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February 12, 2018

2018年正月ー新聞と本 を読む。

2018年
【元日→2日】・孫2人と両親来る。泊って行った。
*初詣、6人で、浅草・浅草寺へ。戌年。
ーーーーーーーーー
*新聞を読む。
●東京新聞・2018年1月1日(月)●
(5面)=社説
【明治150年と民主主義ー年のはじめに考える】
”明治150年といいます。
明治維新はさまざまなものをもたらしましたが、その最大のものの一つは民主主義ではなかったか。
振り返ってみましょう。”

日本の民主主義のはじまりというと、思い出す一文があります。
小説・評論家で欧州暮らしの長かった堀田善衛氏の「広場と明治憲法」と題した随想です。
(ちくま文庫「日々の過ごし方」所収)。

《明治憲法つくった伊藤》
・・・・
起草演説ー明治21(1888)年
伊藤ー47歳
明治天皇ー36歳
・・・・
堀田の随想、、、。
ベネチアのサンマルコ広場=共和国総督府宮殿とサンマルコ大聖堂が並び立つ=
「共和国全市民がこの広場に集まって事を議し、決定をし、その決定を大聖堂が祝認するという政治形式」を(伊藤は)一瞬でも考えたことがあったかどうか、、、。

大聖堂の権威→日本・皇室→明治憲法
・・・・
その一方でこんな想像はできないでしょうか。
・・・彼は広場の民衆を果たして無視できただろうか、と。
強大な幕府の打倒は志士に加え豪農富商、それに民衆の支えがあってこそ実現したのです。
幕末期の民衆は当然のように欧米に追い付こうとしていたのです。
(う~む)

《民衆の側からみる歴史》
歴史の多くは支配者の側から書かれています。
そうであるなら民衆の側からでないと見えない歴史があるはずです。
支配者のいう民衆の不満とは、民衆にいわせれば公平を求める正当な要求にほかなりません。
維新をじかに体験してきた伊藤は、民衆の知恵も力も知っていたに違いないと思うのです。
・・・・・・・
広場の意義もエネルギーも・・・。
・・・・・・・
自由民権運動
・・・・・・・
日本には欧州の広場こそなかったが、民主主義を求める欲求は全国に胎胚(たいはい)していたといっていいでしょう。
・・・・・・・
明治憲法=絶対的天皇制
⇔立憲制・議会制を明記
⇔日本民主主義のはじまり
・・・・・・・
・・・・・・・
明治憲法はプロシアの憲法をまねた。
プロシア、いまのドイツは当時、市民階級が弱く先進の英仏を追う立場でした。
追い付くには上からの近代化が早い。
国家を個人より優位におく官僚指導型国家を目指さざるをえない。
国家優位、民主制度は不確立という、今から見ればおかしな事態です。
広場は不用、もしくは悪用され、やがてドイツも日本も国家主義、軍国主義へと突き進んで無残な敗北を迎えるわけです。
・・・・・・・・
・・・・・・・・
【割り込み。ここを読んで、以前目にした本を思い出した。
少し、外れるが、また、一部、書きうつしてみよう。
プロシア=プロイセン→ドイツのこと、フリードリヒ大王についての。】

◎山本有三著
 「心に太陽を持て」 昭和56年=1981年
 (新潮文庫)

(130 ページ)
⁑フリードリヒ大王と風車小屋⁑

ドイツのなかで有力な国の一つであったプロシアに、昔、フリードリヒ2世(1712-1786)という国王がいました。
この王は、政治、外交、軍事はもとより、学芸、産業等、あらゆる方面に力をつくし、国威を高めたので、世の中からフリードリヒ大王とあがめられた人です。

「国王は国民の第一の公ぼくである。」という、有名な言葉を言ったのも、このフリードリヒ大王です。
ーーーーーー
【注:『心に太陽を持て』(胸にひびく話20篇)が最初に出たのは、昭和10年=1935年11月のことです。
山本有三が精魂をこめて編集した「日本少国民文庫」全16巻の中の第12巻ですが、第一回配本でした。
とりわけ、有三はこの一冊に熱情を傾けました。
・・・・・

・・・・・
それに、1931年(昭和6年)に満州事変が起き、翌年5月15日、犬養首相が暗殺されるというふうに、暗い事件が続き、世の中の情勢が日々に険悪になり、人道が無視される傾向が強まりました。
有三は本来熱心な人道主義者だったので、こういう時世にこそ子供に、人道主義にもとづく強くあたたかい博愛精神を吹き込むような本が必要だと考えました。

しかし、そういうことを考えてもそれを実行に移すことは困難でした。
なによりそれを担当する人材がいなければ、できません。
たまたま私と一高時代の同級生だった吉野源三郎が、思想事件のためあたりまえの就職ができないでいました。
有三は吉野の才能と学識を高く評価し、それを活用するとともに、吉野のために収入を計ろうと考え、「日本少国民文庫」の編集に従事させました。
それによって全16巻の構想がまとまり、吉野の精力的な働きによって、それが昭和12年8月に完成しました。
吉野自身、「君たちはどう生きるか」という名作を一巻書きました。
ただし右記のような事情で、初版の時は山本有三の名で発表されました。
戦後、同文庫の改訂版が出たとき、この本は吉野源三郎作と明記されました。

「日本少国民文庫」の出版は大きな成功を収め、増刷を重ねました。
戦後も二度にわたって改定され、本の形をかえて、刊行されました。
・・・・
(解説=高橋健二 より)】
ーーーーーーーー
(フリードリヒ大王、、、続き)
大王は常に大勢の臣下の先頭に立って、国のために働きました。
きょうは、大臣たちと机を囲んで外交問題を論じているかと思うと、あすは、もう将兵と共に戦場に立つ、というふうに、大王は連日はげしい活動を続けていました。
しかし、いくら活動的な大王でも、休養をとらないわけにはいきません。
そこで、大王は、ベルリンの郊外のポツダム(今度の大戦の末期に、あの有名な「ポツダム宣言」の発表されたところ。)に、美しい離宮を作りました。
ここは、政治の中心、ベルリンにも近く、また、湖をひかえた、静かな土地なので、離宮を設けたわけですが、その美しい離宮を、大王は、「サン・スーシー」となづけました。
日本語に訳すと、「無優宮」(むゆうきゅう)という意味です。
つまり、この離宮ですごす間は、世間のことはいっさい忘れて、のんびりくらしたいという考えから、こういう名をつけたのでしょう。
大王はいそがしい政務や、戦争のあいまをみては、たびたび、この離宮にきて、学者や、芸術家を相手に、哲学を論じたり、詩を作ったり、あるいは、はなやかな音楽会をひらいたりして、日頃の疲れを休めることにしていました。
戦場に出ては、どんな苦しい野営生活でも我慢をしますが、ここにおちついた時だけは、ゆったりとした生活をしたいというのが、大王の願いでした。
ーーーーーーー
【注:フリードリヒ(Friedriche)=ドイツ語の男子名
②フリードリヒⅡ世: プロイセン王。大王。
啓蒙専制君主の典型。
1740年即位、行政の改革、軍隊の増強、教育・産業の奨励に務め、ヴォルテールらフランスの啓蒙思想家に親しんだ。
オーストリア継承戦争・7年戦争でマリア・テレジアと戦い、シュレジェンを領有、ポーランド分割に参加して領土を拡張。
また、音楽を愛し、「反マキアヴェリ論」ほか著述も多い。
(1712~1786)
=広辞苑・第7版
ーー
・同じ頃、日本では、1716年、徳川吉宗が「享保の改革」をはじめている。
田沼意次(1719~1786)、が9代将軍家重・10代将軍家治のもとで老中を務めている。
1787年・松平定信が寛政の改革を始める。
ーー
フリードリヒのついでに、広辞苑で
①フリードリヒⅢ世: ザクセン選定侯(在位1486~1525)。
学問に関心をもち、大学を創設。
ヴォウルムズの帝国議会でのルターの処罰後ヴォルトブルク城にかくまう。
(1463-1525)

もう一人、
・フリードリヒ・ヴィルヘルム=フリードリヒⅠ世
プロイセン王。
フリードリヒⅡ世の父。
1713年即位
財政を再建、強大な常備軍をつくりあげ、官僚制度を整備、絶対王政を確立した。
(1688-1740)
ーーーーーーーー
(本の続き)
在る年のこと、大王は、無優宮のまわりの庭をひろげて、もっと静かな、ひろびろとしたものにしたいと考えました。
大王にとっては、ここが唯一の休養の場所であり、くつろぎの場所なのですから、すぐに、それを実現したいと思い、係の者を呼んで、庭の設計図を作らせました。
やがて、図面ができあがりました。
大王は、それを見て、なかなか良い設計だと思いましたが、ただ一つ、気にいらない点がありました。
それは、庭のすみのほうに、こぶのように出張ったところがあったからです。
「これは何か。」
「はい。あいにく、そこに大きな風車小屋がありますので、いろいろ苦心をいたしましたが、うまいぐあいにまいらなかったのでございます。」
設計者はおそるおそる答えました。
「なに、風車小屋。
そんなものは買い取って、とりつぶしてしまえばよいではないか。」
「はい、わたしどもも、そうするつもりでございましたが、その風車小屋の主人は、がんこなおやじでございまして、どうしても売らないのでございます。
そのために、そこのところだけ、ぶかっこうな設計になってしまいまして、申しわけがございません。」

臣下の答えを聞いて、大王は、風車小屋の持ち主が買い上げの値段に不満なのではないか、と考えました。
そこで、改めて、その点をたずねますと、いくら大金を出すと言っても、その主人は応じないのだということがわかりました。
・・・・・・・
途中略
(係の者が改めて行って、大王の命令だから、土地・建物を手放すように、風車小屋の主人を説得するが、男は頑として応じない。
遂に、大王は、直接、その持ち主に話すことにした。)
・・・・・
・・・・・
大王は、それを聞いて、しばらく考えていましたが、
「よろしい。
それでは、わたしがじきじきに説いてみよう。
その男をよんでくれ。」
と、おだやかに言いました。
やがて、風車小屋の主人は、無優宮の庭先につれてこられましいた。
大王は、わかりやすことばで、その男に言いました。
「おまえが先祖から伝わった家を手放したくないと申すのは、もっともなことだ。
しかし、そこを曲げて、ゆずってもらえまいか。
ことは、わたしの休養の場所であるばかりでなく、時には外国の使臣の接待の場所でもあるのだ。
外国の使臣をまねいた時、風車小屋が庭に突き出ていては、いかにも見苦しい。
一つ、そこを考えてもらいたいのだ。」

「大王様から、直接のお言葉をいただきまして、なんとも恐れ入りました。
しかし、このことばかりは―」
一市民にすぎない風車小屋の主人は、大王の前でも、「ノー」と答えました。
「おまえが、あの小屋を立ちのいても、立派にくらしのたつようにしてやるが、それでも不承知か。」
「はい、おおせではございますが、あの小屋ばかりは、おゆずり申し上げるわけにはまいりません。」

髪の毛こそ、もう白くなっていましたが、まだ少しのおとろえも見せていない、がっちりした老市民は、さらに言葉を続けました。
「あれは、手前どもにとって、かけがえのないものでございます。
もう、何代となく、手まえどもの一家は、あの小屋で働いてまいりました。
みんな、あの小屋で生まれ、あの小屋で育ったのです。
毎日毎日を正直に働いて生きてゆく、それを教えてくれたのも、あの小屋でございます。
自慢ではございませんが、あの小屋で生まれた人間に、今まで、ひとりだって、不正直な世渡りをしたものはございません。
骨は折れましても、日々あの小屋のなかで働いていく喜びというものは、ございません。
手前も、あの小屋のおかげで、代々の先祖が自分の職業を大事に守り伝えてきた喜びを、しみじみと知ることができました。
せがれにも、てまえ同様、あの小屋といっしょに、この喜びを受け継がしてやりたいのでございます。
それにーそれに、この年になりますと、手前も、じじいや、おやじと同じように、やはり、あの小屋で、息がひきとりとうございます。」

「これ、これ。」と家来のひとりが口を切りました。
「その言い分は、もう、なんべんも聞いている。
そんな泣き言をいくたび聞いたところで、しかたがない。
―おまえもよくわかってくれなくっては、こまるではないか。
よいか、大王さまはお庭をおとりひろげになろうというのだ。
それだのに、そのほうは自分ひとりのつごうだけで、大王様のご計画をおさまたげしているのだ。
―いったい、そのほうは大王さまをなんと心得ているのだ。
ほんらい、大王さまのお力をもってすれば、そのほうが、承知しようと、しまいと、いやおうなしに立ちのかせるのは、わけもない事なのだぞ。
それを、こうしてわざわざ、ご自身お言葉があるというのは、この上もないお慈悲だということがわからないのか。」

「いや、おことばを返すようではございますが・・・・」
と、風車小屋のおやじは、きっとなって、言いました。
「そんなことは、大王さまでもおできになるはずはございません。
もし、大王さまがそんなことをなさるのなら、手前はベルリンの裁判所へ訴えます。
あすこの判事様は、正しいお方でございますから、たとえ、相手が王様であろうと、わたしたち人民の権利を、わけもなく、ふみにじるような判決はなさらないと信じます。
手前はしがない風車小屋のおやじですが、毎日毎日を正直に働いて、自分の義務をまちがいなくはたしさえすれば、どこに出たって、ちっともこわいことはございません。
裁判所は、どんな時にでも、正直な人民の権利を必ず守ってくれます。
権力で取り上げる方が正当か、先祖の風車小屋を売りわたさないほうが正当か、よしあしは、判事さんがきめてくれるでしょう。」

あるじは、おくする色もなく、堂々と自分の考えを述べたので、家来たちは、いきりたちましたが、大王は静かにそれをおしとどめ、あるじのほうを向いて、微笑をうかべながら言いました。
「よし、よし、おまえの言うことは、よくわかった。
あの風車小屋には手をつけないから、安心するがよい。
おまえは、これからも、今まで通り、正直に働いてくれ。」
「さすがは、大王さまだ。」
風車小屋のおやじは、生きかえったようによろこびました。
そして、なんども、なんども、お辞儀をして帰って行きました。
大王は、おやじのうしろ姿を見送っていましたが、その顔には、喜びの色があふれていました。
臣下の者は、不思議に思いました。
これでは庭の形が悪くなるのに、どうして大王が喜んでいるのかわからなくなったからです。
しかし、大王は言いました。

「いや、人民があれほど裁判所を信頼していようとは、わたしも今まで知らなかった。
あれで見ると、わたしの裁判官たちは、法の前では、王侯貴族も平民も、すべて平等だという信念をもって、その職にあたっているのだ。
そして、人民もそれを信頼しているのだ。
わたしは、それがうれしい。
すべての人が法を重んじ、法に従う、これが何より大事なことだ。
庭のかっこうなんか、少しぐらいどうなったって、かまうものではない。
むしろ、庭がぶかっこうになったのは、人民の権利を尊重した結果だと思えば、わたしは、かえって、うれしいくらいだ。」
こういうわけで、風車小屋にはいっさい手をつけないで、無優宮の庭園は改造されました。
フリードリヒ大王が人民の権利を尊重したことを記念するために、今日でも、その風車小屋は、離宮の近くに保存されています。
(終)
【注:山本有三=小説家・劇作家。本名、勇造。栃木県生まれ。東大卒。社会的視野から人生を肯定的に描く。
小説「波」「真実一路」「路傍の石」、戯曲「生命の冠」「同志の人々」など。文化勲章。
(1887―1974)=広辞苑・7版】
ーーーーーーー
ーーーーーーー
(東京新聞・社説続き)
むろん歴史は単純ではなく明治憲法は大正デモクラシーという民主主義の高揚期すら生んでいます。
それはやはり、社会を改良しようという民衆のエネルギーの発奮でしょう。
戦後、両国ともあたらしい憲法をもちます。
日本では”押し付け”などという政治家もいますが、国民多数は大いに歓迎しました。

世界視点で見れば、1948年の第3回国連総会で採択された世界人権宣言が基底にあります。
人間の自由権・参政権・社会権。
つまり国家優位より個人の尊重。
長い時と多くの犠牲を経て人類はやっとそこまで来たわけです。

振り返って今の日本の民主主義はどうか。
たとえば格差という問題があります。
広場なら困っている人が自分の横にいるということです。
資本主義のひずみは議会のつくる法律で解決すべきだが、残念ながらそうなっていない。

《広場の声とずれる政治》
また「一強」政治がある。
首相は謙虚を唱えながら独走を続けている。
広場の声と政治がどうもずれているようだ。
社会はつねに不満を抱えるものです。
その解決のために議会はあり、つまり広場はなくてはならないのです。
思い出すべきは、民権を叫んだ明治人であり、伊藤が立ったかもしれない広場です。
私たちはその広場の一員なのです。
(社説終わり)
ーーーーーーー
*少し、漠然としているが、自分なりに読んで、補足して、考える。
「格差」-国会質問がこの前あった。
民権を叫んだ明治人、、。
大正デモクラシー。
広場。議会。一員。
ーーーーーーー
●次に、朝日新聞、、。
(2018年・平成30年・1月1日・月)
(1面)
《折々の言葉》=鷲田清一
『万葉集』は、何と「雑」の分類から出発する。
   ー中西進ー

年の初めといえばお雑煮。
ここにも「雑」が使われている。
古代中国の辞書によれば、「雑」は「五彩相い合うなり」(五色の彩が一つになる)とか「最もなり」(第一のもの)を意味すると、随想「美しきカオス」(「潮」昨年12月号)で国文学者は考える。
雑技も華々しい技芸のこと。
歌集の「雑」も華やかな開始を示すと思われ、「その他」ではないと。
ごっちゃ(多様)こそ「万物の礎」?
2018・1・1
(う~む。なるほど。)
ーーーーーー
【天声人語】
時代の向かう先を見通すためあえて時代をさかのぼってみたい。
異なことを思い立ち、歴史年表を脇に本社ヘリに乗り込んだ
▲平安京→200年前・三浦半島・黒船→日本海・100年前・米騒動→2018年、、、。
・・・・・
(読んだ!う~む。→→)
ーーーーーー
◎(13面)=社説・Editorials
【来るべき民主主義ーより長い時間軸の政治を】
現在の安倍政権維なって6回目の新年を迎えた。
近年まれな長期政権である。
しかし、、、、、
・・・・
《場当たり的政権運営》
・・・・
ー読んだ。読むべし!ー
・・・
《シルバー民主主義》
・・・
「持続可能性」「将来世代の代弁者」
(亀田達也教授)→「今の世代と将来世代との間の公平を実現する上で、高齢者の果たしうる役割はありそうだ」
ー同感ー

政治がシルバー民主主義化するとしても、それはお年寄りのわがままというより、政治の側がいい顔をした結果にすぎない可能性がある。
・・・
《われらの子孫のため》
・・・
前文には「われらとわれらの子孫のために・・・・自由のもたらす恵沢を確保し」とある。
11条は「基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与えられる」とうたう。
先を見据えよ。
憲法は、そう語っているように思われる。
(終)
ーーーーー
*つながっていますね。天声人語から。
憲法を軸にして考えようと言うことでもある。
人権。基本的。
・・・・・・・・・
・・・・・・・・・
ーーーーーーーーーー
★しんぶん赤旗★しんぶん赤旗・日曜版★
【新春 痛快 対談】
◎市民が社会動かす時代◎
日本共産党委員長 志位和夫 さん
X & X
同志社大学大学院教授 浜矩子 さん

を読む。
ーーー
【新春対談】
◎日本共産党委員長 志位和夫さん
X & X
◎神戸女学院大学教授 石川康宏さん

を読む。
ーーー
■いいねー!
何をしなければならないか、明確だ。
ーーー
【全国革新懇ニュース・395・2017年12月、2018年1月号】
◎革新懇インタビュー
🌸文部科学省前事務次官
  前川 喜平 さん
「私は求め続ける 個人の尊厳へ導く 教育を」

を読む。 


 


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