴任した陣楚中日中国大使との会見で、皇太子時代の今上はこうおっしゃっている。
「かつて一定期間、日本は中国にたいしてたいへん済まないことをして、非常に遺憾に思っている」
こういうことをおっしゃることのできるお方だからこそ、今回のお言葉になったのだと考える。
・・・・
・・・・
途中、重要、しかし長く略、本を買って読むべし。
・・・・
・・・・
読者諸賢と同じく筆者も日本国憲法に従って生きている。
日本国憲法がこの国の基本構造をなしていると信じる。
天皇制度はその憲法制度のうちの一つとして存在しているから、筆者は天皇制度にも敬意を払う。
しかし天皇制度が憲法の枠から外れるようなときは異議をとなえなければならない。
今回のこともそうだが、謝罪するときは、国民の総意として、国権の最高機関である国会が謝罪の意を込めた決議をするべきで、そう便利に「お言葉」というものを使ってはいけないと思う。
・・・・とはいうものの、ろくでなし議員が大勢集まっている国会のあの有様では、そういうごく当たり前のことも
できはしないのだけれども。
(1992年11月)

 


| | Comments (0) | TrackBack (0)

September 08, 2016

「野党と市民の共闘と、日本の政治の展望」(日本共産党創立94周年記念講演)・志位和夫委員長

2016年8月X日 【8月は重たい】
●日本共産党創立94周年記念講演会●
【野党と市民の共闘と、日本の政治の展望】
   志位和夫 委員長の講演
   2016年8月5日
ーーーー
(「しんぶん赤旗」2016年8月7日付け)=文献パンフ=¥200
を写す。
ーーーー
☆お集まりの皆さん、全国のみなさん、こんばんは(「こんばんわ」の声)。
・・・・・・

・・・・・・
日本共産党は、昨年(2015年)9月19日、安保法制=戦争法が強行されたその日の午後に、「戦争法(安保法制)廃止の国民連合政府」を提案し、野党と市民の共闘によって安倍政権を倒し、日本尾政治を変えるという、前例のない新しい道に踏み出し、その成功のためにあらゆる力をそそいできました。
この取り組みは、どんな意義をもっているのか。
どんな成果をあげたのか。
今後の課題と展望はどうか。
今日は、私は、「野党と市民の共闘と、日本の政治の展望」と題して、お話をさせていただきます。
どうか最後までよろしくおねがいいたします。

◎東京都知事選挙―今後につながる2つの大きな成果◎
・・・・

・・・・
一つは、鳥越俊太郎さんが、都民の願いに応えた政治の転換の旗印を堂々と掲げたことです。
・・・・

・・・
いま一つは、参議院選挙で大きな成果をあげた「4野党プラス市民」という共闘の枠組みが、都知事選挙でも発展したことです。
・・・・

●◎参議院選挙の結果―2つの大目標にてらして
・・・・
全国32の1人区のすべてで野党統一候補を実現し、
・・・・
そして11の選挙区で激戦を制して自民党に勝利したことは、きわめて重要な成果であります。
(拍手)  
・・・・

◎日本共産党―比例で601万票への前進は重要な成果

日本共産党は、比例代表で5議席を獲得し、ー(市田忠義、田村智子、大門実紀史、岩淵友、武田良介)ー
・・・
選挙区では首都・東京で山添拓さんの初当選を見事かちとりました。
・・・
改選3議席を6議席へと倍増させ、非改選とあわせて14議席に前進しました。
岩淵さん、武田さん、山添さん、3人そろって30代の若い政治家であることは、未来にとっての希望であります。
(拍手)
・・・・・・
ーーーー
(比例票 について)
・2013年・513万4000票= 9,68%=
・2016年・601万6000票=10,74%=
(選挙区票)
・2013年・298万票
・2016年・333万票
ーーーー
・・全体として得票を伸ばし、一連の選挙区で次の勝利への足掛かりとなる結果を得たことも重要であります。
(拍手)
・・・

◎★今後に生かすべき教訓(1)―野党と市民の共闘について

*①”共闘効果”が発揮された―「共闘『足し算』以上」と各紙が注目
第一は、「1+1」が「2」でなく、それ以上になる”共闘効果”が発揮されたということであります。
32の一人区のうち28の選挙区で野党統一候補の得票が4野党の比例票の合計を上回りました。
・・・・・・
*②11の1人区で勝利をかちとった意義はきわめて大きい
第二に、11の1人区で勝利を勝ち取ったことの意義はきわめて大きなものがあります。
・・・・・
・・・・・
安倍首相が公示後遊説に入った1人区は11あります。
「成績は2勝9敗です」
大幅な負け越しです。(拍手)
自民党が勝ったのは熊本と愛媛だけで、
青森、岩手、宮城、福島、新潟、長野、山梨、三重、大分で、安倍首相が2度、3度も入ったところもありますが、敗北しています。
(*注:安倍首相は沖縄へは1回も行かなかった。
おかしいよ。ぜったいに。
負けても良いから、行って演説をぶつべきだよ。空気を感じるべきだよ。
自分は行かないで、あとから機動隊を送って基地建設に反対する住民を弾圧するなんて、卑怯だよ。
山形へも行っていないんだ。何故だ。)
・・・・・・・
・・・・・・・
*③他の野党、市民運動の方々と、新しい連帯と信頼の絆が広がった。
第三に、1人区はもとより、全国どこでも、他の野党、市民運動の方々と、ともに選挙をたたかうなかで、新しい連帯と信頼の絆が広がっていることです。
・・・・・・
途中略・全文読むべし
・・・・・・
7月18日に放送されたNHKの「視点・論点」では、「共産党を含めた野党共闘が一定の効果を発揮した」
「選挙の現場からも、共産党の支持者が民進党やその他の市民運動の関係者との交流を広げるという新しい機会となっている、とそういう指摘もあります」
(学習院大学教授・野中尚人氏)
との注目が寄せられました。
ーーーーーーー
(割り込み)=法政大学名誉教授 五十嵐 仁先生
〔全国革新懇ニュース・2016・8・10〕-3面
・・・・・
共闘に加わった各政党にも大きな成果がありました。
民進党は3年前の前回民主党時代の17議席をほぼ倍増させ、32議席を獲得しています。
共産党も改選議席3を6議席にばいぞうさせ、比例代表では601万票と1998年の820万票に次ぐ2番目の得票になりました。
社民党は改選2議席を守れませんでしたが、比例代表の得票を28万票増やして3年前の1議席を維持しました。
生活の党と山本太郎と仲間たちは、比例代表で12万票増となって1議席を獲得し岩手と新潟では党籍のある候補が当選しています。
(拍手)
ーーーーーー
(志位さん続き)
*党綱領の統一戦線の方針が、国政を動かす新しい時代が始まっている
・・・
全文よむべし
・・・・

◎★今後に生かすべき教訓(2)―野党共闘攻撃、共産党攻撃とのたたかい

□異常な共産党攻撃―切羽詰まった危機感に付き動かされたもの

今回の共産党攻撃のこれまでにない特徴は、安倍首相が、全国遊説でも、政権放送でも、討論会などでも、攻撃の先頭に立ったということです。
・・・・・・・
・・・・・・
しかし、一国の内閣総理大臣が、日本共産党を名指しして、連日攻撃する選挙を展開するというのは、かつてない異常なことでした。
それは、野党共闘に本格的に踏み込み、政権打倒に全力をあげる我が党に対する、支配勢力の強い危機感、恐怖と憎悪を示すものでした。
それはこれまでの選挙にはなかった新しい特徴でした。
(!なるほど、なるほど、なるほど!)
・・・・・
・・・・・
しかし、いまは、相手にもう余裕がありません。
今回の共産党攻撃からは、
「これを放置しておいたら政権を覆す深刻な現実的脅威となる」
という切迫した危機感を、相手からひしひしと感じました。
それは、
「何としても野党共闘の芽を双葉のうちに摘まなければならない、これが『成功した』という結果を決してださせてはいけない」、
「そのためには野党共闘を推進する共産党の足をどうしても止める必要がある」
という切羽詰まった危機感に突き動かされたものでした。
(!なるほど、なるほど、なるほど!)

相手をここまで追い込んだということ自体、野党共闘という方針が正しいということを証明するものではないでしょうか。
(拍手)

■わが党の断固たる反撃―憲法と自衛隊をめぐる論戦について
・・・・・
・重要ー全文読むべし!
・・・・
□軍事費をめぐる誤った発言―中央の指導部の教訓としたい
・・・
・・・
◎相手の思い通りにはさせなかった―正面からたたかってかちとった前進
・・・・
全文読むべし。
・・・・
★【安倍暴走政治を止め、政治の転換をー「だまし討ち」の政治は長続きしない】

○真の争点を隠し続けて得た議席―政権党の堕落とともに行き詰まりが
・・・
・・・
○選挙では「憲法隠し」、選挙が終われば改憲に着手―「だまし討ち」はゆるせない
・・・
・・・
○安保法制=戦争法の発動を許さず、廃止をめざすたたかいを
・・・
・・・
○大型開発への「バラマキ」、社会保障大改悪が急浮上―暮らしを守るたたかいを
・・・
・・・
○沖縄への強権、独裁、無法を許すな―全国の連帯をよびかける
・・・
ところが、参議院選挙が終わって、安倍政権がやっていることは何ですか。
沖縄に対する異常な強権がむき出しの形でふるわれています。
三つの重大な動きが、続けざまに起こっています。
第一は、ヘリコプター着陸帯―ヘリパット建設の強行です。
・・・・
第二は、沖縄県との話し合いを拒否した一方的提訴です。
・・・・
第三は、法律を無視した辺野古工事の再開です。
・・・
(!怒!怒!怒!)
・・・・
○安倍暴走ストップ―各分野のたたかいを大合流させ、政権打倒を
・・・
・・・
★【野党共闘の課題と展望―四つの点について】

○それぞれの地域で、共闘の成果と教訓を語り合い、さらに発展させよう
・・・
・・・
○共通政策の実現に向けて、中央段階でも、地域でも、共同のたたかいを
・・・
・・・
○きたるべき総選挙で野党共闘をさらに発展させよう
・・・
・・・
○日本共産党綱領を語り、日本の未来を語り合う運動に大いにとりくもう
・・・
・・・
(*綱領ですね。なるほど!なるほど!
どこかの政党の方は、「綱領の違う政党とは一緒にやれません」とか「基本的考え方の違う政党とは共闘できません」、と言っていましたが、
ところで、その政党には「綱領=基本的考え方」がありましたでしょうか。
国民に示していただきたいです。)
・・・
・・・
★【「戦後かつてない」歴史的大激動の情勢―日本共産党への入党を心から訴えます
・・・
(拍手)
・・・(終)・・・
――――――――
【しんぶん赤旗・2016年8月6日・土】3面
◎日本共産党創立94周年記念講演会◎
☆来賓3氏のあいさつ*を読む。

★諏訪原 健 さん (SEALDs)
*野党・市民の共闘 一歩前に

★西郷 南海子 さん
 (安保関連法に反対するママの会)
*戦争しないの「9」なんやで

★広渡清吾 さん
 (安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合・東京大学名誉教授)
*新しい政治へ知恵と工夫を
(拍手)
ーーーーーーーー
ーーーーーーーー
●岩見 隆夫 著
 「政 治 家」 
 (毎日新聞社) 2010年5月発行

(130ページ)
【志位(和夫)と7人の自民党幹事長】 を写す。
41歳の共産党書記局長、志位和夫が何かと目につく。
(!ちょうど、20年前ですね!)
「政党リーダーのなかでは、あなたが最年少」
というと、志位は、
「いや、年は若いけど、キャリアはいちばん長くなった。
なにしろ、お相手した自民党の幹事長は7人ですから」
と誇らしげに応じた。
1990年夏、35歳の志位書記局長がデビューしたとき、自民党の幹事長は小澤一郎。
その後、小渕恵三、綿貫民輔、梶山静六、森喜朗、三塚博、加藤紘一と目まぐるしく入れ替わった。
首相が5人交代しているのだから当然でもあるが、この激変のなか、共産党の首脳人事だけは動いていない。
ーーーーー
(割り込み)=しんぶん赤旗・
★加藤紘一自民党元幹事長が死去(77歳)(9月9日)
〔志位委員長がお悔やみ〕
「とても寂しい思いです」
「90年代後半、加藤さんが自民党幹事長時代、テレビ討論などでたびたび一騎打ちの討論を行ったこと、立場は違っても議論をかみあわせての丁々発止の論戦は、終わった後にある種の爽やかさを感じたことを思い出します。
心からお悔やみをも申し上げます」
(合掌)
ーーーーー
(岩見さん続き)
・宮本顕治議長(87歳)、不破哲三委員長(66歳)と志位の三世代体制が続いている。
だが、6年前にこの体制を決めたころ、党内の一部では、最高指導者の宮本に対する退陣要求の声が表面化していた。
90年7月、静岡県熱海市で開かれた第19回党大会の最終日、
宮本が、
「書記局長、志位和夫」
と新人事を発表すると、約千人の代議員の間から、
「ウォー」
とどよめきが起きた。
無理もない。
中央委員会書記局員の一人ではあったが、志位はまったくの無名、議席もなかったからだ。
「宮本批判のホコ先をかわそうとしたのではないか」
などと報じられたが、この大抜擢は30年に及ぶ宮本ワンマン体制の秘密をのぞいた印象もあった。
志位は、就任の記者会見で、
「クラッシク音楽を聞くのが好きです。
通勤途中にヘッドホンステレオで聴いています」
と語っている。
「通勤」という単語が新鮮に響いた。
79年、東大工学部物理工学科を卒業後、すぐに専従になっているのだから、党本部への通勤に違いないが、旧党員にはなじまない新世代党員の言葉―。
前置きが長くなったが、このところ、各党の幹事長クラスのなかでは、鳩山由紀夫さきがけ代表幹事とともに、志位の言動には精彩がある。
テレビ政治番組の常連として、他党の幹部よりも主張がわかりやすく、歯切れがいい。
ことに「住専」では、論戦のイニシアチブをとる場面がしばしば見られた。
先日、新幹線の車中で、志位は中年の男性から、
「がんばってください」
とカンパの封筒を渡され、開けてみたら1万円入っていた。
以前にはなかったことだ。
テレビ効果が大きい。
だが、それだけではない。
たとえば4月はじめ、国会が袋小路に迷い込むと、志位は自民、社民、さきがけ与党三党の本部をせっせと訪れ、円卓方式の討論を提案して回った。
同じようなパイプ役を演じる場面がふえている。
久しく、
「蚊帳の外」
でしかなかったことを思うと、目を見張る様変わりといっていい。
志位は、
「これまでは『共産党を除く』という国会運営が当たり前のように行われてきたが、今回、『除く』論が打ち破られたのは、わが党が国民の声を代弁する論陣をはってきたことが大きい」
とやや紋切り型だが、総与党化の流れの中で、共産党が野党らしさを独り占めする有利なポジションにあることは間違いない。
かつて、宮本は、
「彼は60年安保闘争のとき、幼稚園児でした。
お父さんの肩車に乗って闘争に参加したのです」
と志位を紹介したことがあった。
そんな世代がリードしているのだから、共産党も国会戦術だけでなく、ポスト宮本に向けて変身を遂げつつある、とも見える。
とにかく支持率急上昇、以前は、次の衆院選で、
「比例区に徹する」
と悲壮感を漂わせていたのが、最近は小選挙区でも京都、沖縄、東京、大阪などに10の必勝区を設け、がぜん強気に転じた。
自民党の選挙責任者の一人も、
「40はいくかもしれない」
ともらし、少なくとも現有議席の倍増は確実という。
志位たちの共産党が輝いてみえるのは、ほかの各党のふがいなさを示していることでもある。
(1996・5・14)


| | Comments (0) | TrackBack (0)

« August 2016 | Main | October 2016 »