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May 11, 2018

🌸歴史的南北会談

2018年5月x日
★新聞を読んで写す。
●しんぶん赤旗・4月28日・土●
(1面)
◎歴史的南北会談「板門店宣言」に署名◎
《完全な非核化で核のない朝鮮半島を》
《朝鮮戦争の終結 年内に》

【高揚(韓国京畿道=栗原千鶴】 韓国の文在寅(ムンジェイン)大統領と北朝鮮の金正恩(キムジョンウン)朝鮮労働党委員長(朝鮮民主主義人民共和国国務委員長)は27日、11年ぶりとなる3回目の南北首脳会談を板門店の韓国側使節「平和の家」で行い、「完全な非核化を通じて、核のない朝鮮半島を実現することを確認した」とする「朝鮮半島の平和と繁栄、統一のための板門店宣言」に署名しました。
署名式では、両首脳が互いに肩を抱き合い、合意を喜び合う姿がみられました。
➡関連②③⑦⑮
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本分=略
読むべし!
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★トランプ大統領が書き込み―「朝鮮戦争が終ろうとしている」
トランプ米大統領は27日、南北首脳会談について自らのツイッターで、「朝鮮戦争が終わろうとしている。
米国と、その素晴らしい国民は、いま韓国でおきていることを強く誇りに思うべきだ」と述べました。
また「ミサイル発射や核実験の狂った年の後、南北朝鮮の歴史的な会談が起きている。
良いことが起きているが、時間がたてばわかるだろう」と書き込みました。
(👏)
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★歴史的な南北首脳会談と「板門店宣言」を心から歓迎する◎
 日本共産党幹部会委員長  志位 和夫

・日本共産党の志位和夫委員長は27日、韓国・板門店で行われた南北首脳会談について、次の談話を発表しました。

Ⅰ、韓国(大韓民国)の文在寅大統領と北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の金正恩国務委員長が本日、板門店の韓国側施設で南北首脳会談を行った。
金委員長が北朝鮮指導者として歴史上はじめて韓国側に足を踏み入れ、文大統領は、そのことによって「板門店は分断の象徴ではなく、平和の象徴になった」と述べた。
(👏 拍手)
今回の南北首脳会談は、文字通りの歴史的会談となった。

Ⅰ、両首脳は、「板門店宣言」に署名し、その中で「完全な非核化を通じて核のない朝鮮半島を実現する」「(朝鮮戦争の)終戦を宣言し、停戦協定を平和協定に転換し、恒久的で堅固な平和体制構築のため南北米3者または南北米中4者会談の開催を積極的に推進していく」「民族的和解と平和繁栄の新たな時代を立ち起こし、南北関係を積極的に改善し発展させていく」ことなどに合意した。
「板門店宣言」は、朝鮮半島の非核化と、北東アジアの平和体制の構築に向けた大きな前進である。
日本共産党はそれを心から歓迎する。

Ⅰ、今回の合意が履行され、73年間に及ぶ南北分断と対立が解消に向かい、南北の人々が平和と繁栄のなかで暮らせるようになり、統一に向かうことを心から願う。
(👏・平和と繁栄のなかでくらす、、、=いいですねー!)
文大統領自身が、今回の首脳会談を米朝首脳会談への「道案内」と位置づけているように、南北、米朝の二つの首脳会談は密接につながっている。
南北首脳会談の成果を踏まえ、米朝首脳会談が大きな成功をおさめることを、強く期待する。
(終)
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●板門店宣言(要旨)●
両首脳は、朝鮮半島でもはや戦争は起きず、新たな平和の時代が開かれたことを厳粛に闡明(せんめい)した。
(注:闡明=はっきりしていなかった道理や意義を明らかにすること)=広辞苑
①南北関係の全面的で画期的な改善と発展
・民族の運命は自身が決定するという民族自首の原則を確認する。
・高官級会談をはじめ各分野の対話と交渉を早期に開催する。
・南北共同連絡事務所を開城(けそん)地域に設置する。
・南北赤十字会談を開催し、離散家族問題などを協議、解決する。
来たる8月15日を機に再開を進める。
・東海線・京義線鉄道と道路を接続する。

②軍事的緊張状態を緩和し、戦争の危険を解消するために努力
・一切の敵対行為を全面停止する。
非武装地帯を実質的な平和地帯にする。
・西海の北方限界線一帯を平和水域とする。
・国防相会談など軍事当局者会談を頻繁に開催する。
5月中に将官級会談を開く。

③朝鮮半島の平和体制の構築。
非正常な停戦状態の終結。
・不可侵合意を確認し、順守する。
・段階的に軍縮を実現する。
・(朝鮮戦争)停戦協定65周年の今年、終戦を宣言し、停戦協定を平和協定に転換する。
・南北米3者会談、南北米中4者会談の開催を積極的に推進する。
・完全な非核化を通じて核のない朝鮮半島を実現するという共通の目標を確認した。
文大統領は今年の秋、平壌(ピョンヤン)を訪問する。
(終)
ーーーーーー
【赤旗・1面】
*(写真説明)➡南北共同宣言に署名し、握手を交わす北朝鮮の金正恩委員長(左)と韓国の文在寅大統領=27日、韓国・板門店(ロイター)
(!う~む。スゴイねー!二人!好!)
ーーーー
♪♪「運命」♪♪を聞く。
■ベートーヴェン(1770~1825)
―交響曲第5番 《運命》― CD
♪ジャジャジャーン
=ソ・ソ・ソ・ミー♪

*山本直純*「Classic Climax」(主婦の友社)1988
(27p)=「運命」に勝った「楽聖」
・・・・
カラヤンが初めて日本に来た折、NHK交響楽団を指揮して《運命》を演奏した。
そのリハーサルのとき、カラヤンは出だしを振っただけで、あとは指揮を止めてしまった。
オーケストラが止まると、カラヤンは「なぜ止めてしまうのか、続けてくれ」といって、終わりまで行くと「まあまあの演奏だといったのを覚えている。
しかし、たいていの作品は指揮者なしでも演奏でき、モーツアルトの交響曲などはすべて棒がなくても演奏可能だが、ベートーヴェンのこの曲は、そこに指揮者がいなければなんとも締まらない。
「指揮者のいない《運命》なんて」というところだ。

「日本指揮者協会」には、100人以上の指揮者が所属している。
その会長はブルックナーの大家朝比奈隆先生だが、先生に「一番むずかしい交響曲は?」と伺ったら、
「それはもう《運命》です」というお答えが返ってきた。
ボクもそうだが、あれほどこの曲を何度も演奏してこられた先生が「《運命》のはじめを指揮するのは今でも怖い。
これまでにうまくいったと思う演奏は、演奏会でもレコードでも一度もない」といわれるそんな作品なのだ。
近衛秀麿先生にも、棒と演奏が一度もピッタリ合ったことがないというエピソードがある。
 
ベートーヴェンがこの曲の動機を「運命はかく扉を叩く」とのべたと弟子のシントラ―が伝えたことから、日本では「交響曲《運命》」と呼ばれているが、ヨーロッパでは単に「ナンバー5」というだけで、この愛称はもちいられていない。
・・・
(写し終)
ーーーーー
○そう、そう、続けて、ベートーヴェン、次の本を、次の。
「第5」から「第9」・歓喜へ、、、。

★ロマン・ロラン著/平岡昇 訳
  「ベートーヴェンの生涯」
  (平凡社)  1962

(最終章のところ)
親愛なベートーヴェン!
私以外にも彼の芸術家としての偉大さを讃えたものは相当に多かった。
しかし、ベートーヴェンは音楽家の第一人者をはるかに超えた存在なのだ。
彼は近代芸術の最も英雄的な力を表している。
彼は、悩み、戦う人々のもっとも偉大で、もっとも親切な友である。
・・・・・

・・・・・
一種の恐怖をいだいてベートーヴェンを賛美しているグルリバルツァーは、彼についていってる。
「彼は芸術が自然のままの気まぐれな諸元素と融け合う恐るべき点にまで達した。
シューマンは「ハ短調交響曲」(第5)について同じようなことを言っている。
「いくたび聞いても、この曲は、不変の力を及ぼす、あたかもどんなに頻繁に現れてもいつも恐怖と驚きをもってわれわれの心を満たすたぐいの自然現象のように。」
そして、彼の腹心の友であるシントラ―も、
「彼は自然の霊をつかんだ」と言っている。
―たしかにそのとおりだ。
ベートーヴェンは自然の力だ。
そして、この元素的な一精力が全自然を相手に戦う光景は、ホメロス的な壮大さを感じさせる。

彼の全生涯は、嵐の一日に似ている。
最初には、澄み渡ったみずみずし朝。
あるかなきかのもの憂いそよ風。
しかしもう、静かな大気のなかに、ひそかな威嚇と重苦しい予感がただよう。
突如、大きな影がいくつかよぎり、悲劇的な雷鳴が起こり、低いざわめきを支えたうす気味悪い沈黙が続き、猛烈なはやてが吹きすぎる、ちょうど「英雄(エロイカ)」と「ハ短調」(第5)のように。
けれども、昼の光の清浄さは、まだそのためにおかされてはいない。
歓喜は依然として歓喜であり、悲しみは相変わらず希望を失っていない。
しかし、1810年以後は、魂の平衡は敗れる。
光は奇異な調子を帯びる。
もっとも明るい思想から水蒸気のようなものが立ち上がるのが見える。
それらは散って消えたり、また形をなしたりして、その憂鬱で気まぐれな混乱で心を曇らせる。
音楽的な意想が、靄(もや)の中から一、二度浮かび出てから、霧に呑まれてすっかり消え失せてしまうこともしばしば起こる。
それがふたたび現れてくるのは、曲の終わりであって、それもただ突風のようなあらわれ方なのだ。
陽気さそのものが、荒々しい野性的な特質を帯びている。
あらゆる感情に、一種の病熱が、一種の毒素が混じっている。
夕闇が降りてくるにつれ、嵐は吹きつのって行く。
そして、いまや夜の暗黒に包まれ、暴風雨をはらみ、稲妻を支えてふくれあがった重苦しい黒雲があらわれる、
あたかも「第9」の始めの部分のように。
―突然、大旋風の絶頂にあって、闇が引き裂かれ、暗黒が天空から吹き払われ、白昼の明澄さが意志の行為によってとりもどされる。
どんな勝利が、この勝利に比肩しうるだろうか。
ポナパルとのどんな勝利が、アウステルリッツのどんな太陽(1805年12月2日の戦勝をたたえたナポレオンの言葉)が、かつて「精神」がかちえたかぎりのもっとも赫赫たる勝利の栄光、この超人的努力の光栄の域に達しているだろうか。

貧しい、病弱な、孤独な一人の不幸な人間が、この世界から喜びを拒まれた苦悩そのもののような人間が、みずから「歓喜」を創造して、それを世界に贈るとは!
彼は自分の不幸によって「歓喜」を鍛え上げたのだ。
それは彼が次の誇らしい言葉で言い表したとおりだが、その言葉には彼の一生が要約されており、それはあらゆる雄々しい魂にとっての金言でもある。

「苦悩を経て歓喜へ」 Durch Leiden Fruede
1815年10月10日  エルデディー 伯爵夫人に
(終)
*ロマン・ロラン(1866~1944)
 フランスの文学者。20世紀前半、世界中に深い影響を与えた人。
 《ベートーヴェンの生涯》=1903年
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◎カラヤンの初来日、NHK交響楽団の指揮は、1954年4月だった。
「朝鮮戦争休戦協定締結」が1953年7月27日。
日本国は、戦争特需で大儲けした。
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【朝鮮戦争】とは。
・大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国とが、第二次大戦後の米国・ソ連の対立を背景として、1950年6月25日衝突し、それぞれアメリカ軍を主体とする国連軍と中国人民義勇軍のもとに国際紛争にまで発展した戦争。
53年7月休戦。朝鮮動乱。=(広辞苑)
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★日本共産党中央委員会著
  「日本共産党の70年・上」 (新日本出版社) 1994年

(231p)
《朝鮮戦争と日本》
この間、1950年6月25日、朝鮮を南北に分断する38度線で大規模な軍事衝突が起き、全面的な内戦がはじまった。
翌、6月26日、北朝鮮の金日成首相は放送演説で「朝鮮人民は李承晩一味に反対するこの戦争で、朝鮮民主主義人民共和国とその憲法を守り抜き、南半部に立てられた売国的かいらい政権を一掃して、わが祖国の南半部を李承晩一味の反動的支配から解放し、南半部に真の人民政権である人民委員会を復活し、朝鮮民主主義人民共和国の旗のもとに祖国統一の偉業を完成しなければなりません」と、南部全面解放をめざす戦争に、全人民が総決起することをよびかけた。

この内戦は、実際には、スターリンの承認のもとに北朝鮮の計画的な軍事行動によってはじめられたものであった。
北朝鮮の軍隊は、南朝鮮の不意をついて急速に進撃し、3日後の6月28日にはソウルを、7月20日には太田を占領、8月はじめには、朝鮮半島の東南端の一角(釜山、大邱、浦項をふくむ)をのぞき半島全域を占領するにいたった。
国連安保理事会は、6月27日(朝鮮では28日)、アメリカ軍を中心とする「国連軍」派遣を決定して、朝鮮の内戦に軍事介入し、今日にいたる南北分断を固定化する役割をはたした。
中国も9月にはいって、「義勇軍」の名で北朝鮮を支援して内戦に介入し、ソ連軍もひそかに関与した。
「国連決議」を看板として他国の内戦に介入し、戦争が終結したのちにも、今日までいすわって、南朝鮮を事実上の占領下においているアメリカ帝国主義の軍事介入が不法なものであることはいうまでもない。
また、朝鮮の内戦にさいし、国連安全保障理事会を故意にボイコットして、「国連軍」派遣を結果的にゆるすことになったスターリン指導下のソ連の態度は、歴史的経過にてらしても、大きな誤りだった。
(この項終)
ーーーーー
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(う~む。)
ーーー
◎この戦争の最中の北朝鮮の金日成首相の、談話、直接政治に関わる文書ではないが、書き写してみよう。
この種の書籍、学生時代、50年も前だが、結構売れていたし、読まれていた。
内容はとにかく、精神が若々しいと思ったものだ。
いや、読み返して、いま、そう思っているのかもしれない。

*金日成 著
  「革命的文学芸術論」 (未来社) 1971

(14p)
《われわれの文学、芸術におけるいくつかの問題についてー作家、芸術家のと談話》
=1951年6月30日=

・作家、芸術家のみなさん!
こんにち、朝鮮人民がアメリカ帝国主義侵略者に対し、祖国の自由と独立を守るための聖なる解放戦争をおこなている此の時、わが作家、芸術家たちには極めて重大な任務が課せられています。
われわれの作家、芸術家は人間のたましいの技師として、わが人民の崇高な愛国心と不屈の闘士と最後の勝利へのゆるぎない信念をその作品に生き生きと表現すべきであり、その作品がたたかうわが人民の強力な武器となり、彼らを最後の勝利へとはげます大きな力となるようにしなければなりません。
以下 略
ーーーーー
(23p)
*同
《わが祖国の芸術を高い水準に発展させるためにー世界青年学生芸術祝典に参加した芸術家との接見の席上でおこなった演説》
=1951年12月12日=

・親愛なみなさん!
わたしはきょう、ベルリンで開かれた世界青年学生芸術祝典とソ連、人民民主主義諸国でりっぱに公演をおこない祖国に帰ってきたわが民族芸術団一行を熱烈に歓迎します。
このたびのわが俳優たちの公演は非常に重要な意義を持っています。
それは、朝鮮人民と諸国人民の親善を強化するのに大きく寄与しました。
ベルリンと人民民主主義諸国の広範な各界の人々ははじめて新しい朝鮮の芸術を知るようになり、アメリカ帝国主義の武力侵攻から祖国の自由と独立を英雄的に守っている朝鮮人民の生き生きとした肉声を直接聞くことになりました。
わが国の芸術団は、祖国を遠く離れた外国で諸国人民の熱烈な歓迎を受けました。
これは、戦う朝鮮人民にたいするかれらの共感をあらわすものであり、朝鮮民主主義人民共和国の国際的威信が高まっていることをものがたるものであります。
朝鮮人民は敵との戦闘に於いて勇敢であり、労働を愛するのみでなく、ゆたかな芸術的才能をそなえています。
われわれは芸術の分野でも輝かしい成果をおさめました。
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・・・・・・・・
わが国の芸術を発展させるうえで大きな障害となっているのは、形式主義であります。
いまだにわが国の一部の作曲家、美術家、劇作家、俳優たちは、この形式主義の弊害から完全に抜け出していません。
たとえば、我が国の一部の俳優はその演技で時として形式にかたより、作品の本質的な内容、主人公の思想や感情を深く表現することができていません。
このような形式主義を徹底的になくさなければなりません。
形式主義は、形式と内容をきりはなし、内容を形式に従属させて、芸術の思想性を低めるだけでなく、その芸術性をそこなっています。
・・・・・・

・・・・・・
親愛なみなさん!
みなさんは、このたびの外国旅行で多くのことを学び取り、貴重な経験を得たと思います。
みなさんは、多くの国の進んだ芸術を見ました。
いまやみなさんにとって、わが国の民族芸術発展の展望はいっそうはっきりしたものになったことでしょう。
みなさんには、わが国の芸術を新しくいっそう高い水準に発展させるべき栄えある課題が提起されています。
わたしは、みなさんが、あらたな成果によってわが国の人民に喜びを与え、その要求を満足させるであろうと確信します。
みなさんの活動でいっそう大きな成果をおさめるよう期待します。
(終)
ーーーーー
・金日成(1912~1994)、だから、
1951年、朝鮮戦争の最中、故キムイルソン主席・39歳の時の演説だ。
後継者の方々、がんばっているが、お孫さんも、なかなか、、、。
もう一つ、、。
ーーーーー
*同
【千里馬の時代にふさわしい文学、芸術を創造しよう―作家、作曲家、映画部門の活動家におこなった談話―】
=1960年11月27日=
・・・・・・

・・・・・
・・・・・
われわれの映画の質の低下は、作曲にも多く起因しています。
勇気をふるいおこさなければならない場面では雄々しく希望にわきたつ歌が流れなければならないのに、そのようになっていません。
映画の場面にふさわしくない歌をいいかげんに寄せ集めて流すので、人々に感銘を与えることができません。
われわれの音楽も現実からたいへんたちおくれています。
それは、疾風のように駆けるわが人民の偉大な前進運動をよく反映していません。
われわれのチョンリマ騎手たちが活気にみちていてしかも楽しく歌えるようなすぐれた新しい歌がつくられていません。
青井水系が山をこえて田畑をうるおしており、トラクターやトラックが人にかわって畑を耕し荷物を運んでいるのに、われわれはまだ農村でこのような一大変化をうたった力にみちた美しい歌を聞くことができません。
音楽舞踏叙事詩『栄えあるわが祖国』はもちろん大作ではあるが、それはあれこれよせあつめてつくったものであって、統一的な一つの大作ではありません。
これを一つつくったからといって自慢する根拠はすこしもありません。
・・・・・・・

・・・・・・・
作家、芸術家たちがピョンヤンだけにすわっていたのでは、何も生まれてきません。
人をふるいたたせる生活と闘争は、工場に行ってこそ見ることができ、農村に行ってはじめて体験することができます。
労働者、農民、とつねに接触し、かれらの生活の中に深くはいってこそ、現実をよく知ることができます。
・・・・・

・・・・・
みなさんもよく知っているように、いま地方のサークルで創作された寸劇やその他の作品には、中央でつくったものより良いのがあります。
農村の先生がつくった作品のなかにも非常にすぐれたものがあります。
それは、これらの作品が実生活のなかから生まれてきたものであるからです。
抗日パルチザンの歌の多くは、パルチザン自身が創作したものです。
かれらはもちろん芸術家でもなく、音楽大学にかよったこともありません。
多くの人たちがぜいぜい中学卒業程度の知識しか持っていない勤労青年であり、大学卒業生というのはいくらもいませんでした。
かれらが自分の生活と闘争で感じたことを自然に、ありのままにうたったのがこんにちわれわれの歌っている革命歌謡であります。
これらすべてのことは、シナリオを書いたり作曲をするのはなんら神秘的なことではないし、労働者、農民が文学、芸術の創作に参加できるばかりでなく、かれらの積極的な参加がなければ真の人民的な芸術の開花をもたらすことはできないことをものがたっています。
・・・・・・
(終)
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1960年、、。故キムイルソン主席は、この時期、
人民が主人公、労働者、農民が積極的に参加しなければ真の芸術は生まれない、と言っている。
国創りも、そうだと。
その後、苦難が続く。
しかし、原点はやはりそこだとおもうのだが。
後継者のみなさん、がんばって!
「韓流ドラマ」をみても、どれも=トンイ・イサン・チュモン・テジョヨン、他、他=必ず大王もチャングンも「民を救え」「民の幸福を」と叫んでいる。
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★大きなことを言って、いや、人の本を写しているだけだが、朝鮮戦争(1951・6~1953・7)についてのそれをまた書き写してみよう。
ずいぶん研究が進んで、大したものだと思う。
ーーー
◎渡辺治・不和哲三
  「現代史とスターリンー『スターリン秘史―巨悪の成立と展開』が問いかけたもの」
  (新日本出版社)  2017年

(247p)
Ⅳ、「冷戦」とスターリン戦略(1945~53年)
〔新たな論点・その3 朝鮮戦争とスターリンの覇権主義〕
「秘史」が提起した第3の論点は、朝鮮戦争を、ヨーロッパ以外でアメリカとたたかう新しい戦線、アジアでの「第二戦線」をつくるという狙いをもったスターリンの主導で引き起こされた戦争という点から、見直したことです。
もともと、朝鮮戦争は、その開始の時から「誰が戦争を始めたのか」という点をめぐって大きな対立・論争が続いてきました。

北朝鮮の侵略というアメリカやマスメディアの言説に対して、あの戦争は、アメリカと韓国・李承晩(イスマン)により引き起こされた戦争であったというのが、1970年代初頭までの左翼の中に「常識」として定着していたように思われます。
私(・渡辺治)も、大学時代までは、ストーンの『秘史朝鮮戦争』(上下、1952年、新評論社)などを読んでそういうふうにとらえていました。

ところが、その後70年代から80年代にかけて、アメリカなどの新資料が公開され、北朝鮮による武力解放戦争であったという研究が多数出されました。
さらに「冷戦」後には旧ソ連からも新資料が公表され、朝鮮戦争研究が大きく進展してきました。
米韓の侵略という左翼の「常識」も見直しを余儀なくされました。
日本でも和田春樹氏の『朝鮮戦争』(1995年、岩波書店)などが、ソ連崩壊後の資料をも踏まえた研究として注目されます。
そのような研究の結果、朝鮮戦争は北朝鮮の侵攻によって始まったということが確定しました。

しかし、そこでの朝鮮戦争像を、非常に大ざっぱに言うと、朝鮮戦争は金日成率いる北朝鮮のイニシアチブで開始され、それに中国も支援に踏み切り、当初躊躇・警戒していたスターリンも承認を与えた、というもののように思われます。
『秘史』で不破さんは、スターリンが、その覇権主義的思惑からーすなわち、「冷戦」が激化してヨーロッパで米ソ戦争が起こり、ソ連や東ヨーロッパが危険にさらされるのを恐れたスターリンが、ヨーロッパでの米ソ衝突の回避のためアジアに「第二戦線」をつくり、アメリカの力をアジアにそらせるという思惑から―、朝鮮戦争に積極的に関与、介入したという視点でとらえ直し、朝鮮戦争に新たな光をあてています。
(!「第2戦線」!スゴイことですよね。スターリン、覇権主義、大国が他国を利用する、戦争を、、
巨悪!まさに!ですね。)
そして、朝鮮戦争のこうした見直しから、『秘史』はきわめて注目すべき5つの新たな事実を発掘しています。

【スターリンの中国政策の転換】
まず、一つは、この視点から、スターリンの中国政策を見直し、スターリンが中国をアジアの「第2戦線」の実行部隊として徹底して活用したことを明らかにしたことです。
『秘史』が明らかにしたのは以下のような過程です。
スターリンは、第2次世界大戦後の中国の建設をあくまで蒋介石の国民党政権中心で構想し、共産党は国民党政権の中で一定の地歩を占めればよいという程度で考えていました。
むしろスターリンの狙いは、中国東北部=「満州」をソ連の勢力圏下におくことにありました。
(う~む)
・・・・・・

読むべし!
・・・・・・
「劉少奇テーゼ」の真相も明らかにしています。
・・・・・・
【スターリンの金日成による南進支持への転換の理由】
朝鮮戦争とスターリンに関して『秘史』が明らかにした事実の二つ目は、北朝鮮への侵攻に消極的であったスターリンが、49年9月になって積極に転換する背景には、ヨーロッパにおける戦争の危機と米ソ戦争の回避の要求があったこと、そのためにアジアで戦争を始め、中国を巻き込むことで「第2戦線」をつくりアメリカの力を極東に振り向けるという意図があったことを立証したことです。
(オー!)
スターリンが北朝鮮の侵攻作戦計画策定の際、敢えて中国をはずしたことも、アジア「第2戦線」で、中国に「巨大な重荷を担わ」せることを狙ったからだとした点も注目される指摘です。

【ソ連の国連ボイコットの意味】
とくに注目される三つめは、50年1月初頭から、ソ連が国連をボイコットした謎―つまりソ連がこの時期に長期にわたって国連ボイコットを続けていたために、国連安保理では朝鮮戦争が北朝鮮の侵略でありそれに対処する目的で国連軍を組織するという決定が出てしまったことの謎を、この脈絡から解明したことです。
(おー!「日本共産党の70年・朝鮮戦争と日本」のところでも、触れていますね。
ソ連のポイコット。謎でした。)

実は、朝鮮戦争が始まったときなぜソ連は国連を欠席し続けたのかという疑問は、私なども、ずっとこだわっていた疑問でもありました。
この問いに対し、たとえば、和田春樹氏は、ソ連の国連欠席は、ソ連が北朝鮮の侵攻非難の動議に反対して国際世論を納得させる自信がないばかりか、拒否権を行使することになればアメリカを刺激しソ連と北朝鮮は「完全に一体」だと攻撃され、戦争が拡大されることを恐れたからだ、という説を提示しています。
つまり、「ソ連は、北朝鮮の行動を支持し、アメリカの介入はないとの考えに傾いて、兵器を提供したが、自分たちが北朝鮮の行動を支持したという印象を与えるのを極力避け、中立的なポーズを保つようにあらゆる努力を払った」(和田春樹前掲『朝鮮戦争』21p)結果だというのです。

国連の場で北朝鮮を弁護し拒否権を行使するハメになりたくなかったというのです。
しかし、こうした仮説は、説得力に欠けているように思われました。
ソ連のボイコットによって、かえって、国連の旗はアメリカに握られ、国際世論を巻き込むことを可能としたからです。
この問いに対し不破さんは、ソ連の国連ボイコットが、「第二戦線」にアメリカを引っ張り出すためにわざわざスターリンが仕組んだものだという驚くべき事実を、スターリン自らゴトワルト大統領(★)に宛てた書簡などを駆使して明らかにしています。

 ★ゴトワルト(1896~1953) チェコスロバキア共産党の指導者で、党書記長やコミンテルン執行委員会幹部会員などを歴任。
戦後、チェコスロバキアの首相(1946~48年)、大統領(48~53年)となりました。

とくに、『秘史』で明らかにされたゴトワルト宛書簡の意味は、このスターリンの狙いを語る資料として極めて重要です。
そこでスターリンは、国連ボイコットはアメリカを朝鮮戦争に引っ張り出すことが目的だととくとくと語り、アメリカは、朝鮮で対峙することを余儀なくされるため、
「米国はこの戦いで疲弊してしまうだろう」
「これで疲弊してしまった米国は、近い将来第3次世界大戦をたたかうことはできないだろう」
「第3次世界大戦は期限なく先延ばしされ、ヨーロッパでは社会主義を強化するために必要な時間が確保されるだろう」
とあからさまに語ったことを紹介しています。
また、この点に関しての注目すべき指摘は、スターリンはアメリカの介入がないことを見越して朝鮮に介入したのではなく、逆にアメリカの介入をひき出すために朝鮮戦争を引き起こしたという点です。
今までの通説を文字通りひっくり返しているのです。
(おー!う~む。
だとすると、”祖国の解放”と、信じて戦った人たち、犠牲になった方々は、どうなるのか。
かわいそうだよ。
日本は、”特需”で儲けたけれど。)

【ソ連の直接介入拒否、休戦への消極性】
新たに指摘された事実の四つ目は、スターリンがソ連軍の支援を求める毛沢東などの懇願を退けて最後まで朝鮮戦争への直接介入を避け続け、中国を全面に立てる方針を堅持した理由、また北朝鮮や中国が望んでいた休戦についても最後まで消極的であった理由を、アジアで米中を戦わせアメリカを疲弊させるというスターリンの狙いから説明したことです。
(レ・ミゼラブル!)

【コミンフォルム日本共産党批判の狙い】
また5つ目に、これも極めて重大な指摘ですが、コミンフォルムによる日本共産党批判、さらにスターリンの直接的介入・干渉を、こうしたアジア「第二戦線」構想の中での位置づけから解明したことです。
すなわち、日本で反米の武装闘争を起こすことで、アメリカが、一層深くアジアに手をとられる状況をつくるという狙いからだというのです。

ここで不破さんが、コミンフォルムの批判には二つの狙いがあったとしていることは注目されます。
一つは、日本の革命運動でも武装闘争が不可避であることを訴え、日本の運動を武装闘争に引きずり込むことです。
それによって朝鮮戦争を遂行している米軍の後方撹乱をするという狙いです。

二つめは、コミンフォルムによる批判を公然とやることで、アメリカや日本政府を「挑発」し、日本共産党の非合法化という、”予防反革命”的な暴挙をひきだし、共産党の武装闘争への移行を容易にするという狙いです。

こうした視点に立ってみると、コミンフォルム批判やいわゆる「新綱領(51年文書)」をスターリンが直接手を入れ、執筆するという力の入れようも、納得がいきます。

日本共産党の「50年問題」と分裂・干渉が、帝国主義対覇権主義のたたかいという戦後世界史の文脈で位置づけられたことは、この問題にも今後、新たな光をあてるものだと思います。

【新たな論点・その4  各国の運動の力とスターリンの限界】

全文・読むべし!

(写し、終り)
ーーーーーー
*凄まじい話だ。


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