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March 13, 2017

「日中友好協会荒川支部・2017年・新春の集い」・開催される。

2017年2月10日(金)・アクト21・午後6時30分
【日中友好協会荒川支部ニュース 40号】より
★楽しかった日中友好の「新春のつどい」★
《ご協力ありがとうございました》
荒川支部の「新春の集い」は2月10日、ことし一番の寒さでしたが60人を超える参加で開かれました。
支部長(高月昭)あいさつ、来賓紹介とあいさつに続いて中国残留孤児の方のお話しを聞きました。
乾杯のあと、留学生の自己紹介と会員でもある都議予定候補の相馬けんいちさんのあいさつ、二人の中国人アーテイストのショーを楽しみ、支部役員のギター演奏での参加者全員の「うたごえ」がフィナーレとなりました。

《中国大使館と荒川区長・代理=教育長からもあいさつ》
来賓として中国大使館からお二人が出席、陳会林書記官が中国国交45周年を迎え改めて草の根からの交流の大切さを強調されました。
荒川区の区長代理で高梨博和教育長は、荒川支部と留学生に区内小中学校の中国人児童支援への感謝を述べられました。
また、協会都蓮の岡村芳雄副理事長は、廬溝橋事件80年にあたり、「日中不再戦」の活動強化と中国百科検定受験を呼びかけました。

《中国残留孤児・中島幼八さんが 感動的な体験を話されました》
今から70年前、旧満州開拓団として中国侵略に参加した家族が敗戦後、父親をシベリアに送られ、悲惨な逃避行の中で、餓死寸前の3歳の中島さんを行商の中国人に託したそうです。
死にそうな敵国人の子どもを引き受けて預かる人が見つかり命が守られ、16歳まで育てられたのち、日本の実母のもとに戻った経過を養母の写真や小学校時代の洋服を見せながら話しました。
中島さんの体験記「この生あるは」からは、中国の農民の生活、心情がつたわります。
軽快で明るく面白い本です。
ぜひ一読を。

《ことしも素晴らしかったチェン・シさんの歌》
雲南省出身で日本で活躍するメゾソプラノ歌手の陳㬢(チェン・シ)さんは、荒川支部の行事にたびたび参加して素晴らしい歌声を聞かせてくれている人です。
今回も日本の「早春賦」や中国の恋の歌を歌い、アンコールに応え、「草原情歌」など2曲を歌いました。

《リュウ・ケンさんのすごい変面と京劇のお話し》
母親が中国残留孤児の日本人で父親が中国人の劉研さんは、京劇の俳優です。
この日は素早く17種類ものお面を変え、そのたびに会場から「オー」と感動の声があがりました。
また、京劇の特徴についてもトークし京劇の歌声も披露してくれました。
(ニュース終わり)
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【日中友好新聞・2017年3月5日号】より
(2面)
◎中国レーダー◎
《2016年統計が語る中国の今》=井出啓二長崎大学名誉教授
★春節から全人代へ★
615万人が海外へ出かけた春節が終わり、3月の全国人民代表者会議・政治協商会議を迎えます。
17年の方針が明らかにされています。
中国経済の今を語る、16年の注目の数字をいくつか挙げてみます。

★投資・対外工事大国へ★
*世界の貿易・対外直接投資は減少したが、中国への直接投資は1390億ドル、前年比2・3%増(UNCTAD統計、中国統計では1260億ドル)、アメリカ、イギリスに次ぐ世界3位。
中国からの対外非金融直接投資は1701・1億ドル、44,1%増。
中でも外国企業のM&A1072億ドルと急増し、世界1位。

*一帯一路政策の展開で拡大著しい対外請負工事高は1594・2億ドル。
*貿易総額は3兆6856億ドル、6,8%減(輸出7,7%減、 輸入5,5%減)、貿易黒字は5107・3億ドル。
*人民元の対ドルレートは14年から元安に転じ、16年は6,6%減。
これが外貨流出を招き、外貨準備高は3兆億台ギリギリへ(12月末、3兆154億ドル。17年1月末、2兆9982億ドル)。

★世界経済成長のエンジン★
*GDP成長率は6・7%。
世界経済成長への貢献率33,3%で、10年連続で世界1位。
*重慶、チベット、貴州は2桁成長だが、大半の省の成長率は7~8%台。
下位グループは、遼寧マイナス2,5%、黒竜江6,1%、奇知林6、8%、山西4,5%
しかし、17年の成長目標はー遼寧6,5%前後、黒竜江6~6,5%、危地林%前後、山西5,5%前後を掲げている。
*財政出動による景気の下ささえにより、12年以後は財政赤字が拡大。
16年は、当初予算を6489億元上回る、2,83兆元の赤字。
赤字率15%、対GDP比3,8%の赤字。
*土地使用権譲渡収入は、
14年 4,26兆元の史上最高を記録し、
15年は3,37兆元に抑制されたものの
16年は3,75兆元に再増した。
ちなみに16,7万の国有企業の納付税総額は3,8兆元、利潤総額は2,3兆元。
*固定資産投資は8,1%増であったが、総投資の60%強を占める民間投資は3,2%増にとどまった。
国有部門は18,7%増。

★自動車保有率27%★
*中国の自動車販売は世界最大の2802,8万台。
自動車の保有は100戸中の27戸となった。
高速鉄道は2万キロ、高速道路は13万キロへの拡延。
*17年6月の大学卒業生は795万人と過去最高
(15年大学進学率40%)

★横ばいの日中経済関係★
*日中間の貿易投資はそれぞれ12年、13年から減少に転じた。
16年も、2747,9億ドル、1,3%減。
対中直接投資は前年の32,1億ドルから31,1億ドルへ3%減。
日中関係の後退は軽微とも言えますが、対中投資ランキングでは、
シンガポール、韓国、台湾、アメリカより下位です。
(終)
―――――――――
*集いで、講演をされた中島幼八さんの著書を写す。

★中島幼八著
  「一中国残留孤児がつづるーこの生あるは」
  (幼学舎) 平成27年=2015年 全418p
ーーーー
《著者紹介》
昭和17年、東京三田に生まれる。翌年、家族と中国東北部に渡る。
戦後、中国養父母に育てられる。
昭和33年7月、単身で舞鶴に帰還。
横浜山手中華学校に学ぶ。
夜間高校卒業後、1966年日本中国友好協会本部事務局に勤務。
通訳に従事するほか、日中国交回復運動に身を投じる。
その後、通訳・翻訳を専業とする。
平成20年、妻との死別後、69歳で引退。
日本語版:『この生あるは』、中国版『何有此生』(北京三聯店刊行)を同時期執筆。
趣味:陶芸(駒沢陶芸会所属)
ーーーー
*まえがき*ー北斗七星の下で育つー

兎追いし彼の山 小鮒釣りし彼の川
夢は今も巡りて 忘れ難し故郷
高野辰之 作詞
 
誰も故郷があるといわれる。
あの戦争で異国に残された私ら孤児にとっては、皮肉にも、日本は祖国であっても故郷ではなかった。
私達を育んでくれた故郷は、かの広大な中国である。

戦後という時間は70年を迎えている。
気付いてみれば、自分は古希の齢を過ぎ、よくもここまで生きてこられたと痛感する。
この世に生を享けたのは、ちょうど太平洋戦争の真っ最中だった。
その後、時代の嵐に翻弄されて、物心がまだつかない頃に、死の淵に追い込まれながらも、生き残ることが出来た。
いま振り返ると奇跡に思えてならない。
病み細った幼い命が蘇ることができたのは、ほかでもなく中国人の養母に拾われたお蔭であった。
養母はごく普通の女性で、自分たちも衣食に困る毎日なのに、瀕死の私と云う敵国日本の子どもを毅然と受け入れて、「我垃址」(ウォラーチョ=私が育てます)と言い切った。
この瀬戸際における養母の言葉には、生死の分かれ目におかれた私を救う崇高な愛が込められていた。
あれから、中国語でいうと「一把屎一把尿」(イーパーシーイーパーニョー=ウンコだの、おしっこだの)を汚いとも思わず、心血を注ぎ、13年間にわたり、私を育ててくれた。
その間、養父が3人も変わりながら、千の手を借りて、まるでリレーのように、私を日本の実母の元に送り届けてくれた。

私自身に限って言えば、実の親を含めて、父親が5人、母親が二人、そして二つの国にわたる無数の善良な人々の愛に支えられて、この生は、いま此処にある。
(!!!!)
したがって、私は生きている限り、この恩を忘れることがない。
とりわけ、生みの親より育ての親の恩が大きいと言われるように養親へ報いたい。

そこで、身の程もわきまえず、ペンをとりました。
このささやかな小冊子を、中国や日本で温かい手をさしのべてくれたすべての人々、ことに養父母に献たい。
ーーーーーーー
(111p)
*9章 1950年という年・・・初めて知る祖国の事情

1950年という年は世界的に多事の年であったが、僕にとっても様々なことを体験し、一年の内に数年分も知的に成長するきっかけができた。
(・エーっと、1950年と云うと、著者は 昭17年=1942年 生まれだから著者8歳、中国革命(1949年)の翌年かな。)
・・・・・・
途中、略
・・・・・・
6月25日、朝鮮戦争が起こったというニュースがこの静かな村に飛び込んできた。
6月のことであったが、次第に緊張の度合いが強まった。
そういう情勢のなかで、灯火管制の指示が出た。
朝鮮戦争が激化するにつれて、アメリカの戦闘機が空爆する可能性もあるということで、夜間の灯火はすべて禁止された。
・・・・・・

・・・・・・
こうした愛国衛生運動に取り組む傍ら、新しい呼びかけも出た。
平和署名運動である。
1950年にストックホルムで核廃絶の平和会議があったらしい。
資料によると、この会議はノーベル化学賞受賞者のジョリオ・キュリーはじめ、ドイツの作家トーマス・マンらが呼びかけ、全世界向けに反核4か条が発表された。
同時に、核兵器反対の署名運動を世界各地で展開するように呼びかけられた。
中国は朝鮮戦争でアメリカによる核兵器の使用を心配していた関係もあって、全土で署名運動を展開した。
僕らの学校も村も平和署名を行った。

僕のクラスに新しい編入生が入ってきたが、その名が劉玉波(リューユイポー)という子で、僕と同じ机に座った。
彼の父親はまた当校の先生として就任し、地理と図画を教えていた。
後に聞いたところでは、その劉学(リューシエー)先生は日本が開設した美術学校を出ているそうで、日本語も堪能だったらしい。
しかし、戦後中国でいう抗日戦争が勝利した後において、こうした日本との関わりについてはおおっぴらにすることはなかった。
したがって先生の前歴も当時はほとんど知られていなかった。
ある日、授業のときに平和署名の意義を話してくれた。
その際に、広島・長崎でアメリカが原子爆弾を落としたこと、何十万人の罪もない市民が死んだとか、何年も草木すら生えないとか説明した。
核兵器の恐ろしさを初めて生々しく教えられた。

そのとき、劉先生は日本の位置を示す地図を黒板に書いて、広島・長崎という地名を教えてくれた。
正直なところ、自分は日本人だとよく言われるが、なぜ他の人と違うのか全く理解できなかった。
この日初めて、日本の位置を知り、遠く離れた洋上に浮かぶ島国だと知った。
その時の授業では劉先生は、ずっと日本の話をしてくれた。
戦後に『どっこい生きている』という映画があったそうだ。
映画で描かれたのは戦後、一般の日本人が苦しい中を健気に生き抜く家族の話である。
その中に出てくる大人たちが非常に勤勉で、善良な市民の姿であった。
いままで、教科書に出てくる軍人の姿とまったく違っていた。
このような善良な人々や子供たちがたくさん原子爆弾の下で死んだと劉先生は訴えるような口調で話を結んだ。
この授業で僕は初めて祖国日本のことを知った。
いままでこれほど身近に感じたことはなかった。
それから、真剣に署名運動に参加した。
その頃、『張おばさんの平和署名』という歌もはやった。
僕ら小学生も街に出て、村人に平和署名の意義を訴えたり、署名を集めたりした。
家に帰り、養父母にも署名を勧めた。
養母が村で主催された識字教室に参加していたが、まだ自分の名前をうまく書けなかった。
養母の名前 孫振琴 というのは画数が多く、僕の書いた字をまねて署名簿に自分の名前を書いた。
『寧安県誌』の記録によると、全県で署名数は10万4千にも達し、全県人口の7割にのぼったようだ。
ちなみに中国全土で2億人あまり、地球上で5億人が署名したようだ。

この署名運動とともに、朝鮮戦争に反対する抗米援朝(カンメーイエンチョー)運動(米国と戦い朝鮮を支援)も進められた。
その運動では小学生も慰問袋を作ったり、秋の収穫の時に畑へ出かけ、落穂ひろいをやった。
僕や劉や曹らも大きい同級生に引率されて、あちこちの畑へ行き粟や大豆を拾い集めた。
それを寄付して、大砲や飛行機を買い、朝鮮を支援するのであった。
それで寧安県では戦闘機を一機 翰章(ハンジャン)号 と名付けて寄付したそうだ。
・・・・・

・・・・・
そんな時にとても偉い英雄が話題になった。
張積慧(チャンチーホイ)という中国人のパイロットがボロの戦闘機でアメリカのエース戦闘機を撃墜したというのだ。
おそらくいまでも彼の名を知らない中国人はいないだろう。
正月に部屋に飾るポスターふうの年画にもなり、僕らが愛読するマンガ本にも登場してくる。
みんなの心を鼓舞激励するヒーローの出現によって大人にも子どもにもアメリカに勝てる自信や勇気を与えてくれた。
・・・・・・
略 (119pへ)
・・・・・・
翌日学校で聴いたら、朝鮮からの避難民が到着したしたそうだ。
ほとんど老人や子供だった。
子どもの数が多かったようで、南門近くの朝鮮人学校と僕たちの学校に分かれて授業を受けることになった。
当校に入る生徒たちは北側の棟に入ることになった。
県内では7千人の難民を受け入れて、そのうち孤児が800人だったそうだ。
(!!!)
・・・・
学期の変わり目に朝鮮人の生徒たちは僕らの学校でドラマを公演し、僕らに見せた。
なかなか本格的な舞台で、内容は自分たちの故郷を戦争から守るという筋書きだった。
冬の景色を表す塀の上の雪など僕たちよりも舞台装置が凝っているような印象だった。
僕らも出し物を用意して応えた。
僕も舞台にあがってみんなと踊りをやった。
・・・・
この朝鮮人の避難民は、朝鮮戦争が終了した1953年にいっせいに引き上げた。
中国の大地は新中国の成立によってようやく平和が訪れて、経済の発展をめざして建設しようと、本腰を入れるこれからという矢先に、朝鮮戦争が勃発した。
3年を経てやっと不安が消え、大人は農業に力を入れ、子供は勉強に専念することがようやく可能になった。
・・・・

(137p)
*11章 愉快な学校生活・・・先生や級友に恵まれる

 

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