« 映画・「米軍=アメリカ が最も恐れた男ーその名は、カメジロー」 を見る。 | Main | 東京新聞 ・「沖縄知られざる現実」(2017年11月5日・日)を読む。 »

December 01, 2017

「東アジア文化フェスタ」(主催:同実行委員会・事務局:日中友好協会東京都連合会)を観る。宝田明さんを聞く。

2017年11月4日(土)
(案内・パンフ)
★この秋、日・中・韓・朝のすばらしい芸術家たちが一堂に集い、文化による相互理解をめざします。
東アジアの空に 虹をかけよう!
【東アジア文化フェスタ】
・2017年11月4日(土)
・北とぴあ さくらホール
・13時開場・交流の場開設
・14時30分 開演
*主  催:東アジア文化フェスタ実行委員会
*事務局:日中友好協会東京都連合会
ーーーーーーーー
(プログラムなど)=パンフ
●虹をかけよう 東アジアの空に●
【東アジア文化フェスタ】
《ごあいさつ》
=石子 順(同実行委員長・日中友好協会東京都連合会会長)

《日中友好協会とアジアの平和》
=北中 一永(同実行委員会事務局長・日中友好協会東京都連合会事務局長)

ーーー
◎司会者紹介◎
・都丸美枝子
=女優、演劇講師を経て、フェルデンクライスメゾットの教師として身体の動きを研究し続けている。
太極拳は観るのも行うのも好き。

・金 順愛
=在日コリアン3世。あろんだろん主宰。
「ウリマル(コリア語による喜びの空間作り」をテーマに、日韓バイリンガル司会・通訳翻訳・ハングル絵本読み聞かせ等の活動を行っている。

・劉 嘉林
=小学生以来日本で生活し、この経験から、異文化交流の助けにと、日中英3カ国語を使って、通訳やガイドを行っている。
演劇や歌、ダンスが好きで、芸術を通じた交流にも興味を持つ。
現在は東京大学教養学部1年生。
ーーーーー
◆オープニング・セレモニー
*鳩と少年・・・・・・トランペット・松平晃/ピアノ・戸梶江梨子
*虹をかけよう・・・トランペット・松平晃/ピアノ・戸梶江梨子
(歌)東京朝鮮中高級学校/柴金草合唱団有志/指導・安東由布樹

■第一部
・三崎のぶち合わせ太鼓(和太鼓)・・・・・・・民族歌舞団荒馬座
・エイサー(和太鼓)・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・民族歌舞団荒馬座
・チャング演奏(建国伝統打楽器)・・・・・・・・仆仁子/柳絢子/柳京華
・ホロンバイル草原(中国少数民族舞踏)・・華夏芸術団
・茉莉花(合唱)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・華夏芸術団
・落葉松(バリトン独唱)・・・・・・・・・・・・・・・・ 崔 宗宝
・千の風になって(バリトン独唱)・・・・・・・・・ 陳 金鑫
・オー・ソレ・ミオ(バリトン重唱)・・・・・・・・・・崔宗宝・陳金鑫
・太極拳・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 李 自力
・陳式太極拳・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・渡部快枝
・夕陽美功夫扇・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・9人
・様式太極拳・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・李 自力
・中国のお母さん(舞踏劇)・・・・・・・・・・・・・ NPO中国帰国者・日中友好の会
*お話しと歌「私のねがい」・・・・・・・・・・・・・宝田 明

■第二部
・変 面(中国伝統秘儀)・・・・・・・・・・・・・・・劉 東風/劉 姸

・サグ・プンニョン(リンゴの豊作)舞踏・・・・東京朝鮮中高級学校舞踏部
・ナエ・チョゴリ(私のチョゴリ)合唱・・・・・・・東京朝鮮中高級学校合唱部

・世界に一つだけの花(二胡演奏)・・・・・・・馬 高彦
・赤とんぼ(二胡演奏)・・・・・・・・・・・・・・・・・馬 高彦
・彩雲追月・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 馬 高彦

・柴金草物語(合唱朗読構成・抜粋版)
→柴金草合唱団(東京、府中、大阪、千葉、宮城、金沢、 83名)
・・・指揮・安東由布樹/ピアノ・朝原 望/二胡・馬 高彦

▼フィナーレの交流
・海は故郷・・・・・・・・・・・・・柴金草合唱団と中国の出演者
・赤とんぼとアリラン・・・・・みなさんで歌いましょう
・虹をかけよう・・・・・・・・・・みなさんで歌いましょう
(拍手)

*超満員
*3時間超の熱演ー感動!かんどう!
ーーーーーーーーーー
ーーーーーーーーーー
●宝田 明 (俳優) さんのお話し。
(プロフィール)
朝鮮咸鏡北道に生まれ、2歳の時、父の満鉄勤務のために旧満州に移る。
1945年、侵攻してきたソ連兵に右腹を撃たれた経験を持つ。
12歳でハルピンから引き揚げた。
東京都北区在住。
日本映画の黄金時代、東宝を代表する二枚目スタートして一世を風靡。
その後、ミュージカルを中心とした舞台に活動の場を広げ、日本におけるミュージカル俳優の草分け的存在。
1964年に文化庁芸術祭大衆芸能部門大賞を受賞。
これまで出演した映画は200本を超えます。
ーー
(メモ)-暗い会場の中でノートに鉛筆を動かし続けた。
後で読めるかな、と思っていたが、明るいところでより、良くかけていた。

・宝田明、わたし、俳優ですが、本名・宝田明です。
昭和9年=1934年・生まれ、83歳です。
81歳は、盤寿というのだそうです。
将棋の盤、9 x 9 =81、で盤寿。
84歳は、ハシ寿。
88歳米寿、卒寿と続きますね。

「東アジアフェスティバル」。
各国の人が一堂に会して芸術で表現し合う。
見ていて、涙がでます。

私は、小学校5年生の時、終戦をむかえました。
父は満州鉄道に勤めていて、ハルピンでくらしていました。
8月6日、広島に原爆がおとされた。
8月9日、ソ連軍がソ満国境を超えて侵攻して来た。
8月15日、天皇の放送がありました。(無条件降伏です)
戦争に負けるなどと思ったことはありませんでした。
1週間後、ハルピンの公的機関は全てソ連軍に占領された。
私達には引き上げるようにとの命令がありました。
その前に、青酸カリを渡されていた。
犬を飼っていたのですが、犬にそれを与えるか迷いましたが、そのままで駅にむかいました。
(トラックでかな?)
8時間後、ハルピンの駅、椅子にすわった。
少しして、飼っていたいたケリーが現れたのです。
・・・・・・。
汽車に乗っても、窓にとびつき、キャンキャン泣いている。
発車して、線路を追いかけてくる。
・・・・・・😿。
・・・・・・・・
引揚者にとって食べ物のことは一番くろうした。
赤ちゃんは、火のついたように泣く。
万頭(まんじゅう)との物々交換、、、。
換えるものが物が無くなる・・・。
おしめと赤ちゃんを預けて、少しの食料と換えた、、、。
そして、日本へ帰ってきた。
耐え忍んで生きて来た、、、。
日中国交回復後、赤ちゃんだった人が、日本へ帰ってきています。
日本政府は、冷たいと思った。
・・・・・・・・
・・・・・・・・
叔父が軍隊にいた。
日本の兵隊が一つの建物に集められていた。
僕は、その人たちに手をふった。
会いたいと思った。
近付いて行った。
突然、ソ連軍が自動小銃を発射した。
血だらけになった。
3日後、化膿した。
母は軍医だった人に相談し、診てもらった。
軍医さんは、裁ちバサミで手術した。
わき腹から弾頭を取り出した。
弾頭は鉛(なまり)だと。
鉛の毒が全身に回るようにできている。
やることが汚い、ソ連は汚い国だと思いました。
完全に動けるようになるのに、1ヵ月半かかりました。
今でも、傷口が痛みます。
・・・・・・
戦争は、東京大空襲の後、アップアップの日本に対して、トルーマンは、広島、長崎への原爆投下を命じた。
・・大惨劇、、、。
明治から昭和20年までの日本。
戦争、戦争の時代だった。
総選挙がありました。
いま、18歳、19歳の人達も有権者ですね。
戦争は、決して、古い、昔のことではありません。
戦争は、人が人を憎む、そんな人間を作り出す。
絶対に繰り返してはなりません。

憲法のことで、やがて、国民投票がくるかもしれません。
私達には、一票しかありません。
しかし、きれいな、一票です。
その一票で、戦争をしない、戦争のない、日本を守っていきましょう。
(拍手)
ーーーーー
私は、2015年、広島の平和集会に出演しました。
その時、歌った歌、「私のねがい」です。
ここで、歌います。
♪♪『わたしの願い』♪♪
人は だれも 幸せ求めいきている。
愛とやさしさ ぬくもりを もとめている
それなのに 人は なぜ・・・・・・・♪♪
(ララララ、すみません、あとは好楽さん ふうで、)
ーーーーーーーー
🌸美貌と美声と知性➡宝田明!
(拍手)
ーーーーーーーー
ーーーーーーーー
★★東京朝鮮中高級学校合唱部・舞踏部
合唱・「ナエ・チョゴリ(私のチョゴリ)」を聞く。
⇒17人の女性コーラス。
清楚な民族衣装は気品が満ちている。
歌声は誇り高さをあらわす。

舞踏・サグ・プンニョン(リンゴの豊作)を観る。
⇒優雅な若々しい舞い。
色鮮やかな民族衣装だ。
韓流ドラマ、王宮で行われる儀式で披露されるあの華やかさだ。
(拍手)
ーーーーーーー
ーーーーーーー
★変面、二 胡演奏、荒馬座、
崔宗宝(バリトン)さん、陳金鑫(バリトン)さんの声量、印象に残る。
ーーーーーーーー
ーーーーーーーー
●太極拳・太極剣の李自力、
◎陳式太極拳の渡辺快枝、共に名人だと思った。

・李自力(Li Zili) 老師・
中国雲南省出身。
幼いころより中国武術を学び、’93・’94年 全国中国武術大会において孫式太極拳などで優勝。
その後、中国武術審判員(国家級)、北京体育大学武術研究室副室長などの経歴を経て、98年より文京センタースポーツクラブで太極拳を指導している。
また2008年には日本体育大学にて博士号を取得。
現在、武術太極拳全日本ナショナルチーム強化コーチ。

・渡辺快枝(わたなべ よしえ)
日本中国友好協会太極拳本部指導員
東京都連合会主催の文化センターなどで講師と指導。
2016年全日本武術太極拳選手権大会陳式の部で優勝!
ーーーーー
*両足と両手、両腕、全身がいつも動いていて、大きくなったり縮んで小さくなったり、円と直線と点になって、ジャンプして着地しても、音がしない。

これは、なんというか、昔読んだ本の中にあった、こういうことをいうのか、思い出していた。
あれは、芝居のことだったけれど。
江口渙が高村光太郎について書いていたこと。

▼江口 渙
  「わが文学半世紀」 
  (講談社) 1995年

(85ページ)
⁑高村光太郎のアトリエ素描・
(1953・4・5)

これは誰にもあることと思うが、私にも次のような経験がある。
例えば有名な作家芸術家を訪問した場合、それが前にもあとにもたった一回しか訪問しなかったために、その一回の訪問でうけた印象が却って強く残ることである。
大学時代に江南文三(えなみぶんざ)夫婦につれられて高村光太郎をたずねたときと、文壇に出てからあと、芥川龍之介、久米正雄の三人で谷崎潤一郎をたずねたときとの二つの場合がそれである。
高村光太郎を本郷駒込林町のアトリエにたずねたのは、私が「スバル」(1912年12月号)に処女作「かかり船」をかいた、次の年、つまり13年(大正2年)の春もおわりの頃だった。
それは、アトリエの窓際におかれたテーブルの上に、牡丹桜の花がコップにさしてあったことを、いまだにおぼえているからである。
・・・・・・
(この次の「智恵子抄」の長沼千恵子の印象もとても面白いけれど、略)
・・・・・・
初対面の人にはほとんど口をきかないくせのある私は、その日もはじめからおしまいまで、ほとんどだまりこんで、高村光太郎と江南文三の話に耳をかたむけていた。
そのとき、高村光太郎から聞いた話で、ただ一つだけ、その後もしばしば思い出し、そして、いまだに不思議なくらいはっきりおぼえている話がある。

それは高村光太郎がパリで見たオペラ俳優の、すばらしい演技についての話である。
そのとき舞台にかけられたのは何というオペラだったか、高村光太郎も忘れていた。
ただ、そのような演技を見せた俳優は、白い服をきた背の高い男だったと、彼は話した。
その俳優は幕があくと、いつのまにかどこからともなく舞台にあらわれて、そして、いつのまにかみんなのあいだを動いている。
だが、動いているともみえない風に動くうちに、いつか自然に立ち止まり、立ち止まったと思う時には、もう、すうっと静かに座っている。
それもきわめて静かにいつすわったともわからないうちにすわるのである。
そして、すわりおわったと思う頃には、躰をすうっと長く伸ばして舞台のうえによこたわっている。
すると、また、それがいつかすうっと起き上がる。
そして、まるで吸い上げられる空気のように、眼で見ていてもはっきりつかめない程の動きのうちに、いつか、すうっと背丈一ぱいに立ち上がる。
と、惟うちに、また、みんなのあいだをぬって、ふたたび静かに動きはじめる。

「すわるときも、立つときも、いつ立つのかすわるのか、見ていてもほとんどわからないのです。
つまり、一つの動作がつぎの動作に移っていく。
その動きの境い目が、みていてほどんどわからないのです。
それでいて、いつのまにかちゃんとつぎの動きに映っている。
つまり、すべての動きがおそろしく静かで、それでいておそろしく自然なんです。
あれには感心しましたね。
ああいうのをほんとうの名人芸というのでしょうね。」

高村光太郎は、その時の舞台をもう一度目の前に思いえがきながら、深い感動をもって話した。
わたしもまた、なにか胸をゆすぶられるほどの感動をもって、その不思議な演技の話を聞いたものである。

それから何年かたってからのことである。
私は牛込大曲の観世の舞台や、小石川水道橋の宝生の舞台に、ときどき能を見にいくようになった。
そのたびごとに、私は宝生新の水ぎわだった芸を、舞台の上にながめては、かつて高村光太郎から聞いたオペラの話を思い出すのである。
(写すのを、終わり。)
---------
---------
■日中友好協会荒川支部ニュース49号・2017年11月15日■
**東アジア文化フェスタ大盛況**
*・荒川からも50人以上参加・*
11月4日、北トビアさくらホールにて7月から準備を重ねてきた東アジア文化フェスタが開催されました。
予想以上の盛況で1300人の座席が開演前に満席となり、帰っていただく人も出て大変申し訳ない事をしました。
不手際をお詫びもうしあげます。

日本、中国、韓国、北朝鮮の4か国が文化で交流する催しは時期にかなっていた、素晴らしかったとの感想がたくさんよせられてました。
宝田明さんは満州時代に銃撃を受けて死にそうになったこと、戦争は絶対に起こしてはいけないと力をこめて訴え、自作の歌を歌いました。
朝鮮中高学級学校の生徒たちの舞踏と歌は素晴らしく、彼女たちからもこんなに大きな舞台でたくさんの拍手をもらうのは初めてで感動したと報告されました。
荒馬座はさすが、残留孤児の踊りは涙が出た、などの感想もよせられました。
このフェスタ成功のために柴金草合唱団の大門高子さんと北支部が奮闘し、荒川支部も留学生の券を含めて61枚のチケットを販売しました。
(宮内)

|

« 映画・「米軍=アメリカ が最も恐れた男ーその名は、カメジロー」 を見る。 | Main | 東京新聞 ・「沖縄知られざる現実」(2017年11月5日・日)を読む。 »

「文化・芸術」カテゴリの記事

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)


Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.



TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/96057/66107383

Listed below are links to weblogs that reference 「東アジア文化フェスタ」(主催:同実行委員会・事務局:日中友好協会東京都連合会)を観る。宝田明さんを聞く。:

« 映画・「米軍=アメリカ が最も恐れた男ーその名は、カメジロー」 を見る。 | Main | 東京新聞 ・「沖縄知られざる現実」(2017年11月5日・日)を読む。 »